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最弱獣の献身  作者: 白銀トオル
第一章 獣の噺
1/26

01 出会いから始まる

息抜きがてら、初めての転生もの。中編程度の予定です。

獣娘(獣にもなるよ!)と、人間の少年の交流物語ですが、どうぞよろしくお願い致します。

なお、血沸き肉躍る戦いはないと思います。平和を愛してます。

 生まれてから十数年。諦めていた出会いが、其処にあった。

 ただし、今にも相手は八つ裂きにされて消えてしまいそうな、一触即発の出会いであったが。



◆◇◆



 世界に存在するとある西国の、大河を挟んだその隣。其処には、別世界のような深い森林地帯が広がっている。

 何十メートルにも及ぶ巨木が、天へ向かって枝と葉を伸ばして鬱蒼と茂り。圧倒するように立ち並ぶ大地には、緑が生す。澄んだ清水が至る所で湧き、あちらこちらから優しい音色を奏でて小川は流れる。その風景は、幾つもの時代を経てなお永久とこしえに巡る、悠久の世界そのものだ。時代を過ぎ去り失われた太古の息遣いが響くような、それは美しい場所だと言われ、人々に知れ渡っている。

 正しく、別世界だろう。


 だが、この森林が有名である理由は、その美しい景観ではない。

 この美しい森は、恐ろしい事に――――反して戦闘種族しか存在していなかった。


 太古の姿を残す森林は、その美しさを裏切り、強者ばかりを懐に入れて育て上げた。しかも、そんじょそこらの生物には負けない、屈強な強者ばかり。一歩踏み込めば其処は、現代の常識及ばぬ魔境である。

 特に、その最たる理由であるのが、とある種族の存在だった。武器や鎧、魔法などの小細工は一切使わず、強靭なその身一つで魔法はおろか竜も打ち破る規格外の存在。太古の魔境に君臨する、その種族は――――大陸最強の獣、ナーヴァルと呼ばれている。




 ……と、遥か遠くの世間では語られているそうな。私の生まれた、この森と、種族は。

 そう教えてくれたのは、知識のあるご老人方。戦線を退いた、いわゆる老兵諸公である。森の仲間や、或いは獣の同胞達から口伝えに何度も聞かされてきたらしい。

 少々の語弊というか、誤解はあるだろうが、けれど否定のしようがなくその通りであった。


 美しい景観と、豊かな自然。それは大いに頷ける。事実、この森は語られる以上にとても美しいだろう。人に荒らされた形跡も、朽ち逝く気配も無く、木の葉が風に踊る清廉な森は正しく奇跡の風景。人生に一度は見ておきたい絶景ランキング上位に食い込む事はまず間違いない。

 だが残念な事に――――この森で生きる動植物の大半が、超好戦的で超凶暴、おまけに超強い。いや比喩なく本当に。何故だ。


 ふと、周囲を窺う。天高く聳える大樹の茂みから、白い木漏れ日が差している。柔らかく照らされるその下には小川が流れ、その川縁には立派な角を生やした美しい鹿や鳥たちが集まっている。

 これだけ見れば、心が清められる優しい景色であるのに。それで留まってくれない、この森の無情な現実。

 あの鹿もあの鳥も、優しげな外見に反し怒らすと岩をも砕く一撃をお見舞いしてくる。怒らせない限り、敵意を見せ怯えさせない限り、こうして側にいても問題ないのだが……。


(というか、多分私は、舐められてると思う)


 超強い生物がうじゃうじゃと生息するこの森林の、覇者として君臨する種族の生まれであるのに、これまで出会った生物達は皆己を眼中に入れない。喧嘩なんてしてしまった日には生きていられる自信が無いので、それなら舐められていた方が良いというもの。健やかな日々の為ならプライドなんてその辺へポイしてくれる。今日も見た目だけ優しい草食動物達にぺこぺこと頭を下げながら、一緒に水を飲ませて頂いている。

