プロローグ
俺の記憶は常に炎のイメージから始まる。
戦火の中、まだ子供の俺は走り続けている。たった独りで、泥水を啜り、獣のように。
俺の周りで死神たちは行進する。周囲に悪意を振りまき、死を量産する。
俺は逃げ続ける。後ろを振り向くな、走れ。ただ、生き残るために。
放浪の旅が始まった。帰るべき故郷も、庇護者もいない。物心つくときには親もいなかった。
弓を構える。狙うは前方の茂みにいる、猪。生きるために、ほかの生物を殺すことを覚えたのは何時のころだったか。
俺の瞳は獲物を捉えて離さない。放たれた矢は一瞬で命の芽を摘み取る。
乾いた心に、慈しみも哀しみもない。あるのはただ生きる、という意志のみ。
ナイフで捌き、その肉を火であぶる。何年、こうやって生きていただろう。
すでに考えることすら億劫だ。
二つの月が沈むころ。俺のもとに客人があった。若い女だ。
いまだ続く戦争。そんな中、何人もの人間を見た。だが、目前の女ほど、生に溢れた顔をしていなかった。無論、この俺も。
「あなたがホークアイね」
若い女が俺を見て言った。腰には二刀のレイピアを持つ。そしてその衣装は聖騎士にのみ許された、純白のコートであった。
「そういうあんたは、聖騎士ブリュンか」
「その通りよ、ホークアイ」
ホークアイ、とは俺の通称だ。本名は俺自身知らない。いつからか、俺はホークアイと呼ばれるようになった。生きるために磨いた弓の腕を生かし、かつて一度だけ傭兵として戦ったことがあった。まだ少年と言える時期に。
「伝説の弓使いホークアイ。まだ十代前半と思われるのに、一切の感情がない完璧な戦士。その矢から逃れたものはいない」
聖騎士ブリュンが言った。確かに、人間を殺し損ねたことはない。あの炎の戦場で、俺はこの弓と矢で死を量産する死神と化したのだ。
「昔のことだ」
「あれから数年、行方も知れなかったあなたを探していたのよ、王国は」
王国。聖なる神々を信仰する、光の国。この何十年も続く戦争の中、中立の立場にいる、強国。
「あなたを雇うわ、ホークアイ。日々の生活と安全を保障しましょう。そして、あなたに拒否権はないわ」
女は高らかに宣言する。拒否すれば、この聖騎士は二刀のレイピアを抜き、弓を引く隙すら与えずに俺を斬るだろう。俺が培った野性がそう告げる。
「・・・・・・あんたたちの目的は?」
王国が俺のような男を使うわけはなんなのか。
「戦争の終結。私たちは第三の勢力として、この争いを止める」
どうやら、俺は炎の戦場から逃れることはできないようだ。死神の高笑いが聞こえるようだ。
聖騎士は白馬に乗っていた。俺も黒い馬をあてがわれた。ほかに三人の騎兵が付き従っていた。
聖騎士は通常の騎士よりも断然高い地位にいる。神官並みの魔力と信仰心。神より授けられた聖なる力を使いこなせるものだけがなれる。
前を進むこの女も、そうなのだろう。地上の穢れを知らず、神の愛をそのまま受け入れる、キレイな人間。
俺とは違う。
「王国もこの戦争で損害を受けている。国境地帯は荒れ果てているし、なによりこのままではこの大陸は荒廃してしまう。これではいずれ訪れる終末において、私たち人類は破れてしまう」
ゲヘナ。聖神教をはじめとした多くの宗教の経典に記される終末の危機。それは喪われた大陸エデンより訪れる魔神から始まる。人の世が乱れ、すべての人類を滅ぼす。それを防ぐために、神は予言の経典を残した、とされている。
この戦争がゲヘナの前段階である、というのが聖神教の見方である。
「ゆえに、私たちはこの戦いを終わらせ、ゲヘナを迎え撃つ準備をしなければ」
俺はゲヘナが来ようと、生きるだけだ。他人の血を啜ってでも。
「見えてきたわ、ようこそ、白亜の城へ」
前方にそびえたつ巨大な城と城下町。輝きに満ちたそれは、穢れた魂には眩しすぎた。
聖騎士ブリュンとともに俺は城へと入る。城内も白を基調とした堅実なつくりであった。聖神教の十字のマークが派手になりすぎないように装飾される程度で、華美ではない。
城の中で最も高い灯台。その奥の玉座に王は座っていた。
獅子の鬣のような髪の男、国王ヴォルスンガ。三十台に満たない、というが、その顔には歴戦の戦士のように精錬された何かが宿っている。
「戻ったか、妹よ」
「はい、陛下。ホークアイを連れてきました」
白い騎士は膝をつき、首を垂れる。この聖騎士と国王に血のつながりがあることはあまり知られていない。
「ほう、私を前にして怯みもせず、膝もつかぬか。度胸もあるようだな」
国王は俺をそう評した。
「俺は膝をつかない。俺は支配されることはない」
「ふむ、気高き鷹よ、気に入ったぞ」
国王は微笑を浮かべて言った。なるほど、これは只者ではない。
「改めて歓迎しよう、ホークアイ。ようこそ、ヴォルクーラ王国へ」