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最弱獣の献身  作者: 白銀トオル
第二章 迷い子の噺
16/26

16 とある少年の、昔話(3)

2016.05.03 更新:1/2


◆◇◆


お久しぶりすぎる更新です、お待たせしましてすみません。

もうちょっと話数がまとまってからにしようかと思ったのですが、せっかくの連休ですので掲載です。

 群れで襲い掛かった何頭もの巨大な白獣たちの間に、獣人が割り込んできた。

 五メール、いやもっとあるだろう大きな獣と比べると格段に小さいが、成人男性よりも上背が伸び、アシュベルにとっては巨人のようだった。けれどその身体つきはよくよく見るとしなやかで、恰幅のよさや逞しさといった印象はなかった。

 獣人の全身は、毛足の短い真っ白な毛衣で覆われており、真紅の長髪と獣の耳、尻尾がとても目を引く姿をしている。衣服という文化を持つ人間からすれば原始的であるが、腹部から太股にかけて長方形の布を前後に垂らしている。無骨な作りをしているが、長い首飾りや腕輪といった装飾品も身につけているようだった。

 その獣人は何かを叫び――やはり言葉は分からなかった――座り込むアシュベルの正面に佇んだ。そしてアシュベルを突然抱え込み、獣たちと言い争う。何と言っているか分からないが、その時は「僕、この獣人に食べられる!」としか考えられなかった。

 幾らまだ七歳とは言っても、それを抜きにしたってアシュベルを抱く細身の獣人は、とても大きかったのだ。


 蒼白し全く動けないでいるアシュベルは、追い立ててきた一際巨大なナーヴァルに首根っこを太い牙で摘ままれ、宙づりの状態で大森林の中を疾走する羽目となる。アシュベルがどれだけ悲鳴を上げようと、その速度が落とされる事はなかった。




 ナーヴァルに連れられて辿り着いた奥地には、なんと巨大な集落があり、アシュベルはその広場の中心に放り投げられた。

 見渡す限り、赤いたてがみを持つ巨大な白獣と、先ほどの獣人と同じ恰好をした者たちがひしめいている。ある者は獣の頭部で、ある者は何処となく人と酷似した頭だった。彼らに睨まれ、唸られ、身体を竦ませてアシュベルは悟った。


 ここは、大森林の覇者が暮らす場所だ。


 あの獣人は、きっとナーヴァルの別の姿だ。だとすれば、この何十頭、いや何百頭もの獣たちが、全て――――。

 あまりの恐怖で目眩がする。どうして、こんな事に。

 呆然と座り込んでいるアシュベルを余所に、ナーヴァルたちは何事か話し込む。自分をどう殺すのか、きっと相談しているに違いない。そうだと分かっても、逃げ出すなんて事は出来るはずがなかった。この場でアシュベルは、蟻のようにちっぽけな存在だったのだから。

 獣たちの唸り声、吼える声に囲まれ、アシュベルは小さく身を縮ませる。恐ろしくて俯いていると、しばらく経った後その声が消えた。老練な戦士の風格を漂わす傷だらけのナーヴァルの獣人と、アシュベルの背後に居るだろう獣人が、何かを話す。そしてそれから少しの空白を挟んだ後、傷だらけの獣人は何かを告げて去り、それに合わせて集まったナーヴァルたちも一斉に去ってゆく。


 押し潰されそうな圧迫感は消えたけれど、今度は途方もない虚無感が訪れる。ちっぽけな心臓が、ばくばくと跳ね回る。

 どうなったのだろう。僕はこれから、どうなるのだろう。

 ――――その時、アシュベルの肩に大きな手が触れた。びくりとして振り返ると、頭上から窺う獣人の顔があった。人とはまた異なる輪郭とパーツの配置がなされた顔の中、大きな赤い瞳が見下ろしている。縦に細い瞳孔が宿る、白い部分はほとんどない赤一色の瞳。人間が持つ事はない、あまりにもはっきりと鮮明な色だ。

 獣人は何かを呟きながら、アシュベルの肩や背中を撫でる。そして、薄く口を開き口角を上げた。その人相もあいまって、覗く牙の鋭さに殊更な凶悪さを見出した。


 僕、美味しいところなんて、何もないよ……。


 あまりの恐怖にぶるぶると震える彼を、獣人はじっと見下ろしている。爛々と輝く赤い目に《食欲》の二文字が思わず浮かんだ。

 長い赤髪の獣人は、アシュベルを軽々と抱え上げると、小走りで巨大な広場を移動する。ついに食べられるらしい。絶望感に打ちひしがれる小さなアシュベルだったが、広場を離れて林の奥へと進んだ時、現れたものに一瞬気を取られた。

 木々の枝などで組み立てられた、粗忽ながら確かに住居と呼べるものが佇んでいた。

 扉の代わりに布を垂らした入り口をくぐった時、もっと驚いた。見てくれこそは粗忽だったのに、その中はまるで人が暮らすように整っていたのだ。

 何かの生き物の毛皮を敷き詰めたベッドに、サイドテーブル代わりの小さな椅子が幾つか。掘り下げた土間には……簡易調理道具や、火を熾す道具。壁は剥き出しの木の枝だが、そこには草花まで飾り付けられている。しかも……本まで。

