第2章 アゼリアの狼 新たなる旅立ち①
第2章 アゼリアの狼
2 新たなる旅立ち
「直ぐにその者のところへ案内してはくれま
いか。」
「だめですよヴォルフ伯父。まだ動ける身体
じゃないでしょうに。」
結局アゼリア公ヴォルフ=ロジックが城の
外に出歩けるところまで回復するのには2週
間が必要だった。その間、ヴォルフは自ら礼
に行くので若者を呼びに行くというレムスや
ロックの申し出を断りつづけた。
やっと動けるようになり、早速ヴォルフは
レムスやロックを連れてドーバの住むダウン
タウンへと来た。馬に乗って来られれば良か
ったのだが、それだけは周りが許さなかった
ので、ヴォルフとしては不本意ではあるが、
馬車に乗っての行幸だった。
ドーバと若者には前もってヴォルフが行く
ことを伝えてあったので、二人は玄関先まで
出迎えていた。
「これは公、ご災難でしたな。」
「ドーバ老師、お久しゅうごさいました。2
年前にも助けていただいて、また今回はお弟
子さんに救っていただき、なんとお礼申し上
げてよいのやら。」
「公、ここではなんじゃ、中へお入り。」
一行はドーバの家に入った。特に変わって
いる家ではない。ダウンタウンにありがちな、
ただ周りの家からすると多少大きく、広い家
だ。太守であるヴォルフ一行を迎えるにはま
ったくもって不釣合いではあったが。
「君が私を魔道の術から救ってくれた若者か
な。」
「そうです。助けたというのは、大袈裟です
が。」
「そうじゃよ、公。この者がやったことなど
大したことではない。それよりも、あの術士
を雇っていた人物が問題じゃ。」
「老師、なにかご存知なのですか。」
レムスが身を乗り出して訊いた。ヴォルフ
公の命は助かったが、術を施した犯人は見当
もつかなかったのだ。
「公、他の者達は外して二人で話ができんも
のかな。」
ドーバの申し出は侍従長であるレムスには
了解できないものであったが、ヴォルフの命
令もあり、二人を残して他の者達は別室へと
控えた。
「君はなにか老師から聴いていないのか
い?。」
「いいえ、老師は僕が戻ってからずっと一緒
に居た筈なのですが、どこでそんな情報を得
られたのか、僕にも不思議でなりません。」
ドーバと青年はこの2週間、ずっと一緒に
修行をしていた。修行といっても瞑想が殆ど
で、精神を統一する術を教えて貰っただけだ
った。基本的なことはクローク老師のところ
で終えている、というのだ。
やがて再び中に呼ばれもどった者達が見た
ものは、元々好転に向かっているとは云え顔
色は多少悪かったヴォルフの蒼白になった顔
だった。
「公、一体どうされたのですか。」
「レムス、みんな、悪いが直ぐに城に戻るこ
とにした。ドーバ老師、本当にお世話になり
ました。何かお礼をさせていただきたいので
すが。」
「お礼など考えずともよいわ。それよりこの
者の庇護者になってくれまいかの。」
「そう云えば君は何という名であったか。訊
いておらなかった。」
「申し訳ございません、ヴォルフ公。僕は名
前が無いのです。と云うのか、全く自分が誰
なのか覚えていないのだす。」
「自分が判らないというのか。不思議なこと
があるものだ。すると、名前は今は無いとい
うのか。それでは、ドーバ老師の申し出もあ
ることでもあるし、我が性を名乗るが良い。
名前は、そう『ルーク』でどうだ。武王マー
クと忘却の神ルーズを併せた名だ。ルーク=
ロジック、いい響きではないか。」
「公、そんな大切なことを軽々しくお決めに
なっては。」
「口出しするな、レムス。儂が決めたことだ。
彼の者がおらなんだら儂の命は無かったかも
知れないのだぞ。今後ルークは城に出入り自
由とし、我が息子として扱うよう家臣たちに
も申し付けておくように。」
「ヴォルフ伯父、良い判断でしたね。彼なら
大丈夫です。十分その役割を果たしてくれる
でしょう。」
ロックが当惑しているレムスの代わりに返
事をした。
「何を考えておるのか知らんが、ロックよ、
儂の言った意味はそれ以外何も含んでおらん。
勘違いするでない。」
頭の回転の速いロックは話が多少見えてし
まって勇み足のようなことを言ってしまった。
レムスの立場もヴォルフ公が大切な侍従長を
心配させたくない気持ちも意識していない、
不用意な発言だったのかも知れない。
「すいません、公。僕が言いたかったのは、
彼は剣の腕も人間も確かなので、ヴォルフ伯
父の正式の養子としてもなんの問題も無いと
思われる、と云うことです。」
「わかればよい、正式な養子としての話は後
日追って考えることにして、とりあえず、ル
ークにはその名前を名乗ることと、儂の息子
として扱われることを承知してもらわなけれ
ば。」
「申し訳ありません、公。そんな大それた事
はとても承知できるお話ではないです。」
青年はもはや何が何だか判らなくなってい
た。自分がアゼリア州太守であるヴォルフ=
ロジック公の名前を貰って『ルーク=ロジッ
ク』と名乗るだけでも畏れ多いことなのに公
の息子として扱われることに至っては、想像
もつかないことだった。
「お前は何も逆らわずに公の云う通りにすれ
ばよいのじゃ。それが儂の意志でもある。儂
にも公にも逆らうつもりかの。」
ドーバに世話になってから初めて真面目な
眼差しで見つめられた青年は、とても逆らえ
ないと思った。
「判りました。今から『ルーク=ロジック』
と名乗ることにしましょう。ただ、僕の記憶
が戻ったときには、二つの名前を名乗ること
をお許しください。」
「勿論だとも、我が息子ルークよ。そなたが
たとえ何処の誰であろうと、儂の息子には違
いはない。儂の前だけでもルーク=ロジック
で居てくれればそれでよいのだ。」
話はレムスにとって不本意な形でついてし
まった。何処の誰かも判らない青年をロジッ
クの性を名乗らせ、公の息子として遇しなけ
ればならない。城への出入りも自由とする。
確かに公を救ってもらった借りはあるとして
も、あまりにも性急な話だった。公には別の
考えがあるのであろう、と自分を納得させた
レムスだった。ロックは何か気付いているよ
うだ。城に戻ってから問いただしてみようと
思った。
とりあえず、ルークはドーバ老師の下で修
行を続ける傍ら、城には数日に一度は訪れて
ヴォルフやロックの相手をする事になった。
ロックは暫く城に残ってヴォルフの側にい
るつもりだった。仕掛けられた魔道は破られ
たが、何時また違う形でヴォルフの命が狙わ
れるかも知れない。ロックにはヴォルフとド
ーバの態度で、ある考えが浮かんでいた。そ
れは軽々しく口にできないことだった。レム
スが訊きたそうにしているが、ヴォルフ公本
人と相談してからでないと、侍従長であるレ
ムスにも話せない内容なのだ。
一行の内数人は行きとは違い、とても重く
なってしまった心を抱いて城に戻っていくの
だった。