 手のひらにすくい取った水で喉を潤した後、ふと、小川を覗く。優しいせせらぎの水面は穏やかに凪ぎ、覗き込んだ己をくっきりと映し出している。


 其処に居たのは、人間の造形に近い、けれど人間とは言えない《獣》だった。


 二本の腕に二本の足、なだらかな曲線を持つ胸や腰回り等、造形は人間の女性のそれであるが、在るはずの肌色の表皮は無い。代わりに覆っているのは、うっすらと短い白い毛皮だ。触ると絹のような感触がする、大変すべすべとしたそれが全身を覆っている。またお尻の少し上には、ふっさふさの長毛の尻尾が生え、頭に至っては……三角の、立派な、獣の耳が。


 今でこそ見慣れた己の風貌であるけれど、何度見ても思う。一体何処のケモノっこだろう、と。


 唯一の救いは、顔が人間のそれに近い事だろうか。大きく開いた目は、白目が少ない獣のそれの構造をし、おまけに深紅色に染まって、ちょっとどころかだいぶ怖いけれど。腰にまで届く長髪も、桃色を足した鮮やかな赤色をしているけれど、ともかく。

 しばらく己を眺めた後、赤い髪を綺麗に整え、小川の側から腰を上げる。こんな森の中では、綺麗な水を掛け汚れを落とすくらいしか出来ないのが残念であるが、仕方ない。

 そしてそんな環境であるから、当然ながら衣服の類はない。女――いや種族の言葉を借りるのならば、雌は胸元に首飾りを掛け柔らかな胸の頂を隠し、お腹の下には膝にまで届く丈の布を垂らす。風がスースーと通り抜けて撫でてゆく心許なさにも、随分前に慣れてしまった。切ない、おしゃれがしたい。

 そんな風に思いながらも、せせらぎから立ち上がって、苔の生す地面を蹴り上げ慣れた獣道を進む。爪先が向かう先は、現在の生まれ育った場所である里――――大陸最強の獣(らしい)、ナーヴァルの里だ。




 広大な森林の奥深くに展開される里は、一つの町のように非常に広い。そもそもナーヴァル達が皆大きく頑健であるから、比例するように寝床となる木の家(家というより巣)も大きくなる。

 ナーヴァルという種族は、獣と人の姿を持つらしく、己と同じように全身に白い毛皮を纏って、獣耳や尻尾を揺らしている。ただ雌雄で異なるのは、雄は頭部が獣で肉体もより筋骨隆々とし強靱、雌は顔は人間のそれに近いが細くしなやかである事だろうか。そんな二者が共通するのは、腕っ節の強さである。

 ナーヴァルは普段、この二足歩行の形態で過ごすものの、実はこちらの姿は仮初めのようなもので、本来は四つ足の獣の姿をしている。狼、或いは獅子を足したような、それは立派な勇ましい獣。白い体毛を強靱な肉体に纏い、赤いたてがみと共に森を駆け、覇者の威光を惜しげもなく翳す。

 個体差はあるものの、基本的に皆、二足歩行時の身長は二、三メートル。獣時の体長は五メートル前後と、目立つ事この上ない一族なのである。森の中で暮らす生物なのに、全然木の中に隠れる気がない。隠れる必要がない為だろう。



 そんな素敵な、勇ましい一族に生まれたのに。

 残念ながら、私にはその威光が、これっぽっちも見当たらない。

 ナーヴァルの代名詞、腕っ節の強さは生活に役立つ程度。魔法を打ち破り、竜をも食い破るという荒々しい戦いが勃発した日には、多分味方の攻撃に巻き込まれて死ねる自信がある。

