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最弱獣の献身  作者: 白銀トオル
第一章 獣の噺
5/26

05 微笑み合う

2015.08.03 更新:1/1


ひとまず、書き溜めた分はこれで全部です。

またこれからのんびりと執筆していきます。

 夜の世界は、薄れゆく色と共に終わり、魔境の森に陽が昇る。

 森を切り開いて造られた里の天辺には白く明らんだ空の色が広がり、薄い霞が森にたなびいた。

 里の一番隅に構えたサァラの住処にも、白く明けた朝の光が届いていた。



 誰に起こされるでもなく、規則正しくほぼ同じ時刻頃に起きるサァラは、いつものように瞼を押し上げた。大自然ただ中の朝は清々しく、朝露を含む爽やかな匂いがサァラの住処にも吹き込む。

 けれど、サァラは瞼を開けていながら、全く動けないでいた。



 天使が、自分の胸に、しがみついていた。



 ナーヴァルに生まれて、十数年(推測)。此処まで叫び散らしたい朝を迎えたのは、初めてだった。


 よし、まずは落ち着こう。此処で感情のままに叫んでしまったら駄目だ。獣の雄叫びに勘違いされてしま……あ、獣だった。

 自問自答を繰り返しつつ、サァラはギギギと軋む音を立てるがごとく慎重に緩慢に己の胸を見下ろす。胸というか、正確には喉と鎖骨辺りを覆う他よりも三割りふっくらした毛――犬や猫の、胸のあの毛を是非想像して欲しい――だ。其処にしっかりと、小さなもみじのようなおててがしがみついている。きゅっと握られてはいるが、痛くもなんともなく、むしろその感触がぞわぞわとくすぐったい。そして、今日も輝かしい金髪が、サァラのその毛に寄り添っている。


 あまりの可愛さに、絶叫しない方がおかしいというものだ。


 しかし少々疑問なのは、何故かサァラも、少年をぬいぐるみのように胸へ抱えている事だった。剥き出しの胸――白い毛皮を纏っているとはいえ、薄いそれは防御や隠蔽には向いていない――に小さい身体を寄り添わせている。ぽかぽかと温かい、いや少々暑い温もりが抱えた少年から伝わる。


 夜更けの事は覚えている。宥めるつもりで少年の横について、ぽんぽんと撫でていた。途中から記憶がないので、盛大に寝落ちをかましたのだろう。まあそれはいい。

 だが、此処までがっしりと抱えてはいない。さらに言えば、邪な感情だって抱いていない。

 見れば少年に掛けていた毛皮の布団もめくれているので、多分きっと、暑くて少年が蹴飛ばし、そして手近にあった白い毛皮にしがみついたのだろう。この場合は、喉と鎖骨を覆うもっふもふの毛皮だ。


「……」


 で、どうしよう。この状況。


 冷静に分析している場合ではない。何が大変って、微動だにせず動きを止めるものの、朝は朝で仕事があるのでこのままというわけにもいかないのだ。また、サァラとしてはただ和んでしまうだけだが、少年が起きたらさぞや驚き恐怖に青ざめるだろう。

 いくらもやしっこで最弱の名を欲しいままにするサァラといえど、端から見ればどれも変わらず、凶悪な森の覇者ナーヴァルだ。視界一杯の赤いたてがみの白獣なんて、びっくりどころの話でない。

 マイナスイオンたっぷりの爽やかな朝から、そんな双方の心を抉る切なさはお呼びでないのだ。


 よ、よし、そっと、そおっと起きよう。


 誰に言うでもなく心の中で呟き、サァラは身を退ける。喉の毛にしがみつく小さなもみじをそっと引き剥がし、じわじわと身を後ろへ下げる。少年の身体を抱いていた腕をかつてないほど慎重に引き抜いてゆく。決して揺らさぬよう、起こさぬよう。思わずサァラの顔も真剣に研ぎ澄まされる。

