焼き菓子と紅茶
それからセバルトは、安心したついでに、せっかくなのでどういうことを教えているかを知らせて欲しいと言われた。セバルトは了承しアハティ家に向かったのだった。
アハティ家につくと、セバルトは応接室へと通される。応接室には、派手ではないが、しっかりとして座りやすい椅子とテーブルがあり、花瓶には一輪挿しが挿してある。
少ししてからザーラがお茶とお菓子を持ってやってきた。
「すいません、突然お招きしたいとわがままを言って。
気にしなくていいという旨を伝え、そしてセバルトはテーブルを挟みザーラと向き合った。
セバルトはあらためて落ち着いてザーラの顔を見た。
ザーラは穏やかな笑顔を顔にたたえていて、落ち着いた感じを醸し出している。
おそらくセバルトと同じくらいの年齢だろうか。ロムスの母親ということだがまだまだ若々しく見える。髪はロムスと同じ焦げ茶色で、おさげのように二つに短くくくっている。
きれいな人だな、どことなくロムスにも面影があるなとセバルトは思う。
服装はおとなしい色の服に薄手のケープのようなものをあわせて羽織っている。ケープは短めのため、結構ほっそりしていることがわかる。
相手からはどう見えているだろうかと少しセバルトは想像した。家庭教師をやるということで、一応セバルトのプロフィールは相手に伝えているが。
(うっ……子供に顔が怖いと逃げられたトラウマが。なんか怖そうな先生で危なそうって思われてたりしないかな……。いや大丈夫大丈夫、大丈夫のはずだ。気にしないぞ)
ザーラはそんなこと思わないと信じ、忌まわしき思い出は封印することにしておく。
応接室で二人は、しばらく授業のことや、世間話などをして時間を過ごした。
そうこうしているうちにロムスが帰ってきた。
そろそろセバルトはアハティ家をあとにしようと思っていたのだが、ロムスが来たことだし三人で少し話すことにした。
「ロムスが非常に魔法が得意になったそうで、ありがとうございます。あらためてお礼をいわせてください」改めて深々と頭を下げると、ザーラは続ける。「首都にいるとき、ロムスと手紙をやりとりして、話は聞いていたんです。先生から凄い魔法を教えてもらったと。そして実際、凄いものでした。強力で複雑な魔法が次々となめらかに移り変わっていく。あれほどのものはそうそう見られるものではありません。この子に素晴らしい魔法技術を身につけさせていただいて、ありがとうございます」
やはりザーラは付き合いやすそうなタイプだなと思うと、頭を下げたときにふるっとゆれたおさげを目で追う余裕も出てくる。動くものがあると、なんとなく目で追ってしまう習性である。
「……本当に凄い……すごいですよ……セバルト先生」
ザーラは頭をさげたまま、ゆっくりとさらに言葉を紡ぐ。
セバルトは気づいた。なんだか声の調子がうわずっているようになっていることに。興奮しているような、そんな調子であることに。
すっとザーラが顔を上げた。
その顔には、無邪気ささえ感じる満面の笑みが浮かべられていて――。
「私、興奮してしまいました! ロムスがあんな魔法を使えるなんて。いいえ、ロムスだけじゃなく、あんな魔法どこでも全然見たことありません。今まで見た魔法とはどこか違うマナの流れを感じたんです。しかも水を自由自在に操ったりものを動かしたり、その力の強さも動きの複雑さも、定型的な魔法でできることとは思えませんでした。一般的なものとは違う何か特殊な魔法なんでしょうか。もしよろしければ、私にも教えてくれませんか。それともロムスから聞いた方が良いでしょうか? それともやっぱり秘密です!?」
突然興奮する賢者!
凄い早口で言い始めた!
