第六話 また明日
最後に収穫した芋を運び、今日の分のルヴィクの仕事は終わる。
軽く泥を落とし素早く身支度をする。ぱさぱさパンを口にねじ込み腹に納める。
「あ、父さん。
図書館に行ってくるね」
「あ、ああ。
行ってらっしゃいルヴィク」
言い淀みながらも軽く微笑みルヴィクを見送る。
ここ最近、ルヴィクは両親に違和感を感じていた。
暴力を振るわれるとか、蔑ろにされるとかいったことは一切なく、今までと同じように大切にされている。
だが、ふとした拍子に言いようのない違和感を感じるのだ。大したことではない。別にそこまで気にすることでもない。
そうは思いつつも、頭の隅に不安がチラ付かずにはいられないでいた。
(特に今日は朝から変だ)
その直感が、ルヴィクに家から遠ざかる足を急かしていた。
◇◆◇◆◇
いつものようにルルイドの中央へと向かい歩く。
中央区には教会とアルローデム公爵家以外にも、重要な施設が集められている。一般公開されている図書館も中央区に位置する。
ルヴィクが図書館へ到着すると、既に扉の前に一人の少女が立っていた。
少女はルヴィクに気づくと、嬉しそうに手をブンブン振る。
短く切られた金の髪に澄んだ青い瞳。ルゼルフィーナだ。
ルゼルフィーナの手首には、以前ルヴィクが『製作』したリボンが結び付けられている。
「ルヴィクーー!」
「そんなに手を振らなくても気づいてる。
おはよう、ルゼ」
「おはようって、もうお昼だよ?」
「ああ、そう言えばそうだったな」
互いに軽く挨拶をする。
ルヴィクはルゼルフィーナの前では子どもらしく振る舞うのを止めていた。最初こそルヴィクの口調に戸惑っていたルゼルフィーナだが、今ではすっかり慣れている。
そんなルゼルフィーナの髪はまだルヴィクと変わらぬくらいの短髪で、二人並んでいると美少年と勘違いしてしまいそうになる。
「今日は何の本読むの?」
川辺で色々あったあの日から、ルゼルフィーナは毎日午後になるとルヴィクと共に遊ぶようになっていた。
遊ぶと言っても子どもらしい遊びをするのではなく、ただルヴィクと一緒に行動をしているだけだが。
「決めてない。
残ってる本から適当に選ぶさ。て言ってもほとんど残ってないけどな」
ルヴィクが図書館に通うようになってからあと一月で一年。元々本の種類が少ないこともあり、図書館に置いてある本で読んだことの無い本はあと僅かとなってしまっている。
既に目ぼしい物は読み終わってしまったが、どうせなら全部読んでしまおうと通い続けているのだ。
「待たせて悪かった。取り敢えず中に入ろう。
外は寒くて堪らない。ルゼも冷えただろ」
エナス聖国は夏ですら涼しいと感じる気候の為、冬になると堪らなく寒くなる。
冬に片足突っ込んだ程度の今でさえ十分に寒い。
二人で小さな図書館の中へ入る。
いつも通り図書館の中に司書以外の人はおらず物寂しさを感じる。
ルヴィクは本棚からまだ読んだことの無い本を三冊ほど抜き取り長椅子に座る。
ルゼルフィーナは特に何か本を取ることはせず隣に座り、ルヴィクの読んでいる本を覗き込むようにして見る。
今日選んだ三冊もタイトルからして役に立ちそうなものは無い。
・要塞都市フォルマスの歴史
・ピンクスライムの脅威!
