300年後の世界
我を失っていたのは一瞬だった。魔物と戦い続けて身についた性質で、幸か不幸か動揺を引きずらないようにセバルトはなっていた。
まずセバルトが思ったのは、これからどうすべきかということ。
セバルトは様々な魔法を使うことができ、また目にしてきた。色々な道具――伝説の武器や防具なども目にしてきた。だが、時を超えるようなものは一つも知らない。
だから自分が元いた時代に戻るということは少なくともすぐにというのは難しいと結論づける。
それならば、ともかく今この状態での無事と安全を図るのが最善だろう。
考えをまとめると、ザワついていた心も落ち着く。
「どうかしたのか? 何か考えてるみたいだが」
「――いえ、思っていたよりも日にちが過ぎていたのだな、と少しばかり驚いたんです」
「そうか。それにしても本当にいいのか? 何も報酬がいらないなんて」
「すでにもらいました。このあたりの情報という、旅をしている僕にとってはお金よりもはるかに価値のあるものを」
セバルトが笑顔を作ると、イーニーは頭をかきながら息をついた。先ほどから何度か繰り返しているやりとりだが、ようやく納得したようだ。
「まぁ、そうだな。あんだけ軽くトロール達をいなしてたくらいだ、お前さんにとっちゃ全然大したことがないんだろう。通りすがりの旅人に一応冒険者ギルドでバリバリやってる俺たちが全然及ばないなんて、もっと訓練しなさいってことだな。お前さんを見習って。とにかく今回のこと、ありがたく言葉に甘えさせてもらう。恩に着るぜ、セバルト。それじゃあ、またな!」
握手を交わして、セバルトはイーニーと別れた。
それからセバルトはイーニーから聞いた情報を元にまずは宿へと向かっていたが、久しぶりに見る街並みに、心は浮き上がり始めていた。
人間が住む街。それが自分の知らない場所で自分の知らない時代だとしても、深く暗い樹海が広がる魔軍の領域へ踏み込んで久しかったセバルトにとっては楽園だ。
そう、ここが未来であれなんであれ、ようやく苦難と戦いの旅が終わった。そうなれば今のセバルトが望むのは何よりも平穏。
平和が訪れた世界で、自分も平和に暮らすのだ。
「となるとまずは、静かで屋根のある寝床が欲しいかな。よし、行こう」
長い長い野宿が続いたのだから、宿に泊まってベッドで眠れるということがどれほど素晴らしいことか。想像するだけで気持ちよく眠れそうなほどだ。
ベッドの上でごろごろと転がり、最高の気分で布団にくるまる。部屋には小さいけれど棚やテーブルがあって、屋根もあり、そこで静かに過ごす。
そんな宿での一時を想像しただけでうきうきしてきちゃうね、とセバルトは町の中を、軽い足取りで宿へと向かいはじめた。
なかなかセバルトは切り替えが早いのであった。
かなり長い時が経っているが、セバルトが知るネウシシトー国によくある町並みからそこまで大きな変化は見られない。
木造の建物が多く並び、場所によって住宅が多い場所や店舗が多い場所などおおまかに自然に棲み分けられている。店舗の方が少し派手な色の屋根が多い。
並ぶ建物をはじめとして他にも目につくものの多くは、デザインは多少異なっているが、これなら違和感なくなじめそうと思えるものだ。
店舗が並ぶ通りには雑踏の賑やかさがあるが、住宅が多い場所は静かだ。欠けた木の塀に気をとられていると、手に小さな鞠をもった子供がそばを駆け抜けていった。それと並んで、尻尾の丸い犬も走っている。のどかな光景にセバルトもほっこりする。
とそのとき、セバルトは重要なことを思い出し空間魔法『不可視の玉壷』を使用した。
何もない空間に穴を開け、品物を収納し持ち運ぶことができるという魔法である。長旅においては、持ち運びたいものがたくさんあるので非常に重宝した。
セバルトはそこから鏡を一枚取り出し、銀色の鏡面をのぞき込む。
「……ふう、よかった」
セバルトは胸を撫で下ろした。
長い時が経っているということを知って、自分も年をとってないかと心配になったのだ。
だがそういうことはないようで一安心である。魔神との決戦時と特に変わらない男が鏡の中からセバルトを見つめている。
邪魔にならない程度に適当に切られた銀髪は、時間が経過して長く伸びているということもない。
顔つきはとくになんということもない。セバルト自身は、どこにでもいそうな男だと思っている。
特別老化はしていないなとほっと息をついたそのとき、鏡にてんてんと跳ねる鞠が映った。
振り返ると、先ほど鞠を手に走っていた子供がこちらを見つめている。
(なるほど、拾って欲しいのね)
セバルトは足下の鞠を手に取り、子供に一歩近づく。
ビクッ、と子供が一歩後ろに下がる。
あれ?
ほら、これを取りに来たんだろうとセバルトは手を伸ばして鞠を差し出すが、取りに来ない。それどころか、泣き出しそうに顔を歪めている。
しょうがないので鞠を少年の方に転がすと、転がってきた鞠を手に取り、猛然と逃げるように少年は去って行った。
セバルトは首をかしげる。
なんであの子供はあんな怯えたような反応をしてたんだ?
「……っ! まさか!」
嫌な予感とともにセバルトは振り返り鏡を再度見た。
自分では特になんとも思わなかったが、よく見てみると……道を歩いている人と比べて客観的によくよく見てみると……目つきが悪いというか……無駄に眼光が鋭いというか……そのせいでちょっと怖い雰囲気があるというか……そういうことか!
全てを理解し、セバルトはがっくりと肩を落とした。
十年以上人里離れて戦い続けたら誰だって険しい顔になるに決まってるじゃないか、仕方ないだろ。そんな風に内心叫んでみても、もう逃げた少年には届かない。
(これは……ショックだよ……ははは……)
これが世界を救った男への仕打ちなのか?
必死に戦って世界を救ったのに顔が怖いと子供に逃げられるのが褒美なのか?
セバルトはなにもない道ばたで、しばらく凹んでいたのだった。
「……いつまでも落ち込んでいても仕方ないか」
数分間時間停止した後、なんとか気を取り直してセバルトは鏡をしまった。
なにはともあれ、ともかく宿へと向かおう。快適な宿で休めば全て終わりよしだ。そう自分に言い聞かせ、セバルトは再び宿へ向かって歩き出す。
程なくしてこぢんまりとした安宿を見つけ、扉を勢いよく開いた。
もうベッドは目の前だ!
「なんだいこのお金? どこか別の国のものかい?」
――セバルトが持っていたお金を見た、宿の主人の言葉であった。
もう許して。