誰も見ていないところでは
ロムスが試験で無事に好成績を収め、ロムスの母親ザーラとうまくやっていけそうな感触を感じたことは、素直に家庭教師がうまくいっていると考えていいだろう。
ロムスはそれからも魔法の腕前は順調に上がり、魔法のカスタマイズのバリエーションも増え、水を操り水球を追尾させたり霧を作ることも出来るようになった。当初懸念した魔物や天変地異の徴候もなく、まさにセバルトの望んだ穏やかな日々が過ぎていった。
そんなある日、セバルトは布団だけでなくいい羽を使ったクッションも作ろうかと思いつき、ふらっと湖に出かけた。
(おや。あれはロムス君)
そこで再びロムス達が湖畔にいるのを見かけた。今回は追跡したのではなく偶然であるが、せっかくなので何をやるのか、感覚をマナと魔法で強化し様子を見てみる。
「さて、今日は広い場所で思いっきり実践訓練を行うぞ」
教師が生徒達に向かって言った。
どうやら今日のところは試験ではなく訓練ということらしい。
一人の眼鏡をかけた男子生徒がロムスに声をかける。
「またロムスの凄い魔法見られるチャンスか?」
「い、いや、そんなにうまくいくかはわからないよ」
ロムスは控えめに答えている。すでに相当実力はあるはずなのに性格だなと思いつつ、ロムス中心にセバルトは観察する。
「そこ、私語は慎む! さて、今日の実践は対人間の組手じゃない。相手をするのは、こいつだ」
言いつつ教師は杖を握り、魔法を使う準備をする。
そして地面に石版を置き、杖をその上にのせて、魔力を込めた指先で地面をなぞる。
次の瞬間、地面がもこもこと盛り上がり、土の塊が姿勢の悪い不格好な熊のような形をとった。生徒達から歓声がわく。
「おおー」
「すげー、ゴーレムだ」
「そうだ。このクレイゴーレムが組手の相手だ。最近は物騒だからな。魔物っぽい奴を相手にしとくべきっていうことでな。このゴーレムは簡単な魔法が使えて簡単な命令に従う。お前らもこれくらいできるようにそのうちなってもらうぞ。それじゃ、まずはエイミーから。試験やってない奴は自主的に訓練をしておけー」
説明が終わると実践授業が始まった。
生徒達が教師が見る中でクレイゴーレムと実戦形式で魔法を撃ち合い、勝負ありと教師が判断したところで教師が止めて実践訓練は終了という形だ。
セバルトはその様子を木の陰から見ていた。
クレイゴーレムが額の真ん中の赤い宝石を輝かせるたびに、岩の弾や岩の盾があらわれ、攻撃したり攻撃を防いだりしている。
生徒はそれとやりあうのだが、手も足もでない者もいれば、攻撃を見事に防ぎ、逆にクレイゴーレムに攻撃を与える者もいた。しかしいずれもクレイゴーレムの固いからだには傷を付けられていない。
授業はテンポよく進んで行っているが――しかし。
(誰も気づいてないのか?)
セバルトは眉をひそめた。明らかにおかしな気配があるのに、生徒はおろか、教師すら気づいた様子がない。このままだと――。
「次は――」
「はいはーい、俺です」
次の試験をうける生徒は先ほどロムスと話していた眼鏡の男子生徒だった。彼はクレイゴーレムの正面へと行き、指先に魔力を込めて早速これまでと同じように組手を行った。
「そこまで。次と交替だ」
しばらくやり合い、それなりに戦えるところを見せたところで、教師がストップをかける。
「ふう――えっ?」
教師が試験の終わりを告げ、男子生徒が一息ついた直後だった。
クレイゴーレムがなぜか魔法を発動したのだ。男子生徒に向かって尖った石の弾丸が飛んでいく。
「うわっ! 痛っ!」
風の魔法『ウィンドブリーズ』で軌道をずらして直撃は避けたが、かすめた岩で肩のローブが引き裂かれ、眼鏡が地面に落ちる。男子生徒は焦った声を上げる。
「先生! 何やってんだよ! もう終わりだって言っただろ!」
「そのつもりなんだが――止まれ! おい! ゴーレム! 止まれ!」
だがゴーレムは止まらない。額の宝石を光らせながら、男子生徒に近づいて行く。
怒声を上げた男子生徒の顔がひきつる。教師がゴーレムを制御しきれなくなっていたのだ。ゴーレムは術者の命令を聞かず、攻撃を続ける。
「くっ、どうしたんだ!? ちっ! なら俺が魔法で……うぐっ!」
教師が仕方なく実力行使で魔法を使ってゴーレムを破壊しようとしたが、今度はゴーレムが教師に攻撃を向ける。その力は制御されていたとき以上で、教師は石の礫を手痛く足に受けて立てなくなってしまう。
男子生徒の顔がさらに恐怖にひきつる。
「助けてくれ!」
そして次の順番に並んでいたロムスと目があう。
(そ、そうだ。僕が前みたいにやれば――)
ロムスは息を大きく吸い込み、一歩前に進む。
――だが、一歩しか進めなかった。
足が震えて、動かないのだ。前へ進もうと思っても、ロムスの足は意思を拒むように地面に張り付く。それなら魔法をと思い、ロムスは焦って手を動かすが。
「発動しない! どうして……」
魔法は使えなかった。
慌ててもう一度描くと、今度は水球が発生したが、それは小さく弱く、クレイゴーレムは魔法で撃ち落とすまでもなく、防御すらせずノーダメージだった。
「あ……く……」
ロムスの手も止まってしまう。ゴーレムは、ロムスの方を向き、岩の礫を発射した。
「あぐっ!」
ロムスは魔法を使うのも忘れ、手で身体をかばうが、それでは防ぎきれず地面に倒れ込む。クレイゴーレムは、そこに近づいていき、固まった泥の腕を振り上げた。
「う……ああ……」
だがロムスは動けない。
理由はもうロムスにもわかっていた。
恐怖だ。人間に、自分に、害意をもった相手を前にして、そのせいで怪我をした人を目の当たりにして、身体が竦んでしまっていた。
(なにやっているんだ、ロムス君!)