 まあ仕方ない、そもそも精神構造が多くのナーヴァルと違うので。それについては、自覚している。


 それのおかげで、里の中ではすっかりと……。



「サァラ、これをやっておけ」


「サァラ、それを片づけろ」



 雑用ポジションが確定した。


 まあそれで生きていけるのだから、この戦闘種族ナーヴァルは意外と同種族の身内に優しい。それでも魔境最強の名に相応しく、戦いになると苛烈でおっかなく変貌するけれど。


 ちなみに、サァラ、というのは、現在の名だ。中々、綺麗な名だと自身も思っている。


 頼まれた事に頷き、里の広場の片隅へ移動する。さて今日の仕事は……。そう思いながら腰を下ろすと、その隣に大きな影が覆い被さった。


「――――雑用か。お前も大概、良く受けるものだ」


 聞き慣れた低く重厚な声が、サァラの赤い獣耳へと入り込む。むっと眉を寄せながら顔を上げると、思った通りの人物が其処に佇んでいる。

 立派な赤いたてがみと、屈強な肉体を持つ、ナーヴァルの戦士。そして、未来の一族の長と期待されている雄の――――。


「良いの、私は変わり者だから。ほっといてよガァク」

「立場は弱いくせに、言う事だけは一人前だな」


 くっと獣の口角を上げて笑う姿は、猛獣以外の何者でもない。尖った獣の口から、鋭く太い牙が覗いている。正直、めちゃくちゃ怖い。けれど心くらいは負けないよう、視線は逸らさず強く見据えた。

 身体は人に近く、しかし頭部は獣そのものな、獣人姿のナーヴァルの雄――ガァク。

 サァラよりも確かほんの少し年上の(と言ってもあまり雄の外見からは年齢の差が掴めないが)、同年代の戦士。昔から、どうにもこの雄が苦手だった。ナーヴァルらしく誇り高く、戦士の要素がこれっぽっちもないサァラを邪険に扱ったりはしないけれど、少し威圧的で、怖さが引き立つのだ。

 悪いナーヴァルではない事は、分かるのだけれど……。ほっといてくれた良いのに、ガァクは昔からとにかく構ってくる。そのたびに貧弱なサァラは、胃を擦っている。


 余談であるが、ナーヴァルの里の中では、現在一番雌から人気のある雄らしいのだけれど、これの何が良いのかさっぱり分からない。体格はとても立派だし、実際強いと思うし、獣的な考えでは最高物件なのだろうけれど、残念ながらサァラの琴線を掠りもしない。同年代の女子達からは羨ましがられる事も何故かあるが、望むのなら喜んでお相手を交代する。むしろ女子達、来い! 何で来ない!

 しかし残念ながらサァラにそんな事を叫びガァクを退ける度胸もないので、仕方なく彼が居なくなるまで相手をする他無いのだ。


 適当にガァクの言葉を聞き流しつつ、仕事をする。今日は森で獲た動物達の、剥いで綺麗に洗った毛皮を縫う作業だ。服にするのではなく、巣に置いて絨毯や布団代わりに使ったりする。

 しかし手縫いって大変、文明の利器が欲しい。

 サァラはそんな事を今日も思い浮かべながら、ちくちくと繕った。





 強く頑強な生物達が生きる美しい森林の覇者として君臨する、ナーヴァル。その獣の種族に生まれて、十数年。

 ある一つの違和感は、サァラの中に残り続けて消えてくれなかった。

 物心ついた時から、何度も抱いてきたその違和感。この森に生まれ、知る世界は此処だけのはずなのに、昔もっと違う人工物の中に在ったような。ナーヴァルという種族ではなく、もっと別の何かであったような。そうした曖昧な違和感は、しばらくしてようやく納得のいく言葉で落ちてきた。


 嗚呼、昔、人間だったなと。


 つまりは、別の記憶が混在していたのだ。この凶悪な森の覇者に生まれていながら、森の覇者が最も嫌う生物の記憶が。


 と言っても、明確なものを覚えているわけではなく。昔こうだったな、こういう物があったな、という程度。名前も、昔のそれを覚えているわけではないし、今の己はナーヴァルのサァラであるときちんと自覚している。

