2話ー③
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「先程は見苦しい姿をお見せして、失礼しました」
軽く咳払いして、博士の異世界講座がようやく始まった。長い話になりそうだと、一旦紅茶をおかわりする。
「まず初めに、お二方は異世界ジャンルについてどのような認識ですかな?」
「よく主人公が無双しますよね」
「トラック運転手が可哀想な話」
「いや、まあそうだけども……」
茨目の身も蓋もない回答に詞葉は苦笑する。主人公がトラックに轢かれて転生するのは、テンプレートかつ、王道のストーリー展開だ。
作品によっては第二の人生を謳歌する主人公の裏側で、運転手はどんな末路を辿ったのか。酷い言い方だが、主人公の踏み台にされた運転手に同情する読者も、一定数いるだろう。
異世界作品に対するあんまりなイメージを聞いても、土浦は怒ることなく頷く。
「運転手救済ルートについても語りたいところではありますが、ひとまず脇に置いて。茨目殿の言う通り、物語の導入は大きく二つに分けることが出来ますな」
主人公の死によって魂、もしくは肉体ごと生まれ変わる転生パターン。
異世界の住民や神などに呼ばれ、世界を移動する召喚パターン。
「共通するのは、世界の理が主人公を望んで招き入れる点ですな」
「まさに主人公って訳か」
茨目達が目撃した現象は、後者に該当する。渦に吸い込まれて人が移動する様は、確かに異世界召喚っぽい。
「よくあるのは魔方陣や儀式。どちらにせよ、主人公を呼び出す何者かが存在しております。何者かを介して現実世界に戻る部分を、明確に表現出来ますぞ!」
「小説の書き方講座に変わってんぞ」
ちょいちょい話が脱線する友人を、茨目が軌道修正する。詞葉は下手にツッコミを挟まずに、紅茶を飲み干した。
「それと詞葉殿の言う通り、異世界へ移った主人公には必ず変化が生じますな。最近は敢えてレベル1のまま、というのも多いですが」
優遇された主人公のチート能力は、パラメーター上昇、特殊能力の開花などが定番だ。反対に、不便な能力やデバフが付くケースもある。
とにかく何かしらのメリット・デメリットが付与されることには違いない。
「拙者はこれを、異世界の環境に適応するため、主人公の肉体に起きる変化だと捉えております」
例えば水棲生物が陸に上がるため、肺呼吸を身につける。人間の活動時間が水中では制限される。原理としては、そういうのと同じだ。
「あの、念のためお窺いしますが……兄の場合、召喚ではなく転生した、という可能性はありますか?」
「ありませぬ」
そこはハッキリと否定した。慰めや気遣いではない。事実に基づいて、博士は断言する。
「亡くなったという事実が確認出来ぬ以上、異世界転移と見るべきでしょうな。遺体ごと移動して異世界で復活したとしても、亡くなった時の痕跡が残りますから。兄上殿に持病は?」
「あんな自堕落なくせして健康です」
「若いからな。三十代手前でしわ寄せが一気に来るぞ」
「やっぱり茨目さんの年齢って……」
「年齢不詳だ」
「拙者は今年で二十……」
「お前が言ったら必然的に俺の歳もバレるだろうが!」
とにもかくにも、兄の転生説が否定されてホッとする。しかし依然として、異世界での安否が不明なことに変わりはない。
どうして兄は帰って来ないのか。
異世界で何かトラブルでもあったのか。
「兄上殿が何らかの理由で身動きが取れない場合、入れ替わった異世界人を見つけ、送り返してもらえれば万事解決です。厄介なのは」
ギラリと、土浦の目に剣呑な光が宿る。
「兄上殿が、異世界でハーレムを築き、自らの意思で帰宅拒否された場合ですな」
「…………はい?」
茨目と詞葉はあんぐりと口を開けた。
いや、ハーレム云々は知らないが、確かにその可能性を無意識に排除していた。
もしも異世界に迷い込んでしまったら、誰だってパニックになるし、すぐに帰りたいと思うだろう。それが一般的な解釈だ。
しかし、創作における異世界ものの主人公は、異常なほど順応力が高い。
割りとあっさり気持ちを切り替え、元の生活に対する未練も無く、未知の世界を平然と冒険している。
