第六話 決戦場テイーダ
6.決戦場テイーダ
鍾馗隊隊長の渡辺からの情報はすぐさま、テイーダ平原の際に展開する大西の機械化部隊に通報された。同時に東に放たれた低空担当の偵察機からもより詳細な情報が悦子に入る。低空侵入の敵は米国義勇軍のB17重爆撃機二百機、それを護衛するP40戦闘機二百機の合計四百機余りだ。それがバイカル湖の南の山岳地帯を迂回しながらテイーダに向かってきている。後三十分余りで味方陣地の上空に達する。鍾馗隊百機が追跡しているが、P40二百機に護衛されていては、容易にB17を阻む事は難しい。かつ鍾馗隊はすでにSBとの戦闘で燃料弾薬の不安が出てきていた。
「大西司令、敵のB17は確実にやってきます。ご用意を」
「悦子さん。準備は万端さ! おそらく、敵の空襲に合わせて、敵戦車隊も出てくるだろう。それこそ、千載一遇の機会だ。作戦計画通りにやろう。鍾馗隊には決して陣地上空に近づくなと大園司令に連絡してくれ。同士討ちはごめんだからね」
「はい」
大西は静かな表情に自信を漲らせ、悦子は静かに西の山岳地帯を睨み、無線機を取った。連絡将校が高射砲隊に状況を伝える。本体を取り巻くように配置された自走砲、百ミリ対空対地砲五十門と百五十ミリ隊空対地砲五十門が砲身の仰角を低高度に下げて行く。二十ミリ高射機関砲を備えた九七式戦車も陣地を囲むように散開する。陣地の内外には戦車戦用の戦車が巧妙にカムフラージュされ、五万の歩兵も広く散開して蛸壺にカムフラージュの蓋をして潜んでいる。七十五ミリ歩兵噴進砲千門を持った噴進砲部隊は一門に付き二名で、高射機関砲九七式戦車をさらに大きく囲むように扇形陣を作っていた。
大西と悦子は少し後方の小高い司令部から陣を眺める。連絡将校が前線北北西から敵の戦車部隊が進撃してきたことを告げた。戦車約千二百両、全て新型だと言う。歩兵約三万は今だに、山岳裾野の森林地帯に潜伏している。空爆の直後の攻撃を狙っているのは明らかだ。アジア民主連合の第一軍地上部隊は四百機の敵機と千二百両の戦車を相手にするのだ。対する味方戦力はタイガー戦車百両、一式戦車二百両、九七式対空対地二十ミリ機関砲戦車五十両、砲兵隊は百五十ミリ対空対地自走砲五十両、百ミリ対空対地自走砲五十両、七十五ミリ歩兵噴進砲千門と歩兵五万だ。戦車数からすると明らかに劣勢だが……、大西と悦子の表情は余裕さえ浮かべていた。
速度の速い敵戦闘機P40百機余りが前方の山岳を飛んでくるのを望遠鏡で捕らえられた。砲兵隊が自走砲の迎角を調整して、発射の合図を待っている。測量担当兵が距離を読み上げる。距離一万メートルで二式自走砲の九二式十センチ加農砲五十門が火を噴いた。数秒後、山岳地帯が始まる裾の付近の低空で五十発の弾丸が炸裂、無数の白煙が四方に飛び散る。まるで五十個の投網が空中に投げられたようだ。その白い投網に無数の小さな炎が見えた。投網に飛び込んできた敵P40戦闘機約百機の編隊上空百五十メートルで、近接信管により親子爆弾が炸裂したのだ。打ち出された砲弾は対空用のタ弾で七十六個の子爆弾が焼夷弾の雨となって敵編隊に覆いかぶさった。合計五十発のタ弾は三百八十個の子爆弾の網となって敵P40の行く手に立ちふさがった。さらに、九六式百五十ミリ榴弾砲五十門が続けて放たれた。こちらにも近接信管が付けられて、無数の榴弾が雨のようにP40に降り注がれ、百機のP40は穴だらけになり、燃え上がり、分解し、あるいは旋回して回避しようと必死になった。編隊を乱してうおさおしているところに、次々とタ弾と榴弾が放たれて、上昇したり、旋回したりしている。タ弾の投網状の弾幕がだんだん味方陣地へ近づいて来た。距離千メートルで、タ弾と榴弾の弾幕が集中して濃密な煙の膜ができた。その煙を突っ切ってくるP40は僅かでばらばらだ。それを五十両の二十ミリ対空砲が弾幕を作り始める。一両につき二連装だから百門の二十ミリだ。一機、一機と煙から出てくるP40に、百門の二十ミリが集中運用される。距離五百まで近づくP40は稀だ。だがそこまで幸運だったP40に待っていたのは更なる悪夢だ。七十五ミリ歩兵携帯噴進砲から近接信管付きのタ弾が放たれたのだ。各三組、約三百門が交互にタ弾の弾幕を作り続ける。
