幕間1 渦潮の迷い人
誤字脱字ありましたら申し訳ありません。
後日修正します。
あれはいつだったか。確か、オレが小学四年の時だ。長期休みを利用して、家族と旅行に行ったことがあった。
両親に対するイメージは、ハッキリ言って最悪だ。
二人は普段から、仕事が忙しいと言い訳ばかりしていた。誕生日を祝ったり、オモチャやゲームを買ってくれたこともない。
学校行事だって参加しないくせに、子供の成績は気にする連中だった。
結局、あの両親は自分本意な人間なんだ。旅行の目的地も、二人だけで勝手に決めて、子供の意見なんか聞いちゃいない。
だけどガキだったオレは、ただ家族と出かけることが嬉しかった。学校の遠足以外で遠出なんて、したことなかったし。
もう昔過ぎて、旅行の思い出は殆ど覚えてないけれど、一つだけ鮮明に残った記憶がある。
何て名前だったっけ、忘れた。
なんちゃら橋だか海峡だかの近くで、オレはどっか高台から真下に広がる海を眺めてた。隣には三つ歳が離れた妹がいて、オレと同じように海の水面をじっと見ている。
何故なら、その水面に渦が出来るから。
ぐるぐる、ぐるぐると水が流れる様子を、食い入るように見つめた。
後に渦潮だと知る自然現象。何でそこに渦潮が発生するのか、詳しいメカニズムは知らん。
渦潮には、ラーメンの具材を連想する美味そうな名前が付いていた。練り物が嫌いなのかラーメンが苦手なのか、家の食卓に出て来たことはないけど。給食で初めて食べたそれは旨かったから、間違いない。
そんな海のナルトが、出来ては消えてまた現れる光景は面白くて、妹も興味津々だった。
前日に雨が降ったのか、綺麗な海には木の枝とかビニール袋とか、ちらほらと邪魔なゴミが漂っていた。
今と違って、オレは目が良かった。だから漂流物の木が渦潮に向かって、流れて行くのが分かった。
……違う。あれは渦潮に引き寄せられているのだ。
渦潮の淵に枝が触れた、次の瞬間。
木はあっという間に渦へと吸い込まれ、グルグル回って中心に沈んでいった。
濁流に呑み込まれる木の枝。
当時のオレにとっては衝撃的な光景で、単純にビビった。めちゃくちゃ怖かった。
トラウマとまではいかないが、自然の脅威を実感した。大袈裟だと笑われるだろうけど、幼いながらにそう思ったんだ。
もしも渦潮に船が近づいたら。
泳いでいる最中、渦潮に巻き込まれたら。
考えた途端恐ろしくなって、オレは嫌がる妹の手を掴んで、その場を離れた。
あの渦が見えないところまで走ったんだ。
その渦に、現在進行形でオレは捕まっている。
「イヤァァァ! ヘルプミー!!」
正しくは渦潮ではなく、渦潮みたいな光の渦だが。
もう完全にパニックだった。こんな摩訶不思議な現象、オレの薄っぺらい辞書には載っていない。
だけど叫んだところで救援は望み薄だ。
このアパートは、入居者募集の貼り紙が常時掲載されている。オレの叫び声に気づく住民など皆無だ。
しかも同居人の友に関しては、先日オレ自身の意思で追い出したばかり。
でもあれは10-0で塚原が悪い。
物件を独占したオレに貧乏神押し付けた挙げ句、最終的に逆ギレ&ゲームを強制終了するあいつが、100%悪い。
でも今だけ謝るから戻って来て。
これで正真正銘自由だぜイエーイ! とか言ってマジごめん、頼むからカムバック。
それか昨日電話した、親愛なる我が妹よ。
偶然でもいいから来てくれねえかな。無理だよな。家出てから一度も会ってねえもんな。……多分、オレ嫌われてるよな。
両親はこっちから願い下げだ。特にクソ親父、テメーは駄目だ。
オレのこと成績最下位の出来損ないって言うけど、不倫してんの知ってるからな。テメーは父親最底辺だろうが。無事生還したら法廷で会おうぜ!
