第二話 ルゼルフィーナ
亨にとって重大なことが判明した。
自身が転生をしたと理解したときよりも驚いたことだ。
どうやらここは、地球ではない別の世界らしい。
最初はどこかの外国だろうと思っていたのだが、全く違った。
この世界には魔法と呼ばれる如何にもファンタジーな物が一般的に存在していた。
どこの小説だよあり得ないと最初は亨も笑っていたが、7年という年月はそれを真実だと思わせるには十分だった。
7年も経てばこの異質な世界にも慣れてはくるが、時々自分は夢でも見ているのではないかと思ってしまう。
「ルヴィク、早く準備しなさい」
ぼんやりと考え事をしていると、亨――ルヴィクの母親であるナタリーが若干呆れを含んだ声で急かす。
「うん、分かった」
ルヴィクは特に反論することなく素早く身支度を整える。
素早く、と言っても服を着てぞんざいに顔を洗っただけな為、いい加減と言った方が正しいが。
準備は万端だといった態度でルヴィクは食卓に着く。
だが、ナタリーはその程度の身支度では許してくれないらしい。
「まったくもう、ちゃんと寝癖も直しなさい!
服だってもっとしっかり着なきゃダメでしょ!」
ああだこうだと言いながらルヴィクのいい加減な身支度を直していく。
何故そんなにも見た目を気にするのだろうかと疑問に思いながらも、いつものことなのでナタリーにされるがままになりながら朝食のパンを頬張る。
元日本人のルヴィクからしたら、このパサパサのパンと具なしの薄味スープはとても満足のいく食事ではないが、これ以上の食事をコラル家に求めるのは酷だろう。
ナタリーに髪を直されながら食事を取っていると、ぎぎぎ、と危なっかしい音を立てながら家の扉が開けられる。
「あ、父さん」
「やあ、おはようルヴィク」
ルヴィクの父親であるレオが汗を拭いながら入ってきた。
朝早くに畑へと行き、一仕事してきたのであろう。
「おかえりなさい。
いつもお疲れ様です」
ルヴィクはナタリーの手から逃れ、水をレオへと渡す。
見た目こそ子どもであるが、亨は享年36歳。
畑仕事はこの世界に来てからしかしたことがないが、働くということが如何に大変なのかを理解している。ルヴィクは毎日父親を労うことを欠かさなかった。
「ああ、ありがとう。
いつもルヴィクが労ってくれるから頑張りがいがあるよ」
レオは柔らかく笑いルヴィクの頭をくしゃくしゃと撫でる。後ろでナタリーが折角整えたのに、と嘆いていたがルヴィクは気づかぬふりをする。
優男のレオが笑った顔は、同じ男のルヴィクから見ても惹かれるものがある。若い頃はさぞオモテになったのだろう。
「そう言えばルヴィク、もう出ないと遅れるんじゃないかい?」
この家に時計などという高価な品があるはずはなく、時間は完全に日の傾きと体内時計に頼っている。
確かにそろそろ出ないとヤバいかと思い、ルヴィクは朝食を急いで食べきる。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「あ、ルヴィク待ちなさい」
ルヴィクはナタリーの静止の声を聴かずに逃げるように外へと出て行った。
◇◆◇◆◇
歩いて十数分。
コラル家の周りの畑ばかりの風景からガラリと変わり、きっちりと区画整理のされた街へとなってきた。
均一に整えられた街並みは綺麗ではあるが、どこか異質さを漂わせているようにも見え、ルヴィクはあまり好きではなかった。
ルヴィクが住んでいるのも、今いるのもエナス聖国の第二聖都ルルイドだ。
ルルイドは大雑把に分けると北が商業区、東が農業区、南が市民街、西が貴族街、中央には教会とルルイドを治めるアルローデム公爵家、となる。
今ルヴィクが向かっているのは中央にある教会。
今日ルルイドに住む全ての7歳児が教会へと訪れる決まりとなっている。
行うのはスキルカードの発行。スキルカードとは簡単に言えば身分証明書のようなものだ。
勿論、身分証明だけが目的の物ではないのだが。
「おい」
教会へ向け歩いていると、ルヴィクへ声が掛けられた。
聞き覚えのある声にうんざりしながらも振り向くと、案の定ルヴィクの想像した通りの少年、正確には少年達が立っていた。
「…何か?」
めんどくさいが仕方がない、といった態度を隠すことなく言葉を返す。
その態度に苛立ち、ルヴィクの目の前の一際体格の良い少年が眉を吊り上げる。
「おいチビ!何だその態度は!」
「別に普通だと思うけど。
何怒ってるのか知らないけど、放っておいてくれないかな?」
少年の名はベルツ。
年の割に体格が良く、近所の子ども達のリーダー的存在だ。所謂ガキ大将である。
ベルツは自分に付き従わないルヴィクが気に入らないらしく、顔を合わすたびに突っかかってくる。
今日も殴られるんだろうなぁ、とルヴィクはぼんやりと考える。
「意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇ!生意気なんだよ!」
ベルツが拳を振り上げルヴィクへと振り下ろす。
亨であった頃から武術どころか碌に喧嘩もしてこなかったルヴィクはそれを避けれず、無様にも地面へと転ばされる。
転んだルヴィクを見て満足そうに笑うベルツ。更に追い討ちをかけようとルヴィクの上に馬乗りになろうと前に出た時。
「こら!何してるの!」
長い金髪の少女がルヴィクを守るようにしてベルツの前に立ちふさがった。
「な、なんだよお前!
