竜人の登場
「よし、準備は完璧」
セバルトは背負い袋の中身を確認すると、自宅のドアを勢いよく開けた。道を歩き、町外れまでいき、街道を西へと進む。
「この時代初めての遠征だ。さて、どんな風になってるかな、と」
途中街道をすれ違う重たそうな荷物を持った行商とすれ違った。馬車なりなんなり使わないのだろうか。
なんて思いつつ荷物袋を背負いなおし、セバルトが目指すのは隣町ベイルース。
歩いても日が暮れるまでに余裕でつくと言うことなので、のんびり行くことにしよう。
右手には鬱蒼とした広い森が広がり、左には平原。
代わり映えはしないが穏やかで悪くない景色をみながら、淡々と歩いて行くと、日が昇りきる前に立ち並ぶ建物が見えてきた。
(お、もうついたな)
こういうのんきな旅っていうのもいいものだなあと思いつつ、町に入る。
きょろきょろとおのぼりさんのように周囲を見渡しながらセバルトは歩くが、その街の様子は、エイリアとそう変わらない様子である。
同じ様式の建築物があり、同じような服を着た人がいる。歩いて一日かからない距離なのだから、変わる方が不思議だが。
木造の建物が多く並び、場所によって住宅が多い場所や店舗が多い場所などおおまかに自然に分かれている。屋根の色と壁の色が結構派手なものが多い。少し町中を歩きつつ情報収集してみたところ、色鮮やかな塗料が産業となっている街らしかった。
今日だけかいつもなのかは知らないけれど、町中は静かだ。セバルトにとっては心地よい。
なぜなら人の声がしない方が慣れているから。これは悲しい。
この町にも寺院はあるが、エイリアのものよりはやや小さいようだ。
セバルトが木の股で体を丸めている猫に指を伸ばしてみると、にゅあ~と興味なさげに欠伸をされた。
さて、そろそろ冒険者ギルドに向かおうか。
すぐにベイルースの冒険者ギルドも見つかった。
外観も内観もエイリアと同じようなつくりで、どことなく安心感がある。
カウンターにいる職員に、旅の途中に見つけたものを換金したいと申し出ると、快く応じてくれた。
(想像どおり。エイリアでも、登録のような作業はいらなかったからな。単に素材を売るだけなら特別なことはいらないんだ。そして――)
セバルトは、素材買い取り用のカウンターに、魔物の素材として結構な高級品を出した。
バーサクオーガの大腿骨、ヒュドラの牙、マグマモールの角、などなど。
かつてのエイリアでの時以上に驚いていたが、それは予想どおりなので、あらかじめ決めていたとおり、時間はいくらかけてもいい、また時間をおいてから来ますと言って冒険者ギルドを去る。
今回は、急ぎではないからそれでいい。
「ねえあなた、うちのギルドでしばらく働く気はない?」
ドアに手をかけたときに勧誘してきたのは、ベイルースのギルド長だ。素材を見て、こいつはできると見込んだらしい。
どこも同じことを考えるのだなと思いつつ、セバルトは固辞してギルドを去っていった。
「よし、うまくいった」
目深にかぶった外套のフードを外して、セバルトは深呼吸をする。
今回わざわざベイルースに来たのは、金を得るため。先日家をエイリアに構えたため、結構なお金がなくなってしまった。
教師の月謝はもちろんもらっているが、生徒が二人だけでは大金というわけでは当然なく、ちょっとばかり補給しておきたかったのだ。
しかし、エイリアでまた素材を換金しては怪しまれる。こんなに強いモンスターを倒せるなんて、やはりこいつは……となってしまう。
それでは困るので、別の街に来たというわけだ。
別の町で顔を隠していけば、凄腕の通りすがりの旅人ということでセバルト・リーツは実力を知られずに済む。それなら問題はない。
(これで再度折りをみて訪れれば、財政問題は解決するな。しかし生徒はもうちょっと増やしたいかな。英雄候補を増やすためっていうのはもちろんだけど、生活費を稼ぐためにも)
世界を救った経験があっても、それだけでは食べてはいけない。現実はシビアだ。
セバルトは財布の軽さを感じながら、エイリアへ戻ろうとした。
「ちょっと待ってくれよ! そう、あんただよあんた!」
唐突に聞き慣れない声に呼び止められたのは、ギルドを出た直後だった。
振り返ったところにいたのは、布の帽子をかぶった男。
黄昏時だが、顔はわかる。少し吊り目で、瞳が大きい。そしてかなりの長身。
「あんたが魔物の素材売ってるところを見てたんだ。あんな魔物倒せるってことは、相当強いんだろう?」
セバルトは身構える。
強いことは知られてもいいが、自分が誰かは知られていない。この男は、そこに興味があるかどうか、それを見極めようとする。
セバルトはじっと男を見つめる。
そして気づいた。よくよく観察すれば、金色の目は爬虫類的な特徴も備えている。否、もっと適切なものがある。何度か見たことのある目。
これは――。
「竜、ですね」
男は目を見開いた。
瞳孔が細く絞られ、金色が夕日に燃える。
男は抑えきれないというように、口を嬉しげに歪めた。
「あはは……まさかわかるなんて。やっぱり、あんたただものじゃないな。俺の目は間違ってなかった。――あんたに教えて欲しいんだ。人間の常識を。頼むよ、センセイ」
……センセイ?