一種の走馬灯のように、怒涛の懇願と怒りが駆け巡る間も、オレの視界はどんどん狭くなっていく。渦の光がオレの周りを包んでいく。あの木の枝みたいに、沈む。
本当に何なんだよ。あり得ねえだろこんなの。
オレはただ部屋で寝てただけなのに。夢なら覚めてくれよ。
急に光が現れたと思ったら、逃げる暇もなく体が宙に浮いて、バタバタ暴れても渦に捕まった足は抜けなくて。
もう嫌だ、怖い、情けない。
誰でもいいから助けてくれ!!
結局救いの手は現れず、脱出も出来ないまま。
滞空時間を十秒ほど過ぎた辺りで、一気に渦へと吸い込まれた。まさにロケットスタートって感じ。未知への旅が始まってしまった。
辺り一面、真っ白な世界。
薄れる意識の中、誓いを立てた。
もしオレが消えた途端、塚原が部屋に戻って来やがったら、絶交しよう。
* * *
音が聞こえる。多分、人の声だ。
オレの体がまだ寝ていたいと、駄々をこねている。音も景色もボンヤリしていて、よく分からない。
でも腹減ったな。とりあえず起きるか。どうせ今日も大学サボるし。やっぱ新作ゲームの誘惑には勝てない。ガキの頃オモチャ買ってもらえなかった反動だろう。
無理やり起き上がろうと体を動かす。徐々に感覚が戻って来る。
えっ、何かスゲー背中が痛い。というか全身バキバキなんだが。筋肉痛?
違う、あれだ。一人暮らし始めた頃、金が無いから布団買えなくて、フローリングにそのまま寝た時と似ている。
二度と固い床では寝ないと反省したはずだが、どうやらオレは同じ過ちを繰り返したらしい。
……いや、フローリングじゃないな。ざらざらしてる。なんか、コンクリートやアスファルトの地面っぽい。
あれ、てかオレ昨日いつの間に寝たっけ。
いや……、いやいや違う。
そうだオレは、あの渦に!
「光るナルト!!」
「は?」
ガバッと勢い良く飛び起きる。と同時に、横から声が聞こえた。
振り向くと、見知らぬ美女がいた。座ったオレと目線が合うように、片膝を付いている。
大事なことなのでもう一度言う、美女だ。
一纏めにした茶色の長髪、くっきり二重な切れ長の目、黒いトレンチコートと白いシャツ、タイトなズボン。
まるでモデルみたいな美女の、不審者を見るような冷たい目に「ヒッ……」と悲鳴が零れた。
やめて、そんな目で見ないで。ただでさえ超常現象に巻き込まれて疲弊したメンタルが、木っ端微塵になる。
「まだ寝ぼけてるの? それとも召喚による錯乱かしら」
「いえ、正常です。どこにでもいる普通の大学生です」
直ちに誤解だと訂正する。美女は納得したのか、最初からどうでもいいのか、小さく頷き立ち上がった。
改めてオレは辺りを見る。
自分の部屋じゃない、ここは何処だ?
周りは全てコンクリート造り。壁も床も天井も、暗い灰色だ。窓や家具はない。出入口は頑丈そうな鉄扉が一つだけ。まるで独房のような部屋だ。
そんな寂しい場所に美女とオレ。色んな意味で緊張するシチュエーションだった。
「さあ、早くここから移動するよ」
「え?」
状況が把握出来ないオレの手を、美女が掴んで引っ張り上げる。ていうか力強っ! 一応オレ成人男性なんだけど。軽々引っ張るな、この人。あと何気に家族以外の女性と初めて手繋いだわオレ。
「あ、あの、一体どういう……」
「案内するわ、異世界人。ここはまだ中継地点だから」
「……異世界人?」
失礼ながら、恐らく年上であろう美女に慌てて質問するが、そんな暇は与えてくれないようで。
何だかよく分からないまま、オレは美女に着いていった。
寂しいコンクリート部屋を出ると、無機質な冷たい廊下が続いていた。サスペンスドラマとかで見る、雑居ビルみたいな感じだ。
美女はここの事務員なのか、迷う様子もない。
コツコツとブーツの足音が響く。ピンと背筋が良い美女の後ろ姿は、女優みたいだ。靴下で歩くオレが間抜けに見える。
だって仕方ないだろ。家にいる時にあの摩訶不思議な渦が現れたんだ。部屋着のパーカーとスエットパンツは、我ながらダサい。セール品だからと適当に選ぶんじゃなかった。
恥ずかしい。穴があったら入りたい、渦以外で!
