第五話 その三 バイカル湖空中戦
5.バイカル湖上空
バイカル湖上空一万メートルを飛行する晴空特別偵察機の中で、大園は戦況を確認しつつ、進撃してくるSB爆撃機約八百機へ迎撃隊を誘導していた。敵のYak−1戦闘機群を蹴散らした見方の零戦と隼隊は弾薬と燃料補給のためにチタに引き返した。
迎撃の第二陣は高度六千を飛行する天空爆撃機二十四機。敵のSBは百機ずつ八個の編隊を組んで東進してくる。天空はその各々に三機一組で、やはり八個の編隊を組んで北から接近、敵編隊の上空から爆撃機による爆撃機の攻撃を仕掛ける手はずになっていた。編隊指揮は大園が上空の晴空から無線で取る。
レーダーと機内地図を相互に見ながら、大園は三機ずつの編隊長に指示を出す。敵のSB爆撃機は液冷九百六十馬力の双発で最大速度は時速四百五十キロ、武装は七・七ミリ機銃六門だ。天空は火星二十一型改がついに二千馬力を達成し、過給器を備えた上に四発で、二十ミリ旋回機銃五門、七・七ミリ機銃三門の重武装で最大速度五百五十キロを誇った。百キロの速度差が有れば、接敵するのは容易い。
天空の第一編隊三機が最前列のSB編隊百機の上空千メートルに右旋回しながら近づいて行く。天空の先頭機に乗り込んだ岡田等中尉は空対空噴進砲に関する技術将校だった。天空の操縦席下方には小型レーダーと爆撃照準器が連動されて設置されている。その前には二十ミリ動力旋回機関砲の変わりに、空対空・空対地特殊百ミリ噴進砲一門が装備され、岡田中尉の指示の下に射手山本上飛曹が射撃準備に追われていた。
噴進弾誘導技術の魁として、日本が最も力を入れたのは近接信管技術だ。レーダーの開発途上で生まれてきたこの技術は、砲弾が敵目標の十五○メートルに近づくと信管が作動し爆発する。小型レーダーが砲弾一つ一つに埋め込まれているのだ。王仁の示唆による電子技術への開発が進んだ事により、信頼性の薄い真空管に変わって生まれた半導体、ダイオードやトランジスタの技術が小型レーダーを可能にした。レーダーと言っても、敵機が近づいてくる距離を音波のドップラー効果によって測定する検波器としてのダイオード、その検波された音波をフィルターに掛ける回路と、フィルターによって得られる一定以上の周波数になったら大電流を放出するサイリスタの基本三部品からなる。他にも電力を供給する砲弾の先端に付けられた風車と集音マイクや、サイリスタ回路に付けられた可変抵抗器があるが、部品も構造も単純なものだ。
岡田中尉がレーダーに映る敵編隊の先頭に標準を合わせると、動力式百ミリ噴進砲がジジッと動き始めて、ゴマ粒のように前方下方に見えてきた敵編隊の方向へ、砲身を向けて静かに敵を追うように動いている。双方の速度が計測され、見越し射点に砲を打ち込めるように自動的に照準されているのだ。
「山本上飛曹、最初の一発は俺に打たせてくれるか?」
「ええ、中尉のこれまでの努力を考えたら、実戦第一発は中尉に引き金を引いてもらいです」
「ありがとう」
山本は射手席を立ち、岡田に譲った。岡田は射手席に着くと、照準器を正面千メートル下を正対して迫ってくる敵先頭編隊にあわせる。
「距離三千メートル、安全装置解除」
岡田が安全装置を外す。
「距離二千、照準固定!」
「距離千五百、発射!」
「発射」
岡田が引き金を引くと同時に叫んだ。前方に白い煙を吐きながら空対空噴進弾が放たれ、敵の先頭編隊百機の先頭付近に飛んで行く。数秒の後、敵編隊上空百五十メートルで近接信管が作動して炸裂、噴進弾は子爆弾七十六個が下方に蛸の足のように広がる。一つの子爆弾は四百グラムの焼夷弾が後尾の四羽の取り付け角度に応じて、編隊を上から取り囲み、覆いかぶさるように降った。タ弾と通称される親子爆弾(クラスター爆弾)の実戦使用第一撃だ。
その時、天空の機体が凄まじい細かい振動と発射音が襲った。爆弾倉に備え付けられた十二・七ミリ機銃百丁の斜め銃が一斉に下を通過する敵編隊に放たれたのだ。岡田は席を立つと、後部銃座の観察窓に走った。戦果を確認する事も仕事だ。後部銃座には山本の同僚、池田上飛曹が唖然とした顔つきで、天空の通り過ぎた下方を見つめていた。
「池田、どうだ、戦果は!」
池田は我に帰り、報告する。