ウイリアム・テイベッツ中尉はB17二百機の編隊を指揮していた。敵迎撃戦闘機に対抗するために、本来なら五十機づつ四編隊に別けるところを、それぞれを接近させて二百機が一団となるように密集した編隊を作った。目標まで十五キロのところで、ウイリアムは前方へ先行進出していたP40の第一編隊に異変が起こったことを察知した。無線から意味不明の叫び声が無数に聞こえ始めたからだ。
アジア民主連合が高性能なレーダーを所有し、航空機の性能が高いと判断した米国義勇軍は、ソ連軍がバイカル湖へ中高度で進撃したことを受けて、低高度でレーダーを避けつつバイカル湖南を迂回するコースを選んだ。義勇軍本部からの情報では、ソ連軍航空機千五百機がバイカル湖上空で壊滅したらしい。ウイリアムはアジア民主連合の無数の迎撃戦闘機を想像した。二倍・三倍以上の機数を揃えなければ、千五百機が一瞬に撃墜される事など考えられないからだ。前方五キロを先行するP40百機に何が起こったのか? ここまで敵戦闘機の迎撃を免れて、奇襲が出来るかも知れないとほくそ笑んでいた矢先の事だ。きっと、この先には無数の迎撃戦闘機が待ち構えているのかも知れないと想像した。
「隊長、こちら後部銃座、後方右上空三キロに敵戦闘機が追尾して来ています。機数約百機」
ついさっき、迎撃に向かった護衛機P40百機の網を潜り抜けたのか? あるいは別の敵なのか? ウイリアムは相当数の迎撃機を敵は備えていると考えた。
「よし、目標までもう少しだ。投弾したら加速して南下、モンゴルに逃げるぞ! 敵は低速な日本機だろう」
ウイリアムもまた、日本の戦闘機の速度性能を見くびっていた。だが、用心のために、本来ならこの辺から徐々に高度を上げて、対空砲火に備えたいところだが、敵戦闘機に追いつかれた時のことを考えると、低高度を保つほうが得策だと考えた。低高度では戦闘機の機動が制限されるし、速度も落ちるからだ。それに移動性を重視する敵の陸上機動部隊が、充分な高射砲を備えているはずも無いという判断もあった。この判断はこの時点で、兵器常識からすると正しいとしなければならない。
が、目標まで十キロの地点でウイリアムが見た低空で炸裂する弾幕は、誰もが今だかつて見たことも無いものだった。敵の砲弾は正確に正面手前上空百五十メートル付近で炸裂し、無数の白い尾を引く筋が投網のように広がる。ウイリアムの先頭機は運よく投網のど真ん中を進行したため、被弾を免れたが、左右の僚機は被弾して数箇所から火を噴いている。続いて同じように前方で炸裂した砲弾は無数の榴弾を撒き散らし、ウイリアムの操縦席にも数発が飛び込んできた。隣の副操縦士ジョンソンの左肩に食い込む。ウイリアムは旋回して前方に次々にできる弾幕から逃れたい恐怖に駆られた。膝が震え、操縦棒を握る手がびっしょり濡れる。ウイリアムは密集隊形の非を悟り、叫んだ
「各機、分散しろ。このままでは全滅だ!」
すでに後続機群は上左右に緩く分散して行く。が、すでに編隊前方部を構成していたB17の半数は、ウイリアムの先頭機を残して撃墜されたようだ。敵の砲火はウイリアムの後方へ移動して行く。それも束の間、ウイリアムの機を無数の曳航弾が包み込む。前方に光りの棒の雨が地上から天に向かって打ち上がるのだ。左エンジンが火を噴く。操縦室にも無数の炸裂が起こり、航法士の絶叫が後ろから聞こえた。ウイリアムは爆弾を棄てるように指示する。緩い下降に居れ、不時着地を探す。この低高度では落下傘脱出は不可能だ。敵陣の前に広がる草原を目標に、火を噴きつつ高度を下げる。地面効果で機体が少し浮き上がる。さらにエンジンを絞る。機種を僅かに挙げると、尾翼が草原の草を薙ぐのが分かった。刹那、衝撃が襲い、尾翼接地、胴体接地、傾き、燃えた左エンジンが脱落し、左翼が捥げ、ゆっくり横に回転しながら地面を擦り続ける。
