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第四話 対ソ戦

南方進出の不利を王仁に指摘されたアジア民主同盟は、

スターリンによる粛清渦巻く、極東シベリアに無限の資源を見出し、

シベリヤ送りになった一千万のロシア人救出を視野に入れ、

イルクーツク攻略を含む極露作戦を発動。

ノモンハンでの戦車戦が勃発。


第四話 対ソ戦


 満州の大地に遅い春が訪れ、草原をゆったり流れる川も、川面に遊ぶ水鳥もいっそう白く輝いて見える。彼方の霞む山々は青々と若葉で飾られ、小さな花々が刹那を競うように鮮やかに燃えている。やがてやって来る短い夏に備えて、生き物達が命の上昇気流に乗ろうと躍動しているのだ。

 悦子の立つ丘に風が吹き上がってきた。渡ってきた風は、密やかな甘い匂いを含み、目元を快い冷たさで撫でて行く。風の中に一人いると、いつも思い出すのは悦子の原風景、浮浪児だった頃の事だ。今の己の成長した肉体に、目を閉じて意識を向けてみる。さらに浮浪児だったころのやせ細り、腹をいつも空かしていたころの自分の肉体を思い起こす。刹那、あのころと今の間の時間が消えた。浮浪者のころのすえた匂いと今の自分を取り囲む甘い草原の匂いの差が、くっきりと感じられた。両方の違いを感じ取っているのは、時間の無い何時も今に居た自分だった。

 風が下る丘の下には、日本軍を中心としたアジア民主連合の機甲師団が集結し、兵士達が高い士気を表してきびきびと動いている。兵士達に不安があるとするならば、故国を偲ぶ望郷と新しい国づくりへの希望の狭間に揺れることだろうか。悦子に帰るべき故郷と呼べる場所はあるのだろうか。浮浪児の記憶と特務機関での熾烈な訓練の記憶は、境目がぼやけて、心の中の切なさが連続していた。決して幸せな記憶では無い。しかし、それでも、祖国を思う気持ちがあった。浮浪児のころが懐かしく思えるなら、きっとそれさえも祖国が悦子という人間に与えた、決して自ら望みはしなかったけれど……、かけがえのない贈り物だとしたら……、だからこそ、この丘に両の足で立ち、風に吹かれる自分がいるのだと思った。

 ドイツから寄与された二百両のタイガー重戦車を先頭に配置し、エンジン出力を高め、装甲を強化した噴進砲搭載の一式中戦車二百両、陣形を取り囲むように、同じく馬力と装甲を強化して対空対地兼用二連装二十ミリ装備の九七式中戦車三百両が補給線保持と貨物牽引用として陣形を組んでいる。狭間には千台以上にも及ぶ輸送トラックが陣を出入りし、噴進砲千門と軽機関銃一万丁装備の歩兵二万名が陣の外側で進撃準備を整えていた。日露戦争と上海での経験が、陸軍に機工化を即した結果だ。

 大園司令の満州爆撃隊がモンゴルとイルクーツク周辺のソ連航空隊を壊滅させて制空権を奪うとすぐに、アジア民主連合軍は最新鋭の機械化部隊を送り込み、ここ満州とモンゴルの国境ノモンハンに集結したのだ。

「悦子さん」

 振り向くと現地総司令官の大西大将が立っていた。悦子が踵を正し敬礼を返すと、特務機関専用の濃紺の制服が良く似合う悦子を、大西は我が娘を見るように目を細めた。

「楽にしてください。悦子さん」

「大西閣下、こんなところを一人で歩いていたら、危険です」

「それは、あなたも同じでしょう。しかし、この場所が軍全体を見渡すには一番良い……」

 大西とは上海での周恩行との戦い以来だ。王仁によれば、天皇陛下の人間宣言を補佐した皇道派の指導的立場にある人物、王仁と悦子の独自活動を全面的に後押ししてくれている。そして、常に前線にあって、現場の状況を基に作戦指揮を行う実戦型の司令官だ。大西はほぼ集結を終わった陣容に目を移し、これからの作戦に思いを巡らしている。

 作戦とは……、極東ロシア民主共和国建設のためのさきがけとなるイルクーツク進行作戦だ。これはドイツのために行われる作戦ではない。もちろん欧州民主化のために西のソ連の動きを封じ牽制することになるのは間違いない。しかしそれ以上に、この作戦はアジア民主同盟の生き残りの戦いなのだ。天皇陛下の人間宣言以前、日本軍部の間では、資源小国日本の行く末は南方への進出しかないと考えられていた。石油、ボーキサイト、鉄鉱石、天然ゴムと、豊かな資源に恵まれた南方進出は海軍力の増強とともに規定の計画であったのだ。だが、それは列強諸国と世界を正面きって敵に回し、戦線を限りなく拡大することを意味した。すでに南方は列強諸国の植民地になっていたからだ。

 皇道派は南方進出に反対しつつ、しかし、安定した資源供給を確保する別の方策を模索した。王仁が示唆したことは、驚く事に、足元の極東に必要な資源があるということだった。それを受けて、特務機関と各分野の研究者が連携し、極東の資源の洗い直しと調査が数年に渡り行われた。結果、石油は北樺太のオハ油田がすでに存在し、且つ、満州の直ぐ隣のハバロフスクには非常に有望な石油鉱床や錫、錫、タングステン、銅、鉛、亜鉛、銀なども豊富に産出される事が判明した。希少金属、インジウム、ビスマス、バナジウム、スカンジウム、カドミウム等もあわせて錫から抽出できるのだ。ヤクーツクには優良な天然ガスと鉄鉱石鉱床があった。マガダン州ではボーキサイトやタングステンが産出される。極東シベリア全体が金やダイヤまでを含む鉱石資源の宝庫だったのだ。

 すでに友好国となった蒋介岩の中国、貴州はボーキサイト、石炭、リン、水銀、マンガン、アンチモン、金、重晶石、硫化鉄、セメント原料、レンガ原材料およびさまざまな用途のある白雲岩、砂岩、石灰岩などが豊富に取れることがわかり、すでに両国による共同開発計画が始まっていた。

 列強諸国に南方資源を独占されている限り、アジア諸国の行く末に希望は無いと判断した日本政府は、ソ連との合従も検討したが、当時ロシアでは大変な事が内部で起こっていた。スターリンの大粛清と呼ばれ、権力を手に入れたスターリンは共産主義の理想はおろか、権力を守るために疑心暗鬼の独裁の鬼と化していた。一九三六年から一九三八年までに、反革命分子として処刑された人は七十二万人を数え、反抗的分子として処罰された人はシベリアでの重労働に送られた。述べ一千二百万人以上が粛清されたのだ。

 特務機関からその事実を聞いた王仁は、極東へ送られた政治犯を何とか救出する方法までを示唆していた。放って置けば、間違いなく一千万人以上の人々が重労働の末に死ぬことになると言うのだ。そこで生まれてきたのが、イルクーツクから東を民主国家として独立させる極東ロシア民主化、極露作戦だった。このために、東の彼方にはアジア民主連合五十万の兵士がすでに集結していた。大西の彼方を見つめる目の理由がそこにあった。

 海軍は空母四隻を主力とする連合艦隊が流氷去ったオホーツク海に集結し、ソ連の潜水艦を掃討しながら、同時に艦載機によるウラジオストック攻撃と上陸を準備していた。

「そろそろ王仁君が空からやって来る頃合だね」

「はい、閣下。満州の約三分の一の戦略爆撃機がこの先十五キロのソ連陣地を空爆、地上攻撃をかける予定です。大園司令と王仁様が晴空で陣頭指揮に当たっています」

 悦子と大西が東の草原の彼方を見つめる。そこには天空重爆が二百機、一式陸攻が二百機、九九艦上爆撃機二百機、護衛戦闘機二百機の戦爆連合の大編隊が小さな黒い点として見え始めていた。


 大園は戦爆連合を五陣に別けていた。第一陣は九九艦上爆撃機を陸上使用にした急降下爆撃隊による敵対空陣地の撲滅、第二陣は天空重爆百八十機による高高度からの精密水平爆撃で、敵砲兵陣地を受け持つ。第三陣は一式陸攻二百機による敵歩兵陣地への爆撃。第四陣は大園発案の十三ミリ機銃百丁を下向き斜銃として装備した天空特別陸上攻撃機二十機による同じく敵歩兵陣地への攻撃だった。