 だが当然だが、少年の下にある腕を抜けば、その分高さがなくなるので。


 カクンッと、少年の身体がずり落ちた。


 あ゛っと、サァラは息を飲み込む。固まったサァラの向かいで、少年が寝ぼけ眼を開く。ナーヴァルの真紅の瞳とは対照的な、綺麗な青い瞳が現れた。少年は未だ半分ほど眠りの世界にあるようで、かなりおぼろげな眼差しをしている。寝起きは格段に可愛らしくなるらしい……ではなくて。

 物語でいうところの、背中と背景に汗が滝のごとく流れ落ちるサァラは、息を詰める。目の前に獣人姿のナーヴァルが居れば、少年はきっと恐ろしい目覚めになるだろう。最悪、叫ぶだろうか。

 オロオロと窺っていると、少年は数度瞬きを繰り返し、そしてぐしぐしと瞼を擦る。幾らかはっきりとした瞳が、サァラを見つめる。ふわりと、けれど、真っ直ぐに。

 明らかに視線はぶつかっていた。

 けれど彼は、サァラの杞憂をすり抜けるように、再び瞼を下ろす。怯えるでもなく、叫ぶでもなく、二度寝を決めた子どもそのものの仕草で。


(……あれ?)


 少しの間、サァラは拍子抜けしていた。てっきり、青ざめて震えられると思ったのだけれど。

 チチチ、と外から聞こえる鳥の鳴き声が、緊張の糸を切ってゆく。普段サァラが感じる森の静かな朝が、不思議な違和感と共に流れ始めた。

 身構えていたところを呆気なく否定されたといおうか、裏切られたといおうか、これはこれで良かったのに何故か感じる心のそよ風。呆然とするサァラを動かすように、小鳥の声がなお響く。サァラはひとまず違和感はそのままにし、いそいそと起き上がって毛皮のベッドから下りた。

 見下ろす先には、くうくうと寝息を立て始めた、金髪の天使。


 ……まあ可愛いし良いか。


 あっさりと違和感の究明を放り出し、犬に近い長毛の赤い尻尾をふりふり揺らすサァラもサァラであった。




 朝の一仕事、朝食の準備をすべく、白い陽を受け露を輝かせる爽やかな森を走って食べ物を集める頃には、白い空も青く染まる。

 今朝の朝食は、森のあちらこちらで自生している野菜のスープである。偉大なる宝の山から頂戴した、野営用の鍋に水と野菜、それと細かく切った肉を入れ、コンソメ的な味のついた粉末を投入。くたくたに柔らかく煮れば、なんちゃって野菜スープの完成だ。記憶のコンソメとは少々異なるものの、お腹に優しい味である。

 そしてこの大自然の中では貴重だったコンソメっぽい味の素は、これでいよいよお別れだ。

 良いんだ、病人の為を思えば!


 だが気になったのは、サァラがスープを作る間、ずっと向けられていたその少年の視線である。サァラの一挙一動を見つめるのは先日と同じだけれど、何と言うか、刺々しさがないというか、興味深そうにしているというか……どう表現したら良いだろう。奇妙な居心地の悪さを覚え、気を落ち着かせるように頭の三角の獣耳をパタパタと跳ねさせる。

 そして、完成したスープを器によそって匙を添え、ベッドの中に座るの少年へ差し出した時も、それは同じだった。まだ少々気だるく具合は悪そうにしているが、幾分落ち着いた雰囲気を浮かべた少年は、今までは困惑して受け取っていた器を当然のように両手で持った。そしてベッドの隣の地面に座ってスープを啜るサァラを見ながら、少年は少しずつはふはふと咀嚼する。


 可愛いんだけど……あれえ? 何だ、何だこの違和感は?