目の隅に敵の陣地と戦車が見えたとき、機体が止まった。
「乗員退避、急げ!」
ウイリアムは叫ぶと、ハッチから副操縦士のジョンソンを地面に落とす。航法士は事切れている。地面に降りたウイリアムはジョンソンの肩を支えて、機体から離れた。後部ハッチから乗務員が傷つきながら出てくる。幸い、火災を発生したエンジン部分が胴体着陸の際に脱落し、大きな爆発を免れた。
ジョンソンを草原に寝かして後方を振り返ると、ウイリアムは信じられない光景を見た。ジョンソンの破壊された機体を先頭に、延々と扇方に広がる撃墜された味方機の残骸が無数に目に飛び込んで来たのだ。上空には最後の数機が敵の投網のように広がる対空砲弾幕を潜り抜けてきたのが見えた。が、ウイリアムを襲った光の雨が再び襲い、さらに一回り小さな投網が無数に味方機を取り囲むのを見た。残った友軍の二機は機体から無数の火を噴いて、がくっと機種を下げてウイリアムの目の前で地上に激突した。地上には残骸がまた二つ増えて、空中には硝煙と黒煙が流れ、味方機は何処にも見当たらない。ウイリアムは膝の力が抜け、崩れ落ちるようにしゃがみこむと、両の手を突っ張って、上体をやっと支えた。脳裏に去来したのは米軍の義勇軍四百機全滅という事実、信じられない結果への驚愕と錯乱だった。
悦子は目の前に広がる撃墜された敵機の残骸を見ていた。一つ一つの機体が火を噴き、翼が折れ、地面に激突するのを黒煙の狭間に目撃した。P40戦闘機百機、B17四発重爆撃機二百機は陣地に到達する前に、完璧に撃墜された。対空用タ弾と近接信管を持つ砲弾、噴進弾の兵器優位がもたらした完全勝利。余りの圧倒的な勝利には、なぜか苦い味がした。無数の砲弾と曳航弾の中を、勇敢にも、突き進んで来た敵の乗員の死が哀しいからだ。
こんな時はいつも、王仁の飄々とした姿が思い浮かぶ。
《王仁様ならこの光景をどう感じる?》
だが、戦闘は終わっていない。敵戦車群が迫っていた。硝煙と黒煙が立ち昇る方向へ、おそらく、爆撃が成功したように見えているのかもしれない。新型敵戦車T34千両、米国製M4戦車二百両が土煙を上げて草原の十キロ彼方を疾走して来る。
「大西司令、砲兵隊は対空弾から対地弾への換装完了。歩兵噴進砲部隊も換装完了です」
「悦子さん、敵戦車の主砲射程は二千メートルだったね?」
「はい、T34もM4も七十五ミリ砲ですので、この距離から砲弾を受けてもタイガーも一式中戦車も大丈夫です。タイガーの八十八ミリ主砲は射程三千メートルで装甲七十五ミリを貫通します。T34の最大装甲は五十ミリ、M4は砲塔前面が七十六ミリですが他は五十ミリ平均です」
一式中戦車隊、特に民主ロシア兵と満州兵を中心とした部隊は新型対地タ弾噴進砲の射程距離の関係から、千メートル以内の接近戦を主張して来ていた。だが、悦子はM4戦車の発射速度毎分二十発に注意を喚起していた。これは一式中戦車の発射速度とほぼ互角である。タイガーは毎分七発、T34はそれ以下だと思われた。
「砲兵隊も命中精度を高めるために距離三千が理想と言っています」
「うむ。ノモンハンでも助かったが、今回も敵の砲兵隊は居ないということだ。ではロシア隊と満州隊をT34の前面に出して陽動とし、距離三千まで引き付けて、まずは砲兵隊の砲撃で打撃を与え、その後、タイガーと一式中戦車を進撃させてアウトレンジ戦に持ち込む、いいね」
「はい、新型一式と二式の自走砲それぞれ五十両を距離三千で砲撃した後、進撃させましょう」