セバルトが目を点にしていると、男はすばやく周囲に視線を走らせ確認し、路地裏へとセバルトを誘い帽子をぺろんと取った。
男の頭には、二本の角が生えていた。
「お察しの通り、俺は魔物の一つ、竜人ってやつさ。名前はレカテイア。出身は魔領の東部、ドラゴン・ムーア(竜湿原)ってじめじめしたところの生まれだ。まだ人間の土地に来てから日が浅くて常識とかないからさ。どうぞ教えてくださいな、セバルトセンセイ」
レカテイアと名乗った男は角の下の顔に、人なつっこい笑みを浮かべていたl
「では、あらためて聞かせてください。事情を」
「ああ、いいさ。あんたは俺のセンセイだからな」
魔物が生徒になりたいとやってきた――そのことにセバルトは驚いたが、何はともあれ事情を聞かなければならないと街の外へいったんでた。そして周囲に誰もいない草原で話を始める。
内容次第では人に聞かれたくないし、万が一暴れたりする可能性も警戒してのことだ。もっとも、この男からは邪気は感じられない。
「まだ僕はなるとは言ってませんけれど」
「まあまあ、固いこと言わないでくれよ。まず、もう一度になるけど俺の名前はレカテイア。竜人、つまり人間と竜の両方の姿をとれる種族なんだな。狼男とは仲良しこよしってね。でも角は残っちゃう。頭隠して角隠さずなんて、あっはっは」
軽い調子で言うレカテイアは、街からもってきた茶をぐびっと飲み干した。熱い茶だったのだが、一気のみだ。
さすがドラゴン、熱に強い。と妙に感心しつつ、セバルトもつい、つられてお茶の入ったコップを急角度に傾けてしまった。
熱゛っ!
セバルトは思わず叫びそうになったが、こらえる。平常心には自信があるのだ。
でも手を少しだけぷるぷるさせながら、地面の上にコップを置く。
やっぱり人間はゆっくり飲むべきだ、うん。
「……た、たしかに角は作り物ではないようです。しかし、魔物がどうして人間の町へ」
「一言で言えば興味があるって感じかな。俺ってさあ、精霊とか遺跡とか、そういう古くからあるものっての調べたいタイプでしょ?」
「いや、知りませんけど。初対面ですし」
「じゃあ今日覚えておいてくれよ、センセイ。ええと、それでつまり、興味があるのさ、人間がどういうとこでどういう風に暮らしてるかってことに。それで十分じゃないか? どこかに行く理由なんて」
ぺらぺらと滑らかに舌を動かすレカテイア。
よく口が回る竜人だな、一般的なイメージと少し違うとセバルトは思った。
「正直なところかなり驚きです。あなたのように友好的な魔物というのは見たことがありませんから。魔獣のような獣以外の知性ある魔物でも、人間は下等な滅ぼす対象と見ているものばかりでした。先日も、とある町が魔物に襲撃されたんですよ」
セバルトはにこりともせず、試すように言った。
セバルトの言葉を聞くと、レカテイアは慌てた様子で両手を激しくふりながら、首も振る。
「いやいや、俺はそんなことしないよ、絶対。……ストップ、ストップ! そんな怖い目で見ないでくれよ。俺は悪い魔物じゃないんだって、本気で。その事件のことは知らないけどさ、俺は全然無関係だから。本当に純粋に人間のことを知りたいだけだって。それと、人間の領域を見てみたいってのと」
「それを信じるとして、なぜ僕のところに。強い人を探していると言っていましたが。冒険者ギルドにいたのも、そういう人を探すためだったのですか」
「ん? んんー。それはまあ、そうなんだ。強い奴ってのがちょっと重要なポイントなんだよ。俺はさあ、人間の……っていうか正確には魔領の外のことを色々知りたくて、その中でも古代の遺跡とかを調べてみたいとも思ってるんだ。んでもそういうのって結構危険なもんじゃん?」