「こちら友長隊! 視界良好。現在、友軍陣地上空を飛行中。約四分で敵目標に到達!」

 先頭を行く急降下爆撃隊から無線が入った。

「零戦隊は中高度索敵、隼隊は低高度索敵を行え! 北西に敵機の影あり。機数僅か!」

 大園が晴空のレーダー室から命令を下す。眼下を飛行していた菅野示現隊零戦の半数が右にゆっくりバンクをかけて迎撃に向かう。

「隼戦闘機隊はレーダーに掛からぬ低空侵入機を注意せよ! 敵を侮るな」

 イルクーツク空襲でソ連空軍の殆どを叩いたとは言え、やはり打ちもらしがいたのだ。低空域を飛行中の加藤隼戦闘隊の内約五十機が散開して北に進路を変えた。


 ソ連軍司令官ジェーコフは幕営の中でお粗末な地図を睨んでいた。

「このモンゴルにはもっとまともな地図はないのか!」

 遊牧民族国家、モンゴルにはまだ精密な地図などあるわけは無いのだが、ジェーコフ司令を内心イラつかせていたのは別の事だ。スターリンが赤軍への統制を強めたために、有能な将軍や幹部将校の殆どを粛清してしまい、日本とアジア民主連合の宣戦布告に対抗する人材が居ないということだった。加えて、先日の日本軍機によるイルクーツク爆撃により、現地の稼働機は数十機しか残っておらず、今日あるか明日あるかもしれない日本軍機による空爆に対して、自軍の戦車五百両、装甲車四百両、火砲四百五十門と歩兵五万七千人が丸裸で満州の草原に晒されている事だ。

 さらに、心の芯では、スターリンの粛清への恐怖がジェーコフを不安に陥れていた。司令官がそうであれば、何も言わなくても幹部将校へ不安は伝わる。兵士達も航空戦の惨敗を噂で知っており、アジア民主連合への小さな畏怖が根付いていた。かつての日露戦争でも、日本兵の苛烈なまでの戦闘意欲は噂となっていたし、戦車兵も歩兵も怖気が無いと言ったら嘘になる。幸い、斥候偵察の報告では、歩兵の数ではソ連が勝っているようだが、アジア民主連合軍は急速に機械化されていると言う情報もあった。

 この戦に負ければ、間違いなくジェーコフも粛清されるのだ。そしてこの兵達の怖気を振り払うには、背水の陣しかないと思った。本来なら、負けを装いつつ内陸へ、本国からの兵站が届きやすい場所へすこしづつ敵を誘い込み、冬の到来をまって攻勢に出たいところだが、それをやると、軍が崩壊する可能性が高かった。陣形にしても相手の空爆を予想して広く分散させておきたいが、その場合、各所で敵前逃亡や命令無視の後退が起こる可能性があった。ジェーコフは火砲は出来るだけ分散させ、戦車軍を前に配置、半分の装甲車を後ろに置いて歩兵を挟む陣形を取るしかなかった。ジェーコフの非凡な点は、そうであっても、空爆の影響を最小限にとどめるために、歩兵を小隊単位で横に長く間隔を開けて配置、蛸壺を掘らせた点だろう。だがこれが、航空部隊に付け入る隙となってしまう。

「ジェーコフ司令官! 配置完了しました。ご命令通り、各自の部署を死守するようにと伝達。戦車・装甲車兵には己の足を鎖で各々車体に繋げと指示しました」

 副官の報告に冷や汗が噴出した。己の命令とは言え、そこまでやらねばならない戦とは、勝っても負けても間違いなく己の汚点となるだろうと思うからだ。そこへ友軍の航空隊からの無線が入った。

「只今、敵機と交戦中、敵多数」

 ジェーコフは幕営を出て、北の空を見渡す。小さな粒がちかちかと輝き、小さな火となって落ちるのが見えた。

「対空砲準備! 兵士は蛸壺から一歩もでるな! 車両は散開せよ!」

 ジェーコフがそう怒鳴ると同時に、空から急降下爆撃機が空気を切り裂くような音を立てて、攻撃してきた。敵機は陣を囲むように配置した対空砲を的確に爆撃している。爆焔が赤黒く立ち昇った。高高度を敵爆撃機が密集して通り過ぎて行く。後方の砲兵陣地に無数の爆弾が落ちて行った。炸裂する光りと赤黒い炎が地に満ちた。ジェーコフは歯軋りするばかりだ。西から戦闘機を先導役に低空を進入してきた別の爆撃機が歩兵陣地を横切るように爆撃する。歩兵陣地を横になめるように閃光と大きな破裂音、強烈な爆風と地響きがジェーコフの立つ丘にも届いてきた。副官がジェーコフの手を引っ張って、近くの塹壕に引きずり込んだ。ジェーコフは副官の手を振りほどき、塹壕から首を出して見ると、同じ方角からまたより低空を飛ぶ数十の爆撃機がやって来た。ジェーコフは恐ろしい光景を見たのだ。その爆撃機は爆弾を落とすことなく、爆弾倉から光りの雨を兵士が潜む塹壕に降らせた。横に伸びた塹壕に沿って、豪雨としか形容しようの無い、おそらく一機百丁にも及ぶ機銃の銃弾が無数に打ち込まれている。塹壕は横からの攻撃のためだけに作られた物。上からの垂直に近い角度の機銃照射から兵士を守るべきものは何も無いのだ。ジェーコフの膝が力なく崩れた。

《これは……、私が知る戦争では無い……》

 ジェーコフは制空権を握られた不利を今更ながら実感し、一箇所に留まる不利を悟った。

《撤退すれば粛清、留まれば弾雨の雨、残るは捨て鉢の前進攻撃で、敵歩兵と戦車との混線に持ち込むしかない》

 無線兵から隣の副官に次々と被害の報告が入る。

「砲兵隊、ほぼ全滅」

「歩兵各分隊、半数以上が負傷・戦死」

「戦車隊、五十両が破壊、二十両が破損、行動不能」

「装甲車隊、百両が破壊、四十両が破損、行動不能」

 ジェーコフは火砲の援護無しに、残った歩兵二万と戦車四百八十両、装甲車三百六十両で突撃を指示した。

「副官! 全軍に伝えよ。制空権が無い以上、ここに留まっても退却しても、敵航空機の攻撃は必ず我らを補足して全滅するばかりだ。生き残る道は敵陣に突入して敵を撃破し、敵の捕虜を人質にすることだ。これ以外に方法は無いと伝えよ。戦車隊、装甲車隊、歩兵の順に突撃開始だ。生き残り砲兵は戦車砲だけ進軍させろ!」

 ソ連軍は東に向かって動き出した。ジェーコフが上空を見上げると、一機の大型偵察機が大きく旋回している。


「悦子さん、聞こえるかな? こちら王仁」

「はい、王仁様、感度良好」

「敵の野砲はほぼ沈黙させた。車両には約十五パーセントに被害を与えたはず。歩兵は半数弱が戦闘不能と見られる。ソ連軍は東に向かって移動を開始した。作戦イの発動、よろしく」

「了解」

 悦子は無線機のマイクを置くと、側に立つ大西司令を見上げた。大西は強い眼差しを返した。

「よし、作戦イ発動!」

 二百両のタイガー戦車が前進を開始した。悦子は一式中戦車に乗り込み、別働隊の連絡将校として噴進砲搭載の一式中戦車五十両と対空対地攻撃用二連装二十ミリ機銃装備の九七式中戦車百両を率いて迂回路を進撃する。敵の背面を突くのだ。敵の陣形は上空の王仁から逐次情報が入る手はずになっている。

 戦車の中で揺られながら悦子は、空爆の恐ろしいほどの効果を考えていた。特に天空の爆弾倉に十三ミリ機関銃百丁を斜めに装着した対地攻撃の戦果は信じられないものだった。敵歩兵の半数を戦闘不能にしたのだから。大園の発案、イルクーツクの空戦もそうだったが、今回も下向き斜銃は大戦果をもたらしたのだ。

「悦子さん、敵は真っ直ぐ本陣に向かっている。悦子さんの隊はそのまま直進して、地図ホの地点の丘の影に隠れて敵をやり過ごし、その後、後ろに回り込むのが良いだろう」

「王仁様、この無線、暗号使わなくても良いのですか? 敵が聞いているかもです」

「いや、聞いていても、相手の動きはここから手に取るように見えるからね。相手が動きを変えたらそこで対応すれば良い。そもそも、この無線の会話が罠かもしれないと思うだろうね」

