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第一話 異形の実験兵器 

この小説はフィクションです。登場する人物、団体、地名、国はすべて架空の存在で、実在する人物とは一切関わりがありません。

 銀色の異形の飛行機が、白煙を上げて矢のように晴れ渡る空を上昇して行く。細長い卵型の胴体にブーメランのような後退角の付いた翼、無尾翼機だ。エンジン音は無く、代わりに爆発音のような甲高い音が当たりを引き裂く。桜の花びらがゆっくり春の風になびいて舞う中を、一筋の光りが貫いて天に登るのだ。尾部から炎と共に吐き出された白煙は、残された飛行機雲のように立ち昇る軌跡を描き、地表に近い部分からぼやけて桜の花びらと同化する。高度を得た銀のつぶては、そのずんぐりしたやじりのような機体を水平にして、東外輪山を信じられない高速で超え去った。

 この化学噴進ロケット実験機の略称は『秋水』、一九三○年に陸海共同で設立された軍用科学技術省の航空技術研究開発部、化学爆噴進研究課が本土防衛用高高度迎撃機として、初めて取り掛かかった三年越しの実験機だ。ここ九州阿蘇山の内輪に作られた特別実験飛行場で、異形な航空機を見上げる、背の高いはかま姿総髪の一人の男がいた。傍らに立つ軍服姿の美しく謎めいた女が語りかける。

王仁わに様、いかがですか。最新鋭のロケット実験機の感想は?」

「悦子さん、まるで天駆ける銀のつぶてだね。人が乗って操縦しているとは思えないよ」

 男は横に立つ女に振り向かず、端正で華奢きゃしゃな横顔を見せ、秋水の白い軌跡の向こうを見入るように、涼しげに少し目を細めて遠い顔した。袴のすそが春風でひるがえる。悦子と呼ばれた女は、くっきりとした目鼻だちが濃紺の軍服に良く似合う。均整の取れた細身の顔に情熱的な細い眉と、その下には大きな黒い瞳がエキゾチックな光りを放ち、傍らの王仁の端正な横顔を見つめ続けている。

 悦子は最近の付き合いから、この男の癖だと判っていても、あの深い瞳をのぞき込みたくて何とか振り向かせようと思ってしまうのだ。

「最大速度時速八○○キロ、上昇限度一万二千メートル、対流圏の一番上まで百八十秒で上がるのですよ」

「ふーん、凄いね。かつて見た幻が、今、目の前で見せられて……、感無量だよ」

「また、幻のお話ですの? 秋水はれっきとした現実です」

 悦子は貴方の側にいる高階悦子もれっきとした人間と言いたかった。

《振り向けば、貴方のその眼差しを受け止めてみせる、私に魅せられない男は居ないはず》

 そう心の奥底で任務とは別の感情が少しにじみ出ていた。特務機関諜報員高階悦子、幼い時から特務専門教育を施され、この世界では美しき白蛇とさえ呼ばれた事もある。女性諜報員の最大の武器は、その美貌と男の心理操作だ。女として磨く事はすべて、初体験まで、すべて訓練の中で消化してきた悦子にとって、人と人との愛は普通とは別の形で存在した。男の心理を誘導し、情報を引き出す術。そのために磨かれた美貌と表情と声音なのだ。引き出された情報は国のためになり、国のために男と戯れることが、悦子の任務だった。そしてそれは面白可笑しい事で、それが人と人のごく普通な関係だと勘違いしていたかも知れない。

 相変わらず、王仁は空の彼方を見上げて呟いた。

「悦子さん、日本は二発の新型爆弾を投下されて焦土と化し、人々が煉獄れんごくで焼かれる幻を見たのだ。それは、これから日本人が世界に対して行う事の因果応報なんだ……」

 王仁さぶろう、たぐいまれな霊能者であり、国家も頼りにするその未来予知幻視能力、特務機関幹部から王仁の素性を説明されても、悦子には容姿の優れたただの男にしか見えなかった。だが、彼の未来予知に基づいて、この軍用科学研究省が出来た由来を知る。父親は日本人、母は……、日本国籍を持っている事は間違いないが、それ以上は厳しい情報規制が掛かって知る事は不可能だ。おそらく国家中枢と縁がある母、そう言う情報しか持っていない悦子なのだ。その不思議な背景を持つ王仁は最近、ある理由で自ら進んで特務機関の一員になったと言う。その教育係に、海外諜報活動が主だった高階悦子が指名される事自体、異様なことだ。

