2話ー②
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「こいつは土浦竜一。俺の仕事仲間で、大学からの友人だ」
「以後よろしくお頼み申します、詞葉殿」
ハンバーガーで荒ぶったテンションを静め、詞葉達は改めて自己紹介する。
土浦は見た目通り優しく朗らかな性格だった。会話の端々から、人柄の良さが滲み出ている。
そして成る程、土浦竜一→土竜→モグラか。
あだ名の由来を知り、詞葉は一人納得する。
土浦本人は、このモグラという呼び方を気に入っているらしい。一見正反対な二人が、どういう経緯で友人になったのか、非常に気になるところではある。いつか聞いてみたい。
「仕事仲間ってことは、同じく探偵さん?」
「いや、普通の会社員。ネットや機械類に詳しいから、たまに情報収集や解析を手伝ってもらってる」
「僭越ながら、以前オーバーヒートした茨目殿のパソコンも修理させて頂きましたぞ」
「パソコンってオーバーヒートするんですね」
培われた技術は確かなようで、普段は情報のセキュリティ会社で治安の維持に努めているという。地面ではなく、ネットを潜り監視するモグラってか。
「だから、依頼にSNSが絡んでいる時は頼りになる。ネットリテラシーとか関連する法律とか、知識も豊富だ」
「拙者にかかれば、転売ヤーの特定もアンチコメントの削除も容易いものですぞ」
「それは凄い」
転売や誹謗中傷は社会問題だ。そこと戦う知恵があるのは頼もしい。
「そして、見ての通りオタクだ」
「あ、一番目立つ特徴やっと説明するんですね」
今時、ここまでテンプレートなオタクキャラも珍しい。詞葉は改めて、土浦の格好をまじまじと見た。
萌えキャラがプリントされたハチマキやTシャツを身に纏う姿は、世間が持つオタクのイメージと一致する。
「お察しだろうが、こいつは二次元の知識も豊富だ。何なら本職より豊富だ。読書量もグッズに費やす金も半端ない」
「オタク博士なんですね」
「俺達は現状、手詰まりだ。創作物だとしても、異世界のジャンルを学べば何か捜査のヒントになるかもしれない」
どうせ次の扉出現は明後日だ。対策を立てる時間はまだ充分にある。
「頼むモグラ。俺らに異世界の全てを教えてくれ」
「何やら訳ありのようですな。詳しくお話を伺いますぞ」
押入れからミニテーブルと座布団を取り出して、三人は部屋の中央に座り会議を始めた。
居酒屋の店主だった祖母に似たのか、土浦が一から作ったシフォンケーキと紅茶をお供に、これまでの経緯を語る。
第三者に話すことで、茨目と詞葉も改めて事件の概要を整理し振り返った。
十分程かけて全てを説明する。正直信じてもらえるかも怪しい突拍子も無い話だが、土浦は笑うことなく静かに聞いていた。
「……なるほど。このコインとスケジュール、お二方の目撃した渦。実に興味深いですな」
土浦はテーブルに置かれたメモを取り上げ、再度目を通す。
「つまり、お二方はパラレルワールドの民とエンカウントしたと申しますか」
「やっぱり信じられないですよね」
「いいえ、詞葉殿」
疑うのも無理はないと、萎縮する詞葉の予想に反して、土浦の目は輝いていた。それはもう、遊園地を訪れた子供のようにキラキラと輝いていた。
「寧ろ逆ですよ、感謝しかありませぬ……。やはり、拙者の推論は間違ってはいなかった!」
土浦は、両腕を上げガッツポーズした。腕も頭も腹も揺らし、喜びを体全体で表した。
「ど、どうしたんですか?」
「どうしたも何も、全世界のオタクの夢想、拙者が青春をかけて行った研究が実証されたのですよ!? 拙者が今どれほどの歓喜に震えているか、お分かりですかな!?」
「分かります。勢い余ってハチマキも吹き飛びましたから。だけど研究って、何のことですか?」
狂喜乱舞するオタクに詞葉が困惑していると、横から茨目が何かを差し出した。それは十数枚に纏められた紙の束で、一枚目には下記の通り印字されていた。
『多次元の時空間及び境界点に関する考察』
「……What?」
目が点になった詞葉の頭上を、つむじ風の如く疑問符が飛び交う。
恐る恐るページを捲ると、何やら小難しい数式やグラフが記載されていた。同じ言語で書かれているはずなのに、一ミリも理解出来ない。これも異世界から持ってきたのか?