「ほほほ、王仁様らしい豪胆な作戦ですね」

「大作戦に男と女が日常会話をするなんて、敵には信じられないだろうよ」

「悦子さん、日露戦の仇は天空陸上攻撃機が仇を討ったぞ!」

 大園が無線に割り込んできた。

「大園司令の斜銃には大西司令も舌を巻いていましたよ」

「いや、王仁殿と悦子さんの尽力のお陰だよ。気をつけて戦ってくれよ、悦子さん」

「はい、上空で見ていてください」

 

 ジェーコフは陣の殿しんがりで無線設備搭載の特別装甲車に乗って移動していた。スターリン宛に暗号電文を打ったばかりだ。アジア民主連合軍の驚異的な航空機戦力によって制空権を奪われ、かつ歩兵の大半を対地攻撃で失った事を柔らかく表現し、早急なる援軍派遣と、戦車と航空機の補充を要求した。さらに、このままでは極東ソ連への侵入も予想されると脅しておいた。そのくらい脅さないと、きな臭くなってきたドイツに後押しされたフィンランドとの紛争準備へ、戦力を割かれてしまいかねない政治情勢を良く見抜いていたのだ。

《航空兵力はまだまだ西で温存されている。スターリンがやる気になれば千機や二千機は直ぐに集まってくる。もともと、アジア連合軍の航空戦力を甘く見て、イルクーツクに集めたのは航空機もパイロットも第二線級だった。だが、スペイン内乱当時の熟練パイロットが来れば、次はそう簡単にはやられはしないだろう。歩兵と重火器、戦車は移動に時間がかかるが、二週間もすればシベリア鉄道でどんどんやって来る。後、二三週間、何とか持ちこたえれば……》

 だが、問題はイルクーツクの航空本部が事実をスターリンに報告しているかどうかだ。ほぼ壊滅とは決して報告しないだろう。すれば、粛清されるに決まっているからだ。己も歩兵の半分を失ったとは報告していない。甚大なる損害とぼかしている。それで、スターリンが腰を上げるかどうか? 残る手は、アジア民主連合の戦力を水増しして報告する事だ。

《それにはまず、敵の機械化部隊と手合わせをした後で考えよう……》

 部隊の先頭を行くBT5とBT7の中戦車は、ジェーコフの知る敵のどの戦車より快速で重武装はず。歩兵も潤沢な軽機関銃と重機関銃を携えている。敵の歩兵の大部分は小銃のはず。劣勢になる訳が無いと考えていたのだ。一抹の不安は、敵の航空戦力が驚くほどに充実していた事実だ。もしかして、機械化部隊もまた……。

 ジェーコフは考えるのを止めた。敵の野砲が怒涛のように落ち始めたからだ。その弾幕が徐々に先頭を行く戦車隊を包んで行く。

「怯むな! そのまま最大戦速で突っ切れ!」

 戦車隊は各々百メートルほどの間隔を開けて進撃している。直撃弾を食らう確率は少ないが、至近弾を食らうと、BT戦車の欠点であるエンジン部分の発火しやすさが出て、炎上する車両が出始めていた。火を噴いた戦車から搭乗員が出てくることは無い。鎖に繋がれているのだ。ジェーコフは歩兵の前進を暫し止め、戦車・装甲車だけをがむしゃらに前進させた。砲撃がぴたりと止み、硝煙の霞みが晴れると、前方に約二百両の敵戦車が見えた。やけに砲身が長く角ばった形の戦車だ。ジェーコフが知るどの日本戦車とも違った形だった。

《ちっ! 新型だ。日本にも重戦車があったのか!」

 一段高い位置に陣取った新型戦車は横一列の陣形。味方のBT戦車が射程に入る前から、敵戦車は砲撃を開始してきた。ジェーコフは怖気を振るった。二百両の敵戦車の砲撃の正確さと砲弾の威力が信じられなかったからだ。最前列を進むBT7の五十両が一瞬にして爆裂した。まるでブリキが捻じ曲がるように車体が変形して燃え上がったのだ。無駄に逸れる弾は一発も無かった。直撃か至近弾が確実にBTを屠った。第二撃が二百両の新型戦車から放たれると、再び五十両の戦車が鉄くずに変わった。BT5の第二列は第一列のやられ方をみて、直進前進をジグザグに変えて進もうとしたが、前百両が頓挫した第一列を超えようとした地点で、横腹に同じように正確な砲撃を受けてさらに損害を大きくした。敵戦車の次弾装填の時間も信じられないくらい早かった。BTを二百両ほど失ったジェーコフは思わず、進撃中止を後続に命令した。まだ、友軍の戦車は射程に入れずに一度も砲撃をしていない。

《あの距離の敵を攻撃するには野砲しかない! が、野砲は殆ど爆撃でやられた……》

 このまま前進すれば、BT戦車は全滅するだろう。時速三十五キロの快速戦車と呼ばれるBTが狙い打ちにされるなら、速度が遅い装甲車両はなおさら不利だ。ここに留まれば、敵の重戦車は野砲の砲撃の後に進撃してくるだろう。戦車隊を分散させて敵戦車を丘下におびき寄せよせよう。ジェーコフはそう判断すると、全軍を敵野砲の射程距離外へ撤退させた。


 大西は後退して行く敵を見ながら、各々のタイガー戦車の両脇に噴進砲装備の一式中戦車と二連装二十ミリ機銃装備の九七式中戦車を一両づつ付けて、三台で一組を編成して進撃を開始した。遠中距離の敵にはタイガーで、短距離の車両には噴進砲と二十ミリ、近距離の歩兵には各々の車両装備七・七ミリ機銃で対応する作戦だ。速度が時速三十キロ弱と遅いタイガーと九七式の前に、時速四十キロの快速一式戦車が先導する。その後ろには四式百ミリ携帯噴進砲を持つ歩兵と百式軽機関銃装備の歩兵が続いた。特務機関の情報では、敵BT戦車には基本的に小隊指揮車にしか無線が搭載されておらず、その指揮車は砲塔に鉢巻上のアンテナが付いていることが判っていた。全友軍戦車はその鉢巻アンテナ車両を攻撃するように指示されていた。最もソ連は多民族国家で、無線が全車両にあったとしても意思疎通が出来たかどうかは疑問だが。

 進撃を開始した自軍を眺めていると、一式中戦車の一部の部隊五十両が突出して行く。副官に尋ねると満州軍属の満州人の戦車隊であることが判明。無線で進撃をあわせるように指示すると、一時は速度を落とすが、しばらくすると戦車同士がお互い競争するように速度を上げ始めて再び突出してしまう。それを見ていた旧ロシア人移民組みの戦車部隊五十両もその後を追うように突出してしまうのだ。やがて、五十両づつ二組の一式戦車は雪崩のように先走りして、後退するソ連軍の最後尾を捕らえた。

 BT戦車の装甲は平均して二十ミリ前後、一式も九七式もソ連戦車との戦闘を予想して、敵の主力砲四十七ミリの至近距離からの砲撃に耐えられるように六十ミリ前後に強化されていた。両戦車ともエンジンは共通の一〇〇式改空冷V型12気筒ディーゼルで四百四十馬力を誇り、初期型からすれば倍近い馬力になっていた。且つ、本来装着されるべき一式四十七ミリ砲を噴進砲に転化したため、軽量化がもたらされた分を装甲強化に回せたのだ。中戦車としては世界の水準をはるかに超えた戦車になっていた。タイガー戦車は八十八ミリ砲を備え、且つその装甲は八十ミリから百ミリになっているのだ。初期タイガー戦車はエンジンとギア及びサスペンションに問題があり、長距離操行が出来ない欠点があったが、ドイツと日本の技術協力は旋盤・プレス・溶接技術と工作機械の精度を高め、欠点を克服していた。

 日本が開発した四式百ミリ噴進砲は射程が短いが、弾頭部分に軟鉄が使用され、百ミリ前後の装甲なら滑ること無く破壊した。高速で移動し、近距離線に持ち込むことが一式戦車の最大限の力を発揮することだった。おそらく、満州人部隊と旧ロシア人部隊の部隊長はその点を熟知しているのだろう。大西はそれ以上の牽制指示を出す事をやめ、一式戦車の実力を見てみようと思った。


