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第4話  続・敵と味方がいる幸せ

01


 どうやら、監査にやってくるサエキ大尉の影響も大きいけれど、それと同じくらいにカントウの姫君、「カリン」の影響も大きいようだった。神社から様子を見に来たイツキ中尉が、廊下の壁にもたれながら、せわしなく動く人たちについて解説をしてくれた。「手伝うつもりは全くないけれどね」と言いながら。


 彼女の話によると、軍部は監査の対応に追われ、元老院含む議員と文官はVIPの対応に追われるモノらしい。しかし、どちらも国を挙げて受け入れないといけないから、そこで、軍部と元老院側の力関係が……と、またしても鬱陶しい政治の話をされてしまうところだったので、オレは途中で話を遮り、そう言うもんだと納得することにした。


 話が重くなる度、自分の心も何だか重くなるような、そんな気分だった。


「それよりさ、サワダがお姫様の前では『余計なこと言うな』とか、『気をつけろ』とか言ってたけど、どんな人なの?」

「そうね。全くその通りよね。あの人もね。気が強いって言うか、強引って言うか」

「ミハマの追っかけだって言ってた」

「ええ、そうね」


 うわ、顔色変わった。意外と判りやすいな、イツキ中尉って。まあ、相手がミハマなら判らないでもないけど。でも、どれくらいかな。臣下としてとか?仲間としてとか?


「……オレは、どうしてたらいいのかな?」

「一緒にご飯でも食べましょうか?そうだ、サラさんちに行きましょう」

「あれ?イツキ中尉は……」

「私は待機してるわ、もちろん、護衛部隊としてね。でもサラさんも、こっちの様子が気になってると思うし。あのお姫様が来たなんて知ったら、心配でこっちに来ちゃうかも」

「そんなに……?」


 どんな女が来るんだ。怖すぎるよ。


「……あら、タイミングの悪い女ね。もう来ちゃったみたい」


 イツキ中尉も充分怖いって。タイミングの悪いって……。

 廊下を移動する文官達の動きが、さらに慌ただしくなっていた。「いらっしゃった」「殿下を」という声が聞こえる。


「どこ行くの?」

「殿下の所よ?待機してることをお伝えしないとね」


 颯爽と歩く彼女の後ろに、申し訳なくついていくオレ。かなり情けない姿かも。

 窓の外を見ると、日差しが少しだけ落ちていたのが判る。感覚がおかしくなりそうだけれど、もう夕方だ。


「そう言えば、サワダ議員に言われて、ティアスも監査の人に一緒に挨拶するって言ってた。でもあの人は元老院だから、お姫様の方に気を使わないといけないんじゃないの?」

「そうよね。そんなこと言ってたんだ。ティアス?」


 歩きながら横目でオレの顔を確認していたので、黙って頷いて見せた。


「あの人、ここでもちょっと特別なのよね。元老院の中でも影響力の大きい人だし、何より王の妹婿だし、それに、軍部にも影響力があるのよ」

「軍部に?」

「私たちは生まれる前だから、シュウジさんから聞いた話でしかないけど。元々、あの人が王の妹婿としてここにきたときは、軍部の人だったんですって。まだ二十歳になったばかり位の時期に、今の特殊部隊の基礎をつくって、教官としてそこに所属していたらしいのよ」

「そんな話……」

「今は、おくびにも出さないわ。本当に最初の何年かだけだったんですって。死別されてしばらくしたら、テッちゃん連れて中央にいたらしいし。誰も彼に逆らわないし、王のお気に入りだし、本当のことは誰も口にしないのよね」


 なるほど。当時のことを明確に記憶している人は、派閥に入ってるか、影響の小さいところに飛ばされてるかって所か。オレの知ってる沢田のお父さんって、そんな風には見えなかったけどな。

 ただ、こっちのサワダとサワダ父の関係を見る限りは、もう何があってもおかしくないんだろうなとも思えた。


「それってさ、思うんだけど。シュウジさん、やばくない?」

「やばいわよ?だからなのか、本気なのかよく判らないけど、シュウジさんに関しては、サワダ議員が自ら引き抜きに来てるけど。中央の研究開発部からも来てたかな?」


 それは確か、「楽師」から聞いた。ティアスのシュウジさんへの評価が異常に高かったことに、妙な違和感を覚えていた。


「ユノ。殿下の元へ向かってるの?」


 後ろめたさから思わず話を中断してしまったが、声をかけてきたのはティアスだった。イツキ中尉がすごいのか、ティアスがすごいのか、年が近いことも手伝ってか、二人は結構仲が良かった。でも、ミハマのことが絡んだら、どうなんだろうな、イツキ中尉って。


「ええ。ケガ、大丈夫?随分辛そうだけど?」


 オレと話をしていたときも、少し汗を掻いているなと言うくらいで普通に見えた。だけど、彼女はティアスに「辛そうだ」と言う。もしかしたらあの時サワダにも、そう見えていたのかも知れない。


「……歩く分には」

「テッちゃんが、ティアスは焦ってるって言ってた」


 彼女の前では、そんなこと言ってなかったのに。焦ってる?ティアスが?


「早く治そうとして、動き回るから。心配してた。あの人、言わないけどね」

「……お互い様だわ」

「殿下には、そんな風に言わないくせに」


 照れたように、彼女はイツキ中尉から目を逸らした。その様が余計にオレの不安を膨らませる。イツキ中尉の余裕も、彼女の動揺も。


「サワダ議員の所に行くんでしょ?」


 言葉に詰まっていたティアスを見かねて、イツキ中尉は話を変えた。彼女もそれに甘えるように、照れた表情のまま頷いた。


「ユノは待機?何か、カントウの姫君がいらっしゃるから、その人にも一緒に、って言われてるんだけど」

「……知ってる?カリン姫のこと」


 少し間があった。その間を、イツキ中尉がどう捉えたかは判らない。


「拝見したことは」

「どんなお話ししたか、よかったら教えて。気をつけて歩いてね。またケガを酷くしないように。行きましょ、アイハラさん」


 可愛く手を振って、ティアスから距離をとりながら再び歩き出すイツキ中尉に、またオレは必死でついていく。ちらちらと彼女の様子を伺いながら。


「酷くって?」


 オレは知らない。


「あの人、昨日アイハラさん達を助けに行ったでしょ?」

「うん。もしかして、その時?」

「その時は、テッちゃんがフォローに入ったから大丈夫だったみたいだけど、以前はケガを酷くして医者に怒られてたよ?」

「昨日以外でも、ああやって抜け出してたってこと?」

「みたいね。彼女の行動は、サワダ議員の管理下だから、私たちにはどうしようもないし、彼女の自由だとは思うけど。殿下が心配されるのよね」


 知らなかった。だって、ニイジマがあんなにオレに彼女との連絡係をさせようとしてたってことは、よっぽど動けないのかと思ってたから。ケガは治っていたように見えたけど、それも違ってたってことだし。


「ねえ、何だか面倒だと思わない?」

「何が?」

「だって、アイハラさんだって、判ってるんでしょう?彼女のこと。私、こういうのって、どうかと思うなあ」


 イツキ中尉の真意を、オレは測りかねた。




02


 彼女はその後、ティアスのことには触れなかった。もしかしたら、ティアスのことを疑ってるとか、疑ってないとか、もうそんな話じゃないのかも知れない。

 王宮内にあるミハマの(要するに王太子専用の)客間に、中にいるミハマの許可を得て、彼女の後について入る。王太子専用室だけでも、寝室を含めておそらく10以上あるはずだ。多すぎるだろうと思ってたけど、この王宮の広さと、国の人口を考えたら、そんなモノなのかもしれない。


 ……いや、根本的に何か違うな。感覚がおかしくなりそうだ。


「あれ?テッちゃんもシュウジさんもいるかと思ってたのに……」


 一緒にいるかと思ったサワダもシュウジさんも部屋にはおらず、ミハマが1人でいた。王子様1人にしておいて、何してるんだか。

 ここは彼が持ついくつかの客間の一つだが、オレが知る限り、どの部屋もほぼ同じ構造だった。20畳ほどの広さの洋間の真ん中にはやたら高そうな革張りのソファセット、アンティーク調の足の低いテーブルに、毛足の長い明るいベージュの絨毯が敷き詰められていた。調度品はほとんど無く、唯一部屋の奥に当たる、開放的な窓際にはテーブルと同じテイストのデスクが備え付けられており、そこにも揃いのように革張りのチェアがあった。デスクの上も綺麗なもので、凝った彫刻の施された淡い光を放つランプが一つあるだけだった。彼の持つ他の私室とは違い、一切手をかけられていないと言うか、こだわりとか、生活感を全く感じなかった。


 彼は随分待っていたのか、奥のデスクには空になったグラスが2つ並んでいた。


「シュウジはもうすぐ戻ってくるって言う連絡があったんだけど、テツは王宮に着いたって言う連絡があって以来、連絡とれないや。多分、王宮内にいるってことは、別の所で捕まってるんじゃないのかな?」

「サワダ議員が、ティアスを連れて中央の監査の方にご挨拶ですって」


 彼女の口振りには、もちろん悪意が籠もっていた。


「そう。なら、きっとカリンの元にもつれていくだろうね。もう来てるらしいし。もしかしたらテツもテッキさんに捕まったかな」

「カリン姫はおそらくこちらにいらっしゃいますから、私、待機してます。シュウジさんももうしばらくしたら戻っていらっしゃるのでしょう?裏に回っていますから」

「いや、良いよ。二人でここにいてくれれば。監査の人はともかく、カリンはオレの周りにいる人のことは、十分承知してるから」

「はい」


 ミハマの言葉に、イツキ中尉は満面の笑みを見せた。ミハマがこういうことを言うのはいつものことなのに、彼女は特別なことのように喜んでいた。


「アイハラは……」

「殿下がカリン姫と会食中、一緒にサラさんの様子を見に行こうと思って」

「そう。オレもそっちに行きたいな。頼むよ」

「はい」


 彼女は彼の中の「カリン姫」と「護衛部隊及び自分」のバランスを見て、喜んでいたんだ。普段なら、そんなこと当たり前のように自分たちに比重を置かれていることを知っているくせに、何でこんなに喜ぶんだろう。もしかしたらカリン姫って、ミハマにとって結構重要な人物なのかもしれない。だからこそ、彼女はこんなに喜ぶのかな。


「ミハマ、良いですか?謁見の間に行きますよ」


 制服の襟元が乱れた状態で、よれよれの髪型のままのシュウジさんが、大慌てで部屋に入ってきた。乱れてるのはいつものことだけど、慌ててるのはなかなか見ないな。


「なんだよ。カリン?何で王の前で?」

「別にカリン姫はあれですけど、サワダ議員がティアスとテツを連れて、王の前でお話しされてるんで。これ以上、妙な噂が広がらないうちに、行きますよ」

「連絡とれないと思ったら。やらせとけばいいよ、もう。めんどくさいし」

「まあ、あなたならそう言うと思ったんですけど、そう言うわけにもいかないので。行きますよ。ユノ、後を頼みます。シンには連絡してあるので」


 彼女は黙って頷き、引っ張られていくミハマを見送った。


「サラさんちに行くのは、なしね。仕事が出来たみたい」


 彼女はデスクにあった2つのグラスを持って、奥にある扉から給湯室に入った。これも他の客室と同じ作りだった。 


「オレ、何か手伝おうか?」

「大丈夫よ?ありがとう。でも、良かったら部屋で待機してて」

「邪魔しないって。黙ってるから」

「……でも、相手はあのカリン姫だから」


 だから、それは一体どんな女だ!

