第1章 虹 3 御前試合
第1章 虹
3 御前試合
公王直属の情報機関である「ホーラ」の長
官であり、聖都騎士団では准将軍を勤めるリ
ード=フェリエスが今朝急ぎ視察先のマゼラ
ンから帰京したのは、年に一回開催される御
前試合を観るためだった。その年に十八歳に
なる若者を公国全土から集め開かれる御前試
合は、騎士団への登竜門であり、成績によっ
ては聖都を守護する聖都騎士団にも配属され
ることがあった。そして、もちろんリードの
めがねに適うものはホーラの一員となるのだ。
暗殺部隊であるキル=ホーラの隊長ネーズ
=カーターや辺境調査隊ホーラ=レイの隊長
ハデス=ダンガルも何年か前の御前試合の優
勝者だった。
御前試合とは参加資格は年齢だけで、どん
な身分の者でも参加できた。例えば現公王の
ロウル=レークリッドも公太子のとき参加し
た年に準優勝したのはフロックではなく実力
であった。因みにその年の優勝者は現アゼリ
ア州太守の剣聖と呼ばれたヴォルフ=ロジッ
クだ。
本当は予選の最初から見たかったのだが、
リードが着いたときにはもう本選への出場を
かけた試合からだった。今年も有力な者の子
息として数名が参加していたが、本選に残っ
たのはガリア州太守ガイア=イクスプロウド
侯爵の嫡男シオンと聖都騎士団副団長バーノ
ン=レパード中将軍の次男ロックの2人だけ
だった。二人は従兄弟同士らしい。
「今年は一人だけだな。」
リードは呟いた。高官や聖都騎士団の子息
風情にろくなものはいないと思っている。リ
ードが見たところラティス=トゥールという
青年が優勝しそうだった。まず目が違う。ロ
ックは自分を出し過ぎだ。シオンとなると余
りにも生気がなさ過ぎる。ラティスなら非情
にならなくてはいけないときには親兄弟でも
切り捨てられそうな芯の強さと忠誠が望めそ
うだし、その場の状況の変化に対応できる明
敏さも兼ね備えているようだ。
もう一人、ユダ=ミダスもかなり使えそう
だが、この青年も目が暗すぎる。ネーズに任
せればそこそこ物になりそうだが、今のとこ
ろそちらの方には人材は事欠かなかった。ど
ちらかと云うとリード本人の補佐が出来る参
謀役とでも云うべき人材を切望していた。
本選の試合が始まった。リードは公王の少
し前の席で観戦していた。声の届く範囲に控
えていなければならないのだ。
最初の試合でシオンが残った。その動きに
リードは何か重大な思い違いをしているよう
な違和感に包まれた。
次の試合はリードが予想した通り進み、ラ
ティスが残った。
第3試合も予想通りユダが辛うじて残った。
最後の試合は風のように舞うロックに相手
が翻弄され自滅していった。
二人は予想通りに、他の二人は予想に反し
て勝ち残った。これほどまでにリードともあ
ろう者が見間違うことは今まで一度もなかっ
た。我が目を疑う始末だ。そしてまず、シオ
ンとラティスの準決勝が始まった。
「ガリア公の息子だからといって手加減して
もらえると思うな。」
ラティスが挑発するがシオンは動かない。
数十秒間、二人は身動きひとつしなかった。
いや、しなかったのはシオンだけでラティス
はできなかったのだ。圧倒的な技量の差だっ
た。他人との試合を見た感触ではラティス自
身多少梃子摺るかも知れないが勝てる相手だ
と踏んでいたのだ。が、いざ剣を構えて向か
い合うと、逃げ出したくなるような恐怖感だ
けがラティスを包んだ。人食い虎と向かい合
っていると云うより、死神と向かい合ってい
ると云う方が近いか。
シオンは今までの試合は、決してその技量
を悟られないように注意を払って勝ち残って
いたのだ。しかしラティスは流石にリードが
見込んだだけあってその力量を出さずには勝
てないと思い、本気で構えただけだった。ラ
ティスの技量は確かに抜きん出ていた。去年
の優勝者ではとても適わないほどに。しかし
そのラティスでさえ、シオンの前では子供同
然だった。シオンの技量は或いは公国随一と
云われているリードに匹敵するかも知れない。