 押し寄せる謎の違和感に終始首を傾げて、サァラと少年の朝食は終了した。




「少年、身体を拭こっか」


 後片付けを済ませた後は、少年のお着替えの手伝いだ。夜の内にきっと汗をかいていると思われるので。

 畳んだ服を見せ、濡れタオルを身体に滑らせる動作をすると、理解したようで金髪の頭がこっくりと上下に揺れた。……やっぱり妙に素直な気がする。悪い事ではないのだけれど。

 すぽぽんっと服を脱がせた少年の、擦り傷だらけの細く白い身体に濡れタオルを押し当てる。痛めないよう優しく滑らすサァラを、少年はキラッキラの青い瞳で見上げている。明らかにサァラの赤い目と視線がぶつかっているが、その無言の主張をくみ取れるはずもなく、サァラの方が汗をかく羽目になる。

 な、なあに少年、引っ掻いたりなんてしないよ?!


 謎の視線攻撃を受けながら、綺麗に拭いた少年の身体に新しい服を着せてあげる。(多少不格好なのは許して欲しい)丸い額に指先をぺとりと押し当てると、やはりまだ熱を持っていたが、昨日ほどではない。サァラはほっと安堵して額に触れた手を離す――――が、その時。


 がしりと、少年の小さな手がサァラの白い指を握った。


 思わずびっくりして、三角の耳がびんと立ち、尻尾までも跳びはねる。全身を覆う薄い白毛が、ぶわっと逆立った。

 きゅっと握る子どもの手は、圧倒的に小さい。サァラがいくらナーヴァルの群れの中でもやしっこに認定されていても、種族の違いによる差は明確で、本当にもみじのようだ。これほどだっただろうかと疑問を抱いてしまうくらいに、少年の小さな手は弱く頼りなく、そしてぽかぽかと温かかった。

 サァラは何度も少年と自らの手を見比べる。獣人の姿は一見すると人と近い存在に見えるけれど、所詮は自然の中で生きる猛獣。獣の頭部を持つ雄とは違い、人間のそれに近い面を持つ雌でさえ、強靱な存在だ。

 振り払おうと思えば小さな手くらい、いくらでも簡単に出来るのに。

 サァラは、何やら懸命に白い獣の指をにぎにぎする少年へと、困惑を覚える。


「少年……?」


 まだまだあどけなく幼い面持ちを緊張に強張らせ、少年はサァラの手を見下ろしている。真っ白な毛が薄く覆うすべらかな獣の手の、あちらこちらをにぎにぎする仕草は、好奇心というよりはまるで確認しているようでもあった。彼の触れるものがどのような形をしているのか、どういった存在なのか。

 神妙に見下ろす青い瞳は、サァラを時々じっと見上げる。小さな唇が開いて何かを紡ぐけれど、サァラには届かない。


 ――――ただ。

 この森では絶対に感じる事のない、得られるものでない、その柔らかさと温かさがサァラの身体の奥にじわりと響いた。


 手さぐりで何かを確認しようとする少年を、サァラは何も言わず見守る。遥か彼方に置いてきてたものを、思い出したような懐かしさがあった事を……サァラは気付かないふりをした。


 しばらくサァラの手を握っていた少年は、満足したらしくそっと両手を離し顔を上げた。あどけなさの中に感じる、真っ直ぐとした聡明さ。自らよりも大きく、また強靭な異種族のナーヴァルを前にして、彼は震えずじっと見ていた。

 少年の何が満たされたのかは分からないけれど、サァラが休むように促すと、彼は大人しく毛皮のベッドに埋まる。もぞもぞと身じろぐ少年の頭を撫でると、彼は瞼を下ろした。

 それを見届けた後、サァラは別の仕事に掛かる。取り替えた服を良い匂いのするハーブらしきものと一緒に洗い、日向で乾かす。その間、サァラの心は不思議と温かく、穏やかな気分に包まれていた。