セバルトはやきもきしながらその様子を見ていた。
できる限り手は出さず、その場の人に任せる。それがセバルトの望む生活にかなうことで、今のロムスの実力なら異常にも対処できるはずだと思っていた。
だが、そうも言っていられない状況になってしまった。
「しかたない、俺がやるしかないか。幸い、今は一人だ」
誰も見ていない時ならば、セバルトは今でも英雄だ。
セバルトは手を伸ばし、虚空を握りしめた。
『純粋なる魔弾』
瞬間、周囲の空気が張り詰め魔法図が一瞬で描かれる。
それは指先を動かしたりはしない、純粋に自分の魔力のみを操作して描く魔法図。
肉体を使わない故に、速度も大きさも複雑さも天井がなく、通常の魔法使いがやる方法では実現できない不可能魔法が編まれていく。
「撃て」
高密度に圧縮された、目に見えぬ力そのものの矢が放たれた。
「……え? なに、が?」
その場にいた誰もが頭がついていかなかった。
暴れていたゴーレムの腕が突然微塵に砕け散ったのだ。
ロムスも教師も、他の生徒も、何が起きたのか理解できていない。
一瞬遅れてロムスが致命的な一撃を避けられたのだと理解した瞬間、今度はゴーレムの頭や胴が次々に砕けていく。
五秒後には、そこにはただの砂礫が散らばっているだけだった。
「なんだ? 何が起きた? どうなってるんだ?」
教師が困惑に満ちた声をあげる。生徒達もざわめいている。
セバルトの撃った魔法に気付いていない。セバルトの存在どころか、魔法が使われたことにすら気付けないほど不意で一瞬の破壊だったのだ。
「精霊様が助けてくれたのよ! それ以外説明つかないわ」
生徒の一人が叫んだ。
すると、たしかに他に助けてくれそうな人は近くにいないし……と他の者達も同意しはじめた。
「ありがとう精霊ウォフタート!」
「明日から真面目に寺院に行ってお祈りします!」
そして口々に感謝の言葉を口にしていく。
(精霊と思われてしまった)
セバルトがおおげさなものと思われてしまったなと笑いながら様子を見ていると、教師が祈りのポーズをとっていた。
(めっちゃ崇められてる! ……なかなか悪い気はしないなあ。ふふふ)
教師からしたら、自分のしたことで生徒が大怪我したら困るだろうし、祈る気分もひとしおだろう。他の生徒もざわざわといまだ鎮まらずにいる。
「ふはは、崇めよー、なんて言ってみたりして……ん?」
ちょっと調子に乗っていると、少し様子が違う生徒に気付いた。――ロムスだ。
「よくわからないけど、助かったな」
生徒の一人が、そういってロムスの肩を叩いた。
ロムスは頷くしかなかった。だが。
「魔法、使えなかった。授業でやったとおりに」
うつむき、唇を噛むロムス。
せっかく一生懸命練習して、やっと力がついたと思ったのに、いざ暴れる魔物を前にしたら、恐怖で縮み上がってしまって何もできなかった。焦りで集中力が乱れ、魔法自体まともに使えないという有様。
魔法の力が身についたはずなのに……これじゃあ駄目だとロムスはすっかり落ち込んでしまっているようすだ。
見ていたセバルトも歯がゆい。力だけなら、負けてはいないはずだが。
「でも、仕方ないか。本気で命を狙ってくるような相手と初めて相対したんだから。俺は慣れきって忘れてたけど、普通はきついよな」
とはいえ、いずれ代わりに英雄をやってもらいたいのだから、なんとかしてもらわなければならない――それに、今のゴーレム暴走でわかった。やはりエイリアも不穏な状況だ。
「敵意を持っている相手に立ち向かう。そこにロムス君は壁があるってことか」
しかし、これはセバルトにもすぐどうこうするのは難しい。魔法はいくらでも教えられるが……心ばかりは最終的には自分でなんとかしなければならない問題だ。
「でも、ロムスならできるはずだ」
セバルトは信じて待つ。そして自分のやるべきことをやる。