「幻を見るより、私を見てくださらないのかしら」

 焦れた悦子が少しだけ甘えて言ってみた。王仁の横顔に笑みが浮かび、ゆっくり悦子に振り向いた。桜の花びらが王仁の後ろに舞う。うららかな春風が王仁の漆黒の瞳をなでて行く。悦子は違うと思った。普通の男の反応ではない。普通なら、かぶり付くような顔の動きと、射す様な、舐めるような視線が来るはずなのに、王仁の放つ気は柔らかく包まれそうなのだ。それは春そのもので、悦子は自分が王仁の瞳に吸い込まれて、自分の思考と訓練された術が消え去るように感じた。桜の木が再び風に揺れ、風の音が少し  鳴った。生き物の体温のような暖かい風が悦子を取り巻く。自分の目尻が少し潤む。風のせいだろうか? 

「悦子さんのその美貌に綺麗きれいな花が咲く日が来るよ……」

 王仁はそう言うとじっと悦子の瞳を見つめる。謎の言葉と視線を受けて、悦子はひるんだ。言葉は謎だけれど、表情は純であどけない。古武術の達人と噂されている王仁だけれど、背の高いひょろりとした雰囲気からは想像もできないほど、抱きしめたいような弱さが漂っている。柔らかくて奥行きが深い微妙な空間が王仁の周りを取り巻いて、僅かに振動でもしているようだ。その振動が悦子の心を揺さぶる。

《美貌に花が咲く? 今の美貌では不足だというの? この悦子がつぼみだと言うの!》

 自分の表情が少し硬くなったのを感じた。訓練では絶対に許されない失態だ。相手の言葉に自分の感情が出てしまう。逆なのだ。王仁から感情の波を引き出さなければならないのに。

 銀の礫が空に光った。燃料が切れて音も無く滑空して飛行場に戻ろうとしていたのだ。悦子は話題を変えた。

「秋水が戻ってまいりましたね。現状の欠点は航続時間の短さです。約百八十秒しかありませんの。その間消費された燃料は二トンにも及びます」

 秋水は時速二百キロを超える着陸速度で飛行場に進入してきた。車輪は離陸時に切り離し、胴体下部の丸みを利用して形成された、弓状のソリで着地する。燃料を出来るだけ多く積むために、車輪は離陸後投棄される着脱式とされていた。だが、ソリでの着地は毎回、胴体着陸を行うのと斉しく、難しい技術を必要とする。着陸速度の速さは普通のレシプロ戦闘機(プロペラ機)の倍近く、命がけの着地となるのだ。

 離陸後投棄される車輪

 案の定、深い降下角度で秋水は飛行場の端に接地した瞬間、ヨー(機首の左右方向)のバランスが崩れて、少しバウンドし、二度目の接地で大きく機首を左に向けながら横転、右翼端を何かに引っ掛け て付け根から折れて、ひっくり返って止まった。サイレンが響き、緊急車両が走って行く。王仁も悦子が運転するオートバイに飛び乗り、現場へ走った。

 下になった風貌をバーベルで打ち壊して、搭乗員が引きずり出されていた。奇跡的にかすり傷程度で大きな外傷もないようだ。医師の気付けで気がつくと、

「いやあ、申し訳ない。またやってしまいました」

 実験機搭乗員、大塚大尉がそう言うと、皆の顔に笑顔が戻った。ソリ着地の難しさを回りの皆が理解しているのだ。

 王仁が大塚大尉に近づくと、大塚大尉は無理をして立ち上がろうとした。王仁と悦子が近衛師団管轄、特務機関から視察に来ていることを知っているのだ。腰を強打しているのだろう、立ち上がるのが辛そうだった。王仁は素早く手で大塚を制して、担架の上に横になるように指示した。

「特務機関視察員の王仁です。危ないところでしたね。貴方の勇気に心から敬服します。大怪我で無くて何よりです。まずは養生してください。」

「王仁殿、国家の大切な実験機を壊して、誠に申し訳ありません」

「いえ、着陸がこんなに難しくては、実戦には役に立ちますまい。貴方の勇気と高度な技量をもってしても、着地のたびにこれでは、戦う前に操縦者が居なくなってしまいます。早速、軍科研に報告して、改造の必要性を打診します。それまでは、実験を中止されますように。貴方が殉職されれば、開発はまた三年は遅れてしまうでしょうし……。貴方の知識と経験を生かしてこそ、実験成功が期待できると判断します」

