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最弱獣の献身  作者: 白銀トオル
第一章 獣の噺
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02 命を乞う

 そして、ナーヴァルの里へと戻ってきた時。

 その雰囲気は――――正に、一触即発の言葉が似合う事態になってしまった。


 里の広場には、所狭しとナーヴァル達が集結し、その誰もが一様に険しい面持ちを宿し、猜疑心に満ちた眼差しをぶつけてくる。その中央に居る、ガァク率いる狩猟部隊と、サァラと、ぽつんと一人ぼっちで置かれた人間の少年へと。

 不快な囁き声はどれも、「何故此処に人間が居る」「何故里に入れた」という、怒気すら孕んだものばかりだ。


 それも致し方ないのだろうか。ナーヴァルという種族は、凶悪な生物がうじゃうじゃ生息するこの森の頂点にいる覇者。ひいては、大陸最強の名を冠する獣だ。これまで、ナーヴァルを倒して名声を得ようとする人間達は実のところ存在しており、たびたび奇跡の森林は彼らによって荒らされてきたらしい。

 らしい、というのは、サァラが狩りの部隊に入る事は絶対にないので、ほとんど聞かされて知った事なのだが。

 それにより、ナーヴァル達にとって人間は実に不愉快な存在らしい。腕の一振りにも耐えられない癖に、何かと喧嘩を売ってきて面倒。ナーヴァルの子ども達を狙う弱者で、小賢しさは折り紙付き。強者の前に立つ覚悟がまるで出来ていない、等々。まあ、ナーヴァル基準であるが、要するに何度も何度もちょっかいを掛けてきて面倒な相手、という事なのだろう。

 それでも売られた喧嘩はきちんと買うのが彼らの主義なので、戦ってあげているようだ。最も、仲間が何かに負けたという話は生まれてから一度も出てこないので、結果は考えるまでもない。


 獅子の如き、燃えるような赤いたてがみ。

 強靱な肉体には筋肉の筋が浮かび、四本の足には岩さえ切り裂く太い爪。

 狼とよく似た、けれどもっと別の何かを混ぜた猛獣の姿は、危険であるからこそ、殊更の張りつめた美しさと勇猛さを放つ。

 森林の覇者、ナーヴァルは人間達にとって恐怖の対象であり、けれど名声の塊でもあり。


 ……その部分を除けば、きっと何処にでも存在する、群れを作って当たり前に暮らす、生き物なのだろうに。


 ちょっぴり残念だけれど、人間達の暮らしがこちらから見えぬように、あちらからもナーヴァルの生態がどれほど平凡かを知らないから、特別な存在にされているのかもしれない。

 あんまり神聖化しない方が良いと思う。ナーヴァルなんて一言で言えば、脳みそ筋肉な公式図が離れない獣なのだから。

 あ、其処には私も入ってるのか……。切ない。



 そんな事がある為に、ナーヴァル達にとって人間は、忌み嫌う対象にもなっているようだ。無差別に攻撃する野蛮さを持たない、誇り高い獣の種族と言えど、小さな少年を見下ろす同胞の瞳は一様に厳しい。

 これほどのピリピリとした空気は、サァラも味わった事がない。森の縄張りを犯そうとした、流れの獣を雄達がしとめに行った時とはまた違う、居心地の悪さ。下手な刺激をしたら、八つ裂きにされそうである。金髪の少年が。

 サァラは忙しなく周囲を窺いながら、一人ぼっちでこんな恐ろしい獣達に囲まれた少年を案じる。頼りない背中の震えなんて落ち着くはずもない。憐憫の情が止まらず溢れ続けた。

 そんなサァラの横には、四つ足の獣姿のままのガァクが不機嫌に座っている。落ち着かないのは、むしろこの雄のせいかもしれない。もっと穏便に行こうよ、未来の長……。ちらりと見上げたものの、返ってきたのはやはり人を射殺せそうな視線だったので、サァラは押し黙る。


 しばらくし、広場に現在の里の長が現れた。四つ足の獣姿ではなく、二本足で地を歩む、獣人姿の壮年の雄のナーヴァル。傷だらけの獣の頭部が、サァラ達を見下ろす。齢を重ね、幾度の戦いを勝ち続け、事実上頂点に立つその雄は、ますます貫禄が厚くなってどのナーヴァルよりも雰囲気が重い。未来の長と言われるガァクですら、まだまだこの長には勝てないだろう。

 サァラは、ぎゅっと手のひらを握りしめる。恐怖ではなく、緊張がその中にあった。もやしっ子でナーヴァルの風上にも置けないようなサァラが此処に居られるのは、この長のおかげだ。ガァクを怖いと思っても、長を怖いと思った事はない。むしろ誇り高くて、清々しい人物だと思っている。

