第十四話 黒狼
体を内側から壊そうとする痛みに耐えながら起き上がる。
自分のすぐ近くには昨日食べていた程良く切られた爬虫類の肉が、半分ほど残った状態で放置されている。
どうやらまた食べている途中で気を失ってしまったらしいと、トオルは軽く溜息を吐く。
気を失っていた理由は簡単で、トオルが痛みに耐えられなかったからである。
本来魔物というのは一部を除いて食べることができない。魔物の肉を食べることで魔物の魔力も摂取してしまい、その人間とはかけ離れた質の魔力に耐え切れず、激痛と共に穴という穴から血を噴き出し死んでしまうからだ。因みに『魔視眼』で見ると魔物の魔力は黒に見え、人間の魔力は人によって色が違って見えるが、黒にだけはならない。
では何故トオルが魔物を食べても死なないのか。
それはトオルの魔力に起因する。
トオルの魔力は少々特殊な『変換魔力』といわれるもので、他者への受け渡しが可能なのだ。
本来魔力は何色にも染まっていない無色であるマナを体内に取り込み、自分の色に染め自分が使えるようにしたものである。
そのため他人の色に染まっている魔力は自分の魔力とは完全に別物で、受け取ることはできないし渡すこともできない。
しかしこの変換魔力は他人の物であろうが瞬時に自分の色へと変化させてしまえる。
更に自分の色をした魔力であれば、どのような色の魔力にも変えることができるため受け取るだけでなく渡すこともできるのだ。
因みにこの変換魔力は凡そ二割程度の人が保持している為、少々珍しい程度のものである。
この魔力のお陰でトオルは魔物の黒い魔力も体内に取り込み変換することができ、魔物を食しても死ぬことがないのだ。
しかし黒い魔力というのは自身の色へ変化させるのが難しく時間がかかる上に、体への負担が尋常ではない。
もし魔力容量が小さければ取り込んだ魔力が多すぎてパンクしてしまうし、容量が大きくてパンクしなくとも体が人間である限りは魔力を変換しきるまで体が持たない。
そのため、変換魔力の持ち主であっても魔物を食べることはできない。現状、半魔物と化しており『高速再生』のスキルを持つトオルにしかできないことである。
『高速再生』とは傷の治りが異様に早くなるというもの。本来魔物が持っていることがあるスキルであり、人間が習得できるものではない。改造手術により身につけられたものだ。
ダライア達のせいでこのような目に合っているのに、ダライア達のお陰で命を繋げているというのは何とも皮肉めいたものである。
半魔物といえど半分は人間。いくら『高速再生』があっても痛みだけは防げない。
そのため食事を取る度に激痛に襲われ気を失うといった状態に陥ってしまっていた。
だがトオル自身は気づいていないが、魔物を体内に取り組む度に魔力量は増え、身体能力も上がり、壊された体が再生を繰り返すことで強くなり、常時痛みに襲われているからか痛みに対して鈍くなり気を失う頻度も少なくなってきている。
流石に魔物のスキルを奪うということはなかったが、危険と苦痛に見合うリターンは得られているのだけが幸いだ。
話を戻す。
トオルが食べかけの肉から顔を上げると、トオルをどこか試すような視線で見つめる黒狼がいる。
黒狼がいるのは当然で、今トオルがいる場所は黒狼が塒としている洞窟の中だからだ。洞窟といっても、一際大きい岩の中心に穴を開けただけなのだが。
あの日自分の塒へとトオルを案内してくれた黒狼は、トオルを襲うようなことはなく試すような視線で見つめてくるだけであった。
ずっとトオルを見つめており、トオルの腹が鳴ると少量の肉を千切り渡し、またトオルを見つめる。そんなことを既に三日も繰り返していた。
勿論ダンジョンで時間が分かるはずもなく三日も経っているとは露程も知らないトオルだが、このままでは進展がないと思い意思疎通を試みることにする。
「あー、言葉分かるか?
分かるなら首を縦に振ってくれ」
すると、黒狼は静かに首を縦に振る。
言葉が通じたことに若干驚きながらも、できる限り刺激しないように続ける。
「まずは、助けてくれてありがとう。あそこで助けてもらえなかったら死んでた。礼を言う」
あの時黒狼が爬虫類を殺してくれなかったら、自分は今頃爬虫類の腹の中だっただろうことは確信している。
言葉が通じると分かったのならもう一度礼を言っておくべきだろうとトオルは感謝を伝える。
気にするなといった雰囲気で黒狼が鼻を鳴らしたところでトオルは気になっていたことを尋ねることにする。
「それで、お前は俺に何かを望んでいるのか?