 身体を包む白毛と、鮮やかな赤髪を持つ、獣のサァラ。今世における美醜の基準は分からないが、わりと美人ではないかと前向きに思っている。何となくだけれど。そう思わないとやってられなかったとも言える。


 だが、己の中に芽生えた違和感は消せるものではなく、ナーヴァルとしての生き方には大いに影響をもたらしてくれた。何かと強い生物がうじゃうじゃいる森で、覇者として君臨するからには、相応の強さというものが血に流れている。幼い頃から戦い方を学び、狩りを覚え、その身一つで森を生き抜いてゆく。出来ない者は草葉の影で死んでゆくだけだと、大人達に何度も教えられた。だが、サァラだけは、この違和感のおかげで何をするにも獣として振る舞う事が出来なかった。やる気はあったものの、やる気だけでは超えられない強固な壁があったわけで。


 変なチビとして不思議がられるのは、直ぐの事。

 ナーヴァルの戦士になれず一番地位の低い雑用係に任命されるのは、もう間もなくの事。

 年老いて引退した老ナーヴァル達に混ざり、里の雑事を喜んで請け負い楽しく過ごすのは、さらに直後の事。

 ……ついでに若いナーヴァル――ガァクを含めた――から不思議がられるのは、いつもの事だ。


 大人になった現在、小さな獲物や魚、森の恵みの取り方を覚えて少しは汚名返上したが、【ナーヴァル=戦ってなんぼ】という脳みそ筋肉な公式図のもとでは大した払拭にならなかった。

 同世代のナーヴァル達は、皆大きく成長しいかにも覇者の風格が滲み出ているけれど、幼い頃ろくに戦えず食生活にも少々偏りのあったサァラは、比べずとも分かる一目瞭然の細さ。多分老いたナーヴァルよりもひょろひょろして弱いだろう。今にも折れて消えそう、とよく言われたものだ。いや、今も言われている。

 現在では開き直って、「私はこれで暮らしてゆく」「私と夫婦になりたい人はいないしなりたい人もいない」と公言して回った。

 不思議な奴から、変な奴にランクアップした。

 構わない、笑いたければ笑え。



 ――――そして、現在。

 生まれてから十数年ほど経って大人になったサァラは、相変わらず変な奴扱いをされながら、楽しく雑用して暮らしている。


 幸運であった事は、ナーヴァルは意外にも同種族を大切に扱う習わしがある点だ。彼らは老いた戦士を蔑ろにしないし、小さな子どもを里ぐるみで大切に育てる。だからこうして、ある意味出来損ないのサァラも、大人になっても変わらず里で暮らしているのだ。まあ、戦いを第一とする種族なので、その地位はほぼ底辺であるが。

 だがサァラは、この雑用生活を望んでしているし、楽しんでもいる。第一に、恐ろしい生物がうじゃうじゃ居る森を拳一つで生きてゆく事はとても出来たものでないと自負しているので、鹿に蹴り殺されるくらいならプライドを投げ捨てる。

 けれど、大陸最強の種族の血と身体は伊達ではないらしく、どれだけ走っても疲れないし、力仕事もお手の物、鳥のように木々の間を飛び回る事も出来る。凄い事だ、人間はそのような事は出来ない。

 そして走る事(逃げる事)に関しては、右に出る者は居なくなった。これも笑われる要因の一つだ。



 大体、こんな風に。

 昔人間だったサァラは、ナーヴァルの里で意外とのんびり楽しくやっていけた。





 ――――と、回想に耽っていたら、いつの間にかガァクは居なくなっていた。ああ良かったーあいつ怖いんだもの。サァラはほっと安堵し、作業を続ける。

 しかし、毛皮が本当に獣臭い……洗って来なきゃ……。

 昔の記憶があるおかげで時折辛いものもあるが、それでもこの森で、何とか生きてゆける幸運をサァラはいつも噛みしめる。ナーヴァルとして生まれた事を、今はそれなりに、受け入れていた。