フィクションだからと言ってしまえばそれまでだが、普通はあり得ない。少なくとも詞葉の記憶通りなら、兄にそんな度胸は無い。
だが実際に異世界へ飛んだ人間の心理なんて、本人しか知らないのだ。
オタクならではの考えに、目から鱗が落ちる。
そういえば前回、ツカグチが言っていた。
『扉が開く時間と場所は決まっている』と。
見たところ、あの渦は近づいた対象者を吸い込む仕組みのようだ。範囲は不明だが、近寄らなければ移動はしない。
つまり、扉から異世界へ帰るのはあくまでも任意。
こっちの人間と異世界人、両者が互いの世界に居座ろうとすれば、永住が決定する。
その方が、本人にとって幸せなケースもあるだろう。
「それでも私は、兄貴の首根っこ掴んで連れ戻します」
連れ帰って、一発殴る。
兄が周囲に与えた迷惑と心配の数だけ、文句をぶつけてやる。
けれど、兄がどうしても異世界で暮らしたいと願うなら。その方が幸せだと言うのなら。
溌剌とした顔で詞葉は笑った。
「その時は快く送り出してやりますよ」
気丈で優しい妹だと、大人達は思う。
口では悪く言いながら、両親さえ見限った兄を、彼女は今も慕っていた。紡木澄は妹に恵まれている。
「そうだな。異世界でも引きこもりニートしてんなら、確かにムカつく。依頼料の半分は、紡木兄から貰うとするか」
「拙者も微力ながら助太刀いたしますぞ!」
まずは入れ替わった異世界人を見つける。
今までは全員が一日程度で元の世界に戻ったが、無理やり異世界に残ろうとする者が今後現れないとも限らない。
送り返すためにも、兄の手掛かりを見つけるためにも、ターゲットは捕縛する。
「直近だと明後日に一ヶ所、異世界の扉が開く。ただやっぱり個人宅っぽいんだよな」
理想は、住民が渦に巻き込まれる前に保護することだが、難しい。説得したところで絶対に怪しまれる。最悪通報される。
「せめて住人の素性さえ分かれば、入れ替わった人物も特定しやすいんだが……。家を張り込んで調べるか」
「どういうことですか?」
「金貨と同じですぞ。対象者と似たプロフィールの人物が、等価交換されていると予想出来ます」
詞葉の質問に答えた土浦は、やはり頭が良いらしい。素早く検索すると、パソコンのモニターにニュース記事が表示される。
「フルートの大会で優勝……塚原康司!?」
なんとビックリ。以前異世界から奪還した塚原は中学生時代、音楽コンクールで金賞を勝ち取っていたのだ。
フルートの文字を見て、詞葉は唐突に閃いた。
「もしかして、あの異世界人と塚原さんの苗字が似てたのは……」
「ああ。恐らくツカグチは、異世界における塚原……即ち、同一人物だ」
茨目は頷く。
初めてツカグチと会った時から、違和感があった。
等価交換の法則を考慮した上で、わざわざパンフルートを持ち込んだのは何故か。それだけ腕に自信があったからだ。
確認は取れていないが、パンフルートと等価交換されたのは、塚原が中学生時代に使っていたフルートだろう。
もしかしたら、お互いの異世界に塚原達が永住すると決めた時、その楽器で金を稼げるように仕組んだのか。
「まさか同一人物だったなんて……。顔はそんなに似てなかったと思うけど」
「双子のようにスタートは一緒でも、どんな人生を歩んだかで変わるのかもしれませぬな」
「博士さんらしい仮説ですね」
詞葉が納得していると、徐に土浦はメモを手に取った。異世界召喚のスケジュールだ。
「茨目殿、敢えてここまで沈黙を守っていた拙者の無礼をお許し下さい」
「急に畏まってどうした」
「明後日に開かれる扉の場所ですが、拙者の同志の城ですな」
「……すまん、何だって?」
「拙者のオタク仲間の自宅でござる」
「最初に言えよ!」
混乱させると思ったので、説明と状況整理が一段落するまで黙っていたらしい。気配り上手なのかマイペースなのか。
博士の情報提供と人脈のおかげで、ようやく捜査が進展しそうだ。
「ところで、第二回の異世界講座はいつにしますかな?」
「保留でお願いします」
結局、土浦が三十分かけて厳選したオススメの小説を教えてもらった。
初見の感想が聞きたいと迫るオタクの目は、本気だった。