 だが、今は、果たして。


 サァラを含み、ナーヴァル達は頭を下げ出迎える。傷だらけのナーヴァルは、サァラとガァクの前に佇んだ。しばらく鼻を鳴らして空気を吸い込み、じろりと金髪の少年を見下ろした。


「サァラ、ガァク、この状況はどういう事だ」


 他を圧する重低音は、やっぱり緊張を煽る。怒ってはいない、だが、優しくもない。

 長の言葉に応じたのは、ガァクだった。


「……狩りの途中、森へ侵入し我らの縄張りへと近づく人間達と遭遇しました。その人間の子どもを追っていたようでしたが、追う人間達は現れた我らへ牙を向けたので、その場で片づけ森の外へ投げ捨ててきました」

「ほう、それはご苦労だった。では、その子どもが里へ居る理由は」

「長の判断を、仰ぐ為に」


 ガァクの視線が流れる。サァラを横目に見下ろし、言え、とばかりに唸る。サァラはぎゅっと手のひらを握りしめて、意を決して告げた。


「どうかこの子どもの命を、お見逃し頂きたく」


 ざわり、と空気が震えた気がした。


「ガァクの話を聞いたところ、この子どもを追って人間達は侵入しました。そして、その人間達は、ガァクへ牙を向け戦いを仕掛けた。その結果は、ガァクの言った通りです。けれどこの子どもは、私達には何にもしていない」


 サァラは、長の目をしっかりと見つめ返した。


「そしてこれからも、何もしない。見れば分かります、こんなに小さな存在が、私達に何か出来るはずもないし、しようと思わない」

「そうだろうな。で、その子どもを助け、どうするつもりだ? まさか、我らの仲間に入れるとでも?」


 勿論、そんな事出来るはずがないと、サァラも自覚している。長に願うのは、それではない。


「……この子どもは、怪我をしています。私に手当てをさせて下さい。元気になった後、森の外へ、きちんと連れて行きます。不愉快なら、私はしばらく住処に引きこもって、仲間の前には出てきません。だから」

「手当て……か。そんな必要が、あるものか」

「あ、あります。無事に返さないと、に、人間達はきっと……報復にやって来ます」


 ほとんど、勢いに任せた弁だった。口を止めてしまったら負けてしまいそうな気がして、とにかくサァラは続けた。


「勿論、長やガァク、他の同胞が出れば何の問題もない事でしょう。でも、報復にやって来るという事実を、軽んじてはならないと思うんです。もしそうなったらきっと……これまで以上に、人間がやって来る。そうなる可能性も否定出来ないから、一番、避けた方が良いんじゃないかと」


 ナーヴァルの長は、しばらくサァラの言葉を聞いた後、息を吐き出した。びくり、と思わずサァラの肩が飛び跳ねる。


「……お前は相変わらず、変な奴だな。サァラ」


 牙の並ぶ獣の口の向こうから、心底不思議そうな壮年の声音がこぼれ落ちる。呟いた長は、それこそ妙な生物を見るような目で、サァラを見下ろす。森の覇者と呼ばれる種族の中でも、とりわけ歴戦の猛者である長の深紅の瞳は、厳しさをほんの少し緩めて瞬いた。

 サァラは、笑みを浮かべて告げた。


「それでも長は、里の皆は、そんな弱くて変な奴を置いてくれます。本当に、感謝しています。でもそれなら、弱い私を許してくれるのであれば、弱い人間の子ども一人くらい許してくれても良いんじゃないでしょうか。強者に挑んで弱者を助ける、誇り高い森の覇者であるなら」


 だからどうか、お願いします――――。

 初めて出会った人間の、それも小さな子どもを、助けさせて下さい。


 全てを言わなかったが、サァラは懇願し、地へぬかずいた。頭を下げた拍子に、赤い髪がさらりと落ちて地面を撫でる。

 これで断られたら、今すぐにでも逃走するしかない。

 長が否といえば、それがナーヴァルの総意になる。そんな事になってしまったら、説得なんて出来るはずもない。逃げる事に関しては自信のあるこの足で、少年を抱えて森の外へ連れて行ってやる他無いだろう。だがその後、何をされるか分かったものではない。下手したら折檻だろうか、いや、それで済めば良いが……。

 ええい、ともかく、なるようになれ!

 サァラは震える手と額を押しつけ、重い沈黙の中、静かに待った。生まれてから十数年、諦めかけていた出会いを死守する為に。

 多くの仲間と、おっかないガァクに見守られる中、長はしばらく沈黙した。そして、ゆっくりとその、獣の口を開いて告げた。

 長の、返答は――――。




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