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悪女の作戦に助けられました



 爆風が地面をえぐり、火煙が宙を舞った。


 耳が一瞬、音を失ったように静かになる。代わりに鼓膜の奥で、自分の心臓の鼓動が聞こえていた。


「隊列、崩された! 左翼、後退中!」


 伝令の叫びが届く。

 その背後で、敵の魔術攻撃が更に激しくなっていた。

 敵の空挺魔術師が上空を旋回し、いつ降ってくるか分からない


 最初から──おかしいと思っていた。


 補給路は断たれ、地形も不利。こちらの戦力は予定より三割減。


「なぜ、こんな場所を指定された……!」


 怒鳴りたい衝動を押さえ込む。怒鳴る相手はもう後方にいる。あの男──ヴァルターだ。


 状況は、まるであのときの戦術盤のようだ。


 圧倒的な不