2話ー① オタクと論と鉄
誤字脱字、設定の矛盾等ありましたら申し訳ありません。見逃してください。後日修正しますので。
くわっと男は丸い目を見開く。酷い隈が余計目立って、タヌキというより最早パンダだ。
どうでもいいが、二次元という栄養を摂取しているお陰か、肌は潤いを保っていた。徹夜の影響ゼロらしい。
事実、推し活は健康に良いと証明されている。たとえ否定されたとしても、この男なら証明するだろう。
そんなオタクの熱意が、部屋をサウナへと変えた。
「異世界ジャンルはもはや飽和状態! 初見や新規の視点こそ、停滞を打破する無限の可能性なり! だからこそ有志よ、お頼み申す!!」
「少なくとも探偵が背負う使命じゃないんだわ」
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探偵事務所があるビルの管理人は、家主の叔父だという。もともと違う事業を行っていた叔父が定年の時、建物を譲り受けたそうだ。
是非とも一度その叔父とやらにお会いして、リフォームの相談をさせてほしい。
腐食が進んだ階段を上る度に、紡木詞葉は思う。人間って、二階くらいなら落ちても捻挫で済むだろうか。
「猫になりたい」
叶わぬ願望を遠い目で呟きながら、詞葉はドアノブを掴んだ。ギィー……と、ホラーゲームでしか聞かないような、軋んだ音を立てて扉が開く。
インターフォンもノックもあまり意味を成さないので、原始的な手段で己の来訪を告げる。
「ちわーっす! デイサービスでーす」
「せめて家事代行と言いなさい」
俺はまだそんな歳じゃないと、探偵事務所の主、茨目とばりは訴えた。
デスクの上は相変わらず汚い。カップ麺の容器でも調査資料でも、乱雑に置くのは同じだ。
「まーたこんなに部屋を散らかして、そんなものばっかり食べて! もっとお野菜を摂りなさい!」
「君は俺のお袋か」
ぶつくさ文句を言いながらも、茨目は最近ちゃんとゴミ箱を活用する。若者に注意されるのは、流石に大人として情けない。
たまに面倒だと後回しにすると、そういう時に限って詞葉がタイミング良く訪れて、結局掃除を手伝ってしまう。そして詞葉の方が要領が良いので、茨目一人でやるより早く綺麗に片付く。地味に悔しい。
けれど茨目は、詞葉が邪魔だとか、鬱陶しいと思ったことはない。寧ろ凄く助かっている。
しかし、これではまるで家政婦だ。そもそも彼女は依頼人であり、助手じゃない。本来なら学業と青春を謳歌すべき若人である。
罪悪感で、茨目の胃がキリキリと痛む。
任せっきりな現状を変えなければと、とりあえず助手を辞退してくれと何度も頼んでいるが、毎回言いくるめられる。この時ばかりは詞葉の方が、茨目より頭の回転が速い。
仮にも探偵を名乗る男は、敗北感から項垂れた。
「早急に何とかしなければ……」
「そうですよ。早く兄の手掛かりを見つけないと!」
そうだ、と茨目は気持ちを奮い立たせる。
兄が見つかれば、妹の詞葉がここへ来る理由も無くなる。彼女を助手という義務感から解放するのが、大人である茨目の使命だ。
その肝心の調査だが、見事に行き詰まっていた。
失踪した詞葉の兄・紡木澄を探す道中、茨目達は異世界が実在すると知ってしまった。
冗談も休み休み言えと嘲笑されそうだが、マジなものはマジだ。もちろん馬鹿正直に話せば確実に正気を疑われるので、誰にも喋らないけれど。
紆余曲折ありキャッチ&リリースした異世界人から得た、有益な手掛かり。異世界への扉となる光の渦が、今後現れる場所と日時の予定表という勝ち確な情報に、二人は小躍りした。
いま思えばぬか喜びだった。
あの日から一週間と六日。
茨目達は既に二回、扉の出現を見逃している。
考えてみれば当然だった。そんな簡単に異世界を観測出来るなら、世界中で目撃されニュースになっている。
渦に巻き込まれた紡木兄の友人塚原も、異世界に関して一切覚えていない。塚原曰く、茨目達が来るまでずっと寝ていたという認識らしい。記憶を編集する謎の技術か、異世界召喚の副作用か、現時点では不明だ。
やはり情報を得るには、異世界の民から直接聞き出す必要がある。
