第一話 転生
心地よい感覚の中、亨は目を開く。
今まで感じたことの無い温かく慈しまれるような感覚。
(あれ、俺何で…)
ぼんやりとした視界に人が映る。
燃えるような赤髪の女性だ。隣には暗い茶髪の男性もいる。
「―――――――」
女性は亨に向けて柔らかく笑い掛け何か言葉を口にするが、亨には何を言っているのか全く分からない。
間違いなく日本語ではない。そして英語でもないことは外国語に疎い亨でも分かった。
赤髪の女性は割れ物を扱うかのように優しく亨を抱き上げる。
(え、どんな腕力してんだよ。
って、あれ、なんか俺小さくないか?)
そこでふと自身の体の異変に気が付く。
ぷくぷくとした紅葉のような手に小さな足。成人してるとは思えないほどに小さな体。
まさしく赤子の体だ。
(何だよこれ、一体どうなってるんだ?
確か俺はあの時首を吊って死んだはず……死ねなかったのか?
いや、だとしてもこんな赤ん坊になるはずがない。ダメだ、理解が追いつかない)
自殺して目を覚ましたら目の前には見知らぬ女性と男性が居て、自分を抱いている。そんな抱かれている自分は赤子の姿をしていて、とても36歳には見えない。
常識では到底あり得ない事態に、亨は混乱する。
「――――」
「――――――」
亨には分からない言語で二人は笑い合いながら話をする。徐に男性が手を亨の頭に置き、くしゃくしゃと撫でる。
「ぅあー、うー」
何か喋ろうとするも、言葉にならない声が漏れ出るだけだった。
その声も以前の自分とは全く違う、赤子の弱々しいものだ。
享は否応なしに自覚させられる。今の自分が赤子であることを。
「――――――、――――――――」
「―――――」
暫くは笑いながら亨を抱いていたが、二人は顔を強張らせ不安げな色を強くする。
何かを亨に言っているが、日本語でないため残念ながら亨には通じない。
(何だよこれ、訳わかんねぇ。
俺、一体どうなったんだよ)
言いしれぬ不安を感じながら、亨は次第に重くなる瞼に逆らうこと無く意識を落とした。
◇◆◇◆◇
亨は草の上に座りながら夕日を眺める。
日本の夕日と何も変わらない夕日は亨の心を落ち着かせてくれる。
八か月の月日が流れた。
八か月も経つと赤子の亨もハイハイはできるようになり、そこそこ動けるようになった。
言葉も全てとは言わないが、多少は理解できるようになっている。その国の言葉に埋もれて生活をすると覚えが早くなるというのは本当なのだなと亨は少しばかり感心している。
八か月も暮らしていると、行動が制限されてしまう赤子でもそれなりに分かることがあった。
まずここは日本でも英語圏でもない。
亨は日本語を欠片も見たことは無いし、英語らしい文字も見たことが無い。いくら亨が英語に秀でていないと言っても何となく英語っぽいとかは分かる。
ここの国の文字は英語というよりもラテン文字に似ていると亨は思っている。
そして最大のこととして、自分が既に芳賀亨ではない別人になっていること。
体は完全に赤子。目は日本人だったころと同じ黒だが、髪が暗めの赤色になっている。
大人の亨にも、子供の亨にも合致しない。赤髪だったことなど一度たりともない。
見た目もまだ赤子だから正確にはどうか分からないが、どうにも芳賀亨の見た目ではない。
このことから亨は、自分は前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのではないかと考えている。
(確かにあの時俺は首を吊った。
そして本来ならリセットされるはずの記憶を受け継いだまま生まれ変わった。
こう考えれば一応この状況も説明が付く)
まだ愛らしいはずの赤子の体で渋面を作りながら考える。
とてもちぐはぐな光景だが、中身がおっさんである為仕方がない。
「ルヴィクー、どこにいるのー?」
女性の声が聞こえ、亨は座っていた体を起こしハイハイをして声のした方向へと歩く。
角を曲がると、直ぐ目の前に声の主がいた。
「ルヴィク!もう、また勝手に出歩いて。
危ないじゃない」
燃えるような赤髪の女性が怒りながらも安心したように亨を抱き上げる。
亨が謝るよう呻きながら女性の頬をぺチぺチと叩くと、仕方がないと表情を崩す。
女性の名はナタリー・コラル。
今世での亨の母親だ。
あの日に亨を抱き上げた女性である。隣にいた男性は父親で、名前はレオ・コラル。
日本の時の両親とは違い、とても亨を大切にしてくれている。
居なくなれば心配して探してくれるし、怪我をすれば手当てをしてくれる。親ならば当然のことではあるのだが、まともな親というものを知らない亨にとっては驚きだった。
人に優しくされることに慣れていない亨は今も戸惑っているが、少なくとも嬉しいと感じてはいた。
「ああ、ナタリー。ルヴィクはいたか」
「ええ、家の裏にいたの。
まったく、どうやって外に出てるのかしら」
ナタリーに抱かれたまま家…というよりは小屋に近い建物の中に入る。
家で間違いはないのだが、家と言うには粗末な造りである。日本で育った亨にはこれがどうしても未だに家には思えなかった。
家の見た目の通り、コラル家はお世辞にも裕福とは言えない。一日二回、家族二人分の食事をするだけでもやっとといった様子だ。
自身がもう少し大きくなって乳離れするときに食事ができるのかどうか亨は少々心配に思っている。
「あんまり心配させてくれるなよ、ルヴィク」
レオがくしゃくしゃと亨の頭を撫でまわす。
あまり気持ちよくはないが、亨は愛情のようなものを感じられるこの撫で方がそんなに嫌いではない。褒めるときも怒るときも頭を撫でて回すレオは、少しなよっとした雰囲気の男だが亨はそんな父が存外好きだった。
お返しとばかりに亨がレオの頬をぺちぺちと叩く。それだけで母親と同様、父親も相好を崩す。
可愛い奴めと夫婦揃って亨と遊びだす。
(可愛いか…俺の方が年上なんだよな)
初めての子供が自分のような異端中の異端であることで、なんだか二人を騙しているような気がして申し訳なく亨は思った。
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