そうなら首を縦に、違ったら尻尾を振ってくれ」
黒狼は尻尾を振る。
では一体何故じっと見つめてくるのだろう。何も用がないのならトオルが多少元気になった所でほっぽり出せばいい。
何かを訴えかけるような、試すような、視線で見つめてくるのは何故か。
トオルは必死に頭を巡らせ、試すようなというのに引っかかりを覚え一つの可能性に行きつく。
「俺を試している?何かをしてみろっていうのか?」
黒狼は首を縦に振る。
「お前と戦えとでもいうのか?」
今度は尻尾を振る。
どうやらトオルが危惧したバトルジャンキーではないらしい。
では何か、トオルは他に黒狼が自分を見つめる以外に何をしていたのか記憶を探る。
鼻で爬虫類の死骸を突いた後にトオルを見る。爪で突いた後にトオルを見る。尻尾で叩いた後にトオルを見る。
どれも爬虫類に関係している。
「じゃあ、その肉を美味く調理しろ、とか?」
お礼に肉を調達してこいというのなら自分に肉を分け与えることは無いだろうと思っての発言だったが、尻尾を振られてしまう。
確かに調理でトオルを試すというのもおかしな話だ。では何だろうか、頭を捻らせトオルは一つの結論に辿り着く。
「そいつを狩ってみろってことか?」
爬虫類を指差し言うと、黒狼が首を縦に振る。正解らしい。
では何故狩ってみてほしいのか。
「肉が欲しいからか?」
尻尾が振られる。
まああの様子からして爬虫類を狩るのをわざわざ人に頼むほどではないだろう。楽勝であろうし。
「…俺が、戦えるかどうか見たいってことか?」
首が縦に振られる。
「もしかしてだが、お前と共闘するに値するか見るためか?」
首が縦に振られる。どうやら答えに辿り着けたらしい。
漸くトオルも納得できた。
確かに爬虫類程度なら黒狼は問題なく狩れるが、黒狼に比肩する魔物がいないとも限らない。
もし共に狩りをできる存在がいるのなら、共闘するのもやぶさかではないだろう。
これはトオルの勘だが、黒狼には知性があるが辺りにいる他の魔物には協力をするほどの頭はないのだろう。
そこに話のできそうなトオルが現れた。ある程度戦えそうなら協力をしようという考えなのだろう。
トオルからしてもありがたい話だが、一つ問題がある。
「その、申し訳ないが、俺はここを出ることを目的としてるんだ。
俺も協力ができるのはありがたいし、お前に恩を返したくはあるんだが、俺は少しでも早く地上へ出たいんだ。
お前はここに住んでるんだろ?だったら、」
少しなら協力できるがずっとは無理だ、と続けようとしたが黒狼が身を起こしたことによって遮られる。
使えないと分かったから襲われるかと思ったが、黒狼の歩みは非常にゆっくりとしたもので敵意もない。
そのままゆったりとトオルの前まで来た黒狼は、顔を右に背け左の首を差し出す。
「触れってことか?」
トオルの問いに黒狼は首を縦に振る。
トオルは言われるがままに左の首を触る。
見た目より柔らかい毛の感触の下に、少しデコボコとしたものを感じ手を止める。毛を掻き分けると、そこにはA-025と刻まれた焼印があった。それはトオルの左胸に刻まれているC-104という焼印と酷似している。
「お前も、俺と同じなのか?」
「ウオン」
肯定するように小さく咆える。
この黒狼も、トオルと同じくあの実験施設の実験体の一つだった。
トオルと同じく、幸か不幸か廃棄されてもここで生きていたのだ。
あの実験施設には現段階でA、B、Cの三つの区分がある。
Aはベースが動物。Bはベースが人族の大人、Cはベースが人族の子ども、となっている。
黒狼はA区のかなり初期の実験体であった。黒狼はトオルと異なり、ここに逃げ込んだのではなく死んだものとして廃棄されたのだが、初期は管理がかなりずさんだったこともありかなり弱ってはいたが生きていた。
どうにか生きながらえた黒狼は、既に冥界に落とされ五年の年月が経っている。本当は黒狼も冥界から出たいと思っているが、冥界の魔物は思いの他強く、他に自分のように生きた実験体が来て協力できるかも知れないと待ち続けていたのだ。
だがこの五年間来るのは死骸ばかり、もう諦めて一匹で脱出を目指そうかと思っていたところでトオルが落ちてきたのだ。
「…そうか…お前も、俺と同じなのか」
自分と同じ。
ゴミのように扱われ、好き勝手に弄りまわされ、挙句こんな所に捨てられる。自分以外に生きている奴なんていないと思っていた。この痛みを共感できる奴などいないと思っていた。
だからか、黒狼が同じだと分かるとすごく嬉しかった。それはトオルだけではなく、黒狼も同じだった。
同じ存在がいる。元は人間と狼でまるで違う存在だが、こんな化け物が自分だけではないということが互いに嬉しくて堪らなかった。
だからか、互いの間に奇妙な絆のようなものが生まれたことをトオルは感じた。
「じゃあ、お前も目指すのは脱出なんだな」
「ウオン!」
「そうか、じゃあ行こうか」
トオルが立ち上がると、その前にやることがあるだろ、と黒狼が目で訴える。
「分かってるよ。
あの爬虫類をぶち殺せばいいんだろ。
お前の足は引っ張らないってこと、見せてやるよ」
トオルの言葉に満足そうに黒狼は頷き、匂いを嗅ぎながら爬虫類を探し先行する。
トオルは確かな殺意の籠った瞳で黒狼の後を着いて行く。
その瞳は、爬虫類ではなく更に先の冥界の外にいる者達への恨みの籠ったような黒いものに包まれていた。
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