異世界召喚は等価交換によって成り立っている。こちらの人間が渦に吸い込まれれば、入れ替わる形で異世界人が現れるのだ。
しかし、こちらも一筋縄ではいかない。
どうやら扉は、意図的に人目の付かない場所を選び、対象者が一人の時を狙って出現するらしい。
周囲にある余計な物を巻き込まないよう、そして異世界の存在を悟らせないために、細心の注意を払っている。
茨目と詞葉が異世界の存在を訴えても、嘘と判断される程度で済むが、誤魔化しのきかない不特定多数に渦が目撃されたら、どんな影響が出るか分からないからだ。
こちらの世界と異世界は、お互い繋がっており、絶妙なバランスを取っている。塚原の場合はイレギュラーかつレアケースだったのだ。
前述した二回の観測も、この仮説を裏付けた。
前々回は独身のサラリーマン。
前回は山奥の小屋で、自給自足の生活をする老人だった。
当然、どちらも茨目達にとって初対面の人間である。
「貴方は異世界に拐われる予定だから監視させてください」なんて、言える訳がない。
それでも当初は、離れたところからターゲットを見張り、渦が開いた瞬間突撃するつもりだった。
結局、鍵が掛かった室内に渦が出現するせいで失敗。窓を壊せば器物損壊&不法侵入だ。諦めるしかない。
その後、サラリーマンと老人は一日で無事帰還したらしく、普通に部屋から出て来て拍子抜けした。
そうなると不可解なのは、未だ帰って来ない詞葉の兄、紡木澄だ。
塚原も上記の二人も一日で戻ったというのに、何故か兄だけが異世界で迷子のまま。
紡木兄と塚原達の違いは何だ。そもそも、兄の等価交換の相手はどこへ行ったのか。
もしや兄が召喚された先は、塚原達とは違う異世界で、異世界ごとに召喚の仕組みや条件が異なるのか。
茨目は深い溜め息を吐いた。
いかんせん知識も情報も不足している。必ず見つけると啖呵を切っておいて、早くも行き詰まっていた。
新しい風を取り入れるために、己の思考を切り替えよう。問題解決には情報収集だけでなく、物事を客観的かつ多角的に見ることも大事だ。
ならばあと一人、違う視点を持つ人間を味方に加えればいい。
「仕方ない……。アイツの知恵を借りるか」
「アイツ?」
椅子から立ち上がり、探偵はいつものコートを羽織る。支度を済ませ、行き先も告げずに出掛ける茨目を、詞葉は慌てて追いかけた。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 一体どこに、ていうか誰に会うんですか?」
「異世界の専門家」
「……はい?」
* * *
かつては畑だった土地が、持ち主を失い更地と化せば、我先にと売買され家が建つ。雨後の筍の如く、空き地は残さず建物で埋めて、あっという間に住宅地という森が形成される。
詞葉が小学生の時に遊んだ、桜と菜の花が一度に見れる空き地や、石ころを蹴った畦道は全部、アスファルトで均して。
どちらの風景も知らない次世代が住まう家々も、いつかは別の何かで均されて、懐かしいと思い出される日が来るのだろう。
無常だなと感じつつ、詞葉はそれを悲しいとは思わない。世界が変化していくのは当然だ。大事なのは変化の良し悪しを考え、無くなったものを忘れないようにすることだと思うから。
自然は住宅地になったけれど、あの桜と菜の花はちゃんと、別の公園へ移されている。
そういう小さな心遣いが続けばいいと願う。
だからこそ、兄がニートになろうが異世界に失踪しようが、絶対忘れてやるもんか。
そのために詞葉は努力する。
たとえ薄暗く狭い裏道を進み、クモの巣を正面突破するとしても、探偵を追いかけた。
「だけど、やっぱり一言申し上げてもよろしいですか!? こんな狭いところ通れるの、野良猫ぐらいですよ!」
「失礼な、カラスも来るわ」
「どっちにしろ人間じゃない!」
竹林のように家が密集する住宅街は、住民でも知らない裏道、細道、もはや隙間と呼べるような道が、ひっそり存在する。
茨目の目的地は、そんな未知の道を経由した先にあるらしい。
「そいつが住んでいる場所の周りが、次々と増築とか建て替えした影響で、道幅もギリギリなんだよ」
