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1話ー④

 4


 シビアな考え方をする割に、パラレルワールドの存在をあっさり受け入れる柔軟な探偵は、すぐさま事務所に戻ってパソコンを立ち上げた。

 仕事の邪魔をしないよう、詞葉はソファーに座って待つ。


 やがて暇を持て余した詞葉は、事務所の掃除を再開させた。

 いちいち本人に聞いていたら「どれも捨てられない」とほざくので、勝手にゴミ袋へ詰めていく。

 茨目は複雑そうな顔だが、何も言わない。頭は柔軟でも、断捨離に関しては優柔不断だと、当人も自覚しているらしい。



 掃除が一段落するまで一時間。調査の進捗は不明だ。マウスをクリックする音だけが、事務所内に響く。

 詞葉にとっては居心地の悪い時間が続いた。

 依頼を引き受けてもらった手前言いづらいが、やはりパラレルワールドを探すなんて不可能だ。


 そんな詞葉の不安は杞憂だと、茨目は豪語する。


「この金貨そのものが手掛かりで、情報の塊だ。少なくとも、塚原康司の飛ばされた世界は特定出来る」

「えっ、どうやって!?」

「まず第一に、俺はこれを異世界召喚の類いだと仮定させる」


 要はパラレルワールド=異世界だ。

 異世界と聞くと、創作物で定番のファンタジー空間を連想するが、パラレルワールドもこの世界とは異なる場所なのだから、定義としては同じだろう。


「召喚にしろ偶然迷い込んだにしろ、世界の理や物理法則をねじ曲げる凄まじい現象だからな。絶対に何らの影響は発生する。代償ゼロってのはあり得ない」


 無からエネルギーは生まれない。有名な物理学者が提唱した法則だ。

 酸素を必要とする炎が、代わりに二酸化炭素を吐き出すように。現象を引き起こすためのエネルギー変換は必ず行われる。


「等価交換って言えばイメージしやすいか。金貨は、あの五万円と交換された対価。互いの世界の均衡を保つために、同程度の価値を宿す何かが入れ替わっているとしたら……」


 茨目の考えに誘導され、詞葉は答えを閃く。


「……人間も、同じように入れ替わっている?」


 詞葉の頭に、天秤のイメージが浮かんだ。

 どちらかの重りを移動すれば、当然マイナスの分だけ傾くから、皿に乗っている物は崩れてしまう。それを防ぐための交換か。


「でも、渦から人は出て来なかったですよ」

「予定外の紙幣が吸い込まれた弊害かもな。それか渦は発射装置で、渦に入った瞬間どっかにワープするとか」


 少なくとも、向こうの金貨がこちらに来た時点で、あの渦は一方通行ではない。金貨が入れ替わって人間は対象外、ということはないはずだ。


「問題は、今回起きた異世界召喚が、人為的と自然発生のどちらなのか」


 金貨を指先でクルクル回しながら、探偵は思考も回す。


「もし自然発生なら、こちらに召喚された異世界人は当然パニックになるだろう。そんな奇妙な人間がいれば今のご時世、SNSで注目される。しかし現時点でそういった投稿は皆無だ」

「ということは、人為的?」


 パラレルワールドを観測し、自由自在に移動する方法が、異世界では開発されている。

 成る程、宇宙人以上に面倒かもしれない。


 だが、僅かに希望も見えて来た。

 こっちの世界に来た異世界人を捕まえ、再び異世界の扉を開けてもらえれば、兄達を助けることが出来る。それが茨目の策だった。

 もちろん喜ぶにはまだ早い。この広い世界で、入れ替わった人物を特定するのは極めて困難、いや無謀とも言える。


「不可能ではない。もともとこっちに存在しない人物を探せばいいんだ」

「さらっと簡単に言いますね」

「確かに、容易じゃないな。目的は不明だが、わざわざ異世界を移動するんだ。無策でこっちに来るようなアホじゃないだろう」


 では異世界人は、どのような準備や対策をするのか。

 金貨から察するに、恐らく言語は発音含め、同じ日本語と仮定していい。

 避けて通れないのは戸籍情報だ。異世界から来た人間に、この世界での住所や来歴なんて、どう頑張っても用意出来ない。


「怖いのは事象改変だが……」

「事象改変?」

「もともと存在しないはずなのに、卒業写真に最初から当然の如く写っている、みたいなアレ」

「軽いホラー案件ですね……」

「そんなチートが出来るなら流石に詰むが、俺達が金貨を認識している以上、向こうにとって都合の良い書き換えは無理っぽいな」


 ラッキーだったと茨目は笑うが、あまり笑えない。結局どうやって、その入れ替わった異世界人を見つければいいのか、詞葉には検討も付かなかった。

 だが茨目は、可能性としてはかなり絞られると息巻く。


「こっちで生活するために、資金調達や労働はしないといけない。戸籍の無い異世界人が金を稼ぐ方法。それを考えれば、自ずと隠れ場所も予想つく」


 あの金貨を持参して換金、なんて芸当は出来ないはずだ。

 実在しないデザインのメダルなど怪しさ満点。第一、等価交換の法則に邪魔される。金貨を持ち込む代わりに入れ替わった紙幣を、いちいち処理するのも面倒だろうから。


「だから選択肢としては、詳しい履歴書が必要ない日雇いの仕事を取るか。ホームレスの集団に紛れるか。腕っぷしが良いなら法律スレスレの危ない橋を渡るか。いっそ誰かのヒモになるか」