どけよ!」
「どかないよ!
いじめ良くないもん!」
ガキ大将も流石に女の子相手では躊躇うのか、いつものように殴りかかることは無かった。
暫く睨み合った後、根負けしたのかベルツの方が顔を真っ赤にして逸らす。
「女に守られてだっせーの!
おい!行くぞ!」
ベルツは実に少年らしい捨て台詞と共に逃げるように去っていった。
「大丈夫?」
金の髪を靡かせ、少女が振り向く。
澄んだ青い目をした、幼いながらも整った顔をした少女だった。将来大層美人になるだろう。
あのクソガキ、惚れて慌てて逃げたな。
そんなことを思いながら少女の手を取り立ち上がる。
「ありがとう。助かったよ」
ここで助けなんか要らなかったなどと子どものようなことを言っても仕方がない。素直に礼を言う。
ルヴィクが本当に子どもだったらこんな反応は出来ず、目の前の少女に暴言を吐いてしまっていたかも知れないが、中身はおっさんだ。こういうとき、自分が前世の記憶を持っていて良かったとルヴィクは思う。
「ううん。大丈夫ならよかったよ。
私はルゼルフィーナ・リー……じゃなくてルゼルフィーナ!よろしくね!」
何故かフルネームを言うのを止める。何となく察しの付いたルヴィクは敢えて追及はせず、自分も名乗る。
「ルヴィク・コラル。
よろしくルゼルフィーナ」
(長いな、心の中ではルゼでいいか)
暮らし始めて8年経つが未だに長い名前は言い難いらしく、勝手に心の中でルゼルフィーナの呼び方を決める。
「よろしく!えっと、ルヴィクでいいかな?」
「うん、いいよ」
「分かった。
それでさルヴィク、どうしていじめられてたの?」
「多分俺が気に入らないだけだと思うよ。
まああんなのことはどうでもいいよ。俺今から教会に行かなきゃいけないんだ、悪いけど」
「あ!ルヴィクも7歳なんだ!私もなんだ!
じゃあさ、せっかくだし一緒に行こうよ」
ルゼルフィーナは嬉しそうに手を叩きながら言う。
前世の影響で女性を信頼できなくなっているルヴィクは、今まで母親以外の女性と関わるのを出来る限り避けてきている。出来ればルゼルフィーナともさっさとさよならしてしまいたいと思っていたが、こうも嬉しそうな顔をされてしまうとルヴィクもNOとは言い辛い。
昔から子どもには甘いのだ。
「うん、分かったよ」
「やった!
ね、ねぇ、私達ってさ、もう…その…と、友達…だよね?」
不安そうな、それでいて期待の籠った目でルヴィクを覗いてくる。
(成る程、友達がいないのか。道理で嬉しそうにしてるわけだ)
ルゼルフィーナはとある事情で今までに友達が出来たことがない。
その理由も察しが付いているルヴィクは仕方ないと思いながら頷く。
「そ、そうだよね!友達だよね!
えへへ、友達かぁ」
(初めての友達がおっさんってのは…なんか悪いことした気分だ)
などと思いながらも、嬉しそうに笑うルゼルフィーナを見ていると、自分まで嬉しくなってくるのを感じている。
「っと、いつまでもここにいられないな。
早く行くよ、ルゼ」
「あ、うん、ごめ…ん?
えっと、ルゼって、私?」
「…やっべ口にまで出しちまった。
あ、嫌だった?嫌なら変えるけど」
「ううん!いやじゃない!いやじゃないよ!
ルゼって呼んでほしい!」
「そうか、じゃあルゼでいいか」
「うん!…えっへへ」
愛称で呼ばれるということに、本当に友達が出来たと喜ぶルゼルフィーナ。
だが、そう呼んだ本人が、一々長ったらしい名前で呼ばずに済んでラッキーと思っていることを知らないのは幸せだろう。
嬉しそうに笑うルゼルフィーナを不思議に思いながら、ルヴィクは教会に向けて歩いて行く。