これはもうだめだ、とラティスは思ったが、
せめて一太刀なりともと間合いを詰めて精一
杯のスピードで打ち込んだ。ラティスにして
も今までの試合で自らの技量の総てを見せた
つもりはなく、相手が過小評価をしてくれれ
ば、不意を突かれてラティスに勝ちが回って
くるかも知れない。
が、シオンはぞっとするような美しい顔立
ちからは想像もつかない程の剛剣でラティス
のレイピア(細剣)を真二つに折ってしまっ
た。
「やはりラティスか。」
試合の結果に反してリードは思った。シオ
ンの剣は余りにも鋭い。その鋭さは危うさを
も含んでいる。諸刃の刃と見た。さらにガリ
ア公の嫡男では本人の意思であろうと、ガリ
ア騎士団以外に入れる筈もなかった。
その点アストラッド騎士団に所属する父を
持つラティスは技量や才能はシオンに及ばな
いかも知れないが、まだまだ磨きようによっ
てはハデスやネーズを超える可能性が大きい。
この時点で今年の出場者からホーラに入れる
候補としてはラティス=トゥール一人に絞っ
た。
そしてもう一試合。ユダとロックの試合が
始まった。ユダの目は暗い。シオンとは別の
意味で相手に恐怖感に似た感触を与える目だ。
執拗と云う言葉がその眼差しを表す言葉とし
て最も適当に思える。
第1試合とは対照的に二人は活発に打ち合
った。と云っても打ち込んでいるのはユダの
方だけで、ロックはただ受け流しているだけ
だ。そんなことが数十回続いたところで、ユ
ダの息遣いが荒くなってきた。ロックと云え
ば飄々としている。時より笑みさえ浮かべな
がら、ほとんど疲れた様子もなかった。
この試合を主賓席で見つづけていたシャロ
ン公国ロウル=レークリッド公王は自らが出
場した時のことを思い出していた。決して負
ける気がしなかったヴォルフに決勝で敗れた
のは、いまロックが見せているそのままの戦
法を使われ、疲れで自ら自滅してしまったの
だった。死神の目を持つ剛剣シオンと剣聖ヴ
ォルフが乗り移ったようなロック。この二人
が決勝に残るのは間違いないだろう。公王ロ
ウルは一歳違うことで決して実現しなかった
剛剣ガイアと剣聖ヴォルフの対戦を見られそ
うな予感で子供に帰ったような気持ちであっ
た。
第2試合は結局ロックが残ったが、右腕に
少し手傷を負ってしまった。ほんの一瞬の油
断を突かれてしまったのだ。観客席のレイラ
=イクスプロウドの姿が目に入った所為だっ
た。レイラはシオンの妹で、ガイアの一人娘
だが、彼女が今日セイクリッドに来ていると
は聞いていなかったので不思議に思って気を
取られてしまったところをユダに打ち込まれ
たのだ。辛うじてかわしはしたが、ほんの少
し剣の先が腕に触れた。たいした傷ではない
が決勝の前だけに無傷で勝ちたかったので、
ついかっとなってユダを打ちのめしてしまっ
た。
「ヴォルフ伯父に知られたら大目玉だな。」
凡そ緊張感のない感想を残してロックは控
え室に戻った。そこへレイラが入ってきた。
「さすがね、この間の約束通りだわ。」
レイラはロックより3歳年下なのだが、誰
に対しても妙に年上ぶった態度をとるのが常
だった。
「ラースから何時出てきたんだ。シオンと一
緒じゃなかったのか。ガイア伯父は知ってい
るんだろうな。」
「そんなに一辺に云わないでよ。」
レイラはふて腐れて椅子に座った。試合前
にガイア伯父に逢ったときにレイラはラース
に置いてきたと云っていたのだから黙って出
て来たに違いない。お転婆姫にも困ったもの
だとロックは思った。
「ヴェルナーはどうした。よくあいつに隠れ
て出て来れたな。」
ヴェルナー=フランクはガリア騎士団の小
隊長でシオンやレイラの良き相談相手だ。年
はシオンより1つ上なだけだが、頭も切れて
剣の腕も確かなので将来ガリア騎士団を担う
と云われている。
「フローリアがヴェルナーの葡萄酒に眠り薬
をいれたのよ。案外簡単だったわ。」
「無茶するなぁ、ヴェルナーの苦労が思いや
られるよ。」
実際はヴェルナーが気づいていて密かに二