「はっ! 当機のタ弾により被弾した敵爆撃機は二十数機、内、撃墜確実は十五機です。爆弾倉斜銃による撃墜は天空の進行経路上にあった五機全てが撃墜あるいは撃破です。また両機もそれぞれ左右の空域で同じ敵編隊を同様に撃墜しました。タ弾による撃破合計は六十数機、斜銃による撃墜は十五機、総合計は七十五機です。岡田中尉! あれをご覧下さい。火を噴いて落ちてゆくのがタ弾による撃墜機で、十数の煙は斜銃により、空中分解したものです」
岡田は天空が通り過ぎた下方空域に身を乗り出して、銃座の風防に顔を擦り付けるように見た。行く筋もの煙が地に向かい、火災を発生して高度を落とす敵SBが十数機みえた。攻撃を免れて飛行するSBは二十七機が数えられた。それを確認した岡田は、今度は中央部の側面銃座の観測窓に走る。たどり着くと、天空の第三編隊が別の編隊百機を攻撃するところだった。
三発の噴進弾が放たれて、敵編隊の上空に三つの蛸足が炸裂する。それに触れると敵のSBが燃え上がった。ソ連の乗員がどんどん外に飛び出してくる。乗員を失ったSBがふらふらと高度を落としてゆくのだ。天空三機から斜銃の光りの雨が下を通過するSBに注がれる。蜂の巣にされたSBは翼が折れたり、エンジンが脱落したり、分解してしまう。通り過ぎた機体を数えると、やはり三十機以下に減っていた。岡田は己の体が震えているのを感じた。
「大園指令、天空各編隊より報告。敵SBの六から七割を撃墜・撃破したのとことです。タ弾の技術将校、岡田大尉の報告も、タ弾は敵編隊に対する空対空兵器として絶大な効果有りと言ってきています」
大園は報告とレーダーに映る影の大きさを見て、その報告が事実なのを知った。
「残存機は二百機強となった訳だな。良し、鍾馗隊の出番だ。会敵位置はバイカル湖上空!」
「はっ!」
指令補佐官の中島中尉は無線機を取って、暗号記号を読み上げた。
二式単座戦闘機鍾馗二型改百機、飛行隊長渡辺啓少尉はバイカル湖上空に到達した。鍾馗隊は五十機ずつ二つに分かれ、第一戦隊は六千メートル、第二戦隊は四千メートルを遊弋、西の空を凝視していた。渡部は左右の両翼から突き出る五式三十ミリ機関銃を頼もしげにみる。二十ミリの三倍の破壊力を持ち、二十ミリよりも初速が速く、弾道特性に優れた新兵器だ。一丁に六十発、一秒に八から九発発射できる優れもの。対大型機や防御に優れた戦闘機を想定して開発された。それも一式戦隼とは違う速度と上昇力を追求した二式戦鍾馗だから搭載できる代物だ。鍾馗に搭載されているエンジンはハ一○九改千八百馬力。最高速度は時速六百九十五キロにも及ぶ。五千メートルまでの上昇力は四分を切る局地迎撃戦闘機だ。機首には対戦闘機用に十二・七ミリ機銃が二丁ある。玉に傷は旋回性が犠牲になっているが、一式戦隼との模擬空戦では、巴戦では惨敗するが、一撃離脱戦では圧倒的な優位を示した。さらにドイツのメッサーシュイミットBf109との模擬戦では、巴戦、一撃離脱戦、射撃精度の三点で優位だった。
この鍾馗二型改も今日が初陣だ。渡部は三十ミリ機銃の試射を済まして、大きな反動を感じながら西にSB爆撃機の乱れた編隊を見つけた。
「こちら鍾馗隊隊長機、敵SBの第一編隊二十数機を発見。第一部隊が上空から第一撃、第二部隊はその間に下方から突き上げろ。敵編隊を抜けたら深追いするな。次の敵編隊を索敵する」
無線で各小隊長から了解が入る。渡部は愛機を緩降下に入れた。エンジンが唸りを上げ、速度計の針が飛び跳ねるように加速を伝えてくる。眼下に双発のSB爆撃機の先頭機を照準機が捉えた。距離八百で機首固定機銃の十二・七ミリ二丁を放つ。曳航弾が胴体後部に吸い込まれる。距離三百で三十ミリの引き金を一秒ほど引いた。機体に大きな振動が伝わる。一瞬数発が翼の付け根にあたりが裂けたのが見えた。刹那、SBの右後方を急降下ですり抜けた。機首を少しずつ上げて、後ろを振り返るとSBの翼がゆっくり折れて、機体はきりもみに入った。撃墜だ。ゆっくり上昇しながら部下の戦いぶりを観察する。殆どが一撃で翼を折り、胴体がちぎり、エンジンを吹き飛ばした。五十機の鍾馗の第一部隊が通り過ぎた後に、敵の姿は無かったのだ。
「ようし。第一撃完了。第一部隊はそのまま高度四千まで降下、第二部隊は高度六千まで上昇し、今度は第一撃を担当せよ」
「了解。こちら第二部隊長、長谷川。敵の第二編隊発見。高度約五千、機数約三十機」