だが無情かな。渦に呑まれたオレは、あの木の枝と同じように、グルグルと混乱する運命にあるらしい。
廊下の扉が一ヶ所、中途半端に開いている。部屋から聞こえる話し声と煙草の匂いが、無人ではないと教えてくれた。
その扉の前を美女が普通に通り過ぎ、オレも彼女に続いた直後。
視界の隅に、不穏なものが映って二度見した。
明らかに堅気じゃない方々が、札束を仲良く数えていらっしゃる。
「ヒェッ……!」
「すきま風の真似?」
驚愕か悲鳴か、変な声が喉から鳴った。慌てて自分の口を押さえる。
そんなオレをからかう美女と、扉越しに見える人相の悪い男達という、ミスマッチなツーショットに目眩がした。
あっ、もしかして映画の撮影とかですか。そうだよな。人を見た目で判断しちゃいけないよな。それか銀行の職員だったり……。
「いいか婆さん。明日までに現金300万用意しろ」
……しないですね。完全にアウトな奴っす。
詐欺のテンプレートみたいな脅し文句だ。
渦に吸い込まれたと思ったら、知らない建物に瞬間移動して、そこは悪党の巣。オレはもうパンク寸前だった。メンタルが崩壊する。
「大丈夫。とある学者の通報によって、ここは警察に潰される予定だから」
「あ、い、いや、に、逃げ、見られ……!」
改めて思い返すと酷い。焦り過ぎだろオレ。
インコの方がもう少しまともなレスポンスするぞ。
「逃げる必要はないし、わたし達の存在が連中にバレることもないよ」
「だ、だってこんな、ヤバいアジトを堂々と歩いて……!」
「君はこの世界に存在しない。ここは通過点で経由地だから。君の存在がこの世界に影響を与えることはないの」
「日本語でお願いします」
何を言っているのか意味不明だ。
すると美女は「試してみようか」と笑って、あっさりと部屋の中に入った。
オレは気絶しそうだった。最悪の光景が頭を過るが、さらに信じられないことが起きた。
部屋の詐欺師連中が、美女に気づかない。
というより、見えていないのか。
呆然と立ち尽くすオレに、美女はふっと笑いかけた。ホント、絵になるくらい美人だな。
「要はブラックホールの中なの」
「……は?」
「ブラックホールは、光さえ脱出不可能な重力のせいで空間が歪み、中と外で時間の流れが違う……って、難しいか」
「すんません、オレ理科のテスト20点なんで」
「つまりね、わたし達は高速で目的地に移動中なんだ。だから君の姿は誰にも見えない。見えたとしても上手く認識されない。幽霊や残像みたいにね」
「はぁ……?」
とにかく、このチンピラ達に追いかけられたり口封じされる心配はないらしい。
「君、名前は?」
「紡木……紡木澄です」
「トオル君。君は異世界召喚されたんだよ」
異世界召喚。アニメやゲームではよく聞く単語だ。もちろんオレだって知っている。
でもあれはフィクションだ。異世界なんて、実在しない。
そう思っていたが、現にオレは渦を通って別の場所に移動している。じゃあここが異世界なのか。イメージと大分違うけど。
「君を召喚したのは、この世界の住人じゃないよ」
会話している間に建物を出る。裏路地へ入った美女が空中に手を伸ばした。
すると、見覚えのある光の渦が再び現れた。逃げようとしたオレの腕を、やはり美女が強い力で掴み、問答無用で引っ張る。
「イヤァァァ! ヘルプミー!」
既視感のある台詞を叫びながら、オレはまた光の向こうに突入した。