 彼女がグラスを拭いて、食器棚に仕舞ったのを見届けて、彼女の後について給湯室を出る。


「中央の楽師殿」


 何だ、なんだなんだ。サワダもイツキ中尉も、何のつもりだ?!その名前を出したらオレが動揺するとでも!?


「……が、どうかした?」

「彼女にも、あなたは疑われたんでしょ?カリン姫の眼光は、きっと彼女より鋭いわよ?」


 人の悪い笑みを浮かべてから、彼女は客間の扉に手をかけた。てっきり、様子を伺われているのかと思った。もう、ホントにどう動いて良いか判んないって。


「……あ」


 扉を開けて、いやなものでも見たように彼女は表情を歪ませた。扉の外に立っていたのは、この城内では見たことのない女性だった。服装も、その存在感も。パンツスーツで出歩く女性って、この城内にはいないしな。


「イツキ中尉、どこかへお出かけ?ミハマは?」

「先ほど、姫君のお話を……入れ替わりだったようですわね。謁見の間に向かってますわ」


 これが噂のカリン姫?!美人じゃん!好みじゃないけど、すらっと背の高い、モデル体型に、アジアンビューティって言葉の似合う端整な顔立ち。可愛いイツキ中尉も良いけど、クールなカリン姫も、まま良いよ!でも、モデル系って話なら、クールビューティ系のミナミさんか?


「そちらは?……この部屋にいるには随分、階級が……」

「殿下の元で見習いとして身の回りのことをしております、アイハラユウトです。客人扱いでして……」


 イツキ中尉の目配せを受け、敬礼して簡単に名乗る。しかし、はっきりものをいう人だな、この人。美人だけど、性格きつそうな顔してるし、サワダが言った「強引」って言葉も、あながちウソじゃなかったりして。


「へえ。そんな話は初耳だな」

「……最近ですの。2ヶ月くらいですから。先日の中央での報告会の際も殿下に同行して中央まで。カリン姫はいらっしゃらなかったのですか?」

「父が向かっていたのだが、私は二日目からしかいけなくて。オワリに魔物が出て、急いで帰ったという話しか聞けなかったよ」


 入れ違いになったってわけだ。図々しくも、呼ばれてもいないのに、しかも国王を置き去りにしてミハマを追いかけてくるくらいだ。かなり会いたかったんだろうな。それが、イツキ中尉には不愉快なわけだ。

 ティアスにはここまでの敵意は見せないくせに……おかしな話だ。ミハマは彼女を好きなんだから、彼女のことを気にした方がいいと思うけど。もしかして、イツキ中尉もサワダとティアスが怪しいこと、知ってるってことかな。だから、彼女を気にしてないってことか?


「そう言えば、アイハラ殿は、南の方からいらっしゃったのですか?」

「え……えーと」


 いや、この辺の出身なんですけど……。なんで?思わずどもってしまった。その間に、イツキ中尉が割って入ってくれた。


「いえ、その……各地を転々としてまして。ねえ?」


 黙って頷く。出身を疑われるって、どんな状況だよ?


「まあ、ミハマのことだから、どんな子が側にいても不思議ではないけれど……その子は、ちょっと違うかな?彼が懐に入れるとは考えにくい」

「いくらカリン姫でも、それは過ぎませんか?」

「失礼。入れ違ったのなら戻りますよ。そんな番犬のように吠えなくても」


 イツキ中尉も、立ち去る彼女のあとは追わなかった。これ以上関わりたくなかった、と言うのがホントの所だろう。


「何で、南?」

「アイハラさんが、この国の人じゃないでしょう?ってことよ。なんて言ったかしら。この間シュウジさんがあの人のあの妙な力のこと、何とか言ってたのよね。ホント、めんどくさい女。アイハラさん、私は謁見の間の裏に回ってますから、ちゃんと自室で待機していてくださいね?」


 オレは黙って頷いたが、言うとおりにするつもりは全くなかった。



02


 イツキ中尉を見送った後、一旦部屋に戻ろうと思ってエレベーターで5階へ下りた。そこはびっくりするほど、一気に人がいなくなっていた。あんなにばたばたしていたのに、廊下は静かなもんだった。確かに、このフロアは客人用に用意されているらしいので、通行するだけなのだろうが。


 部屋で、以前借りた軍服に着替え、エレベーターに向かう。

 最上階に行くには、エレベーターに暗証番号を入れないといけないけれど、それも実は知っている。将官クラスの軍人とたまたま乗り合わせたときに、こっそり盗み見といた。このバッジの効力のすごさも思い知った。

 知ってることをあいつらに黙ってて正解だったのかも。もしかしたらイツキ中尉も、あんなにあっさりオレを置いていかなかったかもしれないし。

 壁を作られているのも知ってる。彼らの中に入っていけない、入らせてもらえないのも知ってる。だけど何も知らないまま、このままでいたいとも思わない。

 ここでこのまま、戻ることの出来ないまま、ただ無為に時間を過ごしていくのは嫌だった。

 特に、こそこそしてるあの二人を、微妙な距離感を持っているティアスを、見ているのは辛い。


 最上階はフロア全てを使ったような広い廊下が広がり(しかもレッドカーペット)、その先には唯一謁見の間がある。エレベーターの出口に守護の兵が立っていたが、オレのバッジを見たら簡単に通してくれた。そもそも、許可がなければ、ある程度許されているものでなければ、この階までは入れないのだから、ってことだろう。

 しかし、ここまで来たのは良いけれど、どうしたものか。

 謁見の間には扉一枚。その前には同じく門番のように兵が立っている。廊下には誰もいない。どこかから中が覗けないものかと思ってたけど、難しそうだな。

 でも、イツキ中尉もこの部屋の裏に回るって言ってたし、どこかあるんじゃないかと思ったんだけど……。


 とりあえず長い廊下を歩いて、少しずつ扉に近づいていくことにした。扉の前に立っていた人に咎められるかと思ったけれど、ちょうど窓際から軍人が現れ、敬礼をして交代していった。

 交代は良いけど……どこから現れたんだ?壁しかないのに。

 どうやら隠し扉があるらしく、交代した軍人が壁の一部を扉のようにして開け、中に入っていった。オレもその後をおって、窓際の壁に向かう。もちろん、扉の前に立つ軍人にはきちんと敬礼をして。

 何もないかのように壁紙を貼られているのに、よく見るとうっすらと溝があった。頻繁に使われているからなのか、最近作られたからかは知らないけれど、壁紙は真新しかった。ほとんど違和感はなかったけれど、よく見ないと、知らないと判らなかった。

 先に入った軍人に倣って、溝の部分に触れると、奥の方に押すことが出来た。どうやらこの部分がノブになっているらしい。開けにくくて一回失敗してしまったけど、何とか2回目には開けることが出来、先に続く梯子段を登り、前に進む。梯子段とはいえ、作りはしっかりしていた上に絨毯が敷いてあり、足音は響くことなく静かだった。

 暗くて狭いけど、どこに行くんだろう。隣は謁見の間のはずだよなあ。声も聞こえないし。

 しばらく登っていたら、暗くてよく判らなかったけれど踊り場が現れた。ここにもご丁寧に絨毯が敷いてあった。左手の、謁見の間があるはずの壁側から、微かに光が漏れていた。近付いてみると、そこからあちら側が覗けるスリットが空いていた。


 もしかしてこっち側って、軍が王様を守るために用意した隠し部屋ってことか?(部屋って言うには狭すぎるけど)軍服着てきて良かった……。バッジつけて、軍服着てなかったら、多分、入るときに止められてたかも。

 スリットから向こう側を覗くと、まだ赤い絨毯が続いていた。扉も見えるけれど、奥と、入ってきた側にそれぞれ一つずつ。どうやら、謁見の間はさらに先らしい。暗かったので気付かなかったが、ここにも一人、軍人が立っており、見張っていた。敬礼をしてそそくさと先に向かうことにした。


 梯子段を登りきると、急に眩しくなり思わず目を閉じた。梯子段と同様、絨毯の敷き詰めてあるフロアは、やはり狭かった。だけど、全面ガラスになっている壁を一枚挟んで、その先には謁見の間が広がっていた。ちょうどロフトから見下ろすような形だった。

 奥に玉座が見え、そこにミハマのお父さんであるオワリ王が座っていた。その前にミハマとサワダ父が並んで立ち、サワダ父の横にティアスとサワダがいた。ミハマの横にはシュウジさんが立っていた。

 室にはカリン姫も見える。距離は離れ、謁見の間の中心にいたけれど、彼女は真っ直ぐにミハマを見ていた。

 謁見の間と言うから、もっと狭いかと思ったけど、バスケコートが3つくらい入りそうな程度には広かった。今いる監視部屋と同じ高さには、オペラを見るためのホールのような、階段状の座席や、個室も見えたし、そこから下に降りられる、レッドカーペットを敷き詰めた広い階段もあった。

 入口も、監視部屋側にあったものとは別に、豪華に飾り付けられたものが玉座の右手側にあった。客人用のエントランスからつながっているのは、こちらの扉のようだった。

 それにしても……このガラス、向こうからも丸見えなんじゃないのか?ここにも見張りの人が立ってるけど、大丈夫?


「こら。何してんだお前は。いつの間に忍び込んだ?」

「うわ!でた!やっぱり出た!」


 オレの首根っこを引掴んでいたのは、案の定イズミだった。

 一応周りを見渡したはずなのに、一体どこに潜んでいたんだ、コイツは。


「姿を見なかったから、少しだけ安心してたのに……」

「ずっとお前らの側にいたけどね。ミハマの客室にいたときとか」


 もしかして、あの時グラスが二つあったのって……!?怖い、怖すぎる。忍者かコイツは!でも、イツキ中尉やミハマの態度から察するに、いつものことなんだろうな……。「いつものこと」で、ホントにすんでしまいそうなコイツが怖い。


「まあいいか。あんまり騒ぐなよ?今日はカリン姫がいらっしゃる」


 イズミが下を指さす。よく見たら壁際には親衛隊のキヅ大佐とカグラ、王の親衛隊も2名、それから元老院派のソノダ中佐、さらに見たことのない軍服を着た人が二人立っていた。多分、カリン姫について来たカントウの軍人なんだろう。実戦には向かなさそうな、真っ白な軍服だった。お出かけ用か?


