アンバランサー
***
薄暗い蔵のようなところで、二人の人間が向かい合っていた。
片方は闇に溶けるようなローブを着ていて、薄ら笑いを浮かべている。
一方で、もう片方の男は不安げに目をぎょろつかせていた。
「あと一つお願いします。これを、この場所へ」
印のつけられた地図を、ローブが不安げな男に手渡す。
男は受け取りつつも、険しい顔だ。
「どうしたのですか。何か心配事でも?」
「心配っていうほどじゃあないんだが……でも……」
はっきりしない男に、ローブはもう一つのものを渡す。
それは、黒い木の皮のような何か。空気を歪ませるような、不穏な力を感じられる者ならば感じる品だ。
「はい、どうぞ。これをまた、置いてくれればいいだけです。そして、定期的に力を注いでください。そのうち、この黒い輝きがなくなるでしょうが、そしたらもう適当に処分していいです」
手渡されたその『黒いもの』に、男は一瞬身を震わせる。
男はそれが何かは知らない。ただ、いい仕事があるからやらないかと持ちかけられただけだ。だが、知らなくとも、何か嫌なものを感じるのはたしかだった。
結局、金に困っていた男は、怪しみながらも飛びついたのだが。
「あの、一つ、気になることがあるんだ」
「なんでしょうか」
「なくなってたんだ。前にこれと同じものを置いた場所から。……いや、俺はちゃんと人目につかないようにしてたんだ! それなのに誰が掘り起こしたのかわからないけど……」
言い訳するような男の言葉を聞いて、ローブは口元に手を当て考え込む。
男は不安な気分でそれを眺めていた。
自分に仕事を依頼してきた者は、やばい奴だと直感していた。柔らかいものごしの奥には、常に冷徹さを帯びている。関わり合いにならない方がいい人物だと。それでも、背に腹は代えられないと仕事を受けたが、後悔もし始めていた。
できればかかわりたくないと。
「まあ、いいでしょう。そろそろ期限だったでしょうし」
「力を失う期限ってやつか?」
「ええ。黒い輝きを失い灰色になるまで、定期的に魔力を注いでもらう約束でしたが、そろそろ限界だったでしょうから、大勢には影響ありません。ただ、それを持ち去ったのが、偶然の事故か、人間が故意にやったことかは気になりますが……それはあなたは気にする必要はありません。こちらで考えておきます」
「あ、ああ。助かる」
「いえいえ、お気になさらず」
だがローブに、相手への気遣いなどないことは明白。
単に、男にはそんなことを任せられないと見くびっているだけである。
「なあ、あんた、本当にやばくないのか? なんか、これを始めてから、妙な現象が起きてる気がするんだよ。火柱が自然に上がったり、地面に大穴があいたり、この前は魔物の集団が来たし、自然も魔物もおかしくなったみたいに」
男は不安げに尋ねた。
誰にも言えないことだが、自分が最近の異変に携わっていたら……? 小さな心は締め付けられそうだ。
「あなたが知る必要のあることではない。ただ、一つ言えるのは、私達の思惑どおりだということです。……少々、想定より事象が抑えられているような気がしますが。まあ、これは準備。もっと大きなことをするためのね。あなたは、同じようにすればいい。何も気にせず」
ローブはそう言うと、肩をぽんと叩いた。
男に見せ付けるように酷薄な笑みを浮かべて。
脱力したようだった男も、やがてのろのろと薄暗い屋内を出て行き、地図に示された場所へと向かう。
***
「マナのバランス、ですか。以前も言っていましたね。あれは竜人の間ではそれほど深刻な問題になっていたのですか」
「ああ、センセイ。マナのバランスが崩れていることを知ってるのは俺だけじゃない。知らない奴がほとんどだけど、少し明らかになってきている。結構前から徴候があったから、色々調べてわかってきたんだ。影響も、この前の精霊の化身だけじゃなくて、各地で色々な形でね」
セバルトが記憶をさらうと、たしかに思い当たることはある。
たとえばこの前の箱の事もそうだ。暴走して魔法を発動する、あれもマナがおかしくなっていたからだと考えられる。
