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最弱獣の献身  作者: 白銀トオル
第一章 獣の噺
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04 子守唄を口ずさむ

2015.08.02 更新:1/1

 今日も今日とて超狂暴な生物がうじゃうじゃ生息する魔境、原始の大森林。

 その一角――ナーヴァルの里の外れで、大事件が起きた。


 金髪の天使――少年が、体調を崩した。




 ナーヴァルの里の外れで暮らしているサァラの寝床は、普段から静かだ。けれど今はその静けさが、頼りない呼吸を浮き彫りにさせる重々しさを感じさせた。

 サァラの寝床には、苦しげに掠れる息遣いは幾度も繰り返される。毛皮のベッドに埋まる小さな身体を、さらにぎゅっと小さく丸め、少年はぷるぷると震えている。覗く金髪の輝きも、心なしか弱々しく窺える。


 それを、サァラは寝床の縁にしゃがみ込んで、おろおろと見下ろすばかりである。

 本当は抱きしめてあげたいけど、そんな事をしたら少年の全身が複雑骨折してしまう!

 魔境の覇者ナーヴァル――の中の最弱もやしっこでも、その身体に流れる血は伊達じゃない。今はそんなの必要ない!

 せめてそっと撫でて慰めるものの、苦しそうな音や表情には胸がぎゅうっと締め付けられ、サァラまでも眉を下げてしまう。


 真っ白な薄い毛皮を纏い、背を覆うほどの長い真紅の髪。獣人の姿を捨て本来の姿を取れば、同胞達よりも小さいといえど十分に巨躯と表せる四つ足の猛獣となる。

 要するに、ますますおっかなくなるのだ。


 そんな強い生物も、今は金髪の天使の不調で笑えないほど形無しだった。



 金髪の少年が寝床から起きあがれなくなったと気付いたのは、清々しい朝だった。

 さすがに土間で寝させるわけにもいかないし、かといって自分がベッドに上がってしまっては気が休まらない。サァラは少年にゆったりとベッドを使って貰う事にして、土間に別の毛皮を敷いてその上で丸くなって朝を迎えたのだけれど。

 苦しげな少年の息遣いが、サァラを目覚めさせた。どうしたのかと慌てて駆け寄って触れて、驚いた。白い肌が赤く染まるほどに、とても熱かった。



 家から少し離れたところに流れるせせらぎから水を汲み、布を浸して絞る。それを少年の小さな額に乗せ、或いは滲む汗を拭ってあげる。


「そうだよね……具合悪くもなるよね」


 そもそも、よく考えれば体調を崩さない方がおかしいというものだ。

 人間の記憶をうっすらとだが持つサァラだからこそ、過ごす環境の急激な変化というのは馬鹿にならないと知っている。それに、文明のある場所からいきなり森の中に放り投げられ、自分よりも大きく恐ろしいナーヴァルに囲まれているのだ。こんなにあどけない、十歳にも満たないような少年だというのに。

 どれほど、心細いだろうか。


 ううん、と呻くように、少年が身じろぐ。せっせと額を拭いてあげながら、改めてサァラは少年の事を考えた。


 よく考えたら、とんでもない現状ではないだろうか。

 そもそもどうして、こんなに小さな少年が、森へ入ったのだろう?

 確かガァクなどの言葉では、森を荒らした大人の人間が、この少年を追いかけているようだと言っていた。その大人達に追われていたのなら、どうして追われるような状況になったのか。

 まさか……人攫いかッ。金髪で色白なこれほどの美少年なのだ、考えられる。許すまじ、もしそうだったらガァクの鉄槌は大変グッジョブだ。


 ……と、考え出したら妄想ばかりが膨らんでしまうので切り上げるものの、どれだけ考えてもサァラが少年の真実を知る事はない。けれど、彼の置かれた状況を客観的に見ると、憐憫を抱かずにいられなかった。


 ……まあその原因の一角を担うのは、きっと私なんだけどね!