「どうやってここに来たか、聞かないんだ」

「めんどくせえし。聞いても仕方ないし」

「いつも五月蠅いくせに」

「オレの業務と、あいつらに害がなければ、どっちでも良いんだよ、本当は。だって、ここに来たのは、お前の意志なのに。オレには関係ないし」


 下を見たまま、オレの首から手を離した。気のせいか、やっぱりイズミの態度は随分柔らかくなっているような気がした。

 まあ、以前もそう思い違ってしまって、エライ目に遭ってるんだけど。


「イツキ中尉には、自室で待ってろって言われたけど」

「それは、ユノちゃんの意見だ。あの子、優しいからさ」


 それって、オレがここに来てると、オレに何かあるみたいな言い方なんですけど。怖いな、ホントに。


「……このガラス、大丈夫なのか?」

「ああ。向こうからはただの壁にしか見えないさ。こっち側は明らかに作りがみすぼらしいのに、見せられるわけないし?」


 いや、けっこうちゃんとしてますけどね。どういう構造なのか知らないけど、マジックミラーのようなものだろうか。何か、怪物以外で、やっと未来っぽいものに遭遇したな。


「これ、中央とオワリしか使ってない、特殊技術。オレが確認した限りでは」

「……確認って?!オワリって特別待遇ってこと?」

「違う違う。中央もオワリも、別々に開発してる。もちろん、報告は出来ないし。ただ、オレがいろんな国の裏側を見た限り、これに類似した技術は見あたらないね」

「隠密か!?お前は!」

「今さら何を」


 そこは突っ込み返してくれよ……。お前の技術の方が恐ろしいよ、オレは。


「ただ、ちょっと静かにしてろよ?カリン姫は手強いから」

「何だよ、向こうの声も聞こえないのに、こっちの声が……」

「向こうの声は、あっちにヘッドホンがあるから、そこから聞ける。こっちの声は確かに聞こえない程度の厚みはあるけど、相手はあのお姫様だしね」

「どんな超人なんだよ。聞こえるのか?あの人には」

「聞こえてるかもね。足音とか、歩き方とかで、どんな人か大体判断しちゃうような人だし。アイハラなんか、軍人じゃないことどころか、やたら寒がりってことまでばれる気がする」


 それで南の方とか言ってたのか?つーか、寒がりじゃないッての。この世界が寒すぎるの、オレがいた時代に比べて。

 でも、イズミの言うとおりだ。しっかりばれてるよ。一体何者なんだよ、あの人。お姫様なのか?

 イズミはオレを置いて、ヘッドフォンが設置してある個室に向かったので、それについていった。不思議と、彼は文句も言わず、オレを自由にさせてくれた。

 何か、イズミとの力加減って良く判らないと言うか、難しいんだけど……判らないなりに、何となくだけど、機嫌のいいときは判るようになってきた。

 今日のイズミは、決して機嫌は良くないだろう。なんと言ってもミナミさんがいない。あの人が側にいるときといないときでは、コイツの機嫌は驚くほど違う。

 だけどそんな状況でも、オレがする行動一つで、機嫌が良くなることもある。

 不思議だけど、オレが「こうしたい」って言って動くと、イズミは驚くほどあっさりと受け入れてくれる。でも、同じようにオレが意志を見せて動いていても、イズミのカンに触ることもある。そこにはなにか、彼なりの明確な基準があるように最近は思えてきた。


 個室の中からも、謁見の間を見下ろすことが出来た。まるでミキサー室のようなその部屋には、王の親衛隊らしき軍人が一人、ヘッドフォンを耳に当て座っていた。

 「緊急事態があったら、あの人が警報を鳴らす」と、珍しくイズミが自分から教えてくれた。

 イズミに倣って、何に使うか判らない、たくさんのスイッチがついた機材の上に放置してあった5個のヘッドフォンから適当に一つ選び、耳に当てると、カリン姫の声が聞こえてきた。見下ろしている人から、顔が見えないのに声が聞こえるのは、何とも不思議な感覚だった。


「イズミ、あれは誰?いま入ってきた人。元老院の人みたいだけど」


 サワダ父と同じ制服を着た、初老の人物が監視部屋側の入口から入ってきた。サワダ父には親しげに声をかけ、王やカリン姫には跪いてみせるが、ミハマには目もくれない。

 逆に、カリン姫は相手にもしていないように見えたけど……。


「元老院のナカタ議員。名前くらいは聞いたことあるだろ?まあ、オレ達のような下っ端じゃ、お会いすることもないしな」


 ちらっと、同じ部屋にいる親衛隊員の目を気にしながら、イズミは嫌味っぽくそう言った。



03


 イツキ中尉を見送った後、一旦部屋に戻ろうと思ってエレベーターで5階へ下りた。そこはびっくりするほど、一気に人がいなくなっていた。あんなにばたばたしていたのに、廊下は静かなもんだった。確かに、このフロアは客人用に用意されているらしいので、通行するだけなのだろうが。


 部屋で、以前借りた軍服に着替え、エレベーターに向かう。

 最上階に行くには、エレベーターに暗証番号を入れないといけないけれど、それも実は知っている。将官クラスの軍人とたまたま乗り合わせたときに、こっそり盗み見といた。このバッジの効力のすごさも思い知った。

 知ってることをあいつらに黙ってて正解だったのかも。もしかしたらイツキ中尉も、あんなにあっさりオレを置いていかなかったかもしれないし。

 壁を作られているのも知ってる。彼らの中に入っていけない、入らせてもらえないのも知ってる。だけど何も知らないまま、このままでいたいとも思わない。

 ここでこのまま、戻ることの出来ないまま、ただ無為に時間を過ごしていくのは嫌だった。

 特に、こそこそしてるあの二人を、微妙な距離感を持っているティアスを、見ているのは辛い。


 最上階はフロア全てを使ったような広い廊下が広がり(しかもレッドカーペット)、その先には唯一謁見の間がある。エレベーターの出口に守護の兵が立っていたが、オレのバッジを見たら簡単に通してくれた。そもそも、許可がなければ、ある程度許されているものでなければ、この階までは入れないのだから、ってことだろう。

 しかし、ここまで来たのは良いけれど、どうしたものか。

 謁見の間には扉一枚。その前には同じく門番のように兵が立っている。廊下には誰もいない。どこかから中が覗けないものかと思ってたけど、難しそうだな。

 でも、イツキ中尉もこの部屋の裏に回るって言ってたし、どこかあるんじゃないかと思ったんだけど……。


 とりあえず長い廊下を歩いて、少しずつ扉に近づいていくことにした。扉の前に立っていた人に咎められるかと思ったけれど、ちょうど窓際から軍人が現れ、敬礼をして交代していった。

 交代は良いけど……どこから現れたんだ?壁しかないのに。

 どうやら隠し扉があるらしく、交代した軍人が壁の一部を扉のようにして開け、中に入っていった。オレもその後をおって、窓際の壁に向かう。もちろん、扉の前に立つ軍人にはきちんと敬礼をして。

 何もないかのように壁紙を貼られているのに、よく見るとうっすらと溝があった。頻繁に使われているからなのか、最近作られたからかは知らないけれど、壁紙は真新しかった。ほとんど違和感はなかったけれど、よく見ないと、知らないと判らなかった。

 先に入った軍人に倣って、溝の部分に触れると、奥の方に押すことが出来た。どうやらこの部分がノブになっているらしい。開けにくくて一回失敗してしまったけど、何とか2回目には開けることが出来、先に続く梯子段を登り、前に進む。梯子段とはいえ、作りはしっかりしていた上に絨毯が敷いてあり、足音は響くことなく静かだった。

 暗くて狭いけど、どこに行くんだろう。隣は謁見の間のはずだよなあ。声も聞こえないし。

 しばらく登っていたら、暗くてよく判らなかったけれど踊り場が現れた。ここにもご丁寧に絨毯が敷いてあった。左手の、謁見の間があるはずの壁側から、微かに光が漏れていた。近付いてみると、そこからあちら側が覗けるスリットが空いていた。


 もしかしてこっち側って、軍が王様を守るために用意した隠し部屋ってことか?(部屋って言うには狭すぎるけど)軍服着てきて良かった……。バッジつけて、軍服着てなかったら、多分、入るときに止められてたかも。

 スリットから向こう側を覗くと、まだ赤い絨毯が続いていた。扉も見えるけれど、奥と、入ってきた側にそれぞれ一つずつ。どうやら、謁見の間はさらに先らしい。暗かったので気付かなかったが、ここにも一人、軍人が立っており、見張っていた。敬礼をしてそそくさと先に向かうことにした。


 梯子段を登りきると、急に眩しくなり思わず目を閉じた。梯子段と同様、絨毯の敷き詰めてあるフロアは、やはり狭かった。だけど、全面ガラスになっている壁を一枚挟んで、その先には謁見の間が広がっていた。ちょうどロフトから見下ろすような形だった。

 奥に玉座が見え、そこにミハマのお父さんであるオワリ王が座っていた。その前にミハマとサワダ父が並んで立ち、サワダ父の横にティアスとサワダがいた。ミハマの横にはシュウジさんが立っていた。

 室にはカリン姫も見える。距離は離れ、謁見の間の中心にいたけれど、彼女は真っ直ぐにミハマを見ていた。

 謁見の間と言うから、もっと狭いかと思ったけど、バスケコートが3つくらい入りそうな程度には広かった。今いる監視部屋と同じ高さには、オペラを見るためのホールのような、階段状の座席や、個室も見えたし、そこから下に降りられる、レッドカーペットを敷き詰めた広い階段もあった。

 入口も、監視部屋側にあったものとは別に、豪華に飾り付けられたものが玉座の右手側にあった。客人用のエントランスからつながっているのは、こちらの扉のようだった。

 それにしても……このガラス、向こうからも丸見えなんじゃないのか?ここにも見張りの人が立ってるけど、大丈夫?


「こら。何してんだお前は。いつの間に忍び込んだ?」

「うわ!でた!やっぱり出た!」


 オレの首根っこを引掴んでいたのは、案の定イズミだった。

 一応周りを見渡したはずなのに、一体どこに潜んでいたんだ、コイツは。


「姿を見なかったから、少しだけ安心してたのに……」

「ずっとお前らの側にいたけどね。ミハマの客室にいたときとか」


 もしかして、あの時グラスが二つあったのって……!?怖い、怖すぎる。忍者かコイツは!でも、イツキ中尉やミハマの態度から察するに、いつものことなんだろうな……。「いつものこと」で、ホントにすんでしまいそうなコイツが怖い。


「まあいいか。あんまり騒ぐなよ?今日はカリン姫がいらっしゃる」


 イズミが下を指さす。よく見たら壁際には親衛隊のキヅ大佐とカグラ、王の親衛隊も2名、それから元老院派のソノダ中佐、さらに見たことのない軍服を着た人が二人立っていた。多分、カリン姫について来たカントウの軍人なんだろう。実戦には向かなさそうな、真っ白な軍服だった。お出かけ用か?


