賢者の子
「というわけで、まずは静かに眠れるところを確保しよう」
資金を得てギルドを出たセバルトは宿に向かい、今度こそ無事に寝床を確保した。
これで一安心と胸をなでおろしたが、まだ日が出ているので今度は町の周囲を見てみることにする。ぐるりと歩くと、北に連なる山々、東に湖、南と西には農地があり、どの方面にも大小様々な林や森があって緑が豊かだ。
また街道南と西に二本延びていて、荷物を背負い歩いている人の姿を見ることが出来る。
なんとものどかな風景にセバルトはほっと一息をつきながら歩き、そして今はいくつもある森の一つの中で鳥の声を聞いている。
「しかし――」
セバルトは思い出す。
普通はこんな魔物はいないと、トロールを見たイーニーは言っていた。
この時代は平和で結構だが、しかし普段はいない魔物があらわれたというのは少しきな臭い。それに妙な天変地異もあったという。300年の平和が続いたのは確かなようだが、最近になってこの辺りで何か起こっているのだろうか?
「ところで、何かご用でしょうか? さっきからあとをつけてるみたいですが」
不意にセバルトはぴたりと足を止め、顔だけを後ろに向けた。
息をのむような気配がしたしばらく後、太い木の幹から一人の人間が姿をあらわす。
そこにいたのは、手に短杖をもった、大きめのローブを着た少年だった。
あとをつけていたことを看破され、気まずいような怯えたような態度をとっている。
「あの――ええと――す、すいません!」
と、突然少年は深々と頭を下げた。
セバルトは意表を突かれ、ぽかんとする。
「ご迷惑をかけようというわけじゃないんです。不快にさせてしまったらごめんなさい!」
頭を下げたまま、少年は言う。
どうも怖がっているらしい。やっぱり自分の顔つきが……とセバルトは若干落ち込みつつも、半分むきになって明るい表情を作り少年に近づき、安心させるよう肩をぽんぽんと叩いた。
「いえ、責めているわけではありません。単純に、何が目的かを知りたいというだけです。頭をあげて、理由を話してくれませんか?」
セバルトが促すと、少年はゆっくりと声を出す。
それはまさに絞り出す、という様子で明らかに緊張していた。
「……はい。まずは名乗らないと失礼ですね。僕はロムス・アハティと言います」
「ロムスさんですか。僕はセバルト・リーツです。どうぞ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします! それで……あとをつけていた理由なのですが、お願いがあるんです。こんなこと、いきなりで失礼だとは思うのですけれど――」
ロムスは一つ息を吸い込んだ。
そして頭を上げ、決意めいた光を目に宿して。
「僕の、先生になっていただけないでしょうか」
え?
先生?
セバルトは、予想外のことにさすがに困惑せざるをえなかった。
***
「はぁ……はぁ。あっ、つ」
目眩がして、ロムスは木の幹に倒れ込むようにぶつかった。節くれ立った幹が手のひらをこすり、ひりひりと焼けるような痛みで気を取り直す。
ロムスは今日も魔法学校の授業が終わってから一人で訓練をしていた。課題でうまくできなかった水魔法の練習を、町から少し離れた森の中で黙々と。
学校での授業が終わった後でも魔法のさらなる訓練は毎日の日課だった。
森の中でやっているのは、必要のないとき以外はできれば自分の貧相な魔法を人に見られたくないから、そして今のように倒れそうになっても、余計な心配をかけずにすむから。
だが……目眩を起こして倒れそうなほどに練習をしても、全くといっていいほど上達の気配はない。しかし、ロムスはそれでもなお続ける。自分は魔法が苦手なわけにはいかないから。
再び立ち上がり、杖を構え、訓練を再開する。
魔物の雄叫びと人間の叫びが聞こえたのは、まさにその時だった。
気になって見に行ったロムスが目にしたもの。
それは、はるか過去に失われたはずの強力な魔法を操り、一瞬で強大な魔物を倒す男の姿だった。
偶然セバルトが『紫電の糸』を使ったのを見たロムスは、家に戻り多くの蔵書をあたって、その見慣れない魔法が本当に過去の魔法であるかを調べた。
そして確信した。百年以上前に使いかたが失伝したと言われる、雷を操る魔法だということを。そしてまたこうも確信した。森の中で見た魔法使いは凄い人物だと。
そう思ったら、体はもう動き始めていた。あの謎の魔法使いに教えを乞うために、町中を探し始めたのだ。
そして程なくして、幸運なことにセバルトを見つけることができた。
あとはこういうだけだ。「僕に魔法を教えてください」と。
……だが、ロムスはその一言をなかなか言い出すことができなかった。
自分とは桁違いの魔法使い。その人に声をかけるというのは、ロムスにとっては勇気のいることだった。思い切りがつかず、じっと後を追っていた。
そして森の中までずとついていき、そこでついにセバルトに声をかけられ(実際はセバルトはもっと前から気づいていたのだが)、もう言うしかなくなり、ロムスは、用意していた言葉を口にしたのだった。
「僕の、先生になっていただけないでしょうか」
***
「先生――ですか?」
「はい。セバルトさんが魔法を使ったところを、たまたま目にしました。僕が森の中で魔法の練習をしてたときに、森の中が騒がしくなって、何かと思って見に行ったら、ちょうど魔物をあっという間に倒したところだったんです」
「ああ、あのときの」
セバルトは合点がいった。
あのとき、イーニー達以外にも気配があった。だから誰かが見ていたとはわかっていたのだが、この少年だったか。