 王仁からそう言われた大塚は、神妙な顔つきで王仁の深い瞳を見返した。大塚は人に言えない覚悟で毎回、秋水に乗ってきたのだ。躊躇ちゅうちょすれば臆病と見られ、失敗すれば技量不足をあげつらう不届き者が多いのだ。一つ間違えば確実に死ぬこの実験飛行、その心の葛藤を誰が知ろうか。胃がきりきりと痛み、足が竦む姿を見せまいと、わざと磊落らいらくに振舞う自分は、突けば崩れる砂の城とも思えた。人に言えないことを長く抱え込んでいると、小さないたわりが心に沁みる。大塚は自分が涙目になっているのに気づいた。

「す、すいません! すいません、王仁殿……。私がもっとしっかりしていれば……」

 王仁が大塚大尉の手を握り締めた。

「大塚大尉、貴方の努力が何時の日か、日本の空を蹂躙じゅうりんするかもしれない敵の攻撃を必ず防ぐのです」

 そう言うと王仁は周りの幹部連中を見渡し、宣言するように言った。

「生死をくぐって事を為す人を失わないように、皆も最大の注意を払ってください。あなた方の注意と気配りが大塚大尉の命を守ります。大塚大尉が成功する事が、実験の成功を意味するのです!」

 周りの人々が全員踵きびすをただし、王仁に敬礼する。大塚大尉もまた、担架に横になりながら、丸顔に涙目で敬礼した。

 悦子は鳥肌が立った。初対面の人間の心を的確につかみ、心の弱いところへの適切な労り。霊能者だからだろうか? 自分が王仁の立場だったら、大塚大尉に声を掛けただろうか? 彼の苦労を思いやる余裕があるだろうか? 悦子はそう考えると、自分の中に人としてのゆがみが浮き彫りにされて、妙な痛みを内奥に感じた。だが、任務は果たさなければならない。

「王仁様、秋水が何故滑空して着地しなければならないか、もう一つの理由はその危険な燃料にあるのです」

 秋水のロケット燃料は二つの異なる液体を混合した瞬間に得られる爆発力を使用している。甲液の濃度八十パーセントの過酸化水素を酸化剤に、乙液(メタノール五十七パーセント、水化ヒドラジン三十七パーセント、水十三パーセント)の混合液を化学反応させるのだ。簡単に言えば、乙液を甲液の酸素が燃焼させる仕組み。しかし、これらの燃料は人体を溶解してしまう大変な劇薬で、特に高濃度過酸化水素は無色透明のうえ異物混入時の爆発の危険があった。基本的に着地失敗の可能性と搭乗員保護を考えると、燃料を空にして滑空させて着地させる必要があったのだ。


 格納庫の方角から大きな物音が響いてきた。異様な物体が近づいて来る。ぎくしゃくと大きな人型にも見えるの機械のような物体が近づいてくるのだ。

「零式人型工作機ですわ。あれも王仁様のご指摘が生んだ異形の物……」

 王仁は目を少し細めて滑走路脇の草原をよちよち歩きの幼児のように歩み寄る人型工作機を見つめている。王仁が指摘した事とは、日本の未来を幻視して、その危機を察知した時、危機を未然に防ぐ科学技術の方向性だった。一つは自力で飛翔する砲弾で、目標対して一発必中の命中精度を有するもの。そこから誘導弾開発の過程で生まれてきたのがロケット技術だった。一九○四年に日露戦争を経験した日本は、辛くも勝利したが、ロシア軍の圧倒的な物量に多くの犠牲を払った。資源・物資の少ない日本は、砲弾の命中率を上げて砲弾数を少なくする事が至上要求となったのだ。その誘導弾開発研究の途上から生まれたのが、ロケット迎撃機秋水なのだ。この技術は誘導ミサイル弾にフィードバックされて生かされていると言う。

 指摘した事柄は多岐に渡ったが、その中の一つに工作技術の向上があった。優れた工作技術と工作機械が無ければ、優れた物は生まれないし、生まれても製造技術が確立せずに生産はおぼつかない。さらに材料工学と冶金学、新素材の研究との組み合わせで、軽く強靭な金属素材とそれを加工する精度の高い金型や旋盤、特に旋盤は自動化が望まれており、職工の技に頼ることなく、複雑で微細正確な加工を簡単に行える必要性を指摘した。今、目の前にやって来た人型工作機はそれらの先端技術の集大成なのだ。

