13 初めて言葉を交わす
2015.10.21 更新:1/1
本当にもう一度あるとは思っていなかった、奇跡の再会。
サァラは大いに喜んではしゃぎ、心のままにぶんぶんと尻尾を高速で振った。かつてない速さであるとはサァラも自覚したが、恥ずかしいという感情は何処にもない。
「――――! ――――!!」
目の前の少年も、見事な金髪と碧眼を最高潮に輝かせ、絶好調に跳びはねているので。
相変わらず何を言っているか分からないが、彼も覚えていてなおかつ再会を喜んでくれている事をはっきりと読み取れる、そのハイテンションぶり。それに触発され、サァラも留まらず歓喜を募らす。
そんなサァラと少年以外は――――全員、呆然とするか、困惑するかしているのに。
それまで戦いがあった草原のド真ん中、喜びにはしゃぐものと立ち尽くすものと、著しい温度差がそよ風に撫でられた。
――――サァラと少年が落ち着いたのは、数分後の事であった。
とりあえず、サァラと少年はその場にちょこんと座り向かい合う。少年は他に見向きもせずサァラを一直線に見上げて、にっこにっこと輝く笑顔を振りまいている。光が差しているのは気のせいではないだろう。軽い目眩をサァラは感じた。
少年よ、一年ぶりでも、まじ天使。
思わず句を読んでしまうくらいには、本当に天使である。
しかし、和やかなのはサァラと少年のみである。それぞれの背後に佇むものの表情は、どれも怯え、緊張、不機嫌と、とても和やかさからは程遠い。ちなみに不機嫌なのは獣の姿のままのガァクで、残りは少年を何とか守ろうとする大人達である。
だだでさえ大の大人よりも背丈の高い獣人姿のナーヴァル(これでも里の中では小柄扱いされてたんだけどなあ)がいるのに、十メートル超えの巨獣が聳えていればそうなるだろう。
「ガァク、そんな怖い顔しないでよ。ほら、深呼吸、深呼吸」
「人間を前にして、のんきに構えていられるか。お前はどうしてそう気が緩い」
サァラの背後、座ってはいるのに全く威圧感の失われない森の覇者は、文句をたらたらとこぼしている。
ガァク、とサァラが咎めるも彼は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。仕方なさそうに座位から腹這いへ移行したけれど、やはり威圧感は変わらない。
ナーヴァルにとって人間は、好ましくない存在なのだ。
太い牙を剥き出す獣に睨まれ、少年以外は全員真っ青だ。今にも倒れてしまいそうな姿に一種の哀れみを感じる。目の前のナーヴァルは仕方ないとして、せめて周囲くらいは気にしなくても良いと伝えられればいいのだが。
理由。ガァクに挑むような気骨溢れる生き物は、たぶん草原にはいないので。
虎の威の格言が浮かぶ。それはそれ、これはこれなのだ。
「少年、ちょっぴり大人になったね」
サァラは両手を伸ばす。少年の真ん丸な頬を包むと、手のひらの肉球に柔らかい温もりが伝わる。
「あれから一年くらい、かな? 森の外で元気にやってる?」
なんて、伝わりはしない言葉をかける。少年は笑みを浮かべされるがままだ。かつて森で過ごした時のように、拒む様子はない。ぐりぐりと額を擦らせると、彼もぐりぐりと返してくれた。
「……俺はされた事などないというのに……」
なんか後ろで妙な台詞が聞こえた気がするが、振りかえらない。絶対に振りかえらないぞ。
さて、再会を喜んだところで。
改めてサァラは少年を見下ろす。まだまだあどけない子どもながら落ち着いた面持ちを宿す彼は、サァラがお別れの時に渡したマントを、より丁寧に加工して身に着けている。その下は華美な装飾などない動きやすさ重視の簡素な衣服が見え、細い腰にはなんと短剣らしきものが見える。不思議と上品さを醸しているが、ばっちりと準備したその出で立ちは……。
(旅でもしてきた、のかな)
あんな凶悪な生態系が築かれた森の、すぐ近くにまで。相当に勇気ある行動なのだけれど、一体どうして。
「少年、今日はどうしたの? 何かあったの?」
少年の身体をぽんぽんと叩いたりマントを引っ張ったりしてみる。少年の両脇に見える大人たちが、声なく叫んでいる。失礼な、潰すはずあるまい。
少年はしばし首を傾げ、何かに思い至ったのか、豆電球が灯るように表情を閃かせた。わたわたとマントの下のポーチを取り外し、中身を全てぶちまけるようにひっくり返して上下に振る。
途端に、ガァクがグウッと強く唸り、毛皮でもこもこしている首を動かす。びくびくっとほぼ同時に飛び跳ねる大人たちの肩が、サァラの視界の片隅に見えた。
「ガァクは身体が大きいんだから、みんな怖いんだよ。驚かせちゃ可哀想だよ」
と、サァラが言ったところで、もちろんガァクはそっぽを向くだけであるけれど。
「――――!」
「ん? ……なあに、これ?」
お目当てのものを見つけたらしい少年が、それを高々と掲げてサァラに見せた。少年の小さな両手には、首飾りが二つ、それぞれ握られていた。一方は、透き通った青い宝石の首飾り。もう一方は、純然とした赤い宝石の首飾り。両方とも、宝石がとても目を惹くシンプルな構造をしており、陽の下で輝きを放っていた。
その直後、大人たちが慌て始めて、何事か少年に言っている。少年はそれに対して首を振り、やはりサァラを真っ直ぐに見上げた。そして、赤い宝石の首飾りを、サァラへ差し出した。
「えっ? 私に?」
背後の空気が急激に重くなる。ズモモモ、という効果音が聞こえてきそうなほどの。
しかし目の前の天使は、にっこにっこと微笑み「早く早く」と訴えるように飛び跳ねている。天国と地獄とはきっと今のような状況も指すのだろう。
でもほら、ガァクはナーヴァルだけど、少年はそうじゃないし!
