第十一話 冥界へ
変化は一瞬だった。
「お前が死ね」
小さく呟いた瞬間、トオルの纏う雰囲気が変わった。
その変化に、鉄猿は体を硬直させてしまい追撃の機会を逃してしまう。
相手は鉄猿以下の存在だ。
鉄猿からすれば多少は硬いものの、容易に狩れる相手のはずだ。
先程まではそう感じていた。
だが、睨まれた瞬間、絶対的な強者を前にした恐怖が鉄猿の中に湧き出た。
ありえない。己の経験がそう言うが、己の本能が全力で警告をしている。
こいつから離れろ、全力で逃げろと。
だが逃げようにも大槌を持った男から強い威圧を放たれ逃げることができない。あの大槌の男に自分は勝てないと鉄猿の経験が言っている。
本能を信じるか、経験を信じるか。
鉄猿が逡巡していると、突如メキメキと木材を砕くような音が鳴り響き意識を戻される。
見るとトオルが巨木をへし折っていた。
まだまだ小柄な子どもが、太さも高さも自身の三倍以上はある巨木をへし折っているのだ。
これには鉄猿のみでなく研究員達も大槌の男も驚きを露にし固まってしまう。
鉄猿が知能と呼べるほどの物を持っていなかったらそのような隙を作ってしまうこともなかっただろう。
なまじ知能があったが為に致命的な隙を作ってしまう。
その隙を、ただ殺すことのみを考えているトオルが見逃すはずもない。
体を前に投げ出すようにして己の持てる全力で駆ける。
右腕を失ったばかりでバランスが上手く取れていないが、そんなことも気にせずに駆ける。
「あああああ!!」
絶叫にも似た叫びと共に巨木が振り降ろされる。
何の心得もない無骨な、力任せの一撃。
本来なら鉄猿も回避出来ていたであろう一撃だが、作ってしまった隙がそれを許してはくれなかった。
長い右腕が巨木によって叩き潰される。巨木はそれだけでは飽き足らず、叩きつけられた地面すらも砕き周辺を隆起させる。
突然の足場の変化に対応できず、痛みに呻く暇さえ与えられずに鉄猿は体勢を崩してしまう。
勝負は一瞬。この瞬間を逃せば自分に勝機は無い。
決断するや否やトオルは巨木を捨て、そのまま鉄猿へ体当たりをかまし転倒させ上へのしかかる。
鉄猿もただやられるだけのはずがなく抵抗するが、体勢の悪さから十全に力を発揮することができない。
振るわれた左腕はトオルの背中を大きく切り裂いたが、致命傷には程遠い。
「死ね」
冷酷に告げ左手を鉄猿の顔へと向ける。
イメージするは鋭く鉄猿の頭ほどの大きさの槍。捧ぐ魔力は、全てだ。
正真正銘全力の『魔力放出』。決して戦闘に使えるような代物ではないと言われる欠陥だらけの術。
だが、それは世間一般での話であり、今のトオルには当てはまらなかった。
放たれた衝撃は、鉄のように硬いと言われる鉄猿の皮膚を一瞬にして貫き中にあった脳までもぐちゃぐちゃに押し潰す。
あまりの衝撃に耐えられず、鉄猿の頭は一瞬にして、跡形もなく消え去ってしまった。
頭を潰され生きていられるはずもなく、鉄猿はあっけなく事切れた。
だが、トオルの戦いはまだ終わってなどいない。
鉄猿を殺してもまだ研究員達と大槌の男がいる。まあ研究員に関しては問題はないだろうが、大槌の男に関しては別だ。
鉄猿よりも強い、とトオルは感じ取っていた。
例え鉄猿と同程度であったとしても、先程の『魔力放出』によってトオルの魔力は空だ。魔力が枯渇していると死ぬまで行かなくとも体を動かすことに影響が出てくる。
鉄猿のように正面からやり合ったところで勝ち目はないだろう。
ならば、取るべき行動は一つだ。
「ま、待ちやがれ!」
逃走だ。
未だ呆けてしまっていた大槌の男に背を向け全力で走る。
魔力枯渇の影響で運動機能が阻害され、慣れない森に足を取られるが死にもの狂いで走る。
チャンスは今しかない。
これを逃す訳にはいかない。
その思いがトオルを駆り立て、どうにか大槌の男に追いつかれないでいる。
改造手術の影響から想像以上にスペックが高くなっている己の体に複雑な思いを抱きつつ、周りを見渡しながら走る。
今は付かず離れずを維持出来ているが、少しでも油断をすれば追いつかれゲームオーバーだろう。
その思いから必死で現状を打開できるものを探す。
だが見つからない。
人が訪れるような場所で実験を行うはずもない為人などおらず、周りには樹ばかりで逃げ込めそうな場所もない。