 けれど。


 一度で良いから、と思うただ一つの願いが、サァラに根付いていた。それは年を経る毎に強まり、諦めの境地にあるものの手放せないものに変化していた。


 一度で良いから、この森の外を見てみたい。そして、森の外に居るだろう、ナーヴァルが忌み嫌う人間に、会ってみたい。


 かつて人間であった記憶が混在している為か。会ったところで何か変わるはずもないし、恐れられる森に君臨する獣という事実は決して変わらないけれど、ただ一目でも良いから見たいと、サァラは思うのであった。


 老人たちの話を聞く限り、この森は西国の一角を陣取っているらしい。西国という事は、西洋の国だ。もしかしたら金髪碧眼な人々が居るのだろうか。ナーヴァルというファンタジーな種族が居るのだから、きっと世界観も中世なファンタジーだろうか。想像するとわくわくしてしまう。


「……気色の悪い顔だな、何をニヤニヤしている」


 遠くでガァクが呟いた。居たんかいお前。



◆◇◆



 そして、幾日か過ぎた、ある日のいつもの森で。

 サァラにとっては、大事件が勃発した。



 いつものように、森の生物達から襲われぬよう全速力で駆け回って、自身のおやつ用に確保した木の実を携えたサァラは、里への帰路についていた。太く立派な大樹の根を軽やかに踏み越え、上機嫌に笑う。暮らす生物は凶悪とはいえ、この森は至るところに木の実や山菜が溢れている。特に今日手に入れた木の実は、桃によく似た甘く瑞々しい果肉で、非常に美味で栄養もあると評判。住処に戻ったら早速食べようと、サァラは満面の笑みだった。思わず尻尾も左右にふりふり揺れてしまう。


 けれど、そんな上機嫌な気分も、次の瞬間に吹き飛んだ。


 静寂の森の空気を、不快に揺らす爆音が聞こえてきたのだ。


 何かの悲鳴と、獣達の唸り声。暮らす生物は皆強くおっかないから、喧嘩ともなれば規模も大きくなる事はサァラもこれまでの経験上よく覚えているが……気になったのは、悲鳴の方だった。この森では、まるで人間のように悲鳴を上げて空気を乱すものは居ないが――――。



 まるで、人間のように。



 其処まで考え、サァラは慌てて進行方向を変えた。腕に抱えた木の実を落とさないよう注意しつつ、けれど速度は落とさず素早く。緑をかき分け音を辿って向かうと、其処には。

 サァラは、ドキリと心臓が飛び跳ねるのを自覚した。ぼとりぼとりと、抱えた木の実が地面へ落ちてゆくのも気にせず、呆然と佇んだ。



 白い体毛と赤いたてがみを持つ、五メートル前後の体長を有する猛獣姿のナーヴァル達が、集まって何かを取り囲んでいる。凶暴に輝かせるその双眸が睨みつける先には――――とても小さな生き物が、座り込んでいる。

 土や葉っぱを被り汚れてしまっているが、キラキラと光る金色の髪の毛を持ち、衣服を身につけた、とても小さな生き物。この森の中では不釣り合いな、己以上に弱そうなその存在は、人間の少年だった。


 生まれてから十数年。初めて見る人間の、それも子どもに、サァラはつい。


(て、天使がいる……!)


 のんきにもそんな事を思い浮かべてしまった。

 汚れてしまい、今にも死んでしまいそうな怯えきった表情をしているが、白い肌と金髪がとても眩しい。こんな原始の超サバイバルな世界に相応しくない天使そのものだ。周囲に居る同族が、凶悪で大きいから余計に――――。



 ん? 怯えきった?



