魔獣ファブニル
白狐なる神獣ブランカは、遺跡地下である鍾乳石の洞窟を進んでいた。
隠し通路の先に、記憶の宝珠があるということは、資料からわかっていたが、しかし、今ブランカがいる遺跡深部のどこに記憶の宝珠があるかまでは、判然としていない。
これ以上は自分の足で探すしかないと、ブランカは遺跡にひたひたと静かな足音をさせていた。
鍾乳石の先端から水滴が一定のリズムで落ちていく音を聞いていると、気持ちが逸っていく。
だが、一目散に駆けてここまで来るうちに、多少はブランカの頭は冷えていた。駆け出さず、周囲に気を配りながら、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下の空洞を彷徨している。
「それにしても、これではいつ見つけられるかわからぬな」
分かれ道に次ぐ分かれ道で、さすがに混乱してくるが、しかしそれで気持ちが萎えることはなく、見つかるまで探すつもりでブランカは石の上を進んで行った。
三十分ほど進んで行った時、水音とは違う音にブランカは気付き、耳を動かした。
それはどたどたうるさい音で、複数の足音が重なっているようすで、すぐ近くまで来ている。
斜め前方の横穴から聞こえてくる音に、ブランカが身構えていると、見覚えのある顔が次々と現われた。
「汝らか……まさか入り込んでいるとはな」
そこにいたのは、男三人、女一人。
先日シーウーで見た、グエノ商会の者達だった。
相手の方はブランカの出現を驚いた表情で見つめている。
ブランカは短く鼻を鳴らすと、隣を通り過ぎようとしていった。
相手をしている暇はない。
だが、行く手をグエノ商会の者達のリーダー、スタンスが塞いだ。
「なんだ? 我は汝らに用は無い。どけ」
「この遺跡にあるという不死の秘宝を狙っているのですね」
「だとしたらなんだ。汝らには関係ないだろう」
「いえいえ、大いに関係あります。私達もそれを欲しがっていますから。先に手に入れたいのです」
スタンスは大げさな身振りを交えて言った。
ブランカは、面倒くさそうに返答する。
「だったら、我と話してないでさっさと探せば良いであろう。そして我も探す。単純な話だ。もっとも、先に見つけるのは我のつもりだが」
そう言いながら、わきを通ろうとすると、スタンスが鋭く叫んだ。
「ファブニルを放て!」
「承知! いけ! 魔獣よ!」
チンピラ三人組の中の女が、一瞬横穴に引っ込んだかと思うと、次の瞬間、金色の大蜥蜴とともに現われた。
それは竜と言った方がいいかもしれない、かなりの大きさで、闇にあっても金色に輝く鱗を持つ大蜥蜴。尾の長さだけでブランカの体長ほどもあり、その口からは鋭い牙が口から覗いている。
ブランカは腹の奥がムカつくような、嫌な空気を感じた。
一歩下がり、体を低くする。
「さすが、気付きましたか。あなた達にこてんぱんにやられたのでね。何かあったときのために対策を用意していたのですよ。少々危険ではありますが」
「魔物を用心棒に雇ったのか?」
「ええ。少々特殊な伝手をもっているのですよ。あなたのような珍しい獣に傷をつけるのはもったいないですが、しかし不死の秘宝に比べれば珍獣など無視できる価値でしょう。足止めさせてもらいますよ。先に見つけるのは、私達だ」
ブランカが目で合図すると、女がファブニルの脇腹を蹴って合図した。
同時に、金色のトカゲが襲いかかってくる。
ブランカは素早く横に飛び退き、体ごとサマーソルトのように蹴り上げるが、しかし、その鱗は強固だった。
蹴られた黄金大蜥蜴は意に介した様子もなく、体当たりをして来た。
ブランカが身を翻すと、ファブニルは背後にあった石筍にぶつかり、それを砕け散らせる。
避けて奥へ進もうとすると、思いの外俊敏で太い尾で攻撃してきた。
ブランカは避けようとするが、空中では思うように行かず、直撃しないものの一撃をもらってしまう。
かなりの衝撃に短い鳴き声を上げたブランカだが、地面にたたき付けられる前に体勢は立て直す。
そして理解した。
これは、すぐに先へ進める状態ではないと。
「この前は為す術もなかったくせに、こんな隠し球を持っていたとはな」
スタンスが勝ち誇ったように笑う。
「知人から力の源を譲ってもらいましてね。扱いが難しく貴重なので、ためらっていたのですが、思い切って正解でした。ああ、まだもう一つ持っているので、無理して私達を追わない方がいいですよ。まあ、しばらく遊んでいてください」
そうしてスタンス達は奥へと進んでいった。
このままでは記憶を奪われてしまうと焦るブランカだが、しかしこの状況ではどうしようもない。
無理矢理追うことは愚策だ、言葉が本当なら挟み撃ちになってしまいより一層まずい状況になる。
(我に追わせないための嘘とも考えられるが――)
ブランカは、首を振って否定した。
いずれにせよ、目の前のファブニルをなんとかすることだ。
だが、間違いなく強力な魔物だ。
「セバルトがいれば――ふん、詮無いことか」
出かけた言葉を自分で否定し、ファブニルに向かって行く。
***
「だいぶ奥まで来ましたね」
「先生、これ本当に見つけられるのかなあ」
うんざりした表情になってきているのはメリエ。
あまり根気強い方ではなく、体力は十分にあるが、ずっと代わり映えしない洞窟の中を進むことにもう飽きはじめていた。
「あるなら見つかるはずです。そのうち」
一応、曲がり角のたびに印をつけてきているので、永遠に同じ所を回り続けることはないはずだった。
理論上は、この洞窟にあるものならいずれ全て見つかるはず。
もっとも、いつになるかの保証はない。
「まあ、広さにも限度があるでしょうし、そろそろ何かしらあっても良さそうではありますが……」
とセバルトが言ったとき、遠くから何かの物音が聞こえた。
メリエも目を鋭くする。
「今、音が聞こえたよね、先生。何か砕けるみたいな」
「ええ。ブランカでしょうか」
「だとしたら、何をしてるんだろう」
「トラップか、あるいは魔物がいるとか、遺跡らしいガーディアンがいまだに動作しているとか。そういうことかもしれません」
離れすぎている上に、洞窟の壁に複雑に反響しているため正確な方角はわからないが、セバルト達は音のした方へと足を向けた。
「ようやく動きがあったね」
「ええ。集中していきましょう。もうすぐ、目的にぶつかる気がします」
セバルトとメリエは頷きあい、足を進める。