「王仁様、ご覧下さいまし。なんと頼もしい人型工作機の勇姿!」

 体長七メートル、頭部はフレームと金網で守られた奥に、サーチライトや角のようなアンテナが凝縮して配置され、目の部分は操縦席が装甲で覆われた場合の窓になる潜望鏡式になって操縦者前の覗き窓に繋がる。頭部フレームの上部には軍が使用する形のヘルメットを被り、首には頭を動かすための幾本もの油圧ケーブルとギアがあった。今は装甲が無いので、大きくて広い胸部の内部に人が乗り操縦しているのが見えた。操縦士の下、腹部には四百馬力の九気筒星型強制クーラー付き空冷エンジンが太いフレーム組の中で空冷ファンを回して唸りを上げている。動力を伝える油圧システムが操縦席の後ろに複雑怪奇なパイプの群れを両手足に伸ばされて、小刻みに振動して、無数の油圧ピストンを動かしているのだ。日本陸軍の一式戦車が二百馬力強であったから、二倍の出力を持つ力持ちの人型だ。

 人型工作機は横転した秋水に近づくと、操縦者はクレーン車のアーム操作盤に似た操作を行い、左右の腕を微妙に動かしながら、秋水本体の強固なソリ部を軽々と右手に掴み、左手に折れた右翼を抱えた。腕の先に付けられた手のひらにリングを重ねた指が付いていて、器用に動いて物体を固定していた。操縦士の足先にはアクセルとブレーキぺダルがあり、下半身の動きはハンドルで方向性を決めると、両足でコントロールできるように自動化されていた。

「少し動きが滑稽だけれど、良く出来ているね」

「ええ、王仁様、人型工作機はとても力持ちで頼りになる巨人と言ったところですわ」

 零式人型工作機は現状、実験段階だが、軍首脳は将来、装甲を施し武器(四十七ミリ砲)を持たせて、満州国境に配置する計画もあった。一方、人型戦車にするよりも、人跡未踏のジャングルを切り開いたり、山岳地帯の先頭に配置して建設作業車が入り込めず、人力を頼らざるおえない場所での活躍も期待されていた。キャタピラー駆動の戦車と違って、現状、人型の移動は人と同じ歩行動作だ。移動速度を考えると戦車とは太刀打ちできないだろうと悦子は考えていた。戦車が能力を発揮する満州のような草原地帯より、戦車の動きが封じられる込み入った市内戦、あるいはジャングルで活用できると思っていた。

 王仁が言った。

「あれを専用の移動戦車に乗せれば、色々活用できるだろうね」

「ええ、その試作、移動台戦車も来月には出来上がるそうです」


 その年一九三三年一月、欧州では第一次大戦の敗戦国ドイツがインフレに苦しみつつ、国民は国粋政党ナチスのヒットラーを選ばずに、自由ドイツ民主党のラインハルトが政権を取った。列強国、米・英・仏の帝国主義政策に対抗するため、近隣諸国と協調路線を取り、独自の世界政策を展開し始めていた。ドイツは、同じようにアジアの中で列強支配に苦しみながら、台湾を一八九五年に、一九○九年には韓国を連合国家として、満州を一九三三年に独立させて、アジア民主連盟を形成しつつあった日本との東西民主協調交流条約を締結していた。日本はタングステン等の南方資源の供給を約し、ドイツは先端軍需科学の基礎資料を公開する軍需科学工業協約も締結されていた。高度な工作機械の技術を日本はすでに手に入れていたのだ。

「問題は、自重三十トンにも及ぶ人型を運ぶ戦車は大型にならざるおえない。しかし日本には、それをあちこちに運ぶ道路も架橋も港湾施設も無いと言う事だよ、悦子さん」

 やはり、この男の問題点を鋭く把握する洞察力は並外れたものがあると悦子は思った。今までの日本は明治時代から富国強兵を目指し、軍備拡張の無理がたたって、国内のインフラ整備は貧弱そのものだったのだ。王仁の国家中枢への数々の指摘の中にも含まれていた点だ。六十トン以上の戦車を輸送する道路と架橋、港湾施設と輸送船を整備する事は、今の日本には時間も資本も掛かる至難の業でもある。陸軍が考え出した策は、大型戦車を満州国関東州の大連で作る事だった。日本は高速小型軽戦車と装甲車、小型火器を担当、重火器と重戦車、重建設工作機械車両は大連でと分業方針がすでに出来上がっていた。