新型自走砲二種は、タイガー戦車のライセンス生産の過程で生まれた新型だ。一式自走砲は五式百五十ミリ榴弾砲を、二式自走砲は九二式十センチ加農砲をそれぞれ、満州で作られたタイガー戦車の車体に取り付けたのだ。この自走砲の登場で、機械化師団に強力な砲撃隊が常に追随できるようになった。砲弾を取り替えれば、高射砲にもなる多機能移動砲だ。先の対空砲撃でも近接信管付き砲弾のタ弾と榴弾によって大きな戦果を得ていた。
悦子が答え、連絡将校がメモを取り、前線各部隊に伝えるために無線兵に渡す。悦子は別の無線機を取り、いつの間にか上空で偵察を行っている百式偵察機に敵陣の模様を確認している。記号が読み上げられ、卓上に置かれた地図に記号を書き込んでゆく。
民主ロシア隊と満州隊のそれぞれ五十両、計百両の一式中戦車が陽動部隊として、突出して進撃して行く。敵の主力、新型T34も高速だ。千両が怒涛のように進撃してくる。一式中戦車は距離二千で一撃を放ち、車体を反転させて向きを変えて逃げる姿勢をみせた。砲塔だけ旋回させて後ろを砲撃しながら戻ってくる。敵T34の千門の七十五ミリ砲が唸り、着弾が一式中戦車を取り囲む。が、距離二千メートルでの着弾破壊力は一式中戦車の平均装甲六十ミリを貫通できない事を見越しての陽動だ。一式中戦車が応射しているのはタ弾ではない。通常の回転噴進式四式百ミリ噴進弾に変わって、ロケット形状の十字尾翼を持つ噴進弾だ。これにより射程距離が二千メートルに伸びている。本来は近距離五百メートルで命中精度が高まるタイプだから、直撃すれば一撃で仕留めるが、この距離では数発が当るに過ぎない。だが、これで相手の隙を誘うのだ。T34は一式中戦車の攻撃を見くびって、数を頼りに突進し来た。
T34の陣形は二百五十両を一列として計四列、ほぼ方陣を組んでいる。その後にM4が二百両後詰として控えていると、上空の百式偵察機からの報告があった。大西は一式と二式自走砲を二台で一組として二百両の一列に配置し、敵の第一列が距離三千になった時に砲撃を開始した。二式百ミリ自走砲から放たれた砲弾は、やはり近接信管を持ち、距離百メートルで直径四十ミリの子爆弾を二十発、二十度の分散角度で放つ。その子爆弾は成形炸薬弾(ヒート弾)だ。成形炸薬弾はドイツとの技術協力によってもたらされたモンロー/ノイマン効果を利用した秘匿兵器で、子爆弾の炸薬は爆発方向を誘導する形状に形成され、前方に強い穿孔力が生じる(モンロー効果)と、さらにその形状に合わせた金属ライナー(ノイマン効果)を敷設することで、爆轟波によりライナーは動的超高圧に晒されユゴニオ弾性限界を超える圧力に達する。この時、固体の金属でも可塑流動性を持つようになり、液体に近似した挙動を示す。 これにより、融着体と呼ばれる金属塊となって前方へ超音速で飛び出すのだ。これが敵戦車の装甲にあたるとまるで金属を溶かしたように打ち抜いてしまうので、ヒート弾と俗称で呼ばれるが、高温で溶かすわけではなく、音速を超えた圧力によって、メタルジェットと呼ばれる可塑性の金属が、金属分子を常温で液体のようにさせる現象を利用した兵器なのだ。直径四十ミリの子爆弾が装甲百ミリを打ち抜く事を可能にしている。
一式百五十ミリ自走砲からは同じ対戦車用タ弾に子爆弾が三十発が収納されていた。百門の轟音と共に発射されたタ弾はT34の第一列二百五十台の低空で無数の子爆弾をばら撒く。直撃した子爆弾は爆発を起こし、小さな閃光を発した。その直後、殆どのT34が火災を起こす。中には弾薬に引火して砲塔を吹き飛ばして頓挫する。近接信管と親子爆弾の拡散効果で、一撃の命中率はほぼ五割にも達する。第一撃で百両以上のT34が沈黙した。T34の隊列は乱れ、進撃速度が落ちた。米国義勇軍のM4二百両は砲撃が始まるとT34の後で、消耗を防ぐように進撃を止めた。タイガー百両が前進してT34の残りを距離三千から狙い撃ちしながら進撃する。それを追い越して、一式中戦車が百両つづ二列の陣形で前進した。千五百まで近づくと、新型長距離百ミリ噴進弾を放つ。これは自走砲のタ弾砲弾と同じに、対戦車用四十ミリ成形炸薬弾十六発を近接信管によってばら撒く。この距離はT34の七十五ミリ砲弾を一式中戦車の装甲六十ミリが防げるぎりぎりの距離だ。打ち所と弾着角度が悪ければ貫通してしまうかもしれない瀬戸際でもある。