人に部下を着けて寄越したひとは確認しなく
ても手に取るように判った。でなければ世間
知らずの二人がセイクリッドまで無事に来ら
れる筈がない。途中で盗賊に襲われてしまう
のがおちだ。
「シオンには逢ってないのか。ガイア伯父も
会場に来ている筈だか。」
「後でびっくりさせようと思っているんだか
ら、教えちゃ駄目よ。」
まだまだ子供じみているレイラだった。
「さあ、もう試合が始まる。しかし、お前の
兄貴はどうしたって云うんだ。御前試合に出
るなんて聞いてなかったし、あいつがレイピ
アを持っているところを見たことさえないん
だぞ。」
「私だってそうよ、父上に着いて来ているだ
けだと思っていたわ。見に来たら出ているか
らびっくりしたわよ。」
「優勝するって約束を果たすには、シオンを
倒さなければならなくなった。さっきの試合
を見た限り相当手強そうだな。まあ、負けな
いように頑張るよ。」
実際五分五分だと思っていた。しかしいつ
修行をしたのか。レイラに気づかれないよう
にあのレベルに達したとすれば並大抵な努力
ではないだろう。ガイア伯父の太刀筋とも違
うようだ。ロックはヴォルフの他にガイアに
も稽古を付けてもらったことがあるので判る。
ロック自身もヴォルフとガイアの他にはそ
の腕を知っている者はないように内密に修行
していたので、父のバーノンや兄のブレイン
さえも知らなかった筈だ。ロックは二人の最
良の師に師事したからこそ滅多なことでは引
けを取らないまでに到達した。シオンはどん
なやり方であのレベルに達したのか。試合が
終わったら問い質してやろうと思いつつロッ
クは試合場に向かった。
「リードよ、お主はどう見る?」
公王に問われてリードは困った。実際リー
ドにも予想がつきかねていたのだ。自分が立
合えばシオンには何とか勝てそうな気がする。
ロックにはもっと簡単に勝てそうだ。しかし、
その二人が立合えばどちらが勝つのか見当も
つかなかった。
「公王陛下、私にはどうも予想がつきかねて
いるのですが。」
正直に答えてみた。公王との会話は時とし
て公王に知的優越感を与えねばならず、かと
云ってあまりの追々は無能と取られてしまう
ので、あまり好んではいなかった。しかし、
この時ばかりは一剣士としても有数の腕を持
つ公王との会話を何の衒いもなく交わそうと
思った。
「ほう、お主にも読めんか。しかし、ガイア
の息子がここまでやるとは思わなんだわ。そ
れにあのロックと云う若者、たしか、レパー
ドの次男だったか、あれはヴォルフの手ほど
きを受けておるようだな。」
「ヴォルフ公の、確かにそのようですな。」
リードは昔ヴォルフに剣を教えてもらった
ことがある。短期間ではあったが適切で得る
ことが多かった。その後リードは数多くの実
戦を潜り抜けて今のレベルに達したのだった
が、そうすると、ロックとは兄弟弟子になる
訳だ。公王もリードも剣士として非常に興味
を引かれている試合が始まった。
まずはお互いに相手の出方を見ようとして
いるようで、どちらも動かない。シオンが右
に動けばロックも右に動く。ロックが前に出
ればシオンは後ろに下がる。その繰り返しだ
った。剣を合わせること数十回、どちらが優
勢とも云い難い内容だった。
(早く決着を着けないと腕が重くなってきた
な。)
ロックはユダとの試合で傷を受けた腕が痺
れ出していた。何か薬が塗ってあったようだ。
直ぐには現れなかった薬の効果が今ごろ現れ
てきたのだった。
(何か様子がおかしい。さっきの傷か?そん
なに深手には見えなかったが)
シオンは直ぐにロックの様子に気づいた。
妙に右腕が下がってきている。
(では、ロックには悪いがそろそろ決着を着
けさせてもらおう。)
シオンが一歩踏み込んだ瞬間だった。ほん
の一瞬の過信をロックは見逃さなかった。シ
オンの剣を受け流し、そのまま剣を首筋に突
き付けたのは打ち込まれた筈のロックだった。
「それまで、ロック=レパードの勝ち。」
高々と試合終了ファンファーレが響き、今
年の御前試合は終わった。