第二部隊の先頭機が翼を小さく振り、左へ僅かに機首を向け速度を増して行く。
伝家の宝刀とはこの三十ミリのこと。まだ左右五十発ずつ計百発残っている。一秒で左右合計二十発弱の三十ミリを受けたら、飛んでいられる敵機はいない。敵の第二陣三十機が上空に小さく見え始めた。編隊を固めて小さくなろうとしている。前方上空を行く第二戦隊が先頭機からひらりひらりと背面飛行に入る。直上方攻撃だ。二機ずつの小隊がそれぞれ目標のSBに襲い掛かる。長距離から機首固定の十二・七ミリ二丁の曳航弾が放たれ、それを軸線に機動が僅かに修正される。弾幕を浴びたSBの中には火を噴く物もでる。通りすぎる刹那、爆発が編隊のあちこちで起こった。三十ミリを浴びたのだ。四散する残骸がクルクル回りながら落ちて行く。圧倒的な破壊力が空を火と黒煙と破片で一杯にする。
渡部は後続の第三陣を捕らえていた。徐々に高度を上げて攻撃位置に付こうとする。が、第三陣は爆弾をバイカル湖に棄てると編隊を崩し、各々ばらばらに旋回を始めた。前方で起こった二十数機の全滅を見たのだ。恐怖に駆られたSBは踵を返して逃走しようとしているのだ。
「第二戦隊は高度を上げて、第四陣に備えよ。第一戦隊は前方の逃走するSBを各個撃破。追跡範囲はイルクーツク市上空まで。それ以上は深追いするな」
渡部はそう無線で連絡すると、スロットル前回で降下しながら逃げるSBを追った。百五十キロ近い速度差でぐんぐんと接近して行くが、SBも必死に降下して速度を増し、低空に逃げようとする。イルクーツク市に入り、後方二百まで接近すると、焦ったSBは上昇右旋回に入った。照準機に翼の付け根が大きく写ったときに、三十ミリを一秒放つ。二十発近い三十ミリが大穴を幾つも開けて機体が翼の付け根で折れたのを確認し、渡部は上昇する。
「隊長、敵の後詰め編隊が上空を通過して行きます」
列機の落合が無線で知らせる。
「よし、高度を上げて下方突き上げで攻撃。第一戦隊は集合!」
渡辺が追跡しようとしていたSBの編隊は最後尾の戦隊だ。前には第二戦隊が第四陣を屠って、第五陣に襲い掛かっていた。渡辺の第一戦隊と第二戦隊の間には、五、六、七、八のSBがまだ居るのだ。それぞれが前後を挟撃する形になった。
敵の最後尾の編隊を追っていると、第五陣を屠られた第六陣が再び恐れをなして、引き返し逃げて行く。それを追って第二戦隊が低空を追跡し、次々とSBを撃墜している。渡部は爆弾を積んで速度が遅いSBに素早く追いつくと、速度差と馬力を生かした直下方からの突き上げ攻撃を掛ける。一機に対して二機の鍾馗が放つ三十ミリは再び圧倒的な破壊力を見せた。SBは爆弾をバイカル湖手前で投棄すると逃げ出し始めた。
「こちら渡辺、第八陣は爆弾を投棄して逃走中。第二戦隊は後方低空で迎撃せよ。第一戦隊は前を行く最後の第七陣を追跡」
渡部は再び高度を五千まで上げながら前方の敵、第七陣二十数機を追った。
「こちら晴空指令機、最後の第七陣はバイカル湖上空で進路を南東に転進、テイーダに進路を向けた。第一戦隊との距離、約十キロ、約二分四十五秒後に接敵」
渡辺は機首を東南東に向け、スロットルを開けて加速する。千八百馬力の大型エンジンを備えた鍾馗の加速は鋭い。バイカル湖の南の淵を左から右へ向かうSBの編隊が見えてくる。渡辺は編隊を率いて上昇し、緩く右上昇旋回しながらSBの編隊を右下千メートルに捕らえた。右にバンクを掛けながら降下する。敵の七・七ミリの曳航弾がパラパラと降り始める。だが急降下で加速した鍾馗に当るはずも無い疎らな攻撃だ。SBの脇をすり抜ける時に大きな衝撃が機体を揺さぶる。SBが空中爆発した衝撃だ。渡辺はゆっくり機体を引き起こしに掛かる。上空を見上げると、再び火と黒煙と残骸が空域を染め、SBから脱出した落下傘の花が見えた。
渡辺は緩く上昇しながら周りを見回す。敵影は消え、鍾馗が飛び交う。完璧な勝利を思う。が、嫌な胸騒ぎがする。渡辺は南東を凝視する。山肌の緑に隠れて小さな影がテイーダに向かって忍び寄る。小さな影を凝視するとその周りにもっと小さな影の気配があった。距離が大分ある。あの高度ではレーダーには映らない。
「こちら鍾馗隊渡辺、南東方向山岳地帯を低空で飛行する敵の編隊らしきものあり」
渡辺は鍾馗隊に集合を掛けて、全速でテイーダ上空を目指した。