 もしくは、と言いかけた茨目は突然、スマホの画面を食い入るように見つめた。SNSに投稿された、とある写真を拡大する。


「……ビンゴ♪」


 探偵はニヤリと嗤った。

 悪役と見間違う凶悪な笑みであった。

 一連の様子を見て、詞葉は確信する。


 確かに、この男は名探偵ではない。

 名探偵ではないが、その執念と行動力だけは、確実に鬼才と称される部類に入ると。


「海外だろうが異世界だろうが、逃げ切れると思うなよ」

「台詞が歴戦の狩人」



 *   *   *



 平日と変わらず、駅は人で溢れている。

 例えば休日出勤のサラリーマン、部活終わりの学生、旅行帰りの親子連れなど、様々な利用客が行き交う。

 改札前の広場では、アマチュア歌手やギターの弾き語りが、騒がしくも賑やかな空気を助長する。


 いつもなら素通りする人も多い路上ライブだが、ある男の演奏だけは、通行人の足を次々と地面に縫い付けた。


 素人とは明らかにレベルが違う。

 竹の筒から発せられる軽やかな音色に、歌詞は無い。民謡のようにも聞こえるが、不思議と懐かしい曲調だ。ふいに心に浮かぶ郷愁から、涙を浮かべる者までいた。


 演奏が終了すれば、疎らではあるが自然と拍手が起きた。

 男の前に置かれた楽器ケースへ、硬貨や紙幣が投げ込まれる。



「そりゃあ、パンフルートは目立つわな」

「!」



 投げ込まれた硬貨に混ざって、声が聞こえた。

 ハッと演奏者が顔を上げると、そこには黒いコートの男が立っていた。

 全く気配を感じなかった。

 そして当然、演奏者の知り合いではない。


「人通りの多い駅前、さらに路上ライブを隠れ蓑にしたところまでは良かったが、詰めが甘い。周囲に溶け込むならギターとか、もっと無難な楽器を選ぶべきだったな」

「誰ダ、お前」

「お、やっぱり言語はそっちの世界でも同じなんだな」


 困惑する演奏者に対して、男は名刺を差し出した。


「初めまして、異世界人。俺はこういう者です」


 名刺に印字された『探偵』という文字を、異世界の演奏者は翻訳出来た。だからこそ青ざめ、混乱した。

 せせら笑う探偵はどういう訳か、こちらの正体を見抜いている。そんなこと、あり得ない。


「な、なぜ……?」

「確かに、普段ならスルーしてるし、違和感すら覚えないさ」


 周囲を見て真似したのか、異世界にも路上ライブはあるのか。演奏者として、ほぼ完璧なセッティングだった。

 路上ライブを行う者なら必ず設置する自己紹介のボードも、適当に拾った段ボールを再利用した手作りだ。


「よく真似出来てるよ。だが、本来なら書かれてないと不自然な項目が一つ抜けている」


 演奏者の横に置かれたボードを、茨目は指で叩く。


「知名度を上げるのが目的の彼らにとって、SNSのアカウントを書くのはマスト。でも異世界人のあんたに、そんなものある訳ないよな」

「っ!」


 演奏者はギリギリと唇を噛んだ。

 嘘がバレた時や、悔しい時にする仕草がこちらの世界と同じで、茨目は可笑しく思う。案外、異世界と言う程かけ離れた場所では無いのかもしれない。


「なんデ、ココダト分かった」


 とはいえやはり異世界の住民、男のイントネーションは独特だ。方言とも違う喋り方は、少し聞き取りづらい。

 それでも茨目は淡々と推理を述べる。


「異界の金貨が部屋に落ちていたことから、恐らく入れ替わった物質は、渦の近くに転送される。だから捜索範囲を町内に絞って、SNSの口コミを片っ端から調べた」


 珍しい楽器と演奏の効果で、金は比較的稼げる分、注目度も高い。写真や動画を撮られるのは必然。実際、茨目も通行人の投稿から、演奏者が異世界人だと気づいた。


 けれど茨目は、たとえ異世界人の潜伏先が海外で、どれだけ時間を費やしても、絶対に見つけ出す自信があった。


「こちとら、根性と執念だけで十年、探偵やってるんでね」

「クソッ!」


 茨目の気迫に負けたのか。後退りした異世界の男は、一目散に逃げようと、楽器を持って回れ右する。

 自身にとって都合の悪い、未知数の存在から離れるため、全速力で駆ける。


「逃がしません」


 駆けるつもりだった。


「いっ、痛い痛い、ちぎれル!!」


 突如、物凄い力で腕を掴まれて、男は悲鳴を上げた。そして自分を捕らえる手の正体が、どう見ても年下の少女だと気づき愕然とした。


「ナイス捕獲」


 物陰から素早く飛び出した詞葉が、そのまま演奏者の動きを封じ込める。

 退路を予め予想していたとはいえ、己より先に演奏者を捕まえるファインプレーに、茨目は驚きつつも拍手した。


「不意打ちとはいえ、よく捕まえられたな」

「体育のテスト、握力だけは評価5なんです」

「わーお、俺の学生時代より上」


 ストレス発散のため、昔からよく空き缶を握り潰していたと、詞葉は爽やかな笑顔で答えた。



 異世界人とのファーストコンタクト。

 その証となる赤い手形は、確と男の二の腕に刻まれた。


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