が、二百五十両ずつのT34の列は、第一撃自走砲のタ弾ですでに百両以下に減っている。そこにタイガー二百両の正確な砲撃と一式中戦車の二百両の噴進タ弾の弾幕を食らった時点で、敵第一列は沈黙してしまった。完全なアウトレンジ攻撃だ。敵の砲弾は届いても味方戦車にダメージを与えられない。だが、こちらは自走砲百門、タイガー二百門、一式中戦車の二百門と合計五百門の敵の砲数の倍に当る砲撃を第一列に各個撃破のごとく集中できたのだ。
敵の第二列以降はこちらのアウトレンジ作戦の意図を読み取ったのか、第二列以降が前進速度を増して猛烈に進撃して距離を詰めようとして来た。各列の間の距離も次第に詰まってきている。自走砲の放ったタ弾が再び敵の最前列で炸裂し始めた。タイガーと一式中戦車の砲撃も間断なく続く。半数をやられた敵は、隊列を乱して横に散開し始めた。固まって進軍することの不甲斐無さを悟ったのだ。左右に散開したT34の意図は明白だ。前方からの集中した砲撃を分散させて、左右から回り込みながら味方陣地へ接近しようと試みたのだ。だが、その方向には扇方に蛸壺陣地を構成した携帯七十五ミリ噴進砲歩兵部隊が左右に五百門ずつ展開していた。
悦子は知っていた。特務機関が調べ上げたT34の欠点。砲塔内部が非常に狭く、通常砲塔には車長、砲手、装填手の3人が配置されて円滑な砲撃が可能になるのだが、T34は砲塔が狭く、二名しか入れないのだ。だから車長が砲手も兼ねていた。そうなると、敵味方を識別して連絡を味方と取り合う指揮をしながら砲手を行う事になり、実戦になると単独で判断しがちになる。且つ、無線も備えておらず、連絡はハッチを開けて手旗信号で行わなければならない。
左右に分かれたT34は烏合の衆と化し、各戦車が勝手に迂回し始めたのだ。自軍が有利なのか窮地なのか、その情報はほぼ届かない。目の前の敵だけに向かってくる。
大西は戦況を見て、左右に分かれて混沌とした動きを見せているT34を、噴進歩兵部隊に任せるように指示して、本体は前方の残りの陣形を組んでいる七百両に進撃させた。案の定、敵に後ろを突かせる隙を見せても、そこに進撃しようと突っ込んでくるのは数両のT34だけで、大部分のT34は両翼をうろうろするだけの混沌ぶりを見せた。そこにカモフラージュされた蛸壺から七十五ミリの歩兵噴進砲が一台一台に狙いをつけて放たれる。新たな方向から攻撃されるとうろたえたT34は殆どが後退を始めてしまう。だが、前方に進撃した一式中戦車の内、六十両は三十両づつ左右に分かれて戻るようにT34の後方を追撃して、T34を噴進歩兵部隊へ追い詰める。挟撃されたT34は後退を止めて、再びカムフラージュされた扇方に展開した噴進歩兵部隊の中央部に移動、射程五百で噴進砲によって各個撃破されてしまった。
前方では同じアウトレンジ砲撃が始まる。違うのは残り五百両のT34も二百両のM4も、後退を始めた事だ。だが、自走砲の射程は百ミリが一万八千メートル、百五十ミリが一万二千メートル、逃げてもタ弾の砲撃からは逃れられない。
大西は後ろに控えるM4に砲撃を集中するように指示した。
眼下に広がるテイーダの草原は、敵、アジア民主連合の砲撃で火柱と黒煙に満ち、味方の半数の戦車が頓挫している。ジョージ・カーター中佐は米国義勇軍の陸軍部隊の司令官として、テイーダ草原北方の山岳部中腹、標高五百メートルのソ連赤軍前線司令部で、目の前に起こる信じられない状況に打ちのめされていた。次の決定的結論を出す指示を出すために、無線機マイクを握り締めている右手に冷たい汗が流れる。