 今日も心の涙は滂沱のごとく溢れている。大丈夫、悲しくない。



 疑問は一先ず置いておき、まずは目の前の病人が最優先だ。

 サァラは一度毛皮の布団を剥いで、少年を観察する。目立った外傷だとか虫さされだとかの痕跡はないので、やっぱり心労による発熱、もしくは風邪ではないかと思う。というか里のはずれとはいえ、ナーヴァルの縄張りに近付こうとする生き物などはいないので、それしかないだろう。

 ええっと、着替えの服と布と、喉を通る食べ物とそれから……。

 用意するべき事を頭に思い浮かべながら、サァラは少年の為にその後駆けずり回った。途中でガァクに話しかけられた気もするが、振り返ったりは勿論しない。その頭の中にいるのは、金髪少年のみである。




 さて、風邪の時の常套看病と言えば。

 水分補給と、喉を通る食事の準備である。


 超凶暴な生物がうじゃうじゃ生息する魔境を必死に駆け回り、サァラは必要になるだろうものを集め、家の外で作業を開始する。少年が寝てる所をうるさくしたら、可哀相なので。

 真水を沸かす傍ら、レモン代わりの酸っぱい果物を半分に割り、握力に物を言わせてブシャアッと果汁を搾る。さらに体長三十センチ以上はかたいお化け蜜蜂の巣から手に入れた蜜を、綺麗に洗った水筒のような造形の容器に加え、掻き混ぜる。其処へ沸かした湯を入れれば――――蜂蜜レモンの完成である。

 普通の真水よりも美味しく飲めて水分補給が出来る。試しに熱々のそれを飲んでみたところ、想像以上に物凄く美味しかった。これは私も常飲したい美味さ、ああ懐かしい。

 出来あがった蜂蜜レモン水は、冷たい清水の中にドボーンと入れて冷やしておき、次の作業――食事の用意に取り掛かる。


 身体を弱らせた時に食べるものと言ったら、王道のすりおろしリンゴだ。勿論お粥が一押しなのだけれど、米などない森の環境では無理な話なので、仕方なく諦める。

 記憶のリンゴとほぼ同じ、真っ赤な真ん丸の果物をごりごりとひたすらおろし、簡素な器に入れて匙をセットにする。


 そうして気合いを入れて病人用の飲み物や食事を用意した時、天高く聳える大樹の頭上に太陽が昇っている。丁度、昼食の時間だ。

 さて、肝心の少年が食べてくれるかどうか……。

 人間サイズの小さな器と水筒を携えていそいそとサァラは家に入った。


 金髪の少年は、少し捲れた毛皮の寝床に丸くなり、やはり辛そうに呼吸の音を響かせていた。ベッドの脇にしゃがみ込み、丸い額に張り付いた金髪を指先で寄り分ける。濡らした布を押し当てると、少年は青い瞳をのろのろと開きサァラを見上げた。眠れるほどの安心感がまだないのだろう、弱り切った眼差しであるけれど緊張が滲んでいる。

 十歳に満たないような外見なのに、中々用心深いというか、気を張りすぎというか……。前世の私はもっと能天気ですっとぼけた子どもだったような気がする。

 逆に感心しながら、サァラは通じない言葉を話しかけながら、器を差し出す。


「今朝は水しか入らなかったでしょ? お昼はどう? 少しくらい食べられそう?」


 ぽやっとしたままの少年の目が、サァラの差し出した器を見る。小さな鼻をすんと鳴らすと、甘い匂いを嗅ぎ取ったようで小さなお腹の音が聞こえた。それを了承と受け取る事にし、サァラはベッドに腰掛ける。少年の小さな肩が震えたけれど、出来るだけ穏便に、優しく上半身を抱き起こした。

 うーむ、片手で支えられるとは、何て軽いのだろう。羽根のようだ。


「はい、あーん」


 匙を取って口に入れる動作を見せてから、少年の口元へと持ってゆく。警戒は解いていないから嫌々と首を振るかなあ。そんな風に思いつつ動向を見守るサァラだったが、彼は嫌がって顔を背ける――――という事をせず、そのままぱくりと匙を口に入れた。

 これには、サァラは驚いた。


 多分きっと、弱っているから思考もはっきりとしていないのだろう。そんな事は分かっている、分かっているがしかし。


 初めて、警戒無く、食べて貰えた。


(うおォォォォー! 天使が食べてくれたどー!!)


 サァラは内心、拳を高くつきあげ歓喜の雄叫びをあげて回っていた。福音の鐘が、背景で高らかに響きわたる。

 今ならあの岩をも砕く外見詐欺の鹿にだって勝てる気がする!