レカテイアは、同意を求めるように手を大きく広げる。
セバルトは頷いた。
「たしかに、強力な野生動物や魔獣がいたり、遺跡を作ったものが配置したガーディアンがいたり、罠などもあることが少なくありません」
「そうそう。よくご存じでいらっしゃる」
「まあ、割と専門分野ですから」
魔軍と戦うための武器や防具、魔法や道具などを求め、セバルトは色々な遺跡にも行った。愛用の聖剣スノードロップもそうして手に入れた逸品だ。
「へえ、そうなのか。冒険者ギルドにいるだけのことはあるな。まさに大当たりってとこだな、声をかけたのは。旅の経験があって、戦力も強い人とオチカヅキになっておきたいなって思ってたんだけど、よかったよかった。これで人間の流儀を知れて、遺跡にあるような凄い、特に魔法や精霊の秘密もわかる。一石二鳥作戦ってわけ。頭いいでしょ、俺」
腕を組み得意げな表情のレカテイアは、明らかに先日の魔物達とは異なっているとセバルトには感じられた。
人間と話しているのと感覚的には変わらない。これまで会ってきた魔物には、人間を絶対的に下に見るような意識があった。家畜や害獣に対しているような、そんな雰囲気で人間に相対していた。
だがレカテイアからはそれを感じない。同じ存在、対等な存在として人間に中立的に接している。
多くの魔物と接してきたから、セバルトにはわかる気がする。
レカテイアには悪意はない。それなら、退治する必要は何もない。
そう判断すると、セバルトは肩の力を抜いた。
その状態でレカテイアを見ると、あらためて気付くこともある。
レカテイアは黒髪の長髪で長身である。首に朱色のマフラーのようなものを巻いている。笑った時など人なつこい感じがするし、誰も彼が魔物だということなど気付かないだろう。セバルトのような魔物を見飽きるほど見てきた者でもなければ。
(さて、それじゃあどうするか。このレカテイアの頼みは)
セバルトはどうすべきかをレカテイアを観察しつつ考える。
彼の目的はつまるところ、好奇心ということのようだ。少なくとも悪意を持っている様子はない。
ならばごく普通に自分も悪意を持たず接するのがいいだろう。魔物が人間に友好的ならば言うことはない。彼が故郷に帰ったときに働きかければ、そこから友好的な魔物が増えていくことだってありうる。
そうなれば英雄が働かなければならない事態がおきにくくなるわけだ。仮に起きたとして、魔領のことに詳しい者がいれば、頼りになる。
(一つ考えていた。英雄候補には、よく知るものが必要だと。魔のことを。そして、場合によっては和解できる者も)
争わずに済ませたり、争ったとしてもその後をうまくまとめる、そういう者も必要だ。そのためにも魔と人と両方を知る物がいるといい。
だとしたら……レカテイアは適任だろう。
そう、家庭教師を断る理由はなくなった。
彼を、レカテイアを三人目の英雄へと育てよう。
セバルトは、そう決意した。
……それに、そちらの方がいい念のためということもある。
自分の目の届く場所に置いている方が安全だし、教えていく中で、見極めていくことができる。
そして万が一もしものことがあったなら――その方がすぐに処断できるのだから。
セバルトの眼光が、一瞬鋭くレカテイアの瞳の奥を覗き通した。
「――ええ、わかりました。教師の仕事、引き受けましょう」
「お! よっしよっし! それじゃ、あらためてよろしく頼むよ、センセイ!」
そして二人は硬く握手を交わした。