「どうやってここに来たか、聞かないんだ」

「めんどくせえし。聞いても仕方ないし」

「いつも五月蠅いくせに」

「オレの業務と、あいつらに害がなければ、どっちでも良いんだよ、本当は。だって、ここに来たのは、お前の意志なのに。オレには関係ないし」


 下を見たまま、オレの首から手を離した。気のせいか、やっぱりイズミの態度は随分柔らかくなっているような気がした。

 まあ、以前もそう思い違ってしまって、エライ目に遭ってるんだけど。


「イツキ中尉には、自室で待ってろって言われたけど」

「それは、ユノちゃんの意見だ。あの子、優しいからさ」


 それって、オレがここに来てると、オレに何かあるみたいな言い方なんですけど。怖いな、ホントに。


「……このガラス、大丈夫なのか?」

「ああ。向こうからはただの壁にしか見えないさ。こっち側は明らかに作りがみすぼらしいのに、見せられるわけないし?」


 いや、けっこうちゃんとしてますけどね。どういう構造なのか知らないけど、マジックミラーのようなものだろうか。何か、怪物以外で、やっと未来っぽいものに遭遇したな。


「これ、中央とオワリしか使ってない、特殊技術。オレが確認した限りでは」

「……確認って?!オワリって特別待遇ってこと?」

「違う違う。中央もオワリも、別々に開発してる。もちろん、報告は出来ないし。ただ、オレがいろんな国の裏側を見た限り、これに類似した技術は見あたらないね」

「隠密か!?お前は!」

「今さら何を」


 そこは突っ込み返してくれよ……。お前の技術の方が恐ろしいよ、オレは。


「ただ、ちょっと静かにしてろよ?カリン姫は手強いから」

「何だよ、向こうの声も聞こえないのに、こっちの声が……」

「向こうの声は、あっちにヘッドホンがあるから、そこから聞ける。こっちの声は確かに聞こえない程度の厚みはあるけど、相手はあのお姫様だしね」

「どんな超人なんだよ。聞こえるのか?あの人には」

「聞こえてるかもね。足音とか、歩き方とかで、どんな人か大体判断しちゃうような人だし。アイハラなんか、軍人じゃないことどころか、やたら寒がりってことまでばれる気がする」


 それで南の方とか言ってたのか?つーか、寒がりじゃないッての。この世界が寒すぎるの、オレがいた時代に比べて。

 でも、イズミの言うとおりだ。しっかりばれてるよ。一体何者なんだよ、あの人。お姫様なのか?

 イズミはオレを置いて、ヘッドフォンが設置してある個室に向かったので、それについていった。不思議と、彼は文句も言わず、オレを自由にさせてくれた。

 何か、イズミとの力加減って良く判らないと言うか、難しいんだけど……判らないなりに、何となくだけど、機嫌のいいときは判るようになってきた。

 今日のイズミは、決して機嫌は良くないだろう。なんと言ってもミナミさんがいない。あの人が側にいるときといないときでは、コイツの機嫌は驚くほど違う。

 だけどそんな状況でも、オレがする行動一つで、機嫌が良くなることもある。

 不思議だけど、オレが「こうしたい」って言って動くと、イズミは驚くほどあっさりと受け入れてくれる。でも、同じようにオレが意志を見せて動いていても、イズミのカンに触ることもある。そこにはなにか、彼なりの明確な基準があるように最近は思えてきた。


 個室の中からも、謁見の間を見下ろすことが出来た。まるでミキサー室のようなその部屋には、王の親衛隊らしき軍人が一人、ヘッドフォンを耳に当て座っていた。

 「緊急事態があったら、あの人が警報を鳴らす」と、珍しくイズミが自分から教えてくれた。

 イズミに倣って、何に使うか判らない、たくさんのスイッチがついた機材の上に放置してあった5個のヘッドフォンから適当に一つ選び、耳に当てると、カリン姫の声が聞こえてきた。見下ろしている人から、顔が見えないのに声が聞こえるのは、何とも不思議な感覚だった。


「イズミ、あれは誰?いま入ってきた人。元老院の人みたいだけど」


 サワダ父と同じ制服を着た、初老の人物が監視部屋側の入口から入ってきた。サワダ父には親しげに声をかけ、王やカリン姫には跪いてみせるが、ミハマには目もくれない。

 逆に、カリン姫は相手にもしていないように見えたけど……。


「元老院のナカタ議員。名前くらいは聞いたことあるだろ?まあ、オレ達のような下っ端じゃ、お会いすることもないしな」


 ちらっと、同じ部屋にいる親衛隊員の目を気にしながら、イズミは嫌味っぽくそう言った。



04



  明らかにイズミの機嫌が変わったのは判った。あの初老の男が、「ミハマに敵対している派閥」の重要人物であろうことは明確だった。あんなにあからさまで良いのかって言うくらい。

 そのわりにはサワダ父はいつも通りって言うか、様子が変わらないと言うか……。ナカタ議員の態度から察するに、サワダ父とは友好関係にあるはずだ。


「ナカタ議員って、エライ人?元老院の中で?つーか、そもそも元老院て?そんなにエライの?おかしくない?」


 室内にいる親衛隊員の様子を伺いながら、イズミに耳打ちをした。


「いや、元老院てスゴイだろうよ」

「まずそこがよく判らん。王子様のがエライし。元老院があるなら代議院とかもあるんじゃないの?」

「何じゃそりゃ?そう言う話はシュウジさんとしろよな。元老院がエライのは決まってんだろうが。名目上この国では『王の助言機関』であり、事実上、『統治機関』なんだからさ。独立してるしね」


 何か、子供に諭すような口調のくせに、嫌味たっぷりにそんなこと言われてもなあ。それにしたって、ミハマの方がエライはずなんだが。まあ、サワダ親子問題はあったにしても。


「ちなみに、そこで一番力持ってる人」


 ……他にもっとエライ人はいそうなんだけどな。大体、サワダ父と友好的な関係なのが妙に引っかかる。

 おかしな話じゃないか。立場的には微妙な仲のはずだ。サワダ父は王の義弟に当たるわけだし、王の信頼も厚いって言うし、息子も国を背負って立つような戦士なわけだし。この王宮内での政治的な話で言えば、サワダ父がナカタ議員にとっては一番敵として認識されそうなもんだ。年だって若いし、叩いたらいろいろ埃の出てきそうな人だし。

 どっちも別に、国王になれるわけじゃない。継承権はないのに。

 なのに、少なくとも階下から聞こえるナカタ議員の声からは、サワダ議員への嫌味とかそねみのようなものは聞き取れなかった。

 ティアスのことなんか真っ先に突っ込みそうなのに、彼女の存在などいないかのように話をしていた。

 上から見てると、誰が誰のことを見ていて、誰を視界に入れてないのかが、ものすごくよく判る。吐き気がしそうだった。


「いつもこんなコトしてんだ?」


 軽く嫌味の混じった声で、イズミに突っ込んでみたけど、下の会話に集中してるのか、ちょっと気の抜けた声で返事が返ってきた。


「お仕事ですから」

「いつもそう言うけど、どんな仕事だよ?」

「うちの王子様を守り、彼の望む方へ進むための土台作り」

「これが?」

「何かあったら困るだろうが?」


 そうだけどさ……。何かストーカーみたいだし、いろんなこと知りすぎてて怖い。それに、ホントにそれ関係あるのかって言うところに必死だし。

 サワダとティアスのこともどこまでホントは知ってるんだろう。その情報の出し方も隠し方も、全て「ミハマのため」なんだろうか。


「ま、こんだけ役者が揃っても、王もサワダ議員もいらっしゃるし、面白いことは何もないけどね」


 笑いながらそう言ったイズミを、ちらっと同じ室にいた親衛隊の人が睨んだように見えた。多分、イズミは判ってて言ってるだろうけど。自分が嫌味を言うのは良いのか!?


「なんでサワダ議員?」

「あの方には王もナカタ議員も、シュウジさんですら一目置いてるからさ。ミハマがこんな場で余計なことを喋るとも思えないし、テツもティアちゃんも借りてきた猫みたいで可愛いもんだし?」


 確かにそう言われてから謁見の間の様子を伺ってみると、そう言う風に見えなくもないかも。カリン姫にいたってはアウェーなわけだし。

 サワダやティアスよりも、ミハマの方がよっぽど借りてきた猫みたいだよ。普段は黙っていたとしてもものすごい存在感があるのに、それすら消し去ろうとしてるように見えた。

 確かにこんな場に「王子不在」なんてことは、政治的に不利になることばかりだろうけど、ミハマがただ存在してるだけって判ってるなら、何でシュウジさんはわざわざこんな場に引っ張り出すんだよ。端から見てるからこそ、ミハマがいたたまれなくなってくるよ。


「何かあったら困る、何つっといて、何か起きて欲しそうに聞こえたのは気のせいか?」

「気のせいだろ?」


 顔が、悪戯を考えてる最中の小学生だろうがよ。説得力ゼロだ。


「いや、何も無いだなんて絶対思ってない!」

「カリン姫がいらっしゃるからね」


 何を彼女に期待してんだ?別に、この国の政治に口が出せるわけでもないのに。いくら大国のお姫様だからって、所詮は別の国の話だ。中王が口を出すのとは、また違うし……。

 サワダ議員が王に断りを入れた上で、ティアスをカリン姫に紹介した。その様子を、後ろからサワダがじっと伺っているように見えた。

 オレの隣では、同じような表情でイズミがその様子を伺っていた。


「随分遠いところから来ているのですね?」


 北方から来ているということと、天から来た魔物に対する力を持っているというサワダ議員の説明を受けてか、自身で判断したのかは判らないが、カリン姫はティアスにそう言った。彼女は姫に笑顔で応える。


「そうですね……ここからですと……」

「随分、ご苦労もされたようだ」

「そんなことは」


 まあ、ものすっごく苦労はしてるんだろうけど。否定するしかないよな、ここは。

 ティアスの笑顔は完璧だった。知ってるオレですら騙されそうだった。だけど。


「どこかでお会いしたことがあるような気がしますが……」


 そう言うことか!

 中央に出入りしてるなら(しかもオワリから行くより数段近いところの人だし)、「中央の楽師」とも面識があるはずだ。

 もしかして、イズミはカリン姫にティアスのことを判断させるつもりで?それが面白いって?

 サワダもそれを期待していたのか知らないけれど、少しだけ表情が緩んだ。すぐに元に戻ったけれど。


「申し訳ありません。人違いではないでしょうか?お会いしていましたら、あなたのような方を忘れるはずもありませんし」


 その様子を知ってか知らずか、それでもティアスは完璧だった。

 カリン姫はまだ何か突っ込みたそうだったが、監視部屋側から入ってきた伝令の兵の存在に、身を引いた。

 ヘッドフォンから、階下の声とは別の所から緊急連絡として、『中央の監査の方がいらした』と言う声が聞こえた。どうやら、下に現れた兵もそれを伝えに来たようだ。


「急ですね。監査の方は別日だとお伺いしていましたが」

「ええ。今朝連絡があって、今日に変更になったと。よろしければテラスに行きませんか?私に用があって、と聞いておりますけれど」


 様子を伺ってから初めて、ミハマの言葉を聞いた。でも、まるで彼の言葉ではなく、用意された台本を読んでいるように聞こえた。


「よろこんで」


 そう笑顔で応えたカリン姫が可愛く見えてしまった。ちょっとすごいな。


「……サワダ中佐も一緒に。良いですよね、サワダ議員。良かったら、ティアス殿も是非。監査の方にはサワダ議員からご紹介していただければ結構ですけど」


 笑顔でサワダ議員のそう言ったミハマの様子を見ながら、オレの隣でイズミが声を殺して泣きながら笑っていた。



05


 当然のことだが、ティアスはちらっとサワダ議員の顔色を伺った。何故かサワダも一緒に。


「行っておいで。王子をお守りするのがお前の役目だろう」


 表情を崩すことなく、穏やかな声でサワダ議員は息子にそう言った。息子の方はと言えば、目を伏せ、まるで項垂れるように会釈をし、ミハマのそばに歩み寄った。


「……私は……」

「好きにすればいい。年の近いものと一緒の方が、君も気楽だろう?挨拶はあとですればいい。テツもな」

「……そうですね」


 ティアスはミハマとサワダ議員の様子を、視線だけで交互に伺いながらも、静かに頷いた。サワダも、父の言葉を受けて頷いたが、彼の視線はティアスを見ていた。


「テラスって……?」


 どこのことをいってるのか判らなかったので、イズミに聞こうと思ったら、既に立ち上がっていた。


「って、待てよ!もう!」


 といったところで、連れてってくれるわけもないし。どうせイズミの行くところはミハマの行くところなんだから、ついていくしかない。

 ミハマ達がシュウジさんを置いて表口の方から連れ立って出ていったことを確認してから、イズミは個室を出た。オレも小走りでそれについていく。イズミはオレが入ってきた方とは逆の、監視部屋の奥に向かっていた。