 ジェーコフは後方から追撃してくる敵戦車軍の内、一部の高速中型戦車が自軍の快速BT戦車に追いついて来たことに目を見張った。大きさはBTと同じだが、BTより十キロ程度早い。ジェーコフは殿しんがりのBT部隊二百両に反転迎撃の砲撃を命じた。反転したBT戦車の四十七ミリ砲が一斉に火を噴いた。着弾雨が敵の戦車約百両を取り巻いた。いくら距離がまだ一キロ離れているとは言え、直撃弾もあるはずだが、敵戦車は燃える事も頓挫する事も無く突き進んでくる。ジェーコフは連続砲撃を命じた。BTが次弾装填に手間取っていると、敵の中戦車は距離五百メートルまで肉薄した。だが敵はまだ発砲しない。BTの砲が再び放たれた。命中弾が視認できた。敵戦車の前面や砲塔に砲弾が当たり発光爆発が見えたのだ。しかし、敵戦車の動きは止まらなかった。ジェーコフは戦車隊に後退を叫んだが……。二百メートルまで接近した敵戦車の砲塔から白い煙を噴出した砲弾が放たれた。真っ直ぐな煙の矢がBTに向かって飛んで、見事な命中率でBTを一撃で破壊する。重戦車の砲弾と同じような閃光がBTを取り囲み、一瞬の内にBTは燃え上がった。敵戦車は高速を活かし、BT戦車の間を走り回り、信じられない次弾装填スピードで次々とBTを屠っている。次段発射まで五秒と掛からないのだ。

 ジェーコフは戦車隊を見捨てざる終えなかった。このままでは敵の中戦車たった百両に全軍をやられかねないと判断したのだ。装甲車と歩兵は元の塹壕陣地までの撤退させるしか方法が無い。ジェーコフの戦闘指揮装甲車から身を乗り出して後ろを振り返り、BT戦車隊が壊滅し、敵戦車が高速で追いかけてくるのを見た。遅れた歩兵が敵戦車の機銃掃射でばたばたと倒れて行く。草原に隠れた歩兵が手榴弾を見舞うが、怯むことなく敵戦車が、歩兵は後続の部隊に任せるかのように、歩兵を追い越して迫ってくる。ジェーコフに付いて来ているのはいまや、T26装甲車三百八十両だけだ。十五ミリの装甲で敵戦車と戦えるわけは無い。ジェーコフは目眩を感じながら前方を見ると、右側面の丘から新たな敵が行く手を阻むように下り降りてきていた。百数十両の別働戦車部隊だった。五十両の高速戦車を先頭に、急速に接近して煙を吐く砲弾で装甲車軍を次々と屠り混乱させると、約百両の二連装二十ミリが一斉に火を噴いた。T26装甲車の装甲は敵二十ミリの焼夷徹甲弾を弾けずに、弱点であるガソリンエンジンに火がついて燃え上がってしまう。対戦車用の特別強力な二十ミリ砲弾なのだ。ジェーコフは後退しながら暗号電文を打った。

『現状のソ連兵器では、アジア民主連合に太刀打ちできず。我が軍は全軍を挙げて降服する。祖国の繁栄を期されたし』

 ジェーコフは全軍に戦闘停止を命令、白旗を掲げるように指示した。


 赤い毛足の長い絨毯が敷き詰められたクレムリン宮殿の執務室は、スターリンが吐き出す葉巻の煙が立ち込め、漂う煙を掻き消すように人がひっきりなしに出入りし、電文や報告書を机の上に山済みにして行く。重要な軍事情報は、粛清の結果、新たに将軍となった顔も知らない新米が、電文を携えて報告に来た。中には、極東の敗戦をスターリンに伝える事が初仕事の将軍もおり、詳しい事情を聞いても拉致があかず、おろおろする将軍を見て、スターリンは次々に送られてくる信じられない暗号電報の内容とともに、癇癪を爆発させて誰彼となく当り散らすしかなかった。

 アジア民主連合軍をモンゴルとの国境線ノモンハンに釘付けにする作戦だったはずが、敵の爆撃機がイルクーツクまでやって来て、現地空軍力を壊滅させ、その上今日は、ノモンハンへ派遣したジェーコフが降服し、ウラジオストックとナホトカは日本海軍の猛爆で湾内外にいた僅かな極東ソ連艦隊がほぼ全滅、加えて敵海兵隊の上陸を許して占領されてしまったのだ。樺太のオハ油田をはじめ、オホーツク海沿岸の都市は何処も同時に攻撃を受けて、占領されたか陥落寸前の状態だった。敵の推定される敵兵力は五十万にも登る。

 オホーツク海北の町マガダンに上陸した日本軍は西のヤクーツクに向かい、ウラジオストックに上陸した舞台は満州国陸軍によって占領されたハバロスクを目指していた。ノモンハンの機械化部隊はモンゴルには見向きもせずにそのまま満州ハイバルに一度戻りそこから満州鉄道でソ連領チタを目指す模様だ。満州からは敵の重爆撃隊がイルクーツク以西の軍需拠点を波状爆撃しており、イルクーツクより西側のシベリア鉄道と幹線道路も爆撃にさらされ補給補充が出来ない状態になっていた。敵がイルクーツクより東のシベリア鉄道を占拠すれば、極東シベリアは西から動脈を断たれてしまう。敵はシベリア鉄道を使い、ハバロスクとハイバルの両方からチタに移動し、イルクーツク攻撃用兵力を集結させるだろう。と言う事は、今からソ連赤軍を準備して西から援軍を送る以上に速く、敵も五十万の軍勢をイルクーツクの東に集結させることが出来ると言う事だ。 

 スターリンは米国ルーズベル大統領へ電話を掛けた。

「ルーズベル大統領! 状況はもうご存知だろう! 日本とアジア民主同盟はソ連領東シベリア、イルクーツクの東全てを領土とするために全面攻撃をしてきている」

「ソ連赤軍はどうしたのですか? 極東の黄色い人種にやられるはずが無いと思いますが……」

「もちろんだ。ただ準備不足なのだ。米英仏蘭からの緊急支援が必要だ」

「何が必要なのですが?」

「兵士は充分いる。だがパイロットと戦車兵が不足している。さらに兵器だ。戦闘機・爆撃機・戦車だ」

「わかりました。チャーチルやドゴールとも協議の上、分担を決めて至急出来るだけの援助を行います」

「Большое Спасибо.(バリショーェ スパシーバ:どうもありがとう)」

 一人になりたかったスターリンは、電話を切ると秘書にドアを閉めて誰も入れるなと指示し、来客用ソファーに深く沈みこんだ。

《列強は日本とアジア民主同盟の矛先を北に、ソビエトに向けさせる事に成功したのだ……。支援援助はするだろうが……。この上はドイツと妥協してでも、東の防衛に全力を傾けねばならない》

 スターリンは窓の外に広がる赤の広場を見た。人影は疎らだ。己が課した粛清の嵐は市民達の憩いも奪ったのか? 春だと言うのに、疎らな人々はなぜかよそよそしく足早に広場を歩き去って行く。遊び惚ける子供達はどこに行ったのだと、スターリンが広場を見つめていると、広場は何時しか寒い冬の光景に変わった。降りしきる雪に人々は戸を閉ざし、じっと家々に籠もるロシアの冬。子供の時から慣れた脳裏の中の情景が春の広場に重なったのだ。長い冬に耐えることこそ、ロシア人の鉄の意志を作り上げる。己の人生もそうではないか? 靴屋の息子に生まれ、母は農奴だった。そんな自分が今、ソビエト連邦の頂点に立っているのだ。極東の黄色い人種に我が道を壊される事など、絶対あり得ないはず。

《そ、そうだ。冬将軍の到来まで奴らをイルクーツクの東に釘付け出来さえすれば、道は開けるに違い無い。ロシアの冬の厳しさを黄色い連中は知らないだろう》

 スターリンは主だった将軍を呼び寄せ、東への大軍編成命令を下した。それが終わるとドイツ大使館にも電話を掛けた。英仏の帝国主義に対抗して、共に戦おうとラインハルト首相に伝えるように依頼したのだ。


 そのころ米国でもルーズベル大統領の前には米国のアジア関連の専門家と軍人達が集まっていた。テラス続きの明け放たれた窓から、ホワイトハウスの庭の木々を揺らす風が穏やかに舞い込み、薄着になった誰もが、春の訪れを楽しめるような一日だ。マッカサーは大統領の顔色が悪くない事に気づいて、今日の報告の幸先の良さを感じていた。