「あれは失伝魔法でした。勉強のために色々な本を何度も読んだその中にあの魔法がありました。ずっと昔、強大な魔物と戦わなければいけない時代に編み出された大魔法。平和な時代が続くうちに必要も使い手もいなくなり、いつしか失伝した魔法。それに間違いありません」
(見たことのない魔法……なるほど。イーニー達の反応はそういうことか)
長い時のなかで、セバルトのいた時代の魔法は失われてしまったということらしかった。それを使える当時の人間であるセバルトは、古の魔法を復活させた凄い魔法使いだと、この少年――ロムスに思われているようだ。
(当時はありふれてた魔法を使っただけなんだけどなあ。当時でも普通じゃなかった、真の大魔法はまだこの時代に来てからは使ってないし)
とはいえ今は失われた魔法ならば、昔にどれほど普通のものだったとしても現代の人からすれば凄いものだというのはセバルトにも想像はつく。
「僕は世間知らずでセバルトさんのことを存じていないのですが、そんな凄い魔法を使えるということは、非常に優れた魔法使いなんだと思います。だから、教えて欲しいんです、僕に魔法を。そんなに凄い人なら、僕でもちゃんと魔法が使えるようにしてくれるかもしれないと思ったんです」
ロムスは必死の様子でそう言った。
(困ったな……)
表面上は何でもない様子を取り繕いつつ、セバルトは頭を悩ませる。
この時代の状況を把握する前だったから仕方ないとはいえ、すでに数人に自分の特別な力を見られてしまった。冒険者ギルドでも加減がわからずお節介もして注目されてしまった上、ロムスには失伝魔法を学びたいとまで言われてしまった。
平和なスローライフという野望があるのに、力があることがバレてはそうさせてもらえないかもしれない。あまつさえその力について教えてくれなどということはとんでもない話だ。
(……いや……もしかして)
そのとき、セバルトの脳裏で一瞬の閃きが起こった。
(これは、むしろ逆に利用できるんじゃないか?)
この状況を利用した、全ての解決策が立ち上がってくる。
イーニーは最近、この辺りでは珍しく強力な魔物があらわれると言っていた。それに謎の天変地異も起きているらしい。ならば、これから先もより強力な魔物などによるトラブルが起きかねない。
そうなったとき……おそらくセバルトはそれを見捨てられない。
セバルトは自分でわかっている。静かに暮らそう、面倒事に巻き込まれないようにしよう、と思っていても、もし危機が訪れ、それを解決できるのが自分だけとなったら、絶対に動いてしまうと。
なぜなら自分はお人好しで甘いから。
だから過去の世界では色々なことに嫌気がさしていてもなお魔王達を倒すために苦難の旅をしていたのだ。そういう性格だということは自分でよくわかっている。
だとしたら、このまま目立たずじっとしていても、何かあればセバルトは解決するために動き、それを見た人達にまた英雄に仕立て上げられてしまいかねない。それは困る。
だが、解決策がここにある。
セバルトは、目の前にいるロムスに目を向ける。
英雄を作ればいい。
町に危機が、国に危機が、世界に危機が訪れた時に、それを救える自分以外の英雄がいれば、自分が動く必要がなくなる。
自分が教師となり、英雄を育てる。
そうすれば、何が起きても静かに穏やかに過ごすことができる。
(これだ――さっきもイーニーが言ってたじゃないか。教師とか向いてるんじゃないかって)
タイミング悪くロムスには力の一端を見られてしまった。だがそれは逆に言えば、見せても今以上に悪くはならないということだ。
だったら積極的に見せて教えて、英雄の力を持つ者へ育て上げるチャンスだ。
だが問題もすぐに思いつく。ロムスは魔法使いのようだが、セバルトは厳しい戦いの中で、剣術や体術も駆使していた。魔法だけでは、同じようには戦えないだろう。
(英雄にはロムスの魔法だけじゃ足りないよなあ。そこをどうするか)
それにセバルトの力は過去においても突出していた。ロムスでなくとも、一人で全てまかなえる人物が見つかるかは疑問である。
セバルトはうつむき、迷いの世界に沈み込む――寸前ではっと顔を上げた。
(あれだ!)
セバルトの脳裏に浮かんだのは、英雄のモニュメント。七つの石柱を積み重ねて作られたというそれは、英雄の七つの資質を表現したものだといっていた。
つまり、一人で英雄になる必要はないのだ。
七つの資質をもった者達に、セバルトの持つものをそれぞれ伝えていく。あのモニュメントのようにそれらが全て積みかさなれば、過去の英雄と同じ力を持つように至るはずだ。
その暁にはセバルトは何が起きても英雄として振る舞う必要はなくなり、何があっても揺るがない完全なるスローライフが完成する。
セバルトは満足げに頷いた。
(その最初として、ロムスを魔法の生徒としよう)
……それに、この時代じゃ無職だし。
割と現実的な問題も考えたりしつつ、セバルトはロムスに対して首を縦に振……ろうとしたが、寸前で止めた。
その理由は、ロムスにそれだけの資質があるのか、である。
全部ではなくとも、なんんらかの英雄の資質がなければだめだが、どうもロムスから話を聞いた限りではそんなに実力がある感じではない。
それに、そもそも人に教えるなどセバルトはろくにしたことがない。姉弟で遊び半分でちゃんばらごっこをした時くらいだ。
セバルトは少し考え、
「少々考えさせていただいてもいいですか?」
いったん保留した。ロムスは残念そうな顔をしたが、食いつくことはなく帰っていく。
その背中を見て、セバルトはこれからどうするかを考えていた。