嘘
“おかねあげます”
長く続くシャッター通りで、少年はその老婆を見た。
雨だというのに傘もささず、フード付の大きな紺色の羽織を被っているだけで、顎からは引っ切り無しに雫が垂れ、その足元に波紋を作っている。眼を開いているかも分からなく、生気のようなものは一切感じられず、弱弱しく立ち続けている。それが放つ不気味な空気の塊が、少年の歩を速めた。
そんなことがあって少年は普段より早く家に着いた。
玄関を開けると、母が大急ぎで靴を履いているところだった。
「おばあちゃんが……大変だって……!!」
急にそんな事をいって、母は少年の手をグイと引き、車に乗せた。滅多に見ない母の興奮した顔を、少年はただじっと見ることしかできなかった。
祖母はガンで入院していた。定期的な治療の甲斐あって、これまでは安定していたのだが、今日の日が落ち始めるころになって急に容態が悪化したらしい。
ガンを発見した頃にはすでにかなり進んでいたから危険であることは分かっていたが、それでもなんとか一命をとりとめた。
でも神様というものは意地悪な性格で、やっとの思いで繋いだこの命も、もっと続かせるためには危険な手術とたくさんのお金を必要とした。
気付けば少年はあの老婆の前にいた。
近くで見ると、失禁しそうなほどに恐ろしい。それでも大好きな祖母のため、声を震わせながら小さく小さく、それでいてどこか勇敢に言った。
「……おかね…………かしてください」
老婆は少しの沈黙のあと、何に使うのかを尋ねた。
「……おばあちゃんのしゅじゅつです」
涙を眼にいっぱい溜めながら懇願する少年を老婆はじっと見た。そしてやはり少し沈黙して、老婆はゆっくりと首を振った。まだ両手で数えられるほどの年しか生きていない少年にも、その首の動きが拒否を表していることはわかった。悲しみが込み上げてきて、涙が溢れた。しかし、老婆は意外なことを言った。
「貸すのはダメ。あなたはまだ若すぎる。借りたところで返せない。だからお金はあげることにするよ」
少年の目から次々に湧き出ていた塩辛い液体は栓をしたように止まった。
「ただし、今から7日の間、嘘をつかないこと。いいかい?たったの7日だよ。その間1度も嘘をつかないで正直に生きればいい。そうしたら、ご褒美にお金をあげよう」
正直者として生きる七日間はすごく辛かった。学校で友達と話していても、ただの1つも冗談が言えなくなった。少年のことを「まじめすぎてつまんない」とか言って、友達と呼べた人もみんな離れていった。
それよりも日に日に弱っていく祖母を見るのが辛かった。あの日病状が悪化してから、毎日見舞いに行くようになったが、見るたびに元気が無くなっていて、お手玉を教えてくれたり、一緒に歌を歌ったときの面影はない。
たとえ手術が成功しても、そう長くは続かないと医者に言われた。それでも、少しでも長く祖母の顔が見たくて、少年は耐えた。
そして魔法使いのような老婆との約束を交わしたあの日から、ついに7日目を迎えた。
友のいない学校を早々と後にして、また病院へ向かう。
病室を開けると、祖母が少年を見て少し笑った。なんだか嬉しくなって、涙が出て、少年は駆け寄った。祖母も薄く開いた瞳を潤わせて、少年の手に軽く触れた。
「おばあちゃん……もう死んじゃうのかね…………」
とっさに励ましの言葉をかけてやろうとしたが、寸前で堪えた。これも嘘になるんじゃないのかと思った。でも、本当のことなんて言える訳がなかった。そうやって葛藤に苦しんでいると、しばらく何も言えなかった。
その様子を見た祖母は、悟ったかのようにして悲しい顔をした。
それを見た少年は堪らなくなった。それでも、それでも嘘はつけない。
だから自分の気持ちに嘘をついた。
「もうながいきできないっておいしゃさんいってた」
次の日もその次の日も、あのシャッター通りに老婆は現れなかった。
「人生に嘘は不可欠」だということをメッセージとして埋め込んだ作品です。初めて書いたSS作品ですので、読みづらい点も多々あるかと思います。よろしければ、感想フォームにてご指摘いただきたく存じます。