「お、お母さん、ちょっと落ち着いて。先生が困るよ、いきなりまくし立てると」
「はっ……! こ、これは申し訳ありません。つい興奮してしましました……」
ザーラの顔がほんのりと赤くなっていき、乗り出していた身をしおれるように後ろに下げていく。
恥ずかしそうにしているザーラだが、セバルトにとってはむしろ力づけられた。やっぱりこの人は、気楽に接することのできる相手だ。
「気にしないでください。むしろそんな風に言っていただけてありがたいです。僕の教えた魔法を見てそんなに興味を持っていただけるなら、ロムス君の指導もなんとかうまくいったのかなと思えます」
「なんとかどころじゃありませんよ。私もびっくりしました。私の知っているロムスの魔法とは文字通り桁違いでした。教えていただいて本当にありがとうございます――本当に。ロムスからの喜びが伝わってくる手紙を読んだとき、本当に嬉しかったです。なかなかうまくいかずに悩み思い詰めていると知っていて、ですが私にもなかなか上達させる方法というのが思いつかなかったんです」
そう言ったザーラは、本当に嬉しそうな、安心したような顔をしていた。ロムスも同様にいい表情をしている。
その顔を見て、セバルトは家庭教師を受けてよかったと改めて思った。英雄として人里離れたところで魔物と戦い人々を救ったのとはまた違う、近くて体温を感じられる手助けをしたという実感がここにはあった。
セバルトも二人と同じように、表情が自然と緩む。
「そう言っていただけると、僕も嬉しいです。それでは、ここまでの指導は合格点を頂けたと思っていいですね」
「もちろんです。これからもぜひ続けていただきたいです」
「よかった。まだまだロムス君には教えることもありますし、ロムス君からも教えて欲しいと言っていただいけてますし。親御さんからそう言って頂ければありがたいです。それでは、これからもよろしくお願いしますね」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
あらためて、セバルトとザーラは互いに頭を下げた。
それからは、しばらくとりとめない話をしつつ、出してくれた茶や菓子を味わい、そしてセバルトにとって初の三者面談は無事に終わったのだった。
「そういえば、あの使っていた魔法、失伝魔法と言うのですか? 過去の魔法なのですね」
ザーラがそういうと、セバルトは頷いた。
「ええ。旅をしてるときに、それについてある書物を見つけて」
「ロマンがありますよね。過去の英雄もそのような魔法を使ったのでしょうか」
「え? あ、ええ。まあ、昔の人なら使ってたんじゃないでしょうか?」
いきなり英雄の話が出てきて、返答に困るセバルト。
だがザーラは楽しそうだに続ける。
「実は私も古代の魔法のことを調べたこともあるんです。それによると一番の使い手は、魔物との大戦があった時代の英雄と大賢者だったということらしいです。詳細はもう不明ですけれど。各地にある魔法学校の第一校目を設立した大賢者様と同等以上の使い手だったとは恐れ入りますね」
大賢者――たしかにそれはセバルトの魔法の先生だった。最終的には追い抜いたが、はじめの頃は色々教えてもらった相手だ。そういえば、広く教える学校を作りたいと言っていたが、平和になった後に作られたということか。
「そのお二人は深い親交があったようで、魔法学校にも英雄の肖像がありましたよ。正式なものではないので、飾られてはいませんが。私も昔模写をもらって――これです」
ザーラが棚から小さい肖像画を出してきた。
メモ書きで英雄と書いてあるが――そこにあったのは、トサカのようなつんつんした赤い髪を振り乱し、なぜか頬や額にペイントがしてあり、上半身裸でノリノリで悪魔を踏みつけている危険人物の絵だった。
「凄い気迫ですよね。いかにも強そうです」
「ちがーう! 絶対違う! こんな英雄いませんよ! ……はっ」
思わず叫ぶセバルト。だが。
(しまった、ついあまりにも無茶苦茶すぎて突っ込みをいれてしまった、英雄なんか全然関係ない人という設定にしてるのに。いやでもさすがにこれはバーサーカーすぎるでしょ)
「セバルト先生って、英雄にも詳しいんですね。お好きなんですか?」
「えー、いや、好きというかなんというか……まあ、そんなところ……かなぁ?」
本人ですとは言えないので濁したセバルト。だが口調が動揺で変わっている。
とはいえザーラもさすがに本人だと気付くはずはなく、特に気にせず続ける。
「そうなのですか。私は魔法使いなので大賢者の逸話などはそこそこ聞いたことがあるのですが、英雄と大賢者が上半身裸で南国の浜辺で殴り合い、友情を深めたという話を聞いたことがあります。ご存じでした?」
「え、なにそれ」
「俺とお前は一生ダチだぜ、って言いながらグーパンチしたと聞きました」
こぶしを握るザーラ。
(なんか後世の人に勝手に謎のエピソードが創作されている!? 俺ってそんなに熱血タイプじゃないし、そもそもなんで半裸になる必要があるんだ。しかも大賢者って俺が旅に出たとき50歳くらいだったから殴り合いしたらやばいよ絶対。突っ込みどころしかない。まさか、こんな話が他にも色々各地に伝わったりしてない……よね?)