 勿論、現実では何とか堪えきり、ぶるっと背を震わせるにとどめる。が、恐る恐る自らを見下ろせば……赤い尻尾がばったんばったんと踊り狂っている。サァラの自前のものだ。全く落ち着く様子のない尻尾の動きが、サァラの心を恥ずかしいほどに表現していた。

 ちなみにその尻尾は、少年に食べさせている間、ちっとも止まってくれなかった。だって嬉しいんだものしょうがない。


 少年は三分の一ほど残し、ふう、と人心地つく。その様子が愛らしく、そしてほっと安堵する。

 水分はどうかと思って差し出すと、彼はごくりと飲んだ。驚いたように目を丸くさせたのは、蜂蜜レモンが美味しかったからだと思う事にする。ふふふ、原始的な森生活で蜂蜜レモンは意外だろう。


「此処に置くからね、飲みたくなったらいつでも飲んでね」


 サイドテーブルのイメージで、ベッドの脇に台を引っ張り出す。その上に蜂蜜レモンを置き、再び少年を寝かせた。


「――――……」


 ベッドから立ち上がったサァラへ、少年の声が掛かる。見上げる青い瞳と、開きかけた小さな口。何を言いたいのか、やはり分からない。けれど。


「少年、早く元気になろうね」


 この満ち足りた気分だけで、今は十分だった。

 サァラは、ぽんぽんと毛皮越しに少年の身体を撫でる。彼は毛皮に埋もれながら、じっとサァラを見つめていた。



 その後は、少年の見守りも兼ねて彼の着替えの服を作る事にし、土間で作業をする。といっても、宝の山の大人用の服をそれらしく小さく整えるだけなのだけれど。唯一の不満としては、いかにも冒険者が着ますというこの外見の無骨さだ。色白で金髪の天使に、こんなものを着せるなんて! と思うが……仕方ない、我慢する。

 元々彼が着ていた洋服はあるのだけれど、いつか帰る日にぼろぼろになったら困るので、ひとまずは大切に保管だ。これが彼と森の外を繋ぐ、唯一の私物なのだから。



 サァラは作業をしつつも、少年をつきっきりで見守り、お世話にせっせと精を出した。

 そして――――いつの間にか時間は過ぎ、広大な森林に注ぐ恵みの陽射しは、柔らかな月光へ変わっていた。



◆◇◆



 ぐす……ひっく……



 真っ暗な住処に聞こえる、小さな泣き声。

 サァラの閉じた瞼は開かれ、直ぐに覚醒した。

 夜を迎えた森は、さらに一層の静けさに覆われる。ナーヴァルの里とて同じだろうが、サァラの住処はより自然に近い為か、夜風の動く音や、月の昇る時間を根城とする鳥獣の微かな鳴き声などがよく聞こえた。

 そんな中で聞こえる、涙を浮かべる、この泣き声。


 土間に毛皮を敷きその上で丸くなった身体をそっと起こす。文明の明かりや炎などはなく、あるとすれば、それらしい形に整え布を垂らしただけの入り口と窓から差し込む微かな月明かりだけだった。けれど獣の目が働き、とても鮮明に部屋の景色が窺える。

 サァラは四つん這いの状態でぺたぺたと土間を移動し、その泣き声のもとへと近付いた。小さな山を作る、毛皮のベッド。声は掛けず、そっとのぞき込む。


 少年が、泣きながら眠っていた。


「――、――……」


 時折、口元が動いて、何かの寝言を呟く。言葉が通じずとも、この時ばかりはサァラも幾らか想像ついた。きっと、お母さん、とか。助けて、とか。頭の天辺の三角の耳が、ぺたりと伏せられるのを自覚する。


 ぐす、ぐす。赤く染まった頬に、涙の痕。それを指先で拭い、まだ熱い額を撫でる。


 ああ、せっかく天使のお顔が……。いや、ちょっと原因の一角にある私が言ったら駄目だろうけど……。


 サァラはしばらくベッドの縁に頭を乗せ、考え込む。ぐすぐすと魘されて泣くその子をどうにかしてあげたかったが、何にも思い浮かばない。かといってこのまま放って寝るのは爆発した母性が拒む。


 なので、サァラは考えた末に。


「ん、しょ」


 毛皮のベッドに上がった。


 起こさないよう、慎重に、そっと、ベッドへ乗る。丸まって小さく眠る少年の隣に身体を横たえた。

 成人した人間よりも、きっとナーヴァルの獣人姿は大きい。現に少年がとても小さく見えるし、すなわちサァラの身体もちょっぴり大きいという事になる。たとえナーヴァルの中ではもやしっこで最弱と名高くとも、そんなサァラよりも少年は弱い存在だ。


「泣かないで、怖いのなんて何にもないから」


 歌うように、囁くように、サァラは呟いて少年を撫でる。


「私がちゃんと、守るから」


 最弱なりに、絶対――――。

 伝わらない言葉に想いを込め、少年を撫で続ける。


 ぐすぐすと響いた泣き声が落ち着いたのは、サァラがこてっと眠りに落ちてからであった。




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