隣のカムフラージュされたソ連軍の司令幕舎では、ロシア語で罵倒するような大声が洩れ聞こえる。ソ連軍のT34には無線機が戦車部隊長車両にしか装備しておらず、司令部からの指示は到底前線の各車両には届かないからだろう。敵の蛸足のように拡散する砲撃がM4の戦列に届き始めた。
「各M4戦車隊は小隊ごとに扇形に広がって後退しろ。固まるとやられるぞ」
ジョージは躊躇いを棄て、後退して山岳部に隠れるように指示を出す。だが、すでに遅かったかもしれない。M4の戦列に届いた最初砲撃で、十数両が火を上げているのが双眼鏡に移った。
M4の最高速度は時速三十八キロ、T34は五十五キロの高速だ。後退し始めたM4をT34が追い越してゆく。味方の頭上に敵の蛸足榴弾が集中し出した。敵は最前線の中戦車が距離千五百を保ち、速度の遅い重戦車は二千、自走砲は三千を保っている。味方戦車の砲撃は敵中戦車に集中しているが、新型七十五ミリが当っても跳ね返されて、進撃は止められない。
敵の中戦車も高速だ。M4を少し上回る速度で散開したM4を追撃してくる。敵の重戦車と自走砲は標的を移した。M4追い越して言ったT34に変えて、ゆっくりと草原の中央を進撃してくる。二百門に近い砲弾が炸裂するたびに、T34は十数両がやられて燃え上がった。
扇形に散開したM4は敵の自走砲砲撃からは外れたが、追撃してくる中戦車からロケットのような砲弾が放たれ、M4の上空で炸裂して小さめの蛸足榴弾を浴びている。車体から小さな炎が見えると、やがてエンジン部から発火し、砲弾の誘発で砲塔が飛び散る。相変わらず、敵は千五百の距離を開けて無傷だ。数両のM4が果敢に敵中戦車に向かって行く。するとその方向にいる敵だけが後退し、距離を開ける。その間に左右に回りこんだ敵戦車からの砲弾を浴びてしまう。敵は無線で連絡を取りながら、見事な組織機動戦を展開しているのだ。だが、その数両の勇気ある突撃のお陰で、他のM4は後退を続け、山岳部の谷に入りこむと、森林の中に隠れ潜む事ができた。T34も二百両ほどの損害を出しながら、山裾の森林地帯に隠れた。
敵は進撃を止めると、山裾から千五百に中戦車、二千に重戦車、三千に自走砲を配置した。その後から数千の歩兵が陣を扇型に囲むように布陣する。この歩兵は携帯ロケット砲を持ち、さらに小型の蛸足榴弾を発射する部隊のようだ。
「司令官、M4は約五十台がやられました。T34は千両中、森に逃げ込んだのは僅か二百両です」
副官のスミスが情報を持ってきた。
「先ほど米国義勇軍総司令のシェン・ノート大佐に無線で連絡、B17二百機とP40二百機はほぼ全滅したと報告しました」
「シェンは何か言ったか?」
「はい、なぜだ? と理由を聞かれましたので、敵の対空砲は新兵器で命中率も破壊力も信じられないほどだと答えておきました」
「同じ事が戦車隊にも起こったとシェン総司令に報告しておいてくれ。航空機も戦車もアジア民主連合には歯が立たないと必ず言うんだ」
ジョージが副官を下がらせようとした時、突然、周りに砲弾の雨が降り注ぎ始め、大きな爆発音と衝撃がジョージを襲い、爆風にジョージの体は数メートル吹き飛ばされた。敵はこの司令陣地を発見したのだ。体の節々が衝撃で引きちぎられたのかと思い、ジョージは手足を動かしてみる。耳鳴りがひどく、頭が割れそうだ。手足が動く事を確認して、次に頭を触る。頭も異常が無い。ほっとして、硝煙に煙る数メートル先を見ると、副官が倒れ、無残な姿に成り果てていた。
ジョージがよろよろと立ち上がろうとする刹那、再び至近弾が閃光とともに着弾した。ジョージの意識はそこで切れ、蘇える事は無かった。