 大統領が会議の口火を切った。

「まずは、ノモンハンでのソ連軍敗戦の理由を聞きたいのだが……、マイク(マッカサー)はどう分析するね?」

「ソ連軍はスターリンの粛清で、有能な将軍将校が殆ど居なくなってしまいました。また、今回のノモンハンに集まったソ連軍の陣容は、飛行パイロットも戦車兵も訓練の充分でない未熟な連中が主体です。且つ、兵器も第二戦級がその殆どだったと報告を受けています」

 ルーズベルは頷きながらも、疑問が消えなかった。

「そうだとしても、一千機に及ぶイルクーツク周辺の航空兵力が一日にして壊滅し、且つ、ノモンハンでは一千両に及ぶ戦車・装甲車が壊滅して、歩兵は二・三万がやられて降服するなんて事が、実際にありうるのかね」

 CIA長官のルイスが立ち上がり、補足説明を始めた。

「モンゴルからの情報によれば、日本を主力とするアジア民主連合の航空機も兵器も圧倒的な強さを持っているとの報告です」

「だから、どんな強さなのかが知りたいのだが?」

 ルーズベルの切り替えしが鋭く一同を舐めた。ルイスは机の上の報告書を何枚かめくると説明を始めた。

「日本軍の重爆は現在我が国で完成したB17重爆と遜色ない性能だと思われます。戦闘機も我が国のカーチスP40とほぼ同様な性能だと想定しております。ソ連の航空戦力は、現状I−16が主力ですが、性能及び武装とも我が国のP40あるいはF4Fと比較すると、第二戦級であり、かつパイロットも未熟とあれば、結果は眼に見えていると申し上げます」

「うむ。では陸上での戦いはどうなのだね」

「ソ連戦車BTはアメリカ人ジョン・W・クリスティーという技術者が開発したM1940という戦車がベースとなって改良されたもので、主力砲も速度も装甲も、M4シャーマン戦車に及ばない旧式戦車です。現在ソ連では新型戦車の七十五ミリ砲を搭載したT−34を量産し始めたばかりですし、戦闘機もYak−1が新型として開発を終わっています。これらの新型が出ていれば戦局は変わったかもしれません。かつ、情報によれば、日本はドイツから新型重戦車を多数輸入して戦線に投入したらしいのです」

「ドイツのどんな戦車だね?」

「コード、テイーゲル(虎)と呼ばれて開発されていたもので、昨年末より生産開始の新型です。七十五ミリ砲を搭載した重戦車でM4あるいはT−34と同じクラスだと思われます」

 世代の違う兵器同士がぶつかったのだとルーズベルはイメージした。兵士の熟練度もソ連は劣ったのだ。これではソ連は最新鋭の兵器と優秀な兵士を東に向ければならないだろう。西のドイツとの牽制役は果たせなくなる。

「スターリンから兵器援助要請が出ている。政治的に共産国家に武器を回したくはないが、日本の目を南方から北に剃らせて置くことが国益につながると思う。ソ連に肩入れすれば、ドイツに対する暗黙の牽制になると思うが、どうだね。どの程度の兵器をどのくらい送ればよいか? 智慧を絞ってもらおう」

 マッカサーが真っ先に発言する。

「大統領、日本とはいつかどこかで戦火を交える可能性が高いと思います。この際、P40の二百機程度供給し、内百機は義勇軍を募り、我が軍のパイロットを実際の戦闘に参加させて、相手の実力を知る事が肝要です。且つM4戦車も同様に二百両ほどで、内百両は陸軍からの義勇兵を含ませましょう」

「うむ。英国やフランス、同盟諸国にも同じように提案しよう。共産国家だから、第三国経由での武器輸出になるだろう。まずは至急、航空戦力を派遣しよう。戦車は北極海の陸揚げできる場所からモスクワに送りつけて、後はスターリンに任せよう」

 マッカサーは頷くと、真剣な表情で続けた。

「現在連合国の太平洋の拠点は、フィリピン及び香港、それ以南のアジア諸国ですが、何処の国もアジア民主連合の国威が増すほどに、列強諸国からの独立運動が高まってくると予想されます。中国の蒋介岩はアジア民主連合とも我々連合国ともうまく付き合うように立ち回っていますが、極東ロシアが民主化されれば、アジア側に立つかも知れません。そうなると香港やシンガポール、フランス領インドシナ(ベトナム)当たりも危なくなってくる。まずは、今からフィリピンに戦力を集中して睨みを利かせて置く事が必要です」

 ルーズベルはマッカーサーの顔をしげしげと見て、不思議そうな顔をした。フィリピンに米軍を集中することはもちろん必要だが、それはアジア諸国に睨みを利かせるためでは無い。米国の国益を考えたら、フィリピンに留まっていて何の国益があろうか。中国・満州に覇権を振るう日本を叩き落とすための準備であろうがと考えていたからだ。日本が全力で極東ソ連に前線を拡大して、補給線が延びきった頃合が勝負時だと思っていた。それはスターリンもシベリアの風が強く吹きすさぶ頃だと思っているに違いないのだ。マッカーサーの報告に答えずに、ルーズベルは他の質問をした。

「ウラジオストックもナホトカも、オホーツク海の諸都市もほぼ、日本の機動部隊に砲撃され空爆されて陸戦隊に占領されたようだが、海軍の見解はどうなのだね?」

 ミニッツがキング大将に促されて説明を始めた。

「極東ロシア海軍とは名ばかりで、基本的に沿岸警備を主目的とした駆逐艦と潜水艦が主です。日本が宣戦布告をソ連にした時点で、すでに潜水艦隊は日本の駆逐艦隊によってオホーツクの全域で相当数が沈められており、港湾に残っていたのは駆逐艦と警備艦だけでした。日本海軍はおそらくこの日のために増艦した駆逐艦と巡洋艦八十隻を主に、対潜哨戒を行いながら、空母四隻、戦艦六隻を投入しての作戦であり、海上での勝負も沿岸都市での勝負も最初から目に見えていたのと同然です。大陸国家ロシアの宿命で、今まで不凍結港を持てずに海軍力を増強できなかった結果です」

 実際、ソ連の駆逐艦および警備艦は日本の機動部隊が海上に現れると、殆どが接岸して艦を棄てて逃げたのだ。ソ連の潜水艦も潜水時間が短い短距離型が多く、執拗な日本駆逐艦の追跡に、多くが浮上して降服するか、あるいは日本軍の特殊爆雷により沈没した。軍港のあるナホトカ以外のオホーツク沿岸の港は駆逐艦も無く警備艇がそれぞれ数隻程度では、駆逐艦に先導された日本の上陸部隊に立ち向かうどころの話ではなかったのだ。

「今後日本は狭い日本海の南北の入り口を、その強力な海軍で封鎖し、大陸との輸送力を強化して極東シベリアの潤沢な資源を効率良く手に入れたことになります。特に、ハバロスクの未開発油田や北サハリンのオハ油田とその東海上の大陸棚下にある無尽蔵の石油を開発することになるでしょう」

 突然発言したのは、マサチューセッツ工科大学の極東の地質学の権威、デイビッド・ストーム博士だった。

「ストーム博士、極東シベリアにはどんな資源があるというのだね?」

「過去の調査では、現代文明に必要な殆ど全ての資源が眠っています。油田、天然ガス、鉄鋼石、錫、亜鉛、ダイヤモンド金銀などの希少金属、木材資源等々です。ただ、列強が今までそこに目をつけなかったのは、シベリアと言う、極寒の環境のためです。しかし、それらの資源は採掘設備さえ整えば、全アジアに供給しても有り余る量であると予想されています。蛇足ですが、ダイヤモンドの埋蔵量は南アフリカに次ぐ世界第二位なのです」

 会議の誰もが黙ってしまった。そんな宝の山を日本が掘り当てた事に対する嫉妬のような感情が全員に湧いたのかも知れない。あるいは先を越されたという悔しさか。

「最近の情報では、日本の建設機械や土木機械が大型化され、ハバロスクに近い満州の工場で盛んに生産されていると言う事です。このソ連領ハバロスク近辺こそ、鉱物資源の最も豊かな地域なのです」

「日本は南方資源を狙っていると言ったのは誰だ!」

 キング大将が机を激しく叩いて叫んだ。ストーム博士は動揺することなく報告を続けた。

「日本は輸送という観点からも、着々と準備をしていたのでしょう。陸送トラックの大型化、いわゆるタンクローリーも、海上輸送のタンカーの造船も我々の予想をはるかに超えたピッチでなされていたようです。エネルギーと資源を手にしたアジア民主連合を侮れないとご記憶下さい」