 ――――そういえば。


 ふと、サァラは思い出す。そういえば、彼が怯えずに自分を見たのは、初めての事だったような気がする、と。



◆◇◆



 体調を崩した少年の看病を始め、さらに数日。四、五日ほどは、あれから経過しているだろうか。

 その頃には少年の熱も下がり、病人食ではない食事も食べられるようになった。怯える事なく触らせてくれた丸い額からも、汗の滲む熱はない。

 超凶暴生物しか存在しない大森林を生きるナーヴァルは、基本的に怪我や病気は気合いで治すという脳みそ筋肉な公式図がついて回るので(というか滅多な事がない限り怪我なんてしない)、熱が下がらなかったら不安だったが……。

 一先ずは安心だと、サァラもようやくほっと息を吐いた。


「元気になって良かったね、少年」


 ベッドの縁に腰掛けた少年の正面、膝立ちになり座り込んだサァラは彼と視線を合わせる。ちょっぴり人間よりも大きいので、丁度良く目線の高さが合った。


「あ、そうだ、蜂蜜レモン。また作ったよ」


 思い付きで作った蜂蜜レモンは、どうやら少年のお気に入りになったらしい。水筒らしきものを差し出すと、彼は両手を出して受け取った。小さな手で蓋を開けて器にトポトポと注いで飲む姿は、正に天使。

 と、少年は空になった器に再び蜂蜜レモンを注ぐと、サァラへ差し出した。お前も飲め、という事だろう。少年からのまさかのアプローチに、サァラはびっくりした。

 早く早く、とばかりに小さな足をパタパタとする少年に押され、サァラは呆然としたまま受け取り、口をつける。自分で作っておきながら、とても美味しかった。喉を潤し少年を見ると、彼は満足そうに息を吐きだし、ぺこりと頭を下げた。小さな右手を小さな胸に添えて、まるで物語の騎士みたいに誇り高く可愛らしく。


 そして、揺れた金髪が上がると。



 初めて、彼が微笑んだ。

 サァラ――森林の獣、ナーヴァルの前で。



 将来の美貌を予想させる少年の面持ちを、あどけない笑みが彩る。緩んだ白い頬と青い瞳にはこれまで見てきた怯えなどの類はなく、まっさらな感情が映し出されていた。

 そしてそれは、間違いなくサァラへ向けられていた。


 それは少年が、信頼を抱いてくれた証だった。


 何処か信じられない境地で、サァラは彼に手を伸ばす。これまではその指先に怯え身を竦めていたのだが、今はサァラの指をぎゅっと握って笑みを深めている。輝くような見事な金髪が、一段と光を帯びているいるようにすら見えてきた。


 十歳にも満たない少年の笑みに、これほど喜んだ事は前世においてもない。

 ぶわわっと全身が震え、長い尻尾がぶんぶんと揺れる。サァラは自らの手のひらをすぼめ、少年の手を包みこむ。


「ありがとう、少年」


 彼にとって、この森林は恐れるものではあり、覇者として君臨するナーヴァルは遠ざけるものに違いない。これまでの彼の様子が、それを物語っていた。まして怯えているところにナーヴァル達から取り囲まれるというさらなる恐怖を投下されたのだ、気を許してくれるはずがないと、サァラだって分かっていた。どれほど人に近い外見をしても、結局は獣なのだと。

 けれど少年の、僅か一片ほどの場所でもいい、近付く事を認められた無防備な笑みはサァラの心を喜びで震わせた。


「――――」


 少年は首を傾げ何かを告げる。通じないのにとても温かくなるのは、何故だろう。サァラの口元が、笑みで緩む。


「ありがとう」


 少年は知らない。知らないままで構わない。

 目の前にいる人の形をしただけの雌の獣が、かつては人であった事も。その獣が、よりにもよって忌み嫌う人間に一度でも良いから会いたいと願った事も。

 そんな事は知らなくていい。ただ信頼してくれる事が、感謝を口にするほどに嬉しかったのだ。


 この森の中で少年は異物だろう、けれどそれはきっとサァラも同じだ。だから。


「絶対、守るからね」


 サァラは、少年の小さな手をきゅっと握りしめる。彼はこの白い獣の指を握って笑っていた。




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