 オレが入ってきた入口と同じような梯子段があり、そこを降りていく。位置的には階下の表玄関の横辺りになる。


「イズミ!」


 梯子段を降りきったところで叫んだら、睨まれた。壁を指さすので従って覗くと、微かに光が漏れていた場所から向こう側を確認できた。


「……ごめん」


 カリン姫がこちら側をじっと見ていた。壁しか見えないはずなのに、まるでオレ達が見えているかのように。


「ついてくるなら、黙ってついてこいって」


 イズミらしからぬ台詞を吐いて、僅かな光が差すだけの、床も見えないような暗く細い裏道を、迷いもせずに歩いていく。壁一枚挟んだ向こう側を歩く、ミハマ達と同じ速度でゆっくりと。

 壁にある覗き穴には先ほどの監視部屋と同じようなガラスが仕込んであった。もう、カリン姫は、こちら側にいるオレ達を見てはいなかった。隣を歩くミハマだけを、乙女の顔で見つめながら、笑顔で話をしていた。その二人の後ろをサワダとティアスがついていく。

 あの夜の彼らから考えると、不自然なくらい、距離をあけながら。


「……なんだよ?」


 突然立ち止まったイズミを責めたら、再び睨まれてしまった。彼は黙って、目の前の壁を指さす。同じように空いた微かな隙間から向こう側を覗くと、そこにはこの王宮の一面全てを渡った、ベランダが広がっていた。しかも一面だけではなく、角を渡って向こう側にも続いているようなので、かなりの広さだろう。

 ただ、外側に面した部分は、天井まで全て、まるで鉄格子のように囲まれていた。なんだか鳥かごのようだった。安全のためなのだろうけど。

 でも、このテラスは初めてみたな……。こういう、外部からの客を迎えるために用意されてるってことなのか?明らかに逆側にある、王族の居住区や、軍部側とは違っていた。オレやティアスのいる客間のある側でも、ここまで厳重ではない。ただ、この檻のようなテラスを見てしまうと、客間側にあるベランダのフェンスも、天井まで囲っていないにしろ、檻のように見えてきた。

 オレ達のいる客間は、ちょうどあの角を渡った向こう側に面している。このホテルそのままの、四角い王宮は、面している側で全く表情が違うのだろう。

 そう言えば、初めてシュウジさんの私室に入ったときもベランダがあったことを思い出した。似合わない真っ白いテーブルと椅子がおいてあった。だけど、フェンスは高くなかった。

 このテラスにあった調度品は、さすがに来客用なのか、シュウジさんの部屋にあったものより遥かに凝った作りのものだった。でも、やっぱり色は白かった。 


 ミハマはオレ達が覗いている場所から一番近いテーブルを選び、カリン姫に座るように促した。彼女の横顔が、オレ達に見える席に。その両隣にミハマとサワダが座り、カリン姫の向いにはティアスが座った。サワダの背中が、オレ達の真正面にある。

 もしかしたら、座り方も、ここに来ることさえも、「いつも通り」ってヤツなのかも。

 だって、ここから様子を伺ってくださいと言わんばかりの並び方だ。こんなに近くで、イズミはいつも覗いている……。

 背筋が寒くなってきた……。


「え?」


 隣にいたイズミは、ミハマ達を見ているのかと思ったら、オレを見ていた。怖すぎる……。


「声、そこにあるイヤホンで聴けるから。黙ってろよ?」


 監視部屋にあった個室には5つもヘッドフォンがあったのに、ここにはどこからつながってるのか判らない、小さなイヤホンが一つぶら下がっているだけだった。しかも、イズミが指ささなければ判らないくらい壁に溶け込んでいたというか、暗くて見えないと言うか。


「イズミは……」

「少し聞こえてるし、唇を読むから」

「……ああ、そう」


 ますます隠密だよ、それじゃ。怖すぎるよ。どんなスパイだお前は。何かもう、これ以上イズミのこと知りたくないかも。声なんかほとんど聞こえないのに。

 イヤホンを渡してくれたのも、オレに静かにしてろと強制するための餌なんだろう。この状況ではそれに従うしかない。彼が文句も言わず、オレをこんな風に自由にしてくれていることですら奇跡的だ。

 イヤホンを耳に付けると、ミハマ達の声が聞こえてきた。さっきの部屋に比べると設備が悪いのか鮮明には聞こえなかった。

 ミハマとカリン姫は仲がよいように見えた。サワダの話によると、彼らは(サワダも含めて)幼馴染みらしいから、当たり前と言えば当たり前だろう。先ほどの謁見の間での様子とは違ってタメ口だし、呼び捨てだし。

 こっちの二人がいつも通りなのだとしたら、あの謁見の間での二人が少しだけ哀れだった。

 ミハマは、ティアスとも随分近い距離にいるように見えた。彼が彼女に好意を持っていることは知っていたけれど、オレの前で見せる二人の姿とは違うように見えた。考え過ぎかもしれないけど。

 彼はきっと、オレが彼女を好きだと思ってる。明確にそう思ってなくても、少なくとも気にかけてる、程度には思ってるだろう。

 だから……もしかしたら気を使ってるなんて思ってたんだけど。


「ねえミハマ、何で連れ出したの?」

「え?だって、随分疲れてたみたいだから」


 ミハマの彼女への気遣いは、いろんな意味にとれた。

 彼女はもともと体調も万全ではないし、何よりあんな緊張感あふれるところに連れ込まれて責められるし。責めた人は目の前にいるわけだけど。まあ、あのエライ人たちがたくさんいる場所よりはマシかもしれない。ミハマは、何だか全部判っているみたいだな。


「……うん、まあ。ありがとう」


 カリン姫の横顔と同様、ティアスの横顔もよく見えた。儚げに微笑む彼女は、日の光に晒されているのも相まって、本当に綺麗だった。その様子を見て、ミハマも微笑む。端から見てると、二人はまるで美しい恋愛映画の1シーンか何かのようで、嫉妬するよりも見入ってしまっていた。サワダと彼女が仲良さそうにしているところを見たときは、あんなに苦しかったのに。


「サワダ議員が後見になっておられると聞きましたけど?ティアス殿。名字は……」


 二人の間に割り込むように入ってきたカリン姫の目は、完全に敵を見るものだった。

 そう言えば、ティアスって名字で呼ばれてるのを聞いたことがないな。オレの知ってるティアスには、日本での名字を聞いたけど。元々、ベルギーに住む前は横浜に住んでたわけだし。


「魔と戦うものならば、名を知らさぬものがいることはご存じではありませんか?イイヌマ様。あなたも、戦われるのでしょう?」


 カリン姫はそんなこと一言も言ってないのに、ティアスはそう言った。まるで、彼女がティアスを見透かしたのに対抗するように。


「カリンで結構。それは父の……カントウの家の名ですから」


 微妙な緊張感だなあ。さっきの会話もそうだけど、お互いに警戒してるって言うか。警戒してるのが表立っているというか。


「天からくる魔と戦える力を持っているからこそ、サワダ議員は後見として立ってくださっているのです」

「では、元々はどこであの方とお知り合いに?」


 カリン姫がこっちを見た。と思ったら、オレ達に背を向けているサワダの様子を伺っていた。




06


 サワダの表情は見えない。しかし、声を聞く限り、彼は突き放しているように思えた。カリン姫を、そしてティアスを。


「さあ。オレに父のことを聞かれても?」

「ああ、そう。相変わらずだな」


 本当に『相変わらず』なのだろう。カリン姫のサワダのあしらい方は、慣れたものだった。


「知人が、サワダ議員と知り合いだったので、そこで知り合ったんです。ね?」


 カリン姫の思いに気付いているのかいないのか、ティアスはあえて、ミハマに同意を求めた。確かに、彼女とサワダ議員の繋がりは、そのようにここでは言われてるし、二人ともそう言っている。だけど、カリン姫が気にしてるのは、何もティアス自身のことだけじゃないはずだ。

 彼女は、ミハマに会いにこの国に来ているのだから。

 案の定、目配せをする二人に、カリン姫はあからさまに不愉快な顔をして見せた。


「鈍いなあ、ティアちゃん。天然かな?」


 隣で同じように様子を伺っていたイズミの呟きに、オレは黙って頷いた。


「わりと、女子に嫌われるタイプかもね、ティアスって」

「ああ、かもね。女友達少なそうだし。良い子なんだけどね。サトウアイリとは違う意味で、女子の反感買いそうだな」


 確かに……オレの知ってる佐藤さんも、綺麗だし、男にはいい顔するけど、女から見たらどうかなあって人だったしな。女友達と一緒にいるの、見たことないし。大概、違う男を連れてた。

 ティアスは、そう言う女ではなかったけど。


「テツは何で、ああいうタイプばかり……」

「佐藤さんは綺麗だし、オレも好みの顔だったけど?」

「中身の軸も似てるよ。テツはドMだからな。あんな女が良いんだ」


 酷いよな、自分で佐藤さんの名前を出したくせに、不機嫌になった。


「……アイハラって、テツと好みかぶってるよな」

「かぶってない!」


 オレの知ってる泉と同じこと言った!最低だ!!なんでサワダと好みがかぶってないといけないんだよ。ティアスも佐藤さんも、普通に考えて可愛い顔の部類だろうが!?

 あの二人の中身の軸が似てるって?そうは思えないけど……。


「ティアスも佐藤さんも、サワダの好みなんだな」

「ま、見るからにね。もうちょっとましな女を選べばいいのに」


 否定して欲しかったかも。

 何か、喋ってるときにカリン姫にこっちを向かれると、聞こえてるんじゃないかって心配になるよな……。話を聞いている限りでは、ミハマの気を引くのに必死みたいだから大丈夫そうだけど。


「いつ頃から一緒に……」


 直接的な台詞を吐いてしまいそうになっていたカリン姫が、ちらっとサワダの方を見て、小さく舌打ちをしていた。多分、彼は嫌味な顔をしていたに違いない。


「いつ頃からこちらに滞在を?」

「ちょうど先回の中王の招集の後からです。中央にいたこともありましたし」


 ティアスが先手を打った形だった。何か言われる前に、先に言ってしまおうというところか。ミハマやサワダ達にもそのことは言ってあるだろうし。

 サワダ議員が、中王とその臣下であるサカキ将軍と懇意にしていることは、おそらくミハマ達が知るように、カントウの姫である彼女も知っているだろうから。


「カリン。そんな風に質問責めにしなくても……」

「質問責めにしているわけじゃないよ。ただ、君だって、サワダ議員の手の……」


 カリン姫はサワダ父の存在を責めながら、再び、サワダの様子を伺った。ミハマの視線が、彼女を責めていたからかもしれない。


「……ティアスが父を後見に持ったのは、知人を通してだというのは本当だと思う」


 そう言ったのはミハマではなく、サワダだった。当然だが、ミハマ以外の誰もが驚いていた。ミハマだけが、笑顔を崩さないまま、嬉しそうに彼を見ていた。


「別に、庇ったわけじゃない」


 バツが悪そうに言うサワダに、ティアスがにじり寄る。


「でも……」


 図らずも彼を見つめるティアスの瞳を、初めて真正面から見ることが出来た。

 彼女は、オレが知る彼女と同じ瞳で、彼を見つめていた。


「嬉しいよ」


 礼を言うわけではなく、彼女は自身の思いを彼に告げ、他の誰の目を見ることなく、正面をむき直した。その彼女の様子を、一瞬だったけれどミハマが伺った。その程度ですますことが出来るミハマは、一体何を考えているのか。

 あれは、ない。本気でへこむ。オレなんか、こちらの様子を伺えるわけもないと判っているのに、サワダを睨んでしまう。


「何がおかしいんだよ?」


 隣で同じように様子を伺っていたイズミが、声を殺して笑っていた。その毒のある笑みが、カンに触った。


「別に。ティアちゃん、完全にカリン姫に『敵』として認識されちゃったな、と思って」

「そうか?だって、カリン姫って、ミハマ狙いだし。ティアスは明らかにサワダのこと……」

「それを気にしてんのはアイハラだろ?ティアちゃんが誰に色目を使ってようが、あの方には関係ない。彼女にとっては、ミハマの意志の方が大事だろ?」

「いや、オレは気にしてないし。大体、ミハマもそんな、気にしてるようになんか……」

「充分だよ」


 あれだけのことで?