「大学生時代にモグラが提出した論文だよ」
詞葉が混乱の境地へと至る前に、実は二重構造だった本棚を、茨目がスライドさせる。ラノベ棚の裏から登場した、物理や化学の専門書が、詞葉を更なる混乱へ導いた。
「俺にもさっぱり分からんが、簡単に言えば『パラレルワールドの有無』について書いたらしい」
「現代の科学だと検証は難しいですが、理論上、パラレルワールドや異世界の類いは存在すると考えておりまする」
詞葉はそれを聞いて思い出した。
茨目から神隠しやパラレルワールドの話を聞いた時。その分野について研究する学者がいると言っていた。
まさかこんなところに、その学者の一人がいたなんて。
「つ、土浦さんって何者ですか?」
「T大卒のオタクだよ」
「マジの博士じゃん……!」
「いえいえ、拙者などまだ未熟。その論文も拙い物でして、お恥ずかしい」
「教授連中を驚愕させた秀才が何言ってんだ」
「……あれ、待って。博士さんって、茨目さんの大学時代の友人なんですよね? てことは茨目さんも同じ大学?」
「中退したけどな」
詞葉は気が遠くなるような思いで、二人を見上げた。
本人達は謙遜するが、合格すること自体が最難関と言われる大学だ。
自分はどうやら超エリートに囲まれていたらしい。
「ところで、パラレルワールドが実在する根拠とか、博士さんからの解説は何も無いんですか?」
「仕方ないだろ。作者の理系知識が皆無なんだから」
「過度なメタ発言は世界観を乱しますぞ!」
* * *
脱線した話を元に戻して、二人は本題に入った。即ち、異世界に拐われた人間を取り戻す方法についてだ。それを考える上で、異世界の知識を知っておきたい。
「もちろん、現実と創作の異世界は違うだろうが、現象として存在しているから神隠しやオーパーツがあるんだ。それらが現代まで語られ、創作の題材になっているなら、創作=異世界のヒントに成り得るはずだ」
「ふむ……」
考え込む土浦を、詞葉はハラハラと見守る。
今まで茨目の仕事を手伝ってくれたと言っていたが、今回はスケールどころか世界が違う。
関わるのも怖いからと、断られる可能性の方が高い。ただでさえ未知数の現象だ。どんな危険が潜んでいるか。
無理に調査せず引き下がる方が賢明だと、詞葉も本当は分かっている。
けれど、兄のことは絶対に諦めたくない。
詞葉は深く頭を下げた。
「調査に加わってほしい、なんて言いません。異世界がテーマの作品は多すぎて、全てに目を通していたら間に合わないから。何を見て学べばいいか、その取っ掛かりだけでも教えてほしいんです」
「……頭を上げてくだされ、詞葉殿」
詞葉は、ハッと気づいた。
土浦の目は真っ直ぐだ。ハンバーガーの好みも異世界についても、土浦の態度はずっと変わらず、ちゃんと話を聞いて、考えてくれる。
「拙者は最初から、茨目殿の頼みを断るつもりなどありませぬ。それは事情を把握した今も同じですぞ。何より、友人の助手である詞葉殿と、その兄上がお困りなのですから。断る理由がどこにありましょう!」
任せてくだされと、大きな腹をポンッと鳴らした。
詞葉はふっと、安堵するように笑った。
渦巻いていた不安が晴れていく。探偵も、探偵の友人も頼もしい。自分は特別な才能は無いけれど、縁に恵まれている。
「博士さんって本当に良い人ですね。茨目さんよりモテるでしょ」
「一言余計だよ」
「生憎ですが拙者、嫁は二次元におりますので……」
嫁発言については、茨目も詞葉も敢えてスルーした。
「協力は勿論させていただきます。ですが、暫しお待ちくだされ。拙者、情報の取捨選択について少々悩んでおりまして……」
「取捨選択?」
「異世界はオタクの必須科目。しかし説明となると、これまた難しい。拙者の語彙力で足りるかどうか……」
「学会を騒然とさせた首席が何言ってんだ」
「首席なんだ……」
新事実に驚く詞葉だが、オタク博士の思考は止まらない。
「異世界ジャンルを知らない新規の方々に、分かりやすく説明するためには、どのような順序で、どこまで細かく解説するべきか」
オタクの明晰な頭脳は回る。
あまりマニアックなことを語り過ぎても胃もたれしてしまう。もしドン引かれたら、硬度6のマイハートは一瞬で砕け散るだろう。
なんて、最悪の方程式を立てたところで土浦は青ざめた。それは絶対に立証してはならない。
学者にあるまじき結論だが、今の彼は学者ではなく善良なオタクだ。
「異世界作品はどれもこれも一級品。厳選することが如何に困難かつ酷なことか!」
「いや、別にオススメの異世界小説を聞いてる訳じゃねーんだけど……」
段々と明後日の方へ悩み始めた旧友に、茨目は困惑気味だ。
土浦は丸い目をくわっと見開く。
酷い隈が余計目立って、タヌキというより最早パンダだ。どうでもいいが、二次元という栄養を摂取しているお陰か、肌は潤いを保っていた。徹夜の影響ゼロらしい。
しかし事実、推し活は健康に良いと証明されていた。たとえ否定されたとしても、この男なら証明する。
そんなオタクの熱意が、部屋をサウナへと変えた。
「異世界ジャンルはもはや飽和状態。新規の視点こそ、停滞を打破する無限の可能性なり! だからこそ有志よ、お頼み申す! 革命を起こしてくだされ!」
「うん、少なくとも探偵が背負う使命じゃないんだわ」
迷走する友人の頭を軽く叩いて正気に戻した。