「侵入者の人間は、こいつだけだ」

「他の人間は殺して、森の外へ捨ててきた」

「殺せ、殺せ」


 グルグルと凶暴な唸り声を上げ、赤い獣が牙を剥く。あんな小さな子どもから見たら、巨体のナーヴァルなど悪の権化でしかないだろう。どんなに格好良い獣でも、怖いものは怖い。

 興奮している場合ではない。この次にどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。内心大絶叫したサァラは、慌てて大樹の根っこを飛び越え、彼らの側に躍り出た。


「ま、待って!」


 割って入る形となったサァラに向けられたのは、それだけで人を抹殺出来そうな鋭い視線であった。

 ……ヒイッそんな目のままこっちを見ないでよ!

 平素はわりと平穏でも、戦いともなると変貌する同胞達にサァラの方が引きながら、慎重にゆっくりと近づいた。


「――――邪魔をするな、サァラ」


 とりわけ立派な体格を有した、ナーヴァルが唸った。筋肉質な巨躯を支える、太く逞しい四つ足の白い獣。その場にいるどの獣よりも大きく、五メートルどころの話ではない。下手したら十メートルはありそうだ。

 炎のような真紅のたてがみを揺らす、牙を剥き出した狼とも獅子ともつかぬ猛獣の顔が、サァラを睥睨する。その声は……ガァクのものだ。

 ああ、道理で一番貫禄があると。

 しかし全く安心出来るはずもないので、サァラは注意しながら、一体どうしたのかと尋ねる。不機嫌に唸りながらも、ガァクは答えてくれた。


 曰く、ガァクをリーダーにした本日の狩り部隊は、森の外から人間が侵入してくるのを発見したらしい。この子ども以外にも大人の人間が数人居て、子どもを追いかけているようだったが、森を荒らして先を進むので止める為に現れた。その瞬間、人間達はいきなり、武器を出し攻撃をしてきた。なので、ガァク達は売られた喧嘩をしっかりと買って大人は瞬殺。逃げ出した子どもを追いかけ、そして現在見つけて囲った、と。


 説明を受けながら、サァラは何となく想像をした。きっとその人間達は、森を荒らす事を目的としてはおらず、その子どもを目的にして結果的に森へと入ってしまったのだろう。でなければ、わざわざこんな魔境に踏み入れるなんて、よほど自分の腕に覚えのある自信家か、ただの馬鹿だ。どちらにしても愚行でしかない。

 ガァクの低い声に恐怖の意味でドキドキとしながら、サァラはそっと子どもを窺う。十歳、いやそれよりも幼いだろうか、あどけなく小さな少年は、怯えきって激しく震えている。此方は基本五メートル以上の巨獣ばかり。里で一番貧弱なサァラよりも少年はさらに小さいのだ。


 そうだろうなあ、こんなおっかない獣に囲まれたらそうなるだろうなあ。

 あ、その中に私も入っているかもしれない。


 グサリと心に突き刺さるものを感じながら、サァラはとにかくこの状況をどうにかしなければと思った。せっかく初めて出会った、それもこんな戦う術だって持たないだろう、小さな人間の子どもだ。第一に可哀想ではないか、寄ってたかって追いつめて。


「今この場で噛み殺してやる。退け」

「ま、待って、待ってガァク!」


 恐ろしい言葉を吐きながらぐいぐいと迫る四つ足の巨獣に心底びびりながら、サァラは身を翻して子どもの側に駆け寄った。里の中で一番もやしっ子のサァラであるが、腕を伸ばすと金髪の少年はすっぽりと入ってしまった。まるで赤ん坊を抱えたみたいだ。

 というか、今心配すべきは其処ではなく、脊髄反射のように動いてしまった事だろう。

 見れば、ガァクどころか他のナーヴァル達までも固まっている。そうだよなあ、人間をあまり好いていないものなあ、ナーヴァルは。ダラダラと冷や汗を流しながらも、それでも決して腕にくるんだ少年は手放さない。