(なるほど、俺がこの時代に来るより前から異常は起きていて、それについて調べている者もいたのか。300年経てば変化もある――と考えていたが、そういう許容できる変化だけではないのだな)
そしてレカテイアは、自らの知る事情を話していく。
最初に気付いたのは、いわゆるエレメント系と呼ばれる魔物のような、マナと生物の中間のような存在によってだったという。それらが力を増していたのだ。
それから色々なことが起き、原因がマナにあるとわかると、一部の魔物が、この混乱に乗じてかつて為し得なかった人間を滅ぼし勢力を拡大するという野望を再び抱いた。
しかし、竜人の中では人間と友好的にやっていけばいいという意見ができていた。もともと竜というのは魔物の中でもそこまで過激な方ではなく、静かに暮らしていければいいという態度だったので、かつての大戦の時に、魔王達に無理矢理動かされたことに対しての反発もあった。
そんなわけで、レカテイアはそういった魔物達と人間達が衝突しないためにマナの異変を抑えることを目的に、また将来的に人間と関わりを持ったときのために、恩を売っておこうという役目を持って人間の世界に使わされたのだという。
「ま、そういうわけさ。それに、対立云々以前に災害のもとにもなるしな、止めた方がいいってわけ。それに、里の外に一回出て好き勝手やってみたかったってのもあったんで俺が申し出たってワケ。古いことに興味があるっていうのも嘘じゃないさ。外の世界を観光したいってのもね。でもまあ他の重要な役目も持ってる」
「なるほど、そういうことなんですね。思ったよりも事は大きくなってると」
「まあ、可能性の段階ではあるけど。でも、実際に動いた奴もすでにいるみたいだ。最上級のデーモンが人間たちに侵攻しようと準備をしているって噂もあるんだよ。あいつら、かなりヤバいよ。力をどんどんつけていったら、今は参加したがらない魔物も最終的には従わざるをえないかもしれない。なんでも古の魔王の名前を名乗るとか痛いことやってるけど、力はまじものなんだよな~」
呆れたようにため息をつくレカテイア。
(古の魔王を名乗る……? もしかして)
「たしかに、魔物の侵攻がありました。それがその危険な魔物の手の者だったのかもしれませんね」
(自称魔王ウィーハード、倒しちゃったんだよなあ。でもそれは言えないし)
「きっとそうだ。だから、まだセーフだとしても、動くべきなんだよ」
「じゃあ、どうすればいいのでしょうか」
「俺におまかせさ、それはすでに調べてある。漠然とだけど、そこそこわかってきたんだ」
「それなら話は早いですね」
「ああ。この前の巫女さんにやったのと同じ様な事さ。たまったマナを消費させる。なんらかの方法で。溜まったものを一気にでも、少しずつでもいいから」
「なるほど」
一度力を使ったマナは、変質して不活性になる。
たとえばそういうことをやればいいのだろうとセバルトは理解した。
とは言え大気や大地に散らばっているマナを集めるというのは容易ではない。
この前のモンスター襲撃のようなことが、あるいは巫女の暴走のようなことが頻繁に起こっては、いつまでも自分の力を隠してのほほんとするのは難しそうだ。マナのバランスは、やはり解いておかなければならない。
セバルトはそう結論づけた。
後々の平和のために、今は少しだけ騒乱に目を閉じるのも仕方ない。損して得とれという言葉もある。
「ええ。お手伝いします。いくらでもね」
セバルトが言うと、レカテイアは脱力してテーブルにつっぷした。
表情は爽やかさのない笑顔である。
「さっすがはえーよー、センセイの決断は」
あきれ半分うれしさ半分の笑みを浮かべるレカテイアを、不敵な表情のセバルトは見下ろして言う。
「ところで、その手段はもうわかっているんでしょうか?」
「……残念ながら。それを探さなきゃならないんだよね、どうにかして」
なるほど、そこまで調べはついていないのかとセバルトは頷く。
そうであるなら、この前の暴走のようなことが起きないためにも、手段を見つけておきたいが、何かあるだろうか。
「とりあえず、各々探すことにしましょうか。何かいいのがあれば、教えあうということで」
「ああ、助かるよ、センセイ」
方針を確認し、セバルト達はその日は別れた。