 でも、イズミの言う通りかもしれない。疑っていただけのはずのカリン姫の敵意が、ティアスに向けられ始めていた。


「カリン姫は、よく見てるよ。いろんなことをね。ミハマに関わることなら、特に」

「なら、今のこの状況は、お前の思惑通りってヤツ?」

「そういうこと」


 悪びれず、彼は笑う。何だかバカにされた気分だった。 

 少しだけ、彼がオレをこんなに自由にしてくれてるのか、その理由が判った気がする。

 彼のたくらみが、オレなんかにばれたところで、大したことがないって思われてるってことなんだ。

 だけど、それだけじゃないって思いたい。



07


 もう、見てると胃が痛くなってくる。どう考えても、ティアスってサワダに気があるし、サワダも彼女の前では照れたようにして気持ち悪いし、ミハマはティアスを気に入ったって宣言してるし、何よりそんなミハマしか見てないカリン姫がそう判断してるし。めんどくさいなあ、もう。首突っ込みたくないんだけどな、こういうの。

 判ってるんだけど、……だけど、オレは既にそう言うわけにも行かない状態なんだよなあ……。

 こっちのティアスは、明らかにオレの知ってる彼女とは違うって、判ってるのに。オレは彼女の怖い部分も知ってるのに。この世界に生きるのにふさわしい女だって判ってるのに。オレは早く戻らないと行けないのに。

 戻りたいはずなのに。


「そんなに力入れてんなよ」


 イズミが苦笑いを見せた。毒を含んだ表情のまま。彼にそんなことを言わせてしまうほど、オレはまずい顔をしてたってことか?


「別に?」

「オレは、ミハマの手伝いしかしないけどね」

「別に手伝ってくれとも思わないし」

「邪魔するなら、排除するってことさ。それ以外は、ミハマの言うとおりにするけど」


 ……ミハマが欲しがってるモノを横取りしようとするヤツは、排除するってこと?だけど、ミハマがオレを拾ったから、ミハマがサワダを大事にしてるから、ミハマの言うとおりにそれなりの扱いをするってこと?


『誤解の無いように言っとくけど、オレ、テツのことは敵だと思ってるから』


 あれだけ気を使ってるサワダのことを、コイツは「敵だ」と言った。なら、それ以上に酷い扱いを受けてるオレは?


「……アイハラ、ここを動くなよ。騒ぎがある程度収まったら、元来た道を戻って部屋に戻れ」

「え?何だよ、急に……」


 イズミは、いなくなっていた。こんな狭い通路なのに、いつの間にいなくなったのか判らないくらい突然。

 それに今確かに「騒ぎが」って言った。どこで騒ぎなんか……。


「殿下!」


 テラスに駆け込んできた伝令の声に、オレは食い入るように外の様子を伺った。


「……こっちに来る。殿下!」


 普段持ち歩いている大剣の代わりに、腰に下げていた小剣を抜き、いち早くミハマの横に立ったのは、もちろんサワダだった。でも、来るって一体何が?!


「空から、魔物が!」


 伝令がそう言ったとほぼ同時に、一つ目の黒いプテラノドンのような魔物が、羽を広げテラスへと向かってきた。


「……何で?!」


 ティアスが何に対して疑問を抱いたのかは判らなかった。けれど彼女は魔物が仰ぎ起こす風を受けながら、立ち上がり、空を、魔物を、睨み付けていた。


「姫様!ご無事ですか!」

「無事だ。それより槍を」


 黒プテラノドンがもう一体空から現れたのとほぼ同時に、カントウの従者が1mくらいありそうな槍を2本持って、テラスに現れた。どうやら片方はカリン姫のものらしく、彼女に一つ手渡すと、二人揃って魔物に槍を構えた。

 ティアスは……未だテーブルの横で立ちつくし、空と魔物を睨んでいた。


「ティアス!」


 半ばサワダに引っ張られるようにして廊下に連れ込まれていたミハマが、動かない彼女を案じ、叫んだ。その声にティアスは身動き一つしなかったのに、カリン姫が彼女を睨み付けていた。


「……何やってんだ、あの女は」


 舌打ちするサワダに、ミハマがすがるように訴える。


「オレも……剣を」

「ダメだ。……ダメだ」


 何故だか、ミハマを説得しようとするサワダは、彼の目を見れずに、ただただ否定をしていた。


「近すぎる。それより、オレの剣を……」

「テッちゃん、剣を持ってきた!」


 初めて会ったときに彼が持っていた大剣を、イズミが手渡す。いつの間にかいなくなったと思ったら、サワダの剣を取りに行ってたんだ。

 今度は二人してミハマを引っ込めようと、両脇を二人で抱えて廊下に投げ込む。


「オレ、行けるって。テツは引っ込んでろって、ティアス連れて。シン!オレの言いたいこと判ってるだろ?!」


 港に魔物が来たときの、あの冷静なミハマは見る影もなかった。何が違う?あの時と?


「……カリン姫、下がっていた方がいいですよ?」


 空を睨み続けていたティアスは、魔物に注目したまま、彼女に忠告した。それが、カリン姫の機嫌を損ねたのは、火を見るより明らかだった。


「ティアス殿。あなたこそケガをなさってるのでは?」


 ケガ?そうだ。あの時と違うのは、ケガだ。ティアスもサワダもケガをしてる。だからミハマはあんなに心配して。それをイズミもサワダも、彼に戦わせないようにしているだけなんだ。


「シン、お前援護しろ。オレがあの女を引っ張ってくる。ついでにカリンも。『広がる前に』かたを付ける!」


 広がるって?被害がってこと?それより、オレはどうしたら良いんだ?イズミの言うとおりここにいて良いのか?


「いや、姫はほっといて良いんじゃないか……?邪魔したら怒りそうだし」


 外に出ようと暴れるミハマを抱えて押さえながら、イズミは嫌そうな顔でカリン姫のいる方を見ていた。彼女の護衛が頑張っているものだとばかり思っていたが、彼はむしろ姫の背後から援護をしていて、姫が槍を片手に、空飛ぶ魔物に善戦しているように見えた。

 立ちつくすティアスの横を、掠めるように飛び回りながら。カリン姫は異常なほど彼女を気にしているのに、ティアスは相変わらず、彼女の存在など無視していた。


「それより、テッちゃんこそ!」


 イズミはサワダの肩を掴み、ミハマの後ろへ突き飛ばしたあと、再びミハマも突き飛ばし、ガラスの扉を閉めた。


「シン!バカ!」

「良いから、オレが行くからさ。テッちゃんが援護にまわりなよ?」


 そう言ったイズミの笑顔が、妙に怖かった。何か、オレに見せたあの企んだ笑顔と一緒のような……。


「シン?」


 多分、それにミハマも気付いたんだと思う。怪訝そうな顔で彼を見ていた。



08


 イズミがテラスに出て魔物を睨み付ける。そのまま行動に移すのかと思ったら、彼もまた様子を伺うように、距離をとりながら歩くばかりだった。ティアスがちらっと彼の様子を伺ったが、構わず、魔物を見ていた。

 それに不快感を表したのはもちろん、カリン姫だった。その不快感を煽るように、彼女の部下が進言する。


「姫様。お下がりください。ここはこのイヅチがおさめますので……」

「ふざけたことを!あいつらは当てにならん!お前だけで何とかするとでも?!」

「しかし、姫をお守りするのが……」

「そんなことを言っている状況ではない!どうしてこの国の軍が来ないと思っている?!お前はよく判っているだろう」

「しかし!」


 カリン姫の言うとおりだ。どうして他に誰も来ないんだ?ここには仮にも王子がいる。来賓であるカリン姫もいる。なのに。


「シン。あなたは、広がる前には叩かないの?」


 イズミに問いながら、ティアスが動いた。ゆっくりと魔物から目を逸らさぬよう、空を見ながらオレが潜む壁際に近付いてきた。オレがいることを懸念してかどうか知らないが、イズミが少しだけ嫌な顔をした。

 つーか、この状況で、カリン姫の前でそんな言い方……仲が良いのか悪いのか判らないけど、距離は近いんだよなあ。イズミのヤツ、ずるいよな。ちゃっかりしてるというか。


「ティアちゃんこそ。さっさとここのヤツ叩かないと、被害が広がるし?」

「特殊部隊がいるでしょ?」

「役に立たないよ。だから早く始末したいんだよね」


 被害が広がるって……。ここ以外にも出てるってことか?オレ、ここにいても良いのか?大丈夫か?


