第2章 アゼリアの狼 再会①
第2章 アゼリアの狼
1 再会
「君は昨日の。どうしてここに居るんだ。」
「今日からここで修行することになったんで
す。あなた達は老師になにか御用ですか。」
「ドーバ老師がいらっしゃるのか、頼み事が
あるんだ、ぜひ逢わせてくれないか。」
ロックたちの表情に唯ならないものを感じ
た青年は直ぐにドーバに取り次いだ。ドーバ
はある程度のことは予測していたらしく、直
ぐに居間に通すように云った。
「ヴォルフ公は相当悪いようじゃの。」
「そうなんです、ご存知でしたら直ぐにでも
お城にお越し願えないでしょうか。僕はロッ
ク、ロック=レパードといいます。ヴォルフ
公の剣の弟子です。」
ロックは自分をそう紹介した。誇りに思っ
ているからだ。
「お主がバーノン=レパードの次男坊か。出
来るらしいの。ひと目でわかるわ。だが、も
う少し経験が足りんようじゃ。師匠を抜いた
などと慢心するのではないぞ。」
「判っています。それよりお城の方へお願い
できませんか。」
「それなら、簡単じゃ、この者を連れて行く
が良い。それで問題は解決じゃ。」
「この者って僕のことですか。」
これには当の本人の青年が驚いてしまった。
どう解決だというのか。
「この人で解決できる問題だと仰るんですか、
そんな単純な問題ではないと思うのですが。
説明しますとですね。」
「よいよい、お主に聴かんでも儂には判って
おる。心配せずともよい。この者で十分役に
立つはずじゃからそう云うておるのじゃ、安
心して連れて行くが良い。レムスにも儂がそ
う云うておったと伝えるのじゃ。」
ドーバ本人はどうにも動きそうも無い。ド
ーバの勧めもあることだし、戸惑っているこ
の青年を連れて行くしかない、そう決心した
ロックはレイラと共に城へと戻った。
「ドーバ老師は不在でしたか。」
ロックたちを見てロジック家の侍従長レム
スは落胆の色を隠せなかった。確かに連れて
来た青年が役に立つとはロックにも思えなか
った。
「いいえ、老師は在宅されておられました。
ただ、老師自らお城にご足労頂くことは出来
なかったのです。僕の説明が悪かったのでし
ょうか、言わなくても全て判っていると仰っ
て、この青年を連れて行けと。」
「この青年を?」
レムスの当惑はそのままロックやレイラの
当惑であった。そして、それは連れてこられ
た青年自身の当惑でもあったのだ。
「あのう、僕は此処へ何故連れてこられたの
か、いまだ良く判らないのですけれど。」
「それは此処までの道々で説明しただろう。
ヴォルフ公が何かの呪術を掛けられているら
しいのでなんとかそれを解いて欲しいんだ。
一流の魔道師にしか出来ない相談なんだけれ
ど。」
「そんなこと、僕に出来ると思って連れて来
たんですか。」
「ドーバ老師がそう仰ってただろう。君も聴
いていた筈だ。」
ロックは腹が立ってきた。老師は何を考え
てこの青年を連れて行けと仰ったのか。ヴォ
ルフ公の安否など如何でも好い事なのだろう
か。
「判りました、とりあえずそのヴォルフ公の
ところに連れて行って頂けますか。」
青年には何がなんだかわからなかったが、
時の都ラグでクローク老師に言われた関わり
のありそうな二人のうちの一人にこうも早く
遭う機会が持てるなんて想像もしていなかっ
た。自分に何が出来るのか判らないが、公に
遭えば何かが起こる、そう思うしかない。
「この青年を我が主に遭わせても良いもので
しょうか。」
「一応ドーバ老師の推薦でもありますし。た
だ、僕やレイラは老師の顔を知らないので、
彼を連れて行けと仰ったのがドーバ老師かど
うかも判断がつきません。偽者にも見えませ
んでしたし、彼も剣の腕は確かなんで。」
「そんなことで判断しないでよ。」
横からレイラが口を出した。
「君の名前は?」
レムス侍従長が話しを引き取った。ロック
やレイラに任せておいたらいつまでたっても
埒があかない。
「僕は、僕の名前は。」
「なんだ、どうした。」
青年はいかにも言いにくそうにしている。
「そういえば、最初にあったとき、変なこと
いってたな君は。」
「そうだ、判らないとか何とか云ってた。」
「判らないんです、本当に。ラグで倒れてい
たところをクローク老師に助けて頂いたので
すけど、それ以前の記憶が全くなかったので
す。」
「それじゃあ、本当に名前がわからない
の?」
「そんな話、聴いたことがないなぁ。」
ロックはどうも緊張感というか危機感に欠
ける青年だ。ヴォルフ=ロジックの病因の解
明よりもこの青年の奇病?というか素性の方
に興味が移ってしまっている。
「確か、強く頭を打ったときなどにそういっ
た症状が見られると聞いたことがあります。
しかし、そんな君がどうドーバ老師の代わり
が務まるというのでしょう。」
どうしてもレムスの気持ちはそちらにいっ
てしまう。
「多少の魔道術なら、クローク老師に指導を
受けて筋がいい、と誉められました。それが
お役に立つと良いのですが。」
レムスとロックたちは記憶がないこの青年
を細心の注意を払いつつヴォルフ=ロジック
の寝室へ案内した。青年の剣の腕は先日確認
済みだ。ロックでも梃子摺りそうな達人の域
に達している。ロックは遅れを取るとは思わ