「仰とおりですわ。輸送兵站を制すもの、世界を制す。ローマの道は世界に通ずですわね、王仁様!」

「貴方の聡明さは、日本の光りになるだろう。その時、貴方の美貌に花が咲くのだ」

 王仁は再び悦子をじっと見つめ、穏やかなそして包むような気を送ってくる。眼差しは悦子の心の襞に隠された恥じらいを呼び起こし、悦子が知らない悦子の女がうごめいた。うっとりしそうな自分にブロックを掛けるのがわずかに遅れ、自分の頬が桃色に変わることに驚いてしまう。王仁の言葉は暗喩あんゆに満ちて、明確な意味は判らないが、自分が光りになると言う意味だけが心に入り込んできたからだ。

《あなたの光りになりたいだけ……》

 そう、内心の声が聞こえた悦子は、教え込まれた術が敗れていることを悟ったのだ。自分の頬の色が変わるのを見つけたのか、王仁は無邪気な笑顔を向けて爽やかに言った。

「悦子さん、世界は稲妻のように声が伝わる時代になる。電磁波の力だよ」

 軽くなって舞いそうな自分の心を押さえつけて、悦子はやっと言った。

「ええ、王仁様、その件もすでに、実用化にこぎつけております。この件はドイツの基礎研究資料がもたらされて、電波探知と無線通信、そして電子計算技術の研究開発を東京で集中的に行っています。明日はそちらの見学にまいりましょう」

 悦子はオートバイのエンジンを掛け、王仁を後ろに誘う。

「王仁様、東京行きの特別機は夕方になります。それまでオートバイでドライブなどいかがでしょう」

「うん、いいね。美しい人の運転でオートバイの後ろに乗るのは、桜散る季節に相応しい」

 悦子は自分の顔に笑みが零れるのを感じた。オートバイは風を切り、よちよちとゆっくり歩む人型工作機の横を走り抜ける。人型のエンジン音とオートバイのエンジン音が重なり、悦子は後ろに顔向けて大声を張り上げた。

「人型に名前をお付け下さい。人型は貴方のお子様の一人ですから」

「力持ちだから……、金太郎はどうかな?」

「……」

「ははは、冗談だよ、悦子さん! 力の道と書いて力道はどうかな」

「人型力道、良いお名前です」

 オートバイは実験飛行場のゲートを出て、阿蘇山の外輪山へ登る道を走った。牧草地を抜け外輪山の内側を登る道が徐々に視界を広げて行く。悦子は風に吹き飛ばされそうな軍帽を脱ぎ、髪留めを外した。そうすれば、自分の髪が風になびいて王仁に至ると思ったのだ。


 春の風景が似合う静かな庭園に、池のほとりで東屋がひっそりとたたずむ。春風はここ東京にも吹き始めたのか、池に緩く細かい波紋が浮かび、明るい斑の鯉が時折跳ねた。桜は咲いたばかりだろう。舞いはせずに、うららかな日差しに桃色の陰陽を融かしている。緩く小さく起伏する芝生の庭には、池の端に松と庭石が仲良く置かれ、白い砂利石が小路を東屋へ誘うのだ。小さな東屋は四方に御簾みすが下ろされて、春風だけが中に入れるように、表から内側は見えなかった。正面の傍らには小さな花壇があり、着物を着た女性達が、花壇前に置かれた茶椅子に並んで腰掛けている。花の匂いと東屋の内側でかれる香が、辺りに漂い春をいっそう深めていた。

 王仁と悦子は東屋の正面に置かれた茶椅子に腰掛けて、雅楽をつつしんで聴くように、御簾の内側の声に聞き入っていた。その声は美しく細く弱いが、明るくはっきりと澄んでいた。

「そうですか。電波の力で遠くを見通し、電子の力で計算まで出来るのですね」

 王仁が涼やかに、敬して答える。

「はい。日本に近づくいかなる物体も、艦船も航空機も電波探査機により逸早く知る事ができ、対応対策が施せます。軍部は年内に実用化したいと頑張っております。また、電算技術も格段の進歩がありました。誘導弾の中枢技術になりましょう。暗号解読にも大きな威力が発揮されるとの実証もありました。今回の視察で、私が示唆した項目は殆ど、実現されたかあるいはもう直ぐ実現される段階だと思いました」