「……何を、している。サァラ」


 臓腑の底から這うような低音。初めて聞いた、激怒手前の声だった。ごくりと、サァラは唾を飲み込む。


「……こ、殺さないで、この人間は」

「森を侵し、先に牙を剥いたのは、その人間達だ」

「で、でも、もう先に……牙を剥いた大人の人間達は片づけたんでしょ? この子は、きっと、追われていただけ。外に返しても、大丈夫でしょ?」


 何を馬鹿な事を、とガァクの凶暴な赤い目が告げている。


「こんなに小さな子どもだよ。私達には何にも出来ない。何かされたって、私達……ううん、ガァクは、簡単に防げるでしょう?」

「ふん、当然だ」

「だったら、わざわざ弱いものに手を出さなくたって、い、良いじゃない。大人達は挑んだけれど、この子どもはまだ手を出していない。挑まれたら受けて立つのが戦士の教え、そうでしょう?」


 しどろもどろになりながら、必死に話す。サァラを見下ろすガァクの目が、微かに動いた

 ナーヴァルは、この森の覇者。挑戦者の意気を買って戦い、強者であれば挑め。それが、ナーヴァルの教えだ。そして決して、弱者には手を出してはならない、手を出される前に手を出してはならない、そういう習わしがある。これのおかげで、弱いサァラも生きてこれたわけだが、ともかく。

 プライドなんかその辺に転がしたサァラとは違い、多くのナーヴァルは矜持が高い。こういう言葉を出されると弱い事は、経験で学んでいる。現にガァクも、唸り声を上げながらも食らいつく手前にあった自らの牙を引っ込めた。

 内心ガッツポーズをつきながら、サァラは続けて懇願する。


「お願い、ガァク。お願い……」


 自他共に認めるもやしっ子な超絶弱い同胞からの、お願い攻撃。どうだ、これを突っぱねたらお前が弱虫呼ばわりだ! 卑怯と言えば卑怯であるが、こちらも必死であるので、プライドなんてその辺へポイしてくれる。

 サァラが縋るように見上げると、ガァクは途端に視線を泳がせる。金髪の少年を抱えるサァラの周囲をしばらくウロウロと周り、四本の獣の足で地面を叩いて、そして。

 心底、心底仕方なさそうに、その獣の巨体を退けた。


「……良いだろう。其処まで言うのなら、里の長に判断を任せてやる」


 ……安堵しても、良いのだろうか。これは。

 微妙な表情をして見上げると、ガァクはふんと鼻を鳴らした。「文句があるならこの場で殺してやる」ガァクの牙が再びギラッと剥き出しにされた。サァラは慌てて、ぶんぶんと首を振る。

 仕方ないが、まだ望みはあるだろう。里の長ならば、ガァクなどの若者達と違って理性的だ。改めて其処で訴えて、何とか命を助けなければ。

 サァラは腕に抱えた少年を見下ろす。やはりガタガタと震えていて、サァラを見上げる瞳も怯えている。言葉は同じだろうか、それとも、通じていないのだろうか。この様子からは判断がつかない。


「大丈夫、大丈夫だからね」


 せめて落ち着いて貰えるよう、声をかけて笑いかける。背中を撫でると、ガタガタ激しく震える振動しか感じられない。……うむ、見事に失敗である。


「行くぞ」


 なんてしている間に、ガァクが金髪の少年の襟元をあぐっと噛み、腕の中から掠め取っていった。ちょ、おま! 金髪少年になんて事!

 突然くわえられて獣の顎にぶら下げられた少年は、戦慄いていた口から弾けたように悲鳴を上げた。当然である、あんな雑な扱い、泣かずにはいられない。

 ギャーギャーと泣く少年など気にもせず、ガァクは口先にぶら下げたまま部隊の同胞を率いて里へと疾走する。フェードアウトしてゆく少年の叫び声を耳にしながら、サァラもその後ろを追いかけた。その場に落っことした木の実は、きちんと全て回収しておく。




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