第九話 右腕
未だにぶれる視界に気持ち悪さを覚えながら、ルヴィクは体を起き上がらせる。
ルヴィクの目はここに来た初日に潰されたはずだ。確かに数日は何も見えなかったのだが、最近は常に目眩のような状態ながらも見えるようになっている。しかも、不思議なことに魔力やマナといった不可視な物質も見えるようになっている。
察するにあれは目を潰すのではなく、改造する為にやられたことなのだろう。
魔力、マナを直接視認するのは『魔視眼』と呼ばれる魔眼の一種だ。魔眼は総じて強力な能力であり、大きなアドバンテージとなる物だ。
だが、それを得られた喜びなどルヴィクには一切なかった。
当然だろう。ここに来てから毎日毎日実験実験。最悪の日々だ。
麻酔もなしに体を開かれ中に何かを入れられたり、訳の分からない液体を体に入れられたり、臓物を取り出され、魔物と合成されていた。最低最悪な人体実験を受けているのだ。
吐き気と激痛、憎しみと悲しみしか存在しない日々。自分に何が足りて何が足りないのか、自分は本当に人間なのか、それさえも分からない。
既に涙など枯れ、ただただ死を願うことしか出来ないでいた。
何よりも最悪なのが、これだけのことをされていながらルヴィクが未だ人の形をしており、人のまま生きていることだ。
大抵の実験体は直ぐに死んでしまうか、化け物へ変化してしまう。そのほとんどが魔物と合成されたのが影響だ。
だがルヴィクは、自身の特殊な魔力の影響で死ぬことがなかった。
他の実験体のように死ねたのならどれだけ楽だろうか。
ルヴィクはただ死を願うのみで、ここから生きて出れるなどという希望は一切なくなっていた。
ルヴィクがただ誘拐されただけならまだ希望はあっただろう。しかし、ルヴィクは誘拐されたのではなく売られたのだ。
ナタリーとレオの様子がおかしかったあの日、夕飯には睡眠薬が入っていた。眠らされたルヴィクはそのまま両親の手により売り渡されたのだ。
このことをダライアに嘲笑と共に告げられた時は否定したかった。だが、自分が眠らされたのは事実であるし、自分を売ろうとしていたのであれば様子がおかしかったのも説明が付く。
そしてなにより、疲弊しきったルヴィクの心ではそれを否定することが出来なかった。
自分は裏切られ捨てられた。
そのことがルヴィクの心にとどめを刺し、絶望させてしまった。
ゴウン、と物々しい音を立てC区画の扉が開く。大柄な男が、元は人間であったろう蛇のような少年を引きずり入ってくる。
ルヴィクの前の牢屋が開けられ、その中に少年が投げ入れられる。
少年の口は開かれたままで、異様に長い舌が力なく出ている。瞳に光は無い。呼吸もしておらず、体から魔力が漏れ出ている。死ぬことが出来たのだろう。ルヴィクは不謹慎にも羨ましいと思った。
実験体は死んでも直ぐには廃棄されず、魔力の漏出が収まるまで元いた牢屋に入れられる。何の為にこんなことをしているのかルヴィクには分からないが、どうでもいいかと目を逸らす。
「C-104、来い」
少年を投げ入れた男が今度はルヴィクの牢屋を開け、ルヴィクを呼び出す。
ルヴィクは抵抗せず、素直に従い牢屋を出て男に着いていく。
(今日は死ねるといいな)
◇◆◇◆◇
ルヴィクが連れて行かれたのはいつもの気が滅入るような真っ白い部屋だ。
いつものように台の上に乗せられ、拘束をされる。
暫くそのまま放置されていると、遅れてダライアが入ってくる。別の個体の実験のときは来ないのだが、ルヴィクを使った実験の時だけはこの男は必ず現れる。それだけルヴィクは珍しい実験体なのだ。
「やあC-104。今日もよろしく頼むよ。
と言いたい所なのだが、残念な知らせがあるのだ」
芝居がかった声音でダライアは言う。その眼には濃い嗜虐の色が浮かんでいる。
「今日でキミとはお別れなんだ。
キミは非常に多くのデータを我々に与えてくれた。
キミのように他者の魔力を受け取ったり自身の魔力を渡せる特殊な魔力を持った個体は少ない。更にキミ程に大量の魔力を保有している個体はいなくてね。大いに助かったよ。
本当はもっとキミからデータを取り改造してやりたいのだが、残念なことにキミに価値はなくなってしまった」
ダライアは周囲の人間に指示をし、何かを取って来させる。
「我々としてはキミを完成品にしたかったのだが、弄り過ぎてしまったからか望む方向に変化が見られなくなってしまってね。
只の化け物になり下がったキミにもう価値はないんだ。だから、処分が決まったよ。
我々の役に立てなくなることは辛いだろうが許してくれ」
処分。その言葉を聞いてルヴィクは漸く死ねるのかと、もうこれ以上苦しまなくて済むのだと安堵が浮かぶ。
「我々にとっても悲しい選択なのだ。
だが安心してくれ、最後にキミには役に立ってもらうからな」
ダライアに指示されていた人間達が戻ってくる。その手には大槌、剣、杖と様々な武器を持っている。
「我々はキミに多くの改造手術を施してきた。結果、キミは人の形をしたまま魔物となった。新種の魔物だ。
そんなキミから多くのデータを採取したが、まだ取れていないデータがあってね。分かるかい?」
ダライアが顎で指示をする。
大柄な男が持っていた大槌をルヴィクの右手へと振り降ろす。
肉を潰し骨を砕くおぞましい音が部屋に鳴り響く。
ルヴィクは激痛に顔を歪ませ絶叫する。が、口枷が邪魔をし声にならない音が口の中で反芻するだけに終わってしまう。
苦しむルヴィクを嬉し気に見下ろし、ダライアは更に顔を歪んだ笑みで染める。
「耐久度だよ。
このデータばっかりは最後になるまで取れないからね。有用性がある内に壊してしまう訳にいかないからな」
拉げた右手に剣閃が走る。
潰れた右手上部が中心からずるりと滑るように落ちる。
「ふむ、耐久度はそこまで高くないな。普通の人間よりは大分硬くなってはいるが」
杖より放たれた風魔法がミキサーのようにルヴィクの右手を刻み削っていく。
「ほお、魔法に対しての耐性は結構高いな。中々肉が削り落とせていないぞ。ふっはは、面白いな」
風の魔法が消える頃には、ルヴィクの右手首から上は完全に消失してしまっていた。
「さあC-104。頑張ってくれよ。
ああ、安心したまえ」
血が流れ出る右手首を氷漬けにされる。その上から大槌を叩きつけ、肉と骨を砕き周囲へ飛び散らせる。炎で熱され、炭化し少しずつ右腕が消失する。何度も剣を振り降ろし、斬り上げ、骨ごと腕を断ち切る。
潰され、斬られ、燃やされ、削られ、抉られ、凍らされ。何度も何度も甚振るように繰り返され、右腕が形を失っていく。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!でもこれで、これで終わるんだ。
これが過ぎれば自分は漸く死ねる。
だが、この最低な世界がこの程度でルヴィクを解放などしてくれるはずがなかった。
「決して、キミを殺しはしないから」
ちょっと展開早くてすみません。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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