このままではいずれトオルの体力が尽きるのがオチだ。長くは持たない。
それでも諦めるという選択肢は無かった。
諦めたくなかった。
生きたいと思った、生きていたいと思えたのだ。
その感情を、もう二度とトオルは放棄などしたくなかった。
そして、その願いは通じる。
唐突に視界を覆っていた木々が無くなり、荒れた大地に変わる。
そしてその大地に、ポツンと大きな穴が開いている。
穴は深く先が全く見えない。地獄にまで続いていると言われても信じてしまいそうなほどだ。
「クソッ!待ちやがれ餓鬼!」
その穴を見た瞬間、大槌の男が焦ったように声を上げる。
その焦りようからトオルは察した。あそこまで行けば逃げ切れると。
同時に図書館で読んだ本にあった一つの話を思い出す。
四方を森に囲まれた荒れ果てた大地の中心に、冥界と呼ばれるダンジョンがある。という話を。
ダンジョン。
罠や魔物などの危険因子がひしめく閉鎖空間のこと。
多くのダンジョンは宝物を保管しており、その宝物で獲物を呼び込み生み出した魔物や罠によって獲物を仕留め己の糧とし成長する一つの生物だ。
一攫千金を夢見て挑む者も多いが、その多くが非常に危険で実際に攻略をできたという記録は少ない。
これの他に人口的に造られたダンジョンや、天変地異により迷宮が造られそこに独自の生態系が生まれたことによってダンジョンとなった物もあるが、これらは極々稀である。
ダンジョンに挑む場合は決して一人で挑んではいけない。長い時間を掛け入念な準備をする必要があるだろう。
以上、『一攫千金指南書』より抜粋。
冥界もそのダンジョンと呼ばれる物の一つだ。
そこに飛び込んでしまえば、少なくとも大槌の男が後を追ってくることはないだろう。例え追ってくるとしても今すぐではない。多少なりとも時間を稼ぐことはできるはずだ。
一人でダンジョンに入るなど自殺行為に等しい。それでも、ここで捕まれば殺されるのだ。
ならば少しでも可能性のある方へ掛ける。
そう決心すると、トオルは男が制止するのも聞かずに底の見えぬ闇の中へその身を投じた。
◇◆◇◆◇
恐らく冥界は世界で一番有名なダンジョンだろう。
理由は単純で、この世界で最も危険であるからだ。中の魔物は最低でもBランクしか居ないとまで言われているほどだ。
それは事実であるが、人々はそう予想をしているだけで実際にBランク以下はいないということを知らない。
何故なのか、それは誰一人として冥界から生きて帰って来たものがいないからだ。
生きて帰るくらい誰にでもできる。入ってまた直ぐに出てしまえばいいのだから。
皆そう考える。だが、それができないのだ。
冥界は上層から下層へ行くことは可能だが、下層から上層へと戻ることができない。それは一階層から入り口も例外ではない。
その為、出るには最下層まで攻略をするしかないのではと言われている。無論、答えを知る者はいないのだが。
そんなダンジョンへと、トオルは飛び込んだのだ。
「馬鹿な餓鬼だ」
大槌の男はトオルが飛び込んでいった穴を遠くから見ながら吐き捨てるように言った。
「まあいいか。どうせあそこに廃棄する予定だったんだ、殺す手間が省けたってもんだ」
大槌の男に下されていた命令は、鉄猿との戦闘を記録した後殺害し冥界へと廃棄しろ、という物だった。
冥界はその危険性から聖国が管理している。そのことを利用し、ダライアは冥界に不要になった実験体を廃棄している。
万が一の為に一応殺してから廃棄しているが、生きていたとしても生き残れるはずがない。それがダライアの、施設全体の考えだった。
事実として未だに出てきた者は一体としていない。
自分から死地へと飛び込んだトオルを追わなかった大槌の男を責める人はいないだろう。
「C-104は死亡。廃棄した。撤収するぞ!」
かなり遅れて息を切らせながら到着した研究員達に大槌の男は指示を出す。
冥界へ飛び込んだトオルは死んだと報告して。
それが大きな間違いと知るのは、まだ先のこと。
ここまでお読みいただきありがとうざいます。
現在トオルのスキルは、製作・解析・魔視眼・高速再生、となってます。魔力放出はスキルには含まれません。作中でしっかり説明はしますが、参考までに。
なんかもう手術とか実験とかで色々おかしくなっている主人公ですが、もうちょっと頑張ってもらいます。
次回の更新は明日の0時頃の予定です。