死神再臨 5
「何をしやがった!?」
「よくも!」
息を呑むような静謐が破裂すると、言葉を操る魔物達は、堰を切ったように騒ぎ始めた。何が起きたのか、理解できない様子で。
「静かにしろ」
魔王が手を上げて言うと、いったん魔物達は静まる。
「力の方も予想以上ということか。人間にしてはやるようだ」
「やっぱりこうなってしまいましたね。……もう遅いですよ、やめようと言っても。力を見た後で戦わないと言い出しても、僕の目が届かないところで力ない者達を蹂躙することは明白ですから」
セバルトが厳しい調子で終わりを告げると、魔王はぎょろりと大きい目を不機嫌そうに細める。
「何を言うかと思えば。うぬぼれるな、人間ごときが。油断していた馬鹿な手下どもを殺したくらいで。まさか一人で我らすべてを相手にするつもりか? 我が千の魔の精鋭を」
だが、セバルトは不敵に笑う。
ずっと、平穏なところで過ごしてきてたけれど、心の奥では灰が熱を持っていた。
久しぶりに、燃やせそうだ。
本気の戦いで。
「たかが千人。――俺はその万倍の魔物を屠ってきた」
「はったりを! 殺せ!」
魔王の号令に従って、魔物たちの一番前方のほうにいた者たちが一斉にセバルトに襲いかかった。
だがセバルトは向かってくる全てを剣の一振りで斬り伏せていく。
一人を一撃などというものではない。セバルトが剣を一振りすれば、それでいちどに数体の魔物が絶命していた。
素早い動きのデスキャットの鋭い爪はセバルトの髪の毛一本にすら触れることはできず、アイアンゴーレムの鋼の体は空気を切るように抵抗なく切断されていく。
やはり、いい。
剣を振るうのは。
セバルトは自分の中にある凶暴な側面に身を任せ、魔物達を片っ端から斬っていく。剣の一振り毎に、かつての自分に戻っていく気がする。
魔物達に数限りない死を振りまいていた『英雄』セバルト・リーツに。
あっという間に数十の屍の山が築かれる。
魔物たちは接近戦での不利を悟ったのか、恐れをなしたのか、グレーターデーモンやグレーターリッチたちが集まり、一斉に氷の魔法を放ってきた。
だがセバルトはそれを、指一本すら動かさずに創った純粋な力の盾でやすやすと防ぐ。
魔物たちが驚きに目をむく。魔物の中でも特に魔力の強い者達が放った魔法、それも十数体あわせたものが、何の被害も与えることができていないのだ。
「さて、スノードロップを抜いたことだし……こちらも『本物の』魔法を使おうか」
セバルトがちょっと酒場で話すかのような気楽さで言うと、剣先に凄まじい魔力が集まっていく。
『スノードロップ』は魔を喰らう聖剣。数限りない魔物を斬り、その力を蓄えて糧としてきた、魔法の増幅装置でもある。
セバルトは、ロムスたちに教えている魔法は教えても差し支えないものだと言ったことがある。
それは真実だ。あまりにも殺傷力の強いものは教えないようにしていたし、カスタマイズする場合でも、殺傷力を上げる方向のマナの練り方組み方についてはやり過ぎないようにしていた。
なぜなら、セバルトが最も得意とする魔法は、殺すことに特化しすぎているから。
『殺戮嵐』
セバルトが魔力を解放した瞬間、黒い暴風が巻き起こった。
それは、魔力が結晶化して出来上がった黒い刃を無数に含んだ旋風。凄まじい勢いで魔物たちを一斉に飲み込んでいく。
ひとたび飲み込まれれば、それは無惨な死を意味した。無数の刃が、鋼鉄などよりもはるかに固く鋭い魔力の刃が、高速で飛び交い全身を切り刻む。それを回避することも防ぐことも不可能である。
叫び声、鳴き声、うめき声が風の音とまざりあった阿鼻叫喚の地獄絵図が巻き起こる――。
ほんのわずかの後、もはや立っている魔物は数えるほどになっていた。
死の風に巻き込まれずに済んだ魔物たちも、恐れおののいている間にスノードロップに命を喰われていく。
セバルトは久しぶりに味わう高揚感とともに、容赦なく全てを切り裂いていく。かつて人間達からは英雄と呼ばれていた頃のように。
あっという間に魔物は消滅していき、月の位置もほとんど変わらぬ間に、残っているのは魔王と魔王の護衛についているごくわずかな魔物だけとなっていた。
「ひ、ひぃ……ま、魔王様、逃げましょう。化け物だ! こんな奴人間じゃない!かなわない!」
護衛についていたデーモンの声はもはやすっかり怯え、戦意を喪失している。
そして魔王よりも先に逃げださんばかりの勢いだったが――その体が真っ二つに引き裂かれた。
「軟弱者が――」
切り裂いたのは魔王。
巨大な永久に溶けない鋼より固い氷の斧を、まるでナイフのように軽々と扱い、自分の護衛を自分で切り裂いたのだ。
「お前達が数いたところで役に立たないということがわかった。雑魚を潰す程度のことしかできない役立たずが。こうなったら、俺が自ら貴様を殺してやる。この魔王ウィーハードが直々に」
魔王がそう言うと、セバルトは微かに苦笑を漏らした。
魔王が怒りに声を荒げる。
「何を笑っている」
「魔王ウィーハードを名乗っていることがです。あなたはウィーハードなどではない。無関係の魔物でしょう。そもそも彼の者は遙か昔に滅びているのだから。その名を借りているだけ。おそらくは、アークデーモンでしょうか」
「魔王ウィーハードを知っているとは……人間にも伝承が伝わっているのか。たしかに俺はウィーハードではない。だが、今やそれに匹敵する力と軍団を手にしたのだ。だから、その後継として名乗っているのだ。魔王の力の前に、ついえよ!」
魔王は斧を振るう。
それは力も速度も配下の悪魔とは段違いの威力で――そして、セバルトには遠く及ばない。
「なっ……んだと!?」
両手でふるった斧の一撃を、片手で握った剣でやすやすとセバルトは受け止めていた。どんなに魔王が力を込めても、微塵も剣は動かない。
「魔神が直々に生み出した、他のものとは全く隔絶した強大な存在。それが魔王です。本当の魔王に比べれば、あなたの力は児戯に等しい」
「くっ……ふざけたことを! 本当の魔王に比べればなどと、なぜそんなことを貴様が言えるのだ!? かつての魔王ウィーハードと戦って生きていた者など、過去に一人だけのはずだ」
そう言った瞬間だった。
魔王の目がセバルトの剣を捉え、表情が固まる。
さっと恐怖が顔を覆い、ひきつった声が漏れ出た。
「まさか……っ! そんな、馬鹿な。その純白の剣。それを持つ者は、魔軍に数限りない死を振りまいた伝説の――」
言い終える前に、巨大な氷晶の斧ごと、魔物の胴体は二つに切断される。
「死、神」
魔王を名乗った魔物の体は消滅し、その羽毛だけが微かに風に舞っていく。
いまやこの場に動くものは、胸の内の炎を燃やし尽くしたセバルトただ一人。
セバルトはゆっくりと『スノードロップ』を鞘におさめ、エイリアを襲った魔物の襲撃は、誰も知らぬ英雄の戦いによって終わりを告げた。