釣り竿から焼き魚まで
「あ、いたいた。メリエさん、今日ちょっと付き合ってもらえますか?」
それは授業が休みの日の朝だった。セバルトはメリエに会いに行っていた。
「何を?」
メリエは休みの日でもいつもと同じ格好で、応対する。
「釣りをしようと思って。この前湖に行ってたら、結構釣れそうだと思ったんですよね。あんなにいい湖があるのに、釣りをしないなんて嘘ですよ。天気も良さそうだし、どうです? 一釣り」
バケツを掲げると、メリエは腕を組んでじぃっと見て、頷いた。
「あたしと一緒にお出かけしたい。ふぅん。ふぅーん」
なぜか何度も頷くメリエ。
「仕方ないわね、付き合ってあげる。とっても珍しく今日はあたし暇だしね」
にやにやと嬉しそうに笑いながら、メリエが言った。
(これは結構、釣り好きだな?)
釣りに誘って正解と思うセバルトの隣に、ぴょんと両足を揃えて跳んでメリエは並ぶ。そしてセバルトの顔を見て。
「それじゃあ行こっ!」
並んで歩き、湖へと二人は向かったのだった。
っかーん!
「……なんでこんなことを?」
「そりゃあ、自給自足したら楽しいじゃないですか」
「だからって釣り竿から作るとはこのメリエでも予想外よ」
鉈片手にメリエが額の汗を拭く。
湖に着いた二人がしていたのは、釣りではなく釣り竿製作。まずは適当な大きさの木の枝を鉈で切り落とすろところだ。
「節約です節約」
と言いながら、切り落とした大ぶりな枝から小枝をはらっていく。そして湖畔の平たい石に座って、ノコギリとノミとで形を整える。
「表面をすべすべにしましょう、持ったときにいたくないように」
「なんだかマメな作業ね」
「こういう細かい調整が大事なものです」
二人は黙々でやすりをかけていく。少しずつ表面が滑らかになっていくのを確かめながら作業をするのは、時間を忘れて熱中してしまう中毒性がある。
「ふう。終わった。すべすべで気持ちいい」
「それでは糸をつけましょう。糸は持ってきています」
セバルトが持ってきたのは、不可視の玉壷に入っていた、『アラクネ』の女王糸。蜘蛛の魔物が出す糸で、同じ太さの鋼よりも丈夫でかつしなやかという人間には製作不可能な代物だ。
それを竿の先につけ、さらに竿自体の強度も蜘蛛糸で補強して増し、最後に針をつけて――。
「釣り竿、完成です!」
「やったわね。いやー、よく働いたわ」
「って、まだ終わってないですよ。釣りが本番です」
「あ、そうだった。すでに達成感が。ようし、この釣り竿でバシバシ釣るわよ。勝負、先生」
「ふっ、望むところです」
そして二人は、同時に釣り糸を垂らしたのだった。
風のない穏やかな昼下がり、湖につきだした地形の先に座り、セバルトとメリエは釣り竿を持っている。
他にも湖で釣りをしている釣り人は何人かいて、ギラギラしている人もいれば、坊主でも焦らずのんびりと果物を囓っているような者もいる。
二人は後者の仲間である。つまり一匹も釣れていない。
「全然釣れないわね」
メリエが釣り竿をピクピク動かしながら言った。
「まあ、そんなものですよ。大物狙いですし」
セバルトが欠伸をしながら答える。針などのセッティングは大物にしている。そっちの方が面白いからという子供のような理由だ。
「でもさあ、ずっと集中してたから疲れた。水面の波紋一つ逃さないようにするなんて」
メリエは首を回す。肩が凝ってそうな動きだ。
「静かに、しかしリラックスして。集中するが広くを見る。そういう精神です」
「なかなか難しいこと言うのね」
メリエは水面をじぃっと見つめ、竿を握り直す。微かな振動を見逃すまいとするように。
セバルトはその様子を見つつ、自分の竿も観察する。
「うーん。まあ、そうね。そこまで急いで釣れなくてもいいかな?」
そう言って、メリエは座ったまま、すすすとお尻で横にスライド移動する。
「こうしてのんびり並んでるのも悪くないかなって思っただけ」
「……そうですね。こういう時間が一番幸せです」
(のんびり釣り糸を垂らして、無為でゆったりした時間を過ごす。これこそ、俺の求めていたスローなライフというものだなあ)
「う。先生、結構大胆ね。一番とまで言われると、ちょっとあたしも動揺」
(あたしと一緒に並んでいるのが一番幸せだなんて、これは実質告白でわ!?)