なかったが、そう簡単に片付けられるもので
もない、と思った。
寝室に入るとヴォルフは寝息をたてている。
多少具合がいいのか、落ち着いた寝息だった。
「かなり高位の魔道師が呪術をかけています
ね。ただ今は少し休んでいるようです。これ
だけの術を施そうとすればかなり体力と精神
力をつかう筈ですから、術者本人の命を削り
ながらの呪術のようです。これは厄介ですね、
僕の力が及ぶかどうか。」
「そんな、気の弱いこと云わないで何とかし
てくれないか、ヴォルフ伯父は俺にとって親
も同然なんだ。」
「僕にとっても何か関わりがある人のような
のです。クローク老師に僕の相を観ていただ
いたときに、オーガという名と、ヴォルフと
いう名を僕自身が云ったらしいのです。だか
ら、なんとかアゼリア公に遭う機会が無いか
とクローク老師の師匠であるドーバ老師を頼
ってアドニスに来たんです。それが、こんな
に早くその機会が訪れるなんて。」
「そういうのを運命っていうのよ。」
レイラが気楽に云った。ただ、ロックも言
われた青年も同じ感想を持っていた。
「なんとかなりそうなんですか?」
多少不信な顔でレムスが聴いた。
「多分、高位といってもクローク老師と比べ
ると大分落ちるでしょう。僕の力でなんとか
なる筈です。問題は相手の術者が一人じゃな
かった場合だけです。一人だけなら破ること
が出来るでしょう。」
「じゃあ、早速お願いします。」
ヴォルフの病状が悪くなってからこの方い
い話を聴いたことが無かったレムスにとって
それは福音としか云い様が無かった。あとは
この青年が本物かどうかだ。ただの騙り、と
いう可能性も残されている。
「わかりました。相手が休んでいるうちに、
打てる手は全て打っておきましょう。」
青年は持ってきた袋の中からなにやら見た
ことも無い薬草のようなものを数種類取り出
した。それから、床に何かを書き出した。魔
方陣の一種のようだ。
「一旦結界を張ります。多分、呪術は術者が
幽体を飛ばしてここに忍び込み、アゼリア公
の心臓に負のエネルギーを送り込んでいたの
だと思います。それを取り除いた上で、今は
休んでいる敵の魔道師の呪術が始まったら、
それをそのまま術者に返します。この「術を
返す」という行為は単純で誰でも出来るもの
です。問題はかけた術者と返す術者の魔道力
の差です。返す術者の魔道力が大きければ術
は完全にかけた術者に帰ります。つまり、殺
そうとしていたとしたら自分自身が死んでし
まうのです。」
ロックにとってもレイラにとっても、レム
スにとってさえ、魔道についてはあまり知識
がなかったので、青年の話は斬新だった。魔
道力という聴きなれない言葉も出で来た。
「魔道力ってのはなんだい?」
「魔道力は、剣で言えば体力と訓練によって
得られた技、というところですか。魔道力は
精神と意志の力、それに魔道に関する知識の
ことです。当然高位の魔道師ほど魔道力は高
いのです。」
「それで、君はその呪術をかけて来た術者よ
り魔道力というのが高いというのですか?」
レムスには青年の話しを聴いてみてもやは
り、この青年が宮廷魔道師を越えるような魔
道使いだとは信じられなかった。
「大丈夫だと思います。こんなにはっきりと
呪術の跡を残すような術者ならクローク老師
と比べると足元にも及ばない程度だと思いま
す。」
「でも、もしその術者があなたより強い魔道
力を持っていたらどうなるの?」
「僕の命もアゼリア公と一緒に無くなってし
まうでしょうね。公と僕の精神が一体化して
しまうでしょうから。」
「そんな危険なことに君を向かわせる訳には
行かないだろう。」
ロックはヴォルフも心配だが、この青年も
妙に気に入っている。危険な目に遭わせたく
はなかった。
「心配はいりません。まあ、ここで観ててく
ださい。」
青年は直ぐに準備に取り掛かった。なにや
ら袋から取り出して、
「すいませんが、お香を焚きたいので香炉を
下さい。」
青年は香を焚きだした。香炉は部屋の四隅
に置く。魔方陣のようなものはヴォルフのベ
ッドの周りに書き終わった。
それから、しばらくは静寂に包まれた。ロ
ックは魔道などというものは、何か呪文のよ
うなものを唱えるのかと思っていたが、そう
でもないらしい。
「わが主たる太陽のソウラよ、御身の僕たる
わが身にその力を与えたまえ。」
青年はそう云ったきり、精神統一に入って
しまった。一言も話さないどころか、身動き
一つしない。ここにもし敵が居れば全くの無
防備のままで魔道術を行わなければならない
のだ。万能にも思える魔道だが、現実の身に
は多きな弱点があるようだ。それも、強力な
結界が張れるのなら別問題だが。
「来た。」
突然青年が叫んだ。どうやら、相手の術者
がこちらに気づいたらしい。幽体になってこ
の部屋に来ているのだ。
「あっそこに居る。」
レイラが叫んだ。見ると確かに何か雲のよ
うな物がヴォルフの天蓋付きのベッドに近寄
ろうとして跳ね返されている。青年の結界が
利いているのだ。それにしても、ロックたち
にも見えるほどの幽体を飛ばせるのだから、
やはり相手の術者も相当の腕の持ち主には違
いない。ロックは急に不安になった。