「口ばかりね」


 オレの視界を塞ぐように、ティアスはオレの目の前の壁にもたれた。


「いつまでいるつもり?」


 彼女は軽く壁を蹴って、囁いた。もしかして、オレに向かって?だけど、彼女の視線は空を支配する魔物に注がれたまま。首を傾けていた。


「……う……動くなって、言われて」


 なんて答えて良いか判らず、思わずイズミのせいにした。真実ではあるけれど。聞こえているかどうかも判らないけれど。


「そう」


 ティアスがイズミの方を見たらしく、彼がちらっとこちら側を見た。


「このぉ!」


 カリン姫の叫び声に、オレは一瞬目を奪われた。その様子をイズミやティアスが見ていたかは判らなかったけれど。壁越しの、ティアスの背中越しに姫を確認する。

 彼女の掴んでいた長槍が、鈍く光を放ったまま、黒プテラノドンのたった一つの目玉に向かって飛んでいき、見事に命中した。

 お姫様だなんて言うから心配してたけど、カリン姫もかなりの手練れだ。


「……広がる」


 ティアスの言葉を受け、イズミが、そして廊下に追い出されていたサワダが動き出す。

ただし、サワダはミハマに止められていたけれど。

 カリン姫の槍をきっかけに、刺さった目玉から黒い霧が吹き出す。その霧は瞬く間に黒い雲になって空を覆い尽くす。

 広がるって、こういうことか。以前、オレとミナミさんを襲った、空から来た魔物は、既に「広がった」後だったんだ。

 だけど、カリン姫達は「広がる前にかたを付ける」って言ってた。てことは、この状態って、ホントはやばいんじゃないのか?何でティアスもイズミも、動かなかった?ティアスだって、イズミにそうしないのか聞いてたし。


「シン、動かないの?」

「残念ながら。王子様に危害が及ばない限りは。ティアちゃんこそ」


 彼女はゆっくり壁から離れ、黒い雲に向かって歩く。だけどイズミは動かない。


「もう、広がっちゃったよ?」

「……」

「戦う義理はない、だなんて言えないよね。あんなご大層なこと言ってるんだから」

「どういう意味?そんなことを言うつもりは……」

「さっき、カリン姫にもそう紹介されていたじゃない?サワダ議員にさ。だからあの人は後見についてるって、『国が北に近いから、脅威にさらされていた』なんてね」


 彼女がここにいるとしている、おそらく建前の理由を彼は今、出してきた。


「昨夜……抜け出たくらいだものね」

「戦うよ?」


 オレを助けてくれたときに持っていたジャックナイフを手に持っていた。おそらくどこか、服の中にでも隠していたのだろう。


「そんな武器じゃなくて」


 彼女の横に、人の悪い笑みを浮かべながら立つ。よく見たら、イズミは腰に下げられるほど小さなボウガン(改造?)以外、武器らしいものを携帯してない。以前、港で戦ったとき、イズミは何を持ってた?隠し持てるような武器だったか?サワダに武器を持ってきたくせに、自分は戦う気はないのか?無いくせに、サワダを後ろに追いやって?


「どっちが良いかな。君の手駒を使うか、君自身の武器を見せてくれるか」


 轟音と共に、テラスを囲んでいた檻が吹っ飛んだ。檻を構成していた鉄柵が、テラスに降り注ぎ、そこに立つ人々の脇を掠める。そして、オレが隠れるこの壁にも突き刺さった。当たらなかったから良かったものの、あまりに突然の出来事で、動くことすら出来なかった。腰が抜けた……。ここにいるのはやっぱり危険な気がする。イズミのヤツ……。

 そう言えば、あの魔物はどうやって入ってきたんだ?雲になった後ならいざ知らず、あのプテラノドン様の形態の時に檻を壊さずに入ってくるなんて真似、出来ないはずだ。


「カリンが!それに、ティアスも。テツ!オレが……」


 鉄柵がカリン姫と彼女の臣下にも降り注いでいた。臣下の足を掠めたらしく、カリン姫が彼を担ぎ、移動していた。


「良いからお前は引っ込んでろ!オレが行くから……ユノ、コイツ押さえてろ!」


 いつの間にか謁見の間から廊下まで来ていたイツキ中尉に、サワダはそう頼むと、剣を構え、飛び出す。


「シンってば……。殿下、ご存じでした?」


 ティアスを(そしておそらくはサワダをも)釣るための行為であることを、イツキさんは白々しくミハマに問うた。彼を押さえながら。


「いや。でも、何か考えがあるんだろ?……あ、いや違うな」

「違う?」


 彼女の疑問に、彼は笑顔で答えた。


「面倒くさくなったんじゃない?ユノと一緒で」

「一緒にしないでください。人には時期を見ろって言うくせに、自分が真っ先に飛び出るような人たちと」


 隠れていて良かったと、このとき心底思った。今、オレは本気でへこんだ顔をしてる。この人達、確信してるんじゃないのか?ティアスの正体を。必死に隠してたオレが、これじゃバカみたいじゃないか。

 オレの知らないところで、一体何が起きてたんだよ。

 大体、何でイズミはあんな行動に出た?サワダの前では、彼が彼女に手を出すなんて『あり得ない』と言うくせに、充分すぎるくらい疑ってたわけだし。ミハマに気を使ってるように見えたくせに、ミハマの前でティアスに決断を迫って見せたり。そしてサワダにも、武器を持ってきたくせに、あえて引っ込ませて自分は何もしなかったり。

 何となく、イズミの目的も、極端故の行動であることも判るけど。判るけど、いつの間にこんなコトに?オレはなんでこんな、蚊帳の外で見てるだけだ?関係ないことに振り回されないといけないんだ?


「まあ、大丈夫だとは思うけど……大丈夫かな?無茶しそうだけど」

「殿下が大切だとおっしゃるなら、大丈夫だって、殿下がおっしゃったんですよ?」


 唇をとがらせ、意地悪く言うイツキ中尉に、彼は再び笑顔を見せた。


「だから、おとなしく見ててください」


 ミハマが窘められたよ……。ある意味、護衛部隊最強はこの人かもしれない。言われたミハマは苦笑いしながら正座をしていた。


「……テッちゃん。出て来ちゃったね」


 イズミは振り返ることなく、彼の後方から歩んでくるサワダに声をかけた。サワダは不愉快きわまりない顔をしていたけど。

 暗雲が人の形を成して、カリン姫、ティアスとイズミ、テラスに現れたサワダを囲む。カリン姫に向かっていった、コールタールの塊のような人型に向かって、サワダが手に持っていた小さなナイフを投げた。ナイフの当たった箇所からゆっくりと溶け始め、動かなくなってしまった。


「何してる。お前がさっさと潰さないからだろうが。もう広がった。2体とも広がったら面倒だろうが」


 もしかして、イズミ達は「広がる」のを待ってたってことか?サワダも含め。カリン姫達とは戦い方が違うってことか?今のサワダのナイフと言い、コイツらにはなにか方法があるのかも。


「カリン姫に対抗策は?」


 ティアスの言葉は、サワダに向けられたものらしい。イズミは嫌味な笑顔のまま黙っていたし、答えたのは彼の後ろから歩み寄ってくるサワダだった。


「オレが知る限り『広がった後』ではないはずだ。シンは?どう思う?」

「オレの知る限りでも、残念ながら。さっきも「広がる前」に何とか片づけようとしてたしね。人間のことは判っても、魔物のことはよく判らないみたいだしね」


 その言葉が聞こえてないか思わず不安になって、カリン姫が逃げた方を確認したが、案の定、聞こえていたみたいだ。不愉快になって当たり前だけど、どうしようもできないといった感じだった。その思いが、オレには痛いほどよく判る。腰抜かしながら考えることじゃないけど。


「オレは、ティアちゃんが動くのを見たいんだよ。だって、テッちゃんしか見てないんだろ?彼女が戦うところ。テッちゃんは、何か最近はぐらかしたような言い方をするし」


 本気で、イズミって言う男がわかんねえ。確かにあいつはサワダのことを「敵」だと言ったけど。だけど、なんでこんな、子供が駄々こねてるような印象すら受けるのか。


「カリン!大丈夫?」


 カリン姫は、何とかミハマ達がいる場所までイヅチさんを連れてきていた。ミハマの心配に一瞬、彼女は喜びの笑みを見せた。けれど、唇をぎゅっと結び、空を、そしてイズミ達を睨んだ。


「……私は平気だ。それより、イヅチを頼む。私は戻る!」

「カリン!」


 ミハマの制止も聞かず、彼女は再びテラスに戻るために立ち上がった。


「戻ってきちゃうね、カリン姫。サワダ議員を後見につけてる君がこの場にいながら、彼女に何かあったら、立つ瀬がないよね」

「それは……あなた達も一緒だと思うけど」

「オレはそう言うの、どうでも良いや。言ったろ?うちの王子様に危害が加わらなければ、どうでも良いんだ。今は、はっきりさせることの方が大事だし。ねえ、テッちゃん?」


 サワダはどういうつもりだったのか判らないけれど、ティアスを見ることも、イズミを見ることもなく、目も伏せていた。


「別に、戦うよ。そのためにいるし。そうしてきたし」

「だから、そんな武器じゃなくてさ。それとも、隠れてる君の手駒に出てきてもらう?」


 わざとらしく、ティアスを指さし、その手を屋上に向かってゆっくりと持ち上げた。


09


 イズミがわざとらしく指したその先に誰がいるかは、オレには大体予想がついた。多分、イズミもサワダもその存在を知っていて、ああいう態度なのだろう。ティアスはその指の先を見なかった。


「そんな小さなナイフなんかで戦ってるから、ケガしちゃうんでしょ?君の部下が心配してるよ?」


 どっちだ?ニイジマか?セリ少佐か?どっちが姿を見られてるんだ?いや、もしかしたら、ホントは誰もその場にはいないけど、港で見かけたセリ少佐の姿から察して、カマかけてんのか?彼が「楽師寄り」の人物だって、ここの連中ならよく知ってる。特に、楽師と交流のあるサワダやミハマなら。それをイズミが聞いてってことだって考えられる。

 何でオレ、こんな時に見てるだけしかできないんだ。ティアスが困ってるのに。

 こうしてる間にも、昨日の魔物がティアス達のまわりに迫ってるのに。


「カリン!戻ってろ!」


 駈け寄ってきたカリン姫を、サワダが制した。再び、彼女を黒い人型の魔物が襲おうとしていたが、やはりサワダの投げたナイフによって溶けていった。それが、彼女には気に入らないようだった。


「五月蠅い!私も戦う!」

「相手見てから言えよ。引っ込んでろ!分析出来てんのか?!」


 サワダ……それ、どう考えても逆効果。何でわざわざカリン姫の気を逆撫でるような言い方しかできないかな。帰らせるなら、もっと他に言い方があるだろうが。邪魔なら「邪魔」としか言えないのか……。気を使ってくれてるのは判るんだけど、口が悪すぎるよ。仲が悪いのもあるかもしれないけど。


「……カリン姫、本当に下がっていた方が……。ヤツら、あなたに狙いを定めたから」

「え?」


 ティアスの言葉に、その場にいた全員が疑問を投げた。まるで魔物の考えが判ったかのような彼女の発言にはオレも疑問を持ったけど。

 そして、その言葉を証明するかのように一体、また一体と、増えていく人型の魔物が、次々とカリン姫のまわりに集まり始める。

 もしかしてコイツら、対抗力のないものを判別して襲ってるってことか?だから昨日も、オレは狙われたってこと?


「……なんで?!」


 姫は槍を振り回し、魔物を蹴散らしていくが、べしゃっと音を立てて床に散らばった魔物は、そこからさらに増えるばかりだった。サワダが近付きながらナイフで一体ずつ倒していくが、埒があかない。彼は手に持っていた大剣を構え、振り回し、敵を蹴散らしていく。

 けれど、空を覆う暗雲は、徐々に濃さを増していく。


「本当に戦う気がないのね」

「だって、オレの役目はミハマを守ることだし。その役目の一貫として……」


 腰に下げていた、片手で持てるくらい小さなボウガンを掴み、彼女に向けた。その先端からは刃が現れた。その刃を、ティアスの喉元に近付ける。それでも彼女は、イズミを見ずに、空を見ていた。

 イズミのヤツ、何つーことを……。ティアスに当たったらどうする?ちくしょう、どうしたら良いんだ。ここから戻ってたら間に合わないし……。

 さっき、暗雲が飛ばした鉄柵は、驚くほど綺麗に目の前の透明な壁を貫いていた。けれど、所詮監視用のガラスが壁のように見えているだけのものだ、そこからひびが入っていた。これを割った方が早いかも……。オレは鉄柵を掴み、体重をかけて穴を広げようと動いた。


「外敵になりそうなものには、警戒しないと」

「シン!」


 叫んだのはサワダだった。ミハマも飛び出してくるかと思ったけど、出てこなかった。何でだ?ティアスのこと、心配じゃないのか?