雄から雌への贈り物は、求愛行動。しかしそれはナーヴァルの流儀であって、ここで気にするものでないとサァラはあっさりと首飾りを受け取る。背面の空気がまたも凍り付いたのは知らない。何も知らないぞ。
「――――! ――――!!」
「分かった分かった、つけるよ」
激しく飛び跳ねる少年に笑いながらも、輪っかに頭を通し、白い毛皮に覆われたふかふかの首へ下げる。きらりと光る赤い宝石が、サァラの胸元を彩る。
「わ、綺麗ね」
しげしげと見下ろす向かいで、少年も同じように首飾りを掛ける。そしておもむろに何事か呟き始めた。
サァラと少年がそれぞれ下げた、赤い宝石と青い宝石が、急に輝き始めた。
思わずサァラはぎょっとなって目を見開かせる。背面に横たわるガァクの忍耐がそこで切れ、再び牙を剥き出して唸ると少年と大人たちへ迫った。
「人間ども、サァラに何をするつもりだ!」
「ガァク、待って待って、戦わないで!」
横たえた身体を起こそうとした彼を、サァラは慌てて腕を伸ばして制する。前肢の一振りだけで、少年たちにとっては致命傷レベルの一撃だ。
「私、別に何ともないから!」
「だが」
「ただ光ってるだけだよきっと。だからお願い」
サァラが懇願すると、ガァクは渋々と身を引いた。グルグルと奏でる不機嫌な音は変わらないが、いくらかその眼差しも和らいだように見える。
そんなやり取りをしてる間に、首飾りの謎の発光は止まっていた。特に何も変化はなく、サァラ自身にも異常はない。一体あれは何だったのだろう。
そう、思った時だった。
「――――驚かせてしまって、ごめんなさい」
サァラはピンッと耳を立てる。
「あの、あれは別に危険なものではなくて、その、あれは、えっと」
戸惑うような、幼い声。少し舌足らずな風があるものの、声音にしてはしっかりとした上品な口調だった。
初めて聞く、誰かの言葉。けれど自然とサァラの目は、ある一点へと向かった。
「ぼ、僕の言葉は――――分かりますか?」
金髪と碧眼の少年が、不安そうに見上げている。その口元は、告げる言葉に合わせて動いていた。
「う、嘘、どうして」
無意識に呟くと、少年が大きな瞳を見開かせる。青い瞳に浮かぶのは、驚愕と、歓喜。それはきっと、サァラも同じであった。
あれほど、全く言葉は分からなかったのに。
その理由が首飾りなのだと気付いた。そんな素敵な道具があるのかと驚くと共に、初めて耳にする少年の言葉が満たしてゆく。
「ぼ、僕の、僕の声、聞こえますか?」
「う、うん。わ、私の声……」
「聞こえます、全部! 全部、ちゃんと!」
大輪の花にも似た笑顔が、子どもながら整ったかんばせに広がった。びっくりし過ぎて反応が追いつかないサァラとは反対に、少年は全身から喜びを爆発させている。大人たちの制止を振り切って、彼は再びサァラの胸に飛び込んでしがみつく。
「ぼく、僕、これを渡したくて! ずっと、ここまで、準備して、それで、会いに行こうって、ずっと!」
サァラは不格好な表情のまま、少年を見下ろす。
「ずっと、貴方にもう一度会いたいって、思ってた! 会って、あの時助けてくれた事に、お、お礼を言おうって!」
「え、あ、おれ、お礼……?」
「あの時、僕を助けてくれて、ありがとうって、ずっと――――!」
そう叫んだ少年は、再びサァラに突撃する。力が入らなかったサァラはそのまま後ろに倒れ、草原の上へと仰向けに転がった。少年は胸の上をよじよじと這い上がり、至近距離からキラッキラの光線をサァラへ注ぐ。
「あ! 僕、僕の名前は、アシュベルです! あの、貴方の名前を――――」
「――――今すぐにそこを退け」
怒気に満ちたガァクの影が、サァラと少年の頭上に覆い被さった。
次話からは少年視点になる予定です。