・願いの叶う地マグ・メル
要塞都市フォルマスは現在も存在している都市の中では最古の歴史ある都市だ。この本には要塞都市フォルマスがどのように造られ、如何に素晴らしいかが書かれている。
知識として持っていて損はないが、別に知らなくても問題は無い。
ピンクスライムの脅威!。これはピンクスライムという種のスライムがどれほど恐ろしいのかを書いた本。ピンクスライムは数十年に一体発見されるかどうかという大変希少なスライムで、恐ろしく高値で取引されている。そんなピンクスライムを求める人も多く、そんな人達に向けて書かれた本である。
まず遭遇することは無いだろうが、知っていて損はない。だが具体的な生態については『魔物大全』という図鑑に載っている内容とそう変わらず、殆どが筆者のピンクスライムに対する情熱を語っているだけだった為、わざわざこれを読む必要は皆無であった。
魔物というのは魔力の影響を受け動物が変化した生物のことである。その多くが凶暴で非常に危険。体内に変質した魔力を大量に持っており、人間が食らえばその魔力に耐えられずに死んでしまう為食料にもならず完全な害獣である。
しかし極一部の魔物は魔力を少量しか内包しておらず食べれるものもいる。ピンクスライムもその一体である。
最後の一冊、願いの叶う地マグ・メル。これを開いた時、ルヴィクの隣で大人しく本を覗き込んでいたルゼルフィーナが声を上げた。
「ボクこれ知ってるよ!
ボクの好きな話の一つなんだ」
曰く、この世界のどこかにマグ・メルという地がある。マグ・メルには神々が暮らしており、マグ・メルに辿り着くことが出来れば神々に認められる。
マグ・メルに辿り着くということは大変な偉業であり、その者はマグ・メルに住まう神々によりどのような願いでも一つだけ叶えてもらえる。
そしてその者は願いを叶えてもらった後、マグ・メルで何不自由ない暮らしを送ることが出来、この世で最も幸せな生涯を送る。
どんな願いでも叶う。この世で最も幸せという所でルゼルフィーナは瞳を輝かせていた。
(ま、よくある話だな)
マグ・メルから離れ、自分の一番好きな七英雄の話を語り始めたルゼルフィーナに適当に相槌を打ちながら、ルヴィクは本を片付ける。
やはりここに魔法を使えるヒントになりそうな本はもうないか。ルヴィクはルゼルフィーナに勘付かれないように心の中でのみ落胆する。
今回の一番の収穫は要塞都市フォルマスの場所だろう。次いでピンクスライムという魔物の存在を知れたこと、マグ・メルは、知っていても知らなくても良かっただろう。情報の価値が奇しくも読んだ順番通りだ。
もしマグ・メルの話が本当であれば一番の収穫になりえるが、所詮はただのおとぎ話。伝説に現状の打開を賭ける程ルヴィクも愚かではない。
転生した人間が言っても説得力は無いが、人生は基本的には一度きり。確証もない物に全てを賭けて棒に振るようなことはルヴィクもしたくはない。
本を片付け外を見ると、既に空が茜色に染まり始めていた。読んだ物はおとぎ話だったり民話だったりしたが、三冊とも分厚かったことと、ルゼルフィーナと話ながら読んでいたからもう夕方になってしまっている。
「ルゼ、今日はもう帰ろう」
「えー、もうちょっとだけおしゃべりしようよ」
口を尖らせ全身から不満ですオーラを放つが、ルヴィクは意に介さずに図書館を出てしまう。
「ちょっと、待ってよー。
もうちょっと!もうちょっとだけでいいから!お願いルヴィク」
いつもなら「また明日ね」と素直に頷いて帰るのに何故だか今日はしつこく懇願してくるルゼルフィーナに、珍しくルヴィクも困ったように顔を顰める。
本当の所ルヴィクももう少し一緒に話がしたい。だがあと少しすれば日は暮れてしまう。
この世界はお世辞にも治安が良いとは言えない。暗くなる前にルゼルフィーナを帰さなければいけないし、ルヴィク自身も帰らなければ危ない。
「いや、今日はもう帰ろう。
別に今日無理して話ししなくても、また明日会えるだろ」
今日、昨日、一昨日のように、いつもと変わらず明日会えばいいだけの話だ。別に今生の別れではないのだから。
そうルヴィクが言っても何故だか今日のルゼルフィーナの表情は晴れず、下を向いて唸る。
暫くそうやって考えていたが、美味い言葉が思い浮かばず、諦めたように顔を上げる。
「じゃあ、約束だよ。
また明日、図書館の前で待ち合わせだからね!」
「ああ、分かった。いつもと同じな」
それでようやく、ルゼルフィーナは引き下がった。
だが表情は変わらず依然として不安そうなままであったのが、ルヴィクの心をざわつかせた。
そして翌日。
いつもの場所でいつもの時間に、毎日してきた約束。
その約束は守られることは無かった。
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