空への用意
「この塔には地下があるんですか」
「塔というか、崖だ。気づかなかっただろう。これは純粋に物理的な仕掛けだから、マナを感じられるとしてもわかるまい」
崖とはワルヤアムルがあらわれた、あの崖だろう。
たしかに、特殊なマナは感じられなかった。
セバルトの真眼は、透視能力があるわけでもなし、単純に土でふさぐようなシンプルな隠蔽工作ほど見抜きにくい。
「あそこの先ですか。なるほど、ワルヤアムル様だけじゃなかったんですね」
「あのー、私にもどういうことになってるか教えていただきたいのですが」
「ああ、うん。……でも、今から行きながら話した方がいいでしょうか」
「いいや、かなり距離がある。出直した方がいいだろ。今日は町に戻ってな。それに、用意しておくものもあるぞ、人間ならな」
セバルトとスピカが顔に疑問を浮かべる。
人間ならとはどういう意味か。
「おいおい話すから心配するな」
ばしん、ばしん、と一発ずつ背中を叩き、ワルヤアムルは町へと歩いて行く。セバルトとスピカもそのあとをついていくのだった。
「さあ、もっとたくさん作れ作れ。おお! このトマトスープはいけるな!」
町に戻ったセバルト達は――瓶詰めを作っていた。
そう、先日セバルトとスピカが作った保存食だ。
あれをさらに色々な味で、大量に作っている。
「まさか、そんなに遅いとは思いませんでした」
「この前作り方をばっちりにしておいてよかったですわね」
ワルヤアムルが語った準備。
それは食料のことだった。
空を飛ぶ船はあるが、それはかなり移動速度が遅いらしい。
スピカが話していた、精霊の食卓に行こうと思うなら、十日以上はかかるということだった。
しかもその間、地面には基本的に降りられない。つまり一切水や食料の補給ができないというわけだ。
そのために、とにかく飲食物がしこたま必要だ! とワルヤアムルが号令を発したのだ。
スパパパパと野菜を素早く切っていくワルヤアムル。
正確に同じ大きさに切断するその手際は見事でしかない。
「凄いですねワルヤアムル様。精霊は普段料理しないと思ってました」
「料理なんぞしないが、刃物の扱いはお手の物だ。なんの精霊だと思ってる?」
三人で材料を切り、火を通し、味付けをして、次々と瓶詰めを作っていく。飲料水もたっぷりと用意し、不可視の玉壷にしまいこみ、往復と長引いた時のことを考え、たっぷり一ヶ月分の保存食を丸三日かけて用意した。
「これだけあれば、空の旅でも飢えずに済みそうです」
「空の上で何もなくなったら悲惨だからな~。鳥でも捕まえるしかないぜ」
ワルヤアムルが悪そうに笑う。
実際鳥を捕まえて飢えを凌いだのを見たことがありそうな顔だった。
「これで準備は完了なのですね」
「ああ。あとは天翔る船を地面のそこから引っ張り出してくるだけだ」
いざ空の旅へ、ということで翌日集合場所の塔へと向かったスピカは、そこに人影を認めた。
(また、宝が取られたことを知らない人が来たのかな。伝えておきましょうか)
スピカは、黒いローブを着て塔を睨んでいる男の元へ歩いて行く。
(……っ! この方!)
近寄っていき、気付いた。
その黒ローブがまとっている魔力の強烈さに。
(しかも、ただ強いだけじゃない。自分のマナを、力を、覆い隠すように隠ぺいしている? 漏れてるような感じですわ。このローブで抑えつけているんでしょうか)
男がスピカの方に顔を向けた。
中身は意外に柔和そうな顔つきだった。
年はセバルトと同じくらいで、真っ黒な髪は長く目にかかっている。
「ここの塔の噂を聞いて来たんですの」
「……ええ。珍しいものがあると聞いたので」
割と高い声で男は言った。
「もう、誰かが入手したそうですわ。塔を攻略して。町でも噂になってます。盾のようなものだとか」
自分が入手したとは言わなかった。
なんとなく、警戒した方がいいような気がしたのだ。
「そうなのですか。だからあまり人がいないんですね」
「ええ。……そういうことなので、もういく必要はないかと」
「でも、あなたはここに来ている」
「ええと……それは、まだ何かメインのお宝はなくても、何かないかなと思いまして」
なかなか痛いところを突いてくる。
これはあまり話すと襤褸が出そうだし、さっさと立ち去ることにスピカは決めた。
「そうなんですか……教えてくれてありがとうございます。それじゃ、私は帰ります」
「あ、はい。お気をつけて」
黒いローブの男はあっさり帰っていった。
不思議な雰囲気だったが、まあ帰ったならいいかとスピカは塔の前で待つ。
やがて黒いローブの男が見えなくなり、それからしばらくしてからセバルト、さらに少し後にワルヤアムルがやって来た。
「お待たせしました、さあ行きましょう」
三人が揃ってから、セバルト達は奥へと進んでいく。
塔を進み、その奥の地下通路を通り、ワルヤアムルが召喚された崖の底へ再び到着。
するとワルヤアムルが、崖の壁の一角に寄っていき、砂を払いのけ、崖にはまっているように見える石を取り除いた。
――と、崖の一部が音をたてて崩れ去り、そこにぽっかりと口を開けた洞窟の入り口が姿をあらわした。
「おお! こんなところに!」
「中は……石畳みたいになっていますわ」
「人工のものだってわかっただろう? さあ、行こうじゃないか」
セバルト達は第二の地下通路を進んで行く。
「まさか二段構えの隠し通路になってるとは思いませんでしたよ」
「一番の隠し財宝はわかりにくいところにってことですわね」
「私より船を奥に配置してるのが気にくわねえ」
などと話しながら、通路を歩いて行くと、スピカが思い出したように口を開いた。
「そうそう、この塔の前に人が来てましたよ。まだ塔に宝があると思って来ていたようですわ」
「人が? まあ、噂が広がり切るには時間がかかりますからね」
「そうですわね。でもその人は、相当に強い力を持ってるようでした。彼が先に来てたら、宝は私じゃなくあの人がとっていたかもしれませんこと」
「そこまでですか」
「ええ。黒いローブに身をまとって、そこから恐ろしい魔力が漏れ出していました」
それを聞いたとき、どこか嫌な予感がセバルトの胸をよぎった。
自分で見たわけではないから確定的なことは言えないが、何かまずいような――。
「ぐおおおぉぉ……!」
「なんですの! これは!」
通路の後ろから、虎頭の魔獣が吠えながら追ってきていた。