「道路法とか建築法とか、何かしら引っ掛かりません?」
「上手い抜け穴はいくらでもあるからなー」
少なくとも違法じゃないから安心しろ、と茨目は苦笑した。
「それで、目的の人物は猫ですか、カラスですか。まさかネズミ?」
「いや、モグラだ」
「モ、モグラ?」
雑談しながら苦労を誤魔化し、体を斜めにして無理やり裏路地を抜ける。するとようやく開けた道路に出た。目の前には雑木林、その手前に古い建物がある。
入口の傍には消灯したネオン看板。店名部分は壊れていて分からない。五年前に廃業した居酒屋だと、茨目は語る。
「俺のとこと同じで、こんな面倒な場所誰も来ないわな」
茶化すように笑う茨目の目が、詞葉には少し悲しそうに見えた。寂しいのは懐だけじゃないようだ。
扉をノックして開くと、チリンチリンと揺れる呼び鈴が、久方ぶりの来店を知らせる。
左手に調理場と、隣接する八席のカウンター。テーブル席は無い。
こじんまりとした店内だが、逆に隠れ家的な雰囲気があって落ち着く。棚に数種類の酒瓶と、冷蔵庫の稼働音が聞こえるので、家主がダイニング代わりに使っているらしい。
かつて団体客用の座敷だった二階は、家主の自室としてリノベーションしたという。入口の右横にある階段を上がり、引戸をスライドした。
瞬間、眩い蛍光灯とパソコン画面のライトに詞葉の目が眩む。
次いで視界に飛び込んで来たのは、三方向の壁を覆う大量の書籍、本、雑誌。本棚に収まったラノベ&コミックの背表紙が、壁にカラフルな模様を描いていた。
正面の壁にはモニター三台とパソコンのキーボード。棚に陳列するアニメキャラのフィギュアやぬいぐるみに見つめられ、若干居心地が悪い。
イメージと正反対の内装に唖然とする詞葉を置いて、茨目は「よぉ」と声をかける。
ゲーミングチェアに腰掛けた男が、ヘットフォンを外し来訪者を歓迎した。
「ややっ! 茨目殿ではありませぬか! 本日は一体どうされましたかな?」
「悪いなモグラ。ちょっくら頼みがあってな」
「遠慮は無用ですぞ! 名探偵殿のお役に立てるならば、光栄の至り」
照れ笑いして頭を掻く男の姿に、詞葉はポカンとなった。
フワフワの短い茶髪や、ふくよかな体型と比例する大きな腹は、失礼ながらモグラというよりタヌキに見える。目元の隈も相まって、余計にタヌキっぽい。
詞葉の不躾な視線に気付いたようで、男は丸い目をさらに大きく見開いた。
「しかし……まさか茨目殿が女子を、それもJKを侍らせておられるとは。これは事案のかほりがしますなぁ」
「未成年に手を出すほど血迷ってねえわ」
「な、何で貴方も私の正体がJKだと?」
「君はいい加減、学校指定の物品を普段使いするのやめなさい」
カーディガンの校章でモロバレだと、茨目はツッコミを入れた。
「冗談です、失礼しました。では、遠い親戚ですかな?」
「違う違う。ただの依頼人」
「兼、助手です!」
余計なこと言わんでいいと茨目が窘める前に、男は驚嘆の声を上げた。
「なんと、ついに茨目殿にもビジネスパートナーが! いやはや良かった良かった。助手が不在の探偵は、ポテトが付いていないハンバーガーと同じく寂しいですからな!」
「単品でも旨いけど、セットなら尚ハッピーってか。喧しいわ」
一人でノリツッコミする茨目の横を通り過ぎ、詞葉は男へ近づいた。
「あの、一つ大事なことを質問してもよろしいでしょうか」
「何ですかな?」
真面目な表情で問いかける詞葉に、男もしっかり向き直る。
「貴方の一番好きなハンバーガーは?」
「何聞いてんの紡木君?」
一瞬、妙な緊張と沈黙が走った気がした。
男はキリッと真剣な眼差しで答える。
「……拙者、生涯チーズバーガーを推しております」
ガシッ!!
両者、固い握手を交わした。
「素晴らしいわ。今度コーラとジャンクフードの親和性について語り明かしましょう」
「勿論です、チーズバーガーの同志よ。いつか茨目殿の事務所一階に、バーガーショップを復活させましょうぞ!」
「そういう深夜テンションみたいな会話は他所でやってくれねぇかな」
茨目のツッコミは虚しくも届かなかった。




