第十話 死にたくない
馬車に揺られながらルヴィクは虚ろな目で外を眺める。瞳に力は無く、感情らしい感情は見られない。
数か月ぶりの外だが、気持ちが晴れることはない。
相変わらずルヴィクの前には鉄格子があり、それが今でも自分の立場が変わっていないことを物語っている。
外を見るのを止め、自分の体を見る。そこにあるはずの右腕は見られない。
あの日、右腕は肩口から完全になくなってしまった。だが、それ以外に部位の欠損は見られない。
理由は今日処分される前の実験の為だ。実験内容をルヴィクは知らないが、片腕以上奪ってしまうと実験にすらならなくなってしまうかららしい。
何も考えることもなく暫く馬車の揺れに身を任せていると、唐突に馬車が動きを止める。
「出ろC-104」
昨日ルヴィクの右腕を大槌で砕いた男が檻を開け、ルヴィクに外へ出るように指示する。
ルヴィクは逆らわずに黙って立ち上がり檻から出て馬車から降りる。
着いてくるように言われ、研究員の集団の後に着いて行く。
降りたところは完全に森だった。人が滅多に訪れないのか道らしい道がない。
久しぶりにまともに歩くからか、何度も躓き転びそうになりながら進む。
「止まれ」
先頭を歩いている男が指示を出し全員がそれに従い動きを止める。
男の視線の先には異様に手足の長い猿が一体こちらを警戒するように立っている。
男から放たれる威圧感から、猿は逃げることが出来ずにいるようだ。
「枷を外せ」
男の指示によりルヴィクの口枷と足枷が外される。
拘束からとかれたルヴィクを男は掴み上げる。
「いいか、お前にはこれからあの魔物と戦ってもらう。
相手が死のうがお前が死のうがどっちでもいいが、逃げるなよ。
まあ逃げようとしたら以前のように俺が痛めつけて殺すだけだからどっちでもいいが」
男はそれだけ告げると、ルヴィクを猿の魔物の前へと放る。
鉄猿。それがあの魔物の名前だ。
鉄猿は文字通り鉄のように硬い体と、鉄すらも切り裂く爪を持つ猿型の魔物。猿型の魔物にしては珍しく群れを組まないことで有名だ。
魔物には危険性に応じたランクがあり、下はFから上はAまである。鉄猿はCランクの魔物で非常に危険だ。
とても子どもが勝てる相手ではない。
まあ、勝てようが勝てまいがルヴィクには関係がない。鉄猿に殺されるのでも、研究員に殺されるのでも変わりはない。結末は同じだ。
漸く自身が死ねる時が来たのだとどこか嬉しそうにルヴィクは立ち上がる。
「ッ!」
鉄猿を正面から捉え、ルヴィクは小さく息を吐いた。
今まで実験施設で受けてきた見下すような視線と違う、明確な殺意の込められた視線に恐怖を感じたからだ。いや、恐怖だけではない。
(なん…で?)
自分は確かに死を望んでるはずだ。
これ以上苦しみたくない。これ以上苦痛を感じたくない。
そう思っている。だから死にたい。なのに。
(何で今、死にたくないって)
初めて感じる明確な死の気配に、色を失っていたはずのルヴィクの心が乱れる。
ぐるぐると思考の渦に陥るルヴィク。だが、鉄猿がそれを無視していてくれるはずもない。
「ぐ…ぁが」
気が付いたらルヴィクの体は宙を浮いていた。
三メートルは軽く吹き飛び、樹に直撃することで漸く止まり、直撃の衝撃で樹は折れてしまう。
普通なら死ぬ。良くて大怪我だ。
だが、ルヴィクは殴られた頭から軽く血を流す程度だった。
もしルヴィクが平常だったら自身の体の硬さに驚いていただろうが、今はそれどころではなかった。
殴られ、血を流しても尚ルヴィクは自分の感情に混乱していた。
自分は死にたがっていた。それは間違いない。
なのに、どうしてこんなにも。
「…死にたくない」
生きていたい。
まだ死にたくない。
美味いものだって食べたいし、柔らかいベッドで寝たい。遊びもしたいし、この世界を見てみたい。
前世のようにもう後悔したくないし、幸せを感じてみたい。
まだ死ねない。まだ死ねないのだ。
親に捨てられ、あんな奴らに利用され、こんな猿に殺される?
そんなことあってはならない。
ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな!
何故自分だけがこんなに苦しまなければならない。何故こんな所で死ななければならない。
死ぬのなら。
「お前が死ね」
生気の無かった濁った眼が変わる。鋭く獰猛で、生を望む、まるで猛獣のような瞳へと。
この瞬間、芳賀亨でもルヴィク・コラルでもない、自らをトオルと名乗る化け物が誕生した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
心の変化を表現するのは難しいですね。
ちょっと強引だと思いますが、ご勘弁いただければ嬉しいです。
主人公の名前が亨からルヴィク、そしてトオルになりました。
何度も変わりすみません。これからはトオルで固定です。まあ主人公自身がトオルと名乗るのはまだ先なのですが…。
次回の更新は明日の0時頃の予定です。