メリエはもう少しささっと移動し、体がくっつくくらいまで近寄った。
「じゃ、じゃあ、もう少しこうしてあげる」
頬を赤らめつつ、にこにこしながらメリエは肩を寄せる。
「先生って、体暖かいね」
セバルトの方もメリエの体温を感じる。暖かい体温を。
これが幸せなんだな、としみじみするセバルト。
「というか、メリエさんの方が暖かい……というか熱いですよ」
顔を見ると、さらに紅くなっている。
「え? あははー。いやいや別に緊張とかしてないし――」
ぷるぷると首を振るメリエ。
と、そのときだった。はっとメリエの顔が急に真面目になる。
「波紋が――」
水面に、ほんの小さなさざ波……小指の爪くらいの高さの波がたっていた。
だがそれは、奥深くに力強いものを感じる波紋。
「今ですっ」
「うんっ!」
瞬間的にメリエが竿を引き上げる。同時にメリエの体が引きずられそうになり立ち上がる。
「これ、もの凄い力!」
「踏ん張ってください!」
小さかった波紋は、今は大波となっていた。メリエの肩をセバルトも支え、全力で引っ張る。自分達で作った釣り竿は限界までしなりながら耐えている。
「うううぐぐ……」
戦いは長引いた。相当な大物は間違いない。いつの間にか、周囲には他の釣り人が固唾を呑んで見守っている。
力をゆるめる瞬間と引き合う瞬間、そのリズムが繰り返され、何度目かで――。
「今っ!」
メリエが渾身の力を込めて竿をひくと、巨大魚が水面の上に跳び上がり、そのまま一気に地面につりあげた。
「うおおおおっ!」「でけえ!」「主だこれ!」
ギャラリーがどよめく。セバルトとメリエもその魚を見て言葉を失った。格闘していたのは、家ほどの大きさの茶色い鱗の魚だったのだ。
「……マジで?」
メリエが目を瞬かせる。
「よくこんなの釣れたわね。我ながら。とんでもなく重そうなんだけど。……というか普通の力じゃ絶対無理だと思うんだけど」
「でも、実際釣れましたよ。それだけ力を出したってことです」
「あたしってそんなに力持ちだったっけ……あっ、もしかして!」
はっとしたメリエは目を閉じ、大きく深呼吸をする。そして魚のヒレを掴むと、ふんと引っ張り上げた。魚の巨体が持ち上がる。「やっぱり――これ、あの力が使えてる」
メリエがセバルトに目を向ける。セバルトは頷いた。
その瞬間、釣り人がメリエを取り囲む「すげえぞ姉ちゃん!」「どんだけ怪力なんだあんた! 凄すぎる!」「これからはあんたがこの湖の主だな!」「やべえよ!」などと口々に賞賛しはじめた。身動きとれないメリエは、嬉しそうにしながら、セバルトを見ていた。
「これ美味しい!」
串に刺さった焼き魚を食べてセバルトは恍惚の笑みを浮かべた。
「おっきいのに味はしっかりしてる。さすが主ね。主食べてイイのかって話だけど」
「ま、いいでしょう。美味しいですしね」
「たしかに。美味しいから好いか」
焦げ目がついた香ばしい皮と身はしっかりとしていて、ガツンと食べた気分になる。
二人は魚を釣り上げてから、周囲の釣り人や他の人達と協力して、主を処理し、一通り終わったので、手伝ってくれた人にも振る舞い、皆で魚を食べているのだった。
そんな楽しげな空気の中で、メリエが言う。
「先生、気付いてた? あたしが凄い力を出せるようになったことに」
「もちろん、気付きましたよ。でなければ普通の腕力ではあんな大きい魚一本釣りできません」
「それをさせるために、あたしに釣りをさせたのね」
「ええ。静かなマナの水面にじっと集中し、わずかな振動が加わったとき、それを逃さず一気に力を込める。それが体内マナを爆発させる感覚です。丹田のあたりに意識を集中し、魔力を自身に作用させると、そこからマナの小さな波紋が立ち全身に広がっていくような感覚があるのですが、それと同じ構造になっていたんです」
「具体的なもので、実際やってみた方がわかりやすいってことね」
「ええ。魔力の扱いにはなれてないでしょうから。別の感覚からはじめるということですね」
メリエはうんうんと頷いていたかと思うと、長々としんみりと息を吐いた。
「そこまで考えてたなんて、先生って凄いね。皆はあたしが主を釣って凄いって言ってくれたけど、本当に凄いのは先生って教えてあげないと」
「言わなくていいですよ。実際にやったのはメリエさんです」
もちろん、それには注目されたくないという意図も含まれている。
「わかったわ。先生の性格ね。でも、その分あたしが褒める。先生は凄い! 超凄い! あたしの先生は最高っ」
「ちょ、言い過ぎですよ。恥ずかしいです」
「一人で大勢分褒めなきゃいけないんだから。嫌って言っても褒める。だって褒められるほど大したことをしたんだもん――それに、こういう理由付けでもないとあたし、あんまり言えないしさ」
メリエは照れくさそうな表情で、セバルトを見つめる。
セバルトはこめかみをかりかりかきながら、
(これはさすがに、ちょっと照れるな。でもまあ、たまに、一人からくらいなら……悪くないかな)
そうしてセバルトは、メリエとともに、釣った魚を食べながら湖畔でゆっくり過ごしたのだった。