「それはそれは、良い事です。貴方の努力と賜物と言うべき事。本当にご苦労様です」

「労いのお言葉、嬉しく思います……」

 王仁は御簾の奥の女性を知っているのだろうか、眼差しは優しく、くつろいで落ち着いているようにも見える。時折、悦子には見せない親しげな笑みさえ浮かべて話している。すると、王仁は立ち上がり、御簾の前まで歩み寄ると、そこで片膝を付いて言った。

「兵器に関わる私の示唆は、ご尽力により、ほぼ完璧に準備されました。就きましては、さらに重要な、軍閥と財閥の解体解消の件、進展はいかがでしょうか?」

 悦子は目を丸くしてしまった。この王仁は一体誰と話をしているのだろう? 日本国の実権を握る軍閥と財閥の解消をもくろんでいるなんて。特務機関には今まで決して無かった分野の話だ。即座にたおやかな声が答えた。

「数年の内に、日本は米国以上の民主国家となりましょう。恐れ多くも、我が君は人間宣言を決意されたのです。天皇陛下が人に戻る事を条件に、財閥と軍閥を解体され、民主の力で国が動くようにされるご所存。それもまた、アジアの中で、五族協和を率先するべき日本国の責務と決意されたのです。台湾国も韓国も満州国も、その意を汲み取ってもらえるなら、きっとこれからも自主独立を歩む対等の友として、アジアに自由と平和をもたらすでしょう」

 王仁が震えている。現人神あらひとがみと崇められている天皇陛下が、一般人にお下がりになる決意をされたのだ。王として、これほどの英断があろうか? 否、それこそが民を思う王のあるべき姿といつも悦子に言っていたのは、王仁だった。そんなことが在ろうはずが無いと思っていた悦子は、歴史が変わるその瞬間に、偶然にも立ち会ってしまった。大日本帝国は今、日本民主国になろうと決意した。アジアの盟主として率先して仁政を示す。悦子も体が震えた。

「皇室ができる事は、ここまでしょう、王仁様! 我らは野に下り、これから人として生きる道を模索せねばなりません」

「皇室は王室ではありません。日本民族固有の象徴となるのです。これからは民主に生きる人として、自由とは何か、人の道とは何かを日本の人々に率先して示す事こそ、皇室のお仕事になるでしょう。それ故に、人々は皇室を敬し、愛し、支える事でしょう。天皇陛下が神として崇められて、一部の老獪な人々や隠された陰謀に利用されてはなりません。皇室は先手を打たれたのです」

 春の風が優しく吹いて、御簾の切れ目から麗人が垣間見えた。悦子は一瞬、王仁と良く似た美しく深い瞳を見たと思った。風はそれ以上、簾を乱すことは無く、池で鯉の跳ねる音がする。麗人の声はさらに涼やかに透き通る。

「古の予言通り、王仁の家系は日本を導きましたね。三郎さま!」

「貴方のご尽力のお陰です。感謝に耐えません。しかし、これからは我らの役目、どうぞ、いつまでも我らを見守りください」

「ええ、見守り続けましょう、いつまでも! これから、三郎さまは大陸に行かれるのでしょう? 貴方の本当のお力が発揮されるときですね。きっと誰もが、貴方を受け入れるでしょう。楽しみな事です」

 王仁は立ち上がると、御簾に向かって頭をたれて言った。

「きっと、五族共栄をアジアにもたらし、歴史をさらに変えて見せましょう。それまでお元気で!」

 王仁は踵を返し、ゆっくりと歩み去る。悦子ははっと我に帰り、王仁の後を追おうとすると、御簾が風で揺れて麗人の声がした。

「悦子様、王仁さまをよろしくお導き下さりますよう、お願い申し上げます」

 悦子は自然にふり返り、御簾の奥をしっかりと見つめて一度頷いた。そして何も言わずに踵を返し王仁の後を追う。春の風は命に溢れ、庭の緑は瑞々しく柔らかく靡き、桜を小刻みに揺らしていた。


第一話 了


あとがき:

 読んでいただいた方、ありがとうございました。現在第五話まで完成しています。追々UPしてまいります。

小説楽土(津筆美影)


 はじめまして。『小説家になろう』に初めて投稿させていただきます。今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。

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