「……シン、こんなの……」


 ティアスがイズミに何か言いかけていた。だけど、その間に割って入ったのは、どこからか現れたニイジマだった。さすがに制服を着てはいなかったけど。背中に一本大鎌を担ぎ、自身も一本手に持って、イズミの手からボウガンをはじき飛ばした。

 いや、偉いけど、なに考えてんだ?!


「……茶番だわ」

「オレが相手になろうじゃないの?」


 ティアスの前に立ち、イズミに向かって鎌を向け、すごんで見せていた。ティアスを守るモノが現れたことに、オレは胸をなで下ろしていたけれど、肝心な彼女は頭を抱えて溜息をついていた。


「バカ」


 呟くティアスの態度に、イズミもまた、鎌を向けられてるくせに苦笑いをしていた。


「……ニイジマ中尉!?」


 いつの間にかカリン姫の周りにいた魔物を蹴散らしたらしく、彼女を廊下の方へ逃がしたサワダが彼らに近寄ってきていた。


「あんたが出てきてどうすんのよ!意味のない!!」


 助けに来たはずのニイジマを、ティアスは後ろからケンカキック。意味が判らない。てか、乱暴だよ……ティアス……。

 オレの落胆と共に、体重をかけていた鉄柵が不意に軽くなったかと思うと、壁が壊れた。だけど、誰も壁から出てきたオレのことを気にしてはいなかった。


「だって……この状況は出てこないとまずいだろ?いくらなんでも。この人、本気だったし!魔物だって迫ってきてるし!つーか、こんな状況で何やってんだよ!もっと自分の身の安全を考えろ!」

「大丈夫よ、これくらい!それに、シンは本気だったけど、手を出すわけないのよ。ホントに手を出すなら、ミハマが出て、止めに来るわよ」

「そんなこと言われたって、判るかよ、もう……」


 ティアスって、もしかしてあんな目に遭ってたのに、イズミが自分を刺すわけないって思ってたのか?それも、イズミではなく、ミハマが出てこなかったからって言うだけの理由で?しかも、こんな魔物に囲まれた状況で?


「……そっか。そうだよな……」

「何?テッちゃん、心配した?」


 大きく息を吐き、イズミの横に立ったサワダに、イズミはいつもの嫌味な笑顔で彼をつついた。その二人を、黒い魔物が少し離れて様子を伺うようにして囲んでいた。カリン姫に対する態度とは随分違う。

 やっぱり、コイツらは人を見て判断してる。ティアスが空を睨んでいても、あまり襲われなかったことも、そう言う意味なのか?

 そう言えば、コイツらは何でテラスより中には入ってこないんだ?こっちにはそれこそ戦闘力のないオレもいるし、未知数のミハマやイツキさんがいるのに。もしかして何かしてあるのかな、この王宮に。


「何を!?誰を?!」


 顔を真っ赤にして噛みつくサワダを、イズミは笑い飛ばす。


「別に?それより、正体もはっきりしたんで……」


 いつの間にか、月のない夜と間違うくらい、空は真っ黒だった。未だ夕方だし、今は白夜の季節だからそんなことあるわけないのに。


「被害の広がらないうちに、叩かないとね?」


 ボウガンを構えながら、ちらっとニイジマの方を伺った。彼が自分のミスを悔いているのを見るために。


「さっさと戻りなさい。カントウの姫君もいるのよ!?」

「……でも、あんたはケガしてるし……オレが怒られる」


 いや、今も充分怒られてるし。情けないぞニイジマ!

 へこんでいるニイジマの背中から、鎌を受け取ろうとしたティアスを、止めるものがいた。


「……ちょっと!サワダ中佐!?」


 サワダは剣をその場に置いて、彼女を抱きかかえ、鎌をニイジマに突き返した。もちろん、彼女は暴れていたけどお構いなしだ。


「シン、あと頼むぞ。2匹くらい、何とかなるよな」

「……ありゃ。テッちゃん、もしかしてめっちゃ怒ってる?」


 怒ってると思うな。あの様子だと、サワダはイズミがティアスを刺すもんだと思ってたっぽいし。大体、既に顔が不機嫌だし。


「怒ってる。それにこっちは怪我人だし。そこの忠犬と一緒に何とかしろよ?」

「えー。この人は帰っちゃうでしょ。飼い主に怒られてるし。元気そうじゃない?その子、置いてってよ」


 イズミはそう言ってティアスを指さすが、サワダに一瞥され、苦笑いを浮かべた。


「……サワダ中佐、その……」


 ティアスを抱えて歩き出したサワダに、言葉を詰まらせるニイジマ。


「コイツには戦わせないから」


 その言葉をどう受け取ったのか、ニイジマは消えていた。



10


「ちょっと……離して……」


 か弱い声で逆らうティアスを抱え、サワダが連れてきたのは、オレの空けた壁の穴だった。穴を空けたは良いものの、結局危険すぎてテラスにも出られず、ミハマ達のいる廊下側にも行けず、どうしようもなく立ちすくんでいたところだった。


「アイハラ、コイツをここから出すなよ?」


 そう言って、彼は彼女を静かに床におろし、オレ達を囲む透明な壁を指さした。


「お前も、動くなよ?オレはシンのフォローに行くから。出てこられたら守れる保証はないし。さっきは全員でにらみを利かせてたから、カリンのまわりもあの程度ですんだけど」


 何か、かっこよくて妙にむかつくんですけど。ティアスも立ち上がり、何だか女の子の顔してサワダのこと見てる。オレの後ろに座り込んでたくせに。


「でも、ここも危ないんじゃ……?」

「大丈夫だ。この建物の中には入って来れない程度のヤツだから。大丈夫だったろ?」


 確かに鉄柵は予想外だったけど、魔物自体はオレに気づきもしなかった。もしかして、イズミもオレが下手に外に出ないように「ここから動くな」なんて言ってくれたのか?


「サワダ中佐……」


 ティアスの制止も聞かず、サワダは即座にイズミの側に走っていった。もしかして、こっちの方が近かったからなのか?彼女をここに連れてきたのって。


「あれ、テッちゃん。オレに任せてくれるんじゃなかったの?」

「忠犬が帰ったからな。仕方なく手伝ってやるよ。ただし、オレは怪我人だかんな。フォローしかしねえ」


 偉そうなサワダの物言いに、イズミは何故か嬉しそうに笑う。

 二人しかいないテラスに、あの人型を成していたコールタール様の物体が、雨のように降り注いだ。刃のように固い黒い物体はイズミ達の体を掠めるようにして彼らの皮膚を削る。床にぶつかると液体のように飛び散って、再び集まり人型を成し、警戒しながら二人に近付いてきた。


「……私も、出なくちゃ」

「ティアス!武器もないのに。そんな小さなナイフで?数多いだろ、昨日より」


 ニイジマが持ってきたあの大鎌が「死神」とも称される「中王の楽師」の本来の武器なのだろう。イズミはあの武器を見たがっていたのだ。彼女の正体を確信出来るものを。

 だから、昨日は余計に戦いにくくて、またケガをさせてしまっていたのかもしれない。どんな状態か、オレには判らないけれど。イツキ中尉や、ミハマ達の話を聞く限り。

 オレだけが、何も判らない。


「でも、サワダ中佐もケガしてるし。正体ばれたんなら……」

「ばれたって、サワダはここから出すなって言ってたから、戦うなってことだろ?」


 そう言ったら、やっとティアスは溜息をつきながら、壁にもたれ、思いとどまってくれた。ずるずると音を立て、そのまま滑り落ちるように、壁際に座り込んだ。ホントは、疲れてたはずなんだ。


「……姫」

「うっわ!!何、突然?!」


 音も立てず、気配も感じさせず、ティアスの前に跪いていたのは、全身黒ずくめのセリ少佐だった。驚き、倒れ込んだオレなどいないかのように、彼は真っ直ぐに彼女だけを見ていた。


「戻りなさい」

「姫、さっきのトージの行動……オレは……」

「判ってるから。でも、ああでもしないと、あいつは引っ込まないでしょ?責められるのは私だけで良い」


 そう吐き捨てると、大きく溜息をついて、小さく縮こまるように自分の膝に顔を埋めた。


「姫は、イズミ中佐が本気ではなかったとおっしゃっていましたが、あなたこそ、本気でそうだと?」

「ええ。あの状況で、私を斬るわけがないのよ。ミハマが見てるんだから」


 それを理由にしてるって言うのが、判んないよ。確かに、あいつはちょっと異常なくらい、ミハマと、護衛部隊と、それ以外、って言う線の引き方をしてるところはあるけれど。だけど、その極端さは納得は出来ない。


「だったら、そうだと言ってくだされば」


 この人も!?セリ少佐も、ちょっとおかしくない?ティアスがそう言ったら、そうだってこと?納得できるのか?


「伝える時間なんて、無かったでしょう、今まで……」


 彼女もまた、彼の台詞を当たり前のように受け取るが、少し困った顔もしていた。

 ニイジマがオレに、彼女とのつなぎを頼みに来たくらいだ。一時期、何のために?とニイジマを疑っていたけれど、なんだかんだ言って彼らはコンセンサスをとれていなかったわけだ。そう思うと、彼女がセリ少佐の言葉に頭を抱える理由も判るかも。優秀な人かもしれないけど、ちょっとずれてんのかな。


「しかし姫、あの方とはきちんと話されているのですか?時期が早すぎる」


 彼は外をちらっと確認した。つられてオレも外を見ると、空は暗いままだったが、未だ雲になっていない方のプテラノドンがいなくなっていた。


「ユウト」


 突然、彼女がオレに手を伸ばしてきた。壁を向きつつ、座り込んだままのオレの腕に、そっと触れた。


「ユウトは、私のこと、判ってくれるよね?だって、優しくしてくれたから」


 やばい。彼女との距離はこんなに離れてるのに、微かに触れただけの部分が酷く熱い。その熱が、オレから思考能力を奪っていく。

 オレは、何も判らない、何も知らないはずなのに、何を判ってあげられる?これから判ってあげられる?


「……オレ、何か出来るかな?」

「どうして?ユウトは優しいじゃない。一緒にいると安心するわ」


 彼女のその妖艶な微笑みに、思わず手を伸ばしてしまいそうになったけれど、セリ少佐に睨まれてしまったので引っ込めた。


「ユウトは、私の味方でいてくれるよね」

「もちろん」

「良かった、そう言ってくれると思った。嬉しいよ」


 笑顔から一転、彼女はセリ少佐に上司の顔を見せる。


「時期の話は、後で私からあの人にするから。あの人が、決して味方ではないってことくらい、判っていたことなのに」

「先手を打たれた形ですかね」

「悔しいけど、そう言うことになるわ。でも、あの程度の魔物ならケガをしててもサワダ中佐の敵じゃない」


 外を見るティアスと、外を、セリ少佐は交互に見た。その視線に気付いたティアスが、再び彼に困ったような、照れたような顔を見せた。


「イズミ中佐も中央では表には出てこないけど、相当な使い手だから。彼も、この国の守護の一翼を担っているわけだし」


 言い訳のような台詞に、彼女の手を取り、問いつめてやりたくなった。


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