 しかし、ルーズベルはニヤリとして軽口をたたくように言った。

「博士、漁夫の利を得るのは米国だ! この場の全員はそのつもりで今後の計画を練ってくれ」

 ルーズベルの頭に沁み込んだ博士の言葉は、オイル、ダイヤモンド、金の三つだった。かつてのカナダやアラスカで起こったゴールドラッシュが脳裏に浮かんでいた。それこそ、膨大な国家予算を注ぎ込んで、アジアの極東辺りまで軍事展開を行う理由にさえ思えた。


 悦子は大西の機械化師団と共にハイバルから満州鉄道に乗って、ソ連軍の何の抵抗も受けずにソ連領チタに到着した。出迎えてくれたのは空路で先に来ていた王仁と大園司令だった。制空権を奪った日本空軍はチタに落下傘部隊四千名を降下させ、携帯噴進砲と軽機関銃でソ連の僅かな守備兵力を駆逐して占領していた。

 チタはソ連が共産革命のどたばたの一九十八年から一九二二年まで、ソ連と日本の間の干渉国として作られた極東共和国があった場所で、モンゴル人や満州人も多く住む南シベリアの重要都市だ。石炭、銅、鉄鉱石などを産し、貴金属類が豊富に産出する地方でもある。チタから西へ四キロにケノン湖があり、大園は早くもそこに晴空の水上爆撃隊を二百機ほど浮べて連日、イルクーツク周辺の軍事基地とその先のシベリア鉄道分断爆撃を行っていたのだ。チタの北四キロにはチタ陸上飛行場があり、戦闘機及び天空など合わせて八百機が爆撃と制空哨戒を行っていた。

 チタの住民はアジア民主連合の到着を喜んだ。慢性的な食料・医療・物資の不足に強制労働と、赤軍に対する恨みと不平不満は頂点に達していたのだ。早速王仁は、チタ州の有力者を集めて民主国家樹立のシナリオを説いていた。かつて極東共和国であったことが幸いして、民衆の意識は高かった。

 大西と大園はここで、ハバロスクからやって来るアジア民主連合の軍本体を待つのだ。延々と東シベリア鉄道を貨物列車が総動員されてやって来る。軍人と軍事物資を下ろし、出来立ての資源を買い取り、積載してハバロスクへ戻って行く。満鉄からも軍需物資と生活用品や食料品が満州の商人と共にどんどん入り込んでいた。チタは見る見るうちに活況を呈した町に変わって行った。

 資源が貨幣に代わり、その貨幣で満州から続々流れて来る物資が買えた。工場が潤うと、行員の給与が支給され、そこに地元の農民や漁師らが市場を開き潤って行く。貨幣が人体の血のように必要なものを必要なところへ運んで行くのだ。王仁と悦子は、毎日変わり行く街中を歩いた。

 大園の晴空と天空の重爆撃隊は、その高高度性能と長距離飛行の長所を活かしきって、大胆なシベリア鉄道破壊空爆を続けていた。一万メートル上空を迎撃できるソ連の戦闘機がいない事を見切っての作戦だ。チタからモスクワまでは四千八百キロだ。晴空も天空も爆装で六千キロ以上の航続距離を持っている。イルクーツクより三千三百キロも西側のチャリャビンスク辺りや手前のオムスク近辺のシベリア鉄道の線路を狙って鉄道の分断を図り、各地から集積されるべき東への補給を確実に阻んでいた。

 敵の戦力補充がイルクーツクに着く前に、アジア民主連合の機械化師団でイルクーツクを占領する。その後ろにはチタに数十万の兵力を置く。だが、まずソ連は航空戦力で対抗してくるだろう。王仁はそう考えていた。列強から最新鋭機を供給援助してもらい、おそらく数千機の規模でやって来ることを予想していた。大園もそこは充分判っていて、各地へ電探基地の建設と飛行場整備訓練に余念がない。シベリア鉄道をいたる所で分断した爆撃隊は、各都市近辺の飛行場に目標を変えて日々飛び立って行く。大園のお陰で、チタの町とそれ以東の地域は平穏な時が流れ、その平穏さは活気と人々の明るい笑顔を作り出していた。


「王仁様、御覧なさいまし。シベリアの月……!」

「ええ、悦子さん、大きくて静かな月だ」

 春も盛りと言え、南シベリアの夜は冷たい。悦子が何処から手に入れたのか、熱燗とおはぎを用意して、二人共コートを着込んでホテルの屋上に立ち、月見を楽しんでいた。シベリアの夜気は冴えて、チタを東西から挟むような山並みに、月が凛とした青い光りを天から浴びせている。ケノン湖の鏡のような湖面にも青い月が映り、その光りも周囲に零れて、透き通った淡い青色で世界が包まれるような、奥の深い清々しい光景を描き出していた。

 あまり酒を好まない王仁は、悦子が注いだお猪口をゆっくり少しずつ飲み、王仁が悦子に返杯すると悦子は一気に飲み干す。王仁の目の周りがほんのり赤くなっても、悦子の冴えた表情は少しも変わらないのだ。チタに到着すると、二人は軍人達とは別行動となり、もっぱら新政府建設の下準備をしている。やがてやって来る学者や各分野の専門家から編成されたアジア民主連合の民主化建設促進委員会へ、チタ州の人材と状況報告を橋渡しとして行うためだ。

「悦子さん、天の月と湖に映った月とどちらが好きかな?」

「もちろん、私は女ですから、湖の月になりたいと思います。王仁様が天の月であればですけれど……」

「……、悦子さんは湖の月より綺麗……、おっと、このおはぎはうまいなあ!」

「王仁様は、おはぎとこの悦子のどちらがお好きなので?」

 王仁は笑いながら、ちょっとどぎまぎしながら、

「もちろん!……」

 月の光りに照らされた悦子の顔は微笑んではいるけれど、壮絶な美しさを放った。王仁は悦子を見ずに天の月を見上げて微笑みながら沈黙を保つ。焦れた悦子がまた聞いた。

「おはぎですの? それとも悦子でしょうか?」

「あなたが戦車戦で怪我もなく無事で居てくれた事を、今、月に感謝したところさ」

 王仁の声は優しい。月に照らされた王仁の横顔は悦子の好きな表情だ。悦子はその言い様に、心の底で満足しているのだが、形にならない会話に不満が残る。微妙な嬉しさと哀しさの入り混じった表情になった。王仁は天から眼差しをゆっくり悦子に移すとぼそりと話し始めた。

「天皇家の隠された家系、王仁の先祖は月からやって来たと古文書にある……」

 突拍子もない話に、悦子は二の句が次げない。王仁のいつもの冗談の可能性もある。悦子は呆れた顔になるしかなかった。

「いや、別に冗談じゃないけれど、本当かどうかは私も半信半疑だし。でも……、悦子さんは『かぐや姫』の昔話を知っているだろう? 王仁家の家系図によるとね、我が祖先はかぐや姫までさかのぼると言う事になる……」

 王仁が『家系』と言う言葉を使った時、悦子の心に訳も無く不安の細波が立つ。だが、その不安の理由を考えるより、王仁の事をもっと知りたいと思った。

「家系図はどの家も贋作である事も多いのでは……」

「私もそう思っている。多分大昔、我が祖先が天皇家に取り入るために作った出鱈目でたらめだとね……。ははは、つまんない話になってしまったね」

「いいえ、王仁様のことは何でも話してほしいのです」

「うん、月から来たということで、王仁の家に伝わる異能を強調しているのだろうね。だから、王仁家は天皇家以上に縛られた生活を余儀なくされて来たのさ。伴侶選びも結婚もね。血を大事にするわけさ」

 悦子は顔から血の気が引いて行くのが判った。迂闊うかつだった。王仁と自分には身分と家系という大きな溝があったのだ。父母も判らない浮浪児だった自分と、天皇家に所属する王仁と釣り合いが取れる訳が無いのだ。悦子は急に力が抜けそうになった。そんな途方もないことを心で望んだ己が恥ずかしい。冷静で計算高い特務機関員高階悦子が、いつの間にか王仁にはでれでれした女になっていた事に今更ながら気づいたのだ。王仁はそんな胸中を知ってか知らずか、優しい眼差しでじっと自分を見つめている。悦子は自分の破廉恥な思いを表情に出さないために、教練で習得した感情操作の技巧を屈指して、他の事を考えようと必死だった。