歴史があとから勝手に面白おかしく脚色される恐怖をセバルトは知った。
恐れおののきながら、セバルトは気分を変えるために甘味を口にする――が、それは苦い味がした気がした。
そんな話をしばらくした後、そろそろセバルトは帰ることにした。
玄関先でロムスとザーラに見送られて外へと出る。
いい人そうで一安心だな、しかも美人のお母さんがいて羨ましいなロムス君と胸の内で言いつつ、セバルトは帰り道を行く。
と、そのとき。
「すいませーん、先生、忘れてました!」
と走る足音とともに、ザーラの声が聞こえてきた。
「あれ? 僕何か忘れてました?」
「いえ。私の方です。これを」
足を止め振り返ったセバルトに、ザーラが渡したのは、包みに入ったお菓子。
「お口に合うかわかりませんが、受け取っていただけますか?」
「これは――」
「首都クルクに行っていたお店で買った焼き菓子です。結構人気らしくて、行列までできてました。試食したら美味しかったので、是非食べていただきたいと思って」
「おお! ありがとうございます。甘いもの好きなんですよ」
「よかった。先生に持って帰っていただかないとと思ってたのに、話に夢中になっているうちに忘れてしまっていたんです」
ザーラは照れくさそうに、伏し目がちに微笑する。
「あはは、思い出していただいて助かりました。これからもよろしくお願いします」
それこそ昔の時代に知り合いだった大賢者とは全然違うなと思いつつセバルトが言う。
「はい。こちらこそ。……あの」
「なんでしょうか?」
ザーラはセバルトの目を再び見つめて言う。
「今度、またお話聞かせていただけますか? 気の向いた時で結構ですので」
「話ですか? ええ、もちろん構いません。話くらいならいくらでも」
「ありがとうございます! それじゃあ、またお菓子を……いえ、今度は料理作ってお待ちしてます。仮の宿を取っているということだと、簡単に済ませることが多いと思いますので。セバルト先生は旅人ということですから、不便もあるかと思います。困ったことがあれば、困ったことがなくても、なんでもお話ししてくださいね」
「ありがとうございます。でもそこまでしていただくと少し悪いですよ」
ザーラはすぐさま首を横に振る。
「あなたは、私のことを理解してくださいました。僕はザーラさんが賢者ということは忘れる――そう言ってくださったとき、凄く肩が楽になったんです。ただのザーラでいられる人は多くありません。それなのに、賢者と呼ばれて久しくなってから出会った人にそんなことを言われるなんて、私、嬉しくて」
ザーラは安堵したような表情でそう言った。
「だから、私も先生の肩の荷を軽くしたいんです。なんでも、言ってくださいね」
そしてザーラは、にっこりと笑って、さらに一歩セバルトに近づく。寄り添い支えるように。
セバルトは虚を突かれたように言葉を一瞬失う。
多分ザーラが感じたことと同じことを、セバルトも今感じていた。
(俺は……俺が、こう言ってほしかったんだ。ずっと)
しばらく感じ入るような無言。
そしてセバルトも、笑顔で口を開いた。
「ええ、とても嬉しいです! ……本当になんでも言っちゃいますよ?」
「なんでもこいです」
ザーラは悪戯っぽく笑いながら、自分の胸を叩く。
これが多分、素のザーラ・アハティなんだとセバルトはわかった。
「それでは、また。よろしくお願いします」
「はい、また!」
手を振る賢者に別れを告げ、セバルトは胸の暖かさとともにアハティ家をあとにした。