 アシュベルは恐怖も忘れて驚いた。大森林の覇者ナーヴァルが、ここまで人と近い環境で暮らしているのか。

 多くの本で彼らは四足の獣であると記されている。さすがにそこで、人に近い文明を築いているなんて誰も考えるはずがない。


 長い赤髪の獣人はアシュベルを毛皮の寝台にそっと乗せ、何かを言いながらどうどうと手を上下させる。何度か確認した後、住居を飛び出し、そして直ぐに戻ってきた。その腕には、衣服と、平たい桶が抱えられている。

 獣人は、半分よりも少し少ない程度の水が入った桶を土間に置き、その傍らで火を熾し湯を沸かし始める。

 一体、何をしようと言うのだろうか。

 寝台で膝を抱えるアシュベルは、自分が煮込まれる想像を浮かべ、気が気ではない。しかし獣人は、ぐつぐつと沸き立った熱湯をアシュベルにではなく平たい桶の中へ注いだ。何度も手を入れては、熱湯を注ぎ足してゆく。まるで温度調節でもしているような仕草だ。

 しばらくそんな行動を繰り返した獣人は、不意にアシュベルのもとへ歩み寄り抱え上げた。ぎくりと身体を強張らせるアシュベルに、獣人は牙を見せながら何かを告げ、土間に下ろす。そして、何をするかと思えば、アシュベルの服を脱がし始めた。思わず振り払おうとしたけれど、白い毛で覆われた手は大きく、指先に伸びた爪は鋭い。結局、ぎくりと怯んで終わった。

 ただ、思ったよりも、獣人の仕草は乱暴ではなかった。

 泥だらけの衣服を遠ざけ、裸になったアシュベルは桶へ入れられる。少し温度は高めだが、アシュベルが入る事ですぐに適温となり心地よく包む。丁寧に湯を掛けられ、身体と頭が洗われる。緊張しきった身体が弛緩してゆく心地がしたが、身を任せられないのはその状況があまりにも理解に苦しかったからだろう。


 何で僕はナーヴァルに洗われているのだろう。


 終始、アシュベルは呆然としていた。


 その間、獣人はアシュベルの世話をし、ほかほかと温かくなった身体に大人用の服を着させて、最後はベッドに寝かせた。不安で何度も起き上がろうとすると、獣人はそのたびに肩を押して寝かせようとする。仕方ないのでアシュベルは大人しく従った。

 ベッドに敷き詰められている毛皮は、獣臭さはなく、無骨な肌触りながら意外にも暖かかった。全身を横たえると直ぐに睡魔が訪れ、瞼が重くなりうつらうつらと狭間を漂い始める。

 ぽん、ぽん、と毛皮越しに軽やかな振動が与えられる。今にも意識が落ちてしまいそうなアシュベルの側には、獣人が座っている。白目の部分の少ない真っ赤な双眸は何かを湛えているようにも感じたが、それが何なのか、今のアシュベルに見当がつくはずもない。


 ただ、不安だった。一度に降りかかった出来事の全てが、ただただ不安だった。

 どうして、こんな事になってしまったのだろう。夢であったなら良かったのに。

 胸の中で渦巻く不安に、ついにアシュベルの意識が飲み込まれる。頂点に座す覇者に見下ろされながら、瞼は全て閉じられた。


 しかし、アシュベルへに突きつけられた現実は、あまりにも無情だ。どれだけ願っても、結局、目の前の光景は変わらなかった。



 唯一の救いは、この住居の主らしい、長い赤髪の獣人が、今すぐにアシュベルを食べようとはしなかった事だ。

 彼は人間の成人男性よりもずっと身の丈があったけれど、小さなアシュベルを乱暴に扱わず、それどころか毎日食事と湯の準備をし、大人用だが衣服も与えてくれた。


 まるでそれは、監獄のようなフルグスト家で親身になってくれた侍女や侍従、もしくは祖父母たちのような……。


 どうしたら良いのか分からないアシュベルに、その日も獣人は食べ物を差し出す。串に肉を刺して焼いただけの、飾りのない豪快な食べ物だ。いくらアシュベルが疎まれていても、ナイフやフォーク、皿を用いずに食事を強いられた事はない。どうすれば良いのか分からずに受け取ったまま困り果てると、獣人は同じものを手に取り、それを自らの口元へ運んだ。

 そのままかぶり付くという事が信じられず、アシュベルは戸惑った。

 けれど串から放たれる香ばしい香りに、くうっとお腹が鳴る。食欲には抗えず、アシュベルは思い切って小さな口を開いた。はむっとかぶりついたその肉は、焼いただけなのに驚くほど美味しかった。見た目のわりにとても柔らかく、爽やかな柑橘系の香りが肉の重みを打ち消す。口の周りを汚して食べる事にいささか躊躇うが、美味しさの前には呆気なく消え、アシュベルは小さな口で頬張った。

 こぼれそうになる肉汁は、隣の獣人が拭う。ちらりと見上げると、獣人は熱心にアシュベルを見下ろしている。


 そこに居るのは、大森林の覇者。人間にとってはたった一頭だけでも脅威となる竜を、爪と牙のみで倒す大陸最強の猛獣。《恐ろしい》《凶暴》《獰猛》などといった形容詞がどの本にもつき、お気に入りの絵本でも悪者として描かれた生き物。

 いつかアシュベルを食い破る、言葉の通じない未知の存在だ。

 けれど――――アシュベルの頭を軽々と掴めそうな、爪の伸びた大きな獣の手は、決してアシュベルに乱暴はしない。唯一の自慢である母譲りの金髪を撫でるだけであった。



※案の定怯えられ、そして勘違いされるサァラの献身である。

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