「でもね、悦子さん。王仁家は私の代で終わるのだよ」

「……!?」

 悦子は崩れそうな感情を必死で押し殺しながら、王仁の新たな衝撃の言葉を聞いた。

「お、終わるのですか?」

「ああ、かぐやの預言書という良く当たる門外不出の古文書があってね。我が一族の事が事細かに書いてある。もちろん私の事も生い立ちから全て書いてあるのだけれど、その古文書の最後に、《帝が人と成り下られる時、一族の最後の王仁が帝を助け、この世に五族共栄をもたらす。その後、王仁もまた人と成り下るだろう》とあるんだ」

「で、では、五族共栄がなった時、王仁様はもう、王仁家と皇族の仕来りに縛られないということでしょうか!?」

「そういうことなんでしょうね。嗚呼、早く人になりたいね〜なんて」

 悦子は側にあったおはぎを掴むと敏捷に王仁に飛びついて、おはぎを王仁の口回りに押しつぶした。王仁は悦子を飛びつかせたままゆっくり立ち上がり、再び故郷かも知れない月を見上げた。

 悦子は王仁におんぶするように抱きついたまま、頬を王仁の背中に寄せると、つうと涙が流れてきた。


 スターリンの粛清によってシベリア送りになった人々はここ、チタにも数十万人を数えた。殆どが炭鉱や鉱山の劣悪な環境での強制労働で、憔悴し消耗しきっていた。アジア民主連合はまず、食料・医薬品の援助を手始めに、生活環境を整えるために、モンゴル族から大量のテント住居を調達して、仮住まいとした。本住宅建設には時間が掛かるからだ。かといって現状の家畜小屋のようなソ連の収容施設では病人が絶えない。モンゴル族のテントは毛皮で作られており、防寒特性が非常に良いのだ。アジア民主連合は来るべきシベリアの冬の到来に備えて、軍の兵舎にも使用する計画だったのだ。炭鉱などでは、労働者の採掘設備を一新し、労働時間を八時間としただけで、労働者は見る見る健康を回復してきた。

 同時に、かつてのソ連赤軍の軍属だった人々や、政治、経済などの専門分野に詳しい流刑の人々を集めて、旧ロシア軍人達と共同で民主赤軍編成と行政改革チームを次々と組成して行った。行政改革チームはいわばロシアのインテリ層が奇しくも各都市に存在した事で、民主化促進にはうってつけの人材となったのだ。アジア民主連合によって解放された極東ロシアの他の各都市も同じ状況で、組成された旧軍人による民主赤軍は、あっという間に五十万人にも登った。この新設軍隊は冬の到来までにじっくり後方で、新しいアジア民主連合の武器に習熟するために訓練される事になる。

 チタやハバロフスクなどを筆頭にどの町もシベリアの資源を豊富に有し、アジア民主連合がそれを買い上げる形が出来ると、直ぐにどの町も活気を呈し、且つ、自治費を捻出した上に、五十万の軍事費を供出する余裕があることが判明した。事前に予想計算されたことではあるが、資源が富みであることを極東シベリアの人々はやっと悟ったというわけだ。ロシア帝国の農奴が存在した時代からソ連邦に至るまで、一貫してシベリアの富みは中央によって搾取されてきたことに気づいたのだ。


 チタを解放して一ヶ月が経とうしていた。イルクツーツ以西のシベリア鉄道を分断された赤軍は、日本空軍の空襲を恐れて、夜間細々と兵員増強を行っている。昼間は深いシベリアの森に隠れ、夜移動してきたのだ。戦闘爆撃隊も日本の爆撃機が届かないチャリャビンスクよりすこし西辺りに集結していた。陸軍歩兵およそ百万人。戦闘車両二千両(内千両は新型戦車)。航空機二千機。その内、イルクーツクに到着しているのは、歩兵二万人。戦闘車両二百両だと想定された。この先着部隊はバイカル湖の東に進出してイルクーツクへの防御陣地を作りつつあった。アジア民主連合は敵の全容がはっきりしてきたので、何処でその敵と渡り合うかが連日協議されていた。チタは東へ向かうシベリア鉄道と南東へむかう満州鉄道の両方が通る場所で後方兵站基地にうってつけだ。やはり決戦場はバイカル湖の東になると予想された。


 アジア民主連合軍は二手に分かれた。第一軍はバイカル湖に向かう道を、シベリア鉄道に乗ってバルヤガまで行き、そこから陸路モンゴルとの国境付近を行き、バイカル湖南に位置するモンゴル鉄道国境の町ナウシュキイを占拠する。モンゴルからの援助を封じた後に陸路北上し、テイーダ周辺の敵を撃破しつつバイカル湖畔バブスキンで第二軍と合流する。第二軍は機械化師団が中心で、チタからやはり鉄道に沿って進み、バルヤガからも鉄道に沿ってウランウデ攻略を目指す。その後は第一軍の戦況を確認しつつ、グシノリョースクへ南下するか、そのまま鉄道に沿ってバイカル湖畔を南下するかを決定する予定だ。

 ソ連はおそらくナウシュキイとグシノーリョースクの間のデイーダ辺りに陸軍を集結させると予想された。チタから西へ進軍できる上下の二本の道のどちらから来ても対応できる布陣だ。空軍はグシノーリョースクの北に集結すると思われた。

 すでに大園指揮の戦略爆撃隊がグシノーリョースクとテイーダを含むバイカル湖東の軍事施設を猛爆していた。だが、敵もアジア民主連合の航空勢力を用心して、やはり昼間は歩兵も戦車も近隣の深い森の中に隠れて消耗を防いでいた。しかし、その間こそ、アジア民主連合の前進の機会となる。

 今回も悦子と王仁は、悦子が大西と共に第一陣、王仁は副指令の高田と共に第二陣と共に行く。第一陣はシベリア鉄道を使用して列車を連ねて進行、途中からは陸路だ。タイガー戦車二両を装甲車二両ずつで前後にはさんだ前方警戒車両が線路の破損や敵の出現を警戒しつつ悦子を乗せて先行前進していた。後方五キロには戦闘車両、携帯噴進砲と百式軽機関銃装備の歩兵車両が延々と続き、最後に野砲と砲兵が数百両続いた。上空には高高度を零戦改が、低高度を隼改が上空哨戒を行っている。悦子は最前列の前方警戒車両のタイガー戦車の中に乗っていた。

 王仁は戦車・装甲車を中心とした第二陣の機械化部隊にいた。ウランウデ攻略をめざし、北に走る谷沿いの道を進撃する。両陣ともチタの州境までは平穏な行軍だった。沿線の住民が総出でアジア民主連合の行軍を旗を振って出迎え見送った。しかし、バイカル湖東に隣接するブリヤート自治共和国に入ると人影は消えた。


 加藤隼戦闘機隊は低空哨戒の任を受けて、百機の隊を二つに分け、各々五十機で代わる代わるチタを飛び立ち、第一陣と第二陣の前方五キロを高度千メートルで飛行していた。第一陣の哨戒を担当してたのは加藤隊長自らで、この時二十五機の編隊で約五時間の飛行をこなしていた。チタから主戦場として想定されたテイーダまでは約四百キロ、航続距離三千キロの一式戦闘機隼改にとっては苦のない哨戒空域で、そろそろ交代の二十五機が到着するころだった。ナウシュキイ上空に差し掛かり、大きな緩い旋回を描いている時に、南のモンゴル方向に僅かな気配を感じた。緩く起伏する草原を這うように超低空で飛行する戦闘機を発見した。加藤は高度を五百メートルまで下げながら敵進行方向の右側に遷移して、機種を判別した。ソ連のI−16とは明らかに違うスマートな感じで、識別マークはソ連の物だ。加藤は無線で大園に報告する。

「こちら加藤隊、現在ナウシュキイ上空、ソ連領とモンゴル領の国境を飛行中、モンゴル領内を低空で飛ぶ、ソ連マークの新型機五十機を発見、攻撃許可を得たし」

「こちら大園、加藤! それはおそらくソ連の新型か、列強から供与された新手だ。いつもの訓練通り、二刀流で行け」

「了解」

 加藤は僚機を引き連れて、敵の右斜め上空から高度差を利用した一撃離脱で覆いかぶさるように襲い掛かった。千四百馬力のハ一一五改のエンジンが唸る。一式戦闘機隼改はエンジンの馬力向上型で、速度は五百六十キロで、武装は炸裂弾を装填した機首十二・七ミリ二丁、両翼に焼夷徹甲弾を装弾した十二・七ミリ二丁、そして風貌後ろに二十ミリ斜銃一門を搭載していた。初期型に比較して旋回性能は重量増加により若干劣るが、巡航速度・急降下速度ともに向上し、低空での戦闘では零戦との模擬戦でも優劣はつけ難いバランスの良い戦闘機になっていた。防備も燃料タンクは二重構造になって、外皮と内皮の間には生ゴムが充填されて自動消化機能があり、操縦席とエンジン周りには分散して防御版が施されていた。

 敵機も加藤隊に気づき、各機分散して高度を必死に上げてきていた。加藤は一撃離脱攻撃の後には巴戦になる予感を感じた。高度がお互い低すぎるのだ。だが、それは隼の愚鈍なソ連戦闘機に対する最も得意とする戦法だ。


 米国空軍参謀クレイ・L・ノートが指揮する義勇飛行隊、フライングタイガーは先発隊カーチスP40戦闘機二十五機でモンゴル・ウランバートル飛行場からソ連領テイーダ陸軍飛行場を目指していた。敵の電探を避けるために、モンゴルの緩く起伏する草原を超低空で北上していたのだ。近々アジア民主連合の陸軍が進行してくるという情報に基づき、本格的防衛体制の魁としての第一陣の派遣だった。もともと、中国蒋介岩を補佐するために設立されようとしていた義勇軍だが、中国のアジア民主連合よりの外交のため、一次凍結されていたのが、急遽、ソ連への義勇軍として実施された。全米の戦闘機操縦士から特別待遇と報奨金付きという条件で募集された百名のパイロットと、二百名の修理保全地上要員からなる部隊だった。P40は千百五十馬力のエンジンに十二・七ミリ機銃六門の重武装、且つ最大速度五百七十キロを誇り、丈夫な機体で急降下特性に優れていた。

 飛行隊長リック中尉はP40ウオーホークが気に入っていた。何と言っても丈夫で取り扱いが楽だ。モンゴルの草原だろうとシベリアの荒れた大地だろうと、P40なら日本の戦闘機に負けるはずが無いと考えていた。知る限りの日本機とは速度は五百キロに満たず、武装は七・七ミリ機銃二門だという話だ。旋回性能はやたら良いという話は聞くが、防御が弱く直ぐ火を噴くとも聞いていた。義勇軍に勧誘された時の係官の話しだ。リック中尉は自分の経験から、空戦は高度の優位を作る速度と上昇力と武装が物を言うと思っていた。旋回を屈指する巴戦など、古臭い複葉機のための第一次大戦の戦法だと思い込んでいた。

 この日も果てしなく続くモンゴルの草原を、司令長官クレイが指示したとおり、敵のレーダーを避けて低空をソ連テイーダ基地に向かっていた。アジア民主連合がレーダーを持っているとは初耳で、信じられない事だったが、命令は命令だ。それに低空飛行と言うのは対地スピードが視認体感できるので、楽しい飛行でもある。要はスリルがちょっぴりあるのだ。だが、そんな遊び心が災いした。リックが右上空を見上げると銀にも灰色にも見える空冷式戦闘機数十機が右上空から降下して来るのが見えた。リックは軽くロールしながら無線で僚機に知らせつつ、スロットルとピッチを最大にして上昇に移った。今出来る事は、機首を敵機に向けて上昇しながら正対する事だ。旋回して回り込むことも、降下する速度で加速して逃げることも出来なかった。

「こちら隊長機リック! 敵機の正面を突っ切るぞ! 敵の武装は豆鉄砲だ。当たっても蚊が刺す程度だ。正対してやり過ごしたら出来るだけ高度を稼いでから反転だ。相手は日本機だ。直ぐには上がってこれない。高度を使って、常に相手より優速を保て」

 僚機から了解の無線が入る。正面を見ると敵機の数もほぼ見方と同数だ。先頭の敵機の機銃が光った。

《二箇所じゃない! 四箇所が光った。四丁だ。だが、七・七ミリだろう》

 と思う刹那、曳航弾の光りがリックの機体をざっと横切った。機体にどんどんという嫌な振動があった。数発被弾したと思うがリックも六丁の十二・七ミリを発射した。ところが敵機全機がふうと沈み込んでリック達の曳航弾は空を切った。刹那、敵機が下を高速で潜り抜けて行く。その時、下から打ち上げてくるような大き目の曳航弾が一瞬走った。

《しまった! 別の敵が居たか?》

 異様な角度から飛んできた曳航弾の軌跡に慌てたリックは、上昇しながら下方を見るが其れらしき機影は無かった。何だあれはと思いながら後に続く僚機を振り返った。信じられない光景があった。半数の僚機が火を噴いて落ちて行く姿と、下からの突き上げるような曳航弾に驚いた殆どの僚機が慌ててばらばらに旋回軌道に入っていたのだ。その各々に敵機が後ろに二機づつ食い下がっていた。

《ば、馬鹿な!》

 上昇機動にあるのはリック一機だけだった。そしてリックの機体の後ろにも二機の敵機が食い下がるように上昇してきていた。その位置は丁度、リックの頭の上の後ろ、それも背面飛行で食い下がってくる。急降下の加速を利用して、リックとすれ違い様に宙返りを打ちそのまま反転上昇してきているのだ。そんな馬力が日本機にあるはずが無いと思った。急降下のおつりを利用しているに過ぎない。そのうち速度が落ちる。振り切れるとリックは思った。リックは再び後ろを振り返った。そろそろ力尽きるころだと思ったのだ。だが、リックの目に飛び込んできたのはさらに背面飛行のままリックに近づいた敵機の操縦士の射るような視線と、風防の後ろが光りを放ったことだった。リックの機体はエンジンを打ち抜かれて、速度ががくっと落ち、機首を下げた。リックは必死で失った速度をさらに機首を下げて取り戻そうとする。その間も、後を振り返る。敵の二機はリックが被弾して上昇角度を落とすと、ひらりとロールして、今はリックの真後ろについている。二機、計八丁の曳航弾が雨のように降り注いだ。エンジンカウルの部品が剥がれ落ち、風防に激しくぶつかる。エンジンが止まり翼内タンクから火が出た。リックは風防を開けて必死で飛び出し、すぐさまパラシュートのリングを引いた。幸い高度は四百メートル程度、パラシュートが開いた。安堵した途端、己のぜいぜいした息に気がつき、開いたパラシュートを見上げると、数機の僚機が巴戦に巻き込まれて敵機に追われているのが見えた。大きな旋回半径の僚機に敵機が鋭く切り込んで行く。真後ろに付いた敵機からぱらぱらと機銃が撃たれている。その後ろに、もう一機の敵機が真後ろについていないのにも関わらず、機銃の曳航弾が僚機に放たれていた。

《あれは……?》

 そう思った刹那、空戦に見とれて地面が近づいたのを忘れ、どんとしたたかに地面に落ちて転がった。受身を忘れたリックは右足を捻ってしまった。痛みの走る足を引きずって、再び上空を見上げると、最後の僚機が火を噴いて片翼が折れ、くるくると落下していた。

《無線を入れる暇もなかった……》

 リックは痛む足を引きずりながら、南へモンゴルの草原を歩き始めた。

《話が違う! 俺たちは騙されたんだ……》

 敗れたリックにモンゴルの風は乾いていた。一時金五百ドル、月給六百ドル、これは日本人の平均年収に当たるほどの高額だと言う。さらに一機落とせば一機につき報奨金五百ドル。義勇軍退役後は五百ドルの退職金と元の階級で空軍復帰と言う条件だった。だが、前線に着くや否や、部下二十五名が初陣で撃墜されてしまった。低高度の空戦で、脱出できた仲間が何人いるだろう? 

「性能が違いすぎる! この先何人が生き残れるんだ……」

 リックの呟きに失意と絶望が滲み、足の痛みと何処までも続くモンゴルの大地の広がりに目眩がした。


 ノモンハンで勝利した日本はいよいよ南シベリア、チタに進行します。ここはかつて共和国があって、日本とソ連との緩衝地帯になっていた所ですね。そこからイルクーツを目指すアジア民主連合、第五話は、そんな激動する時代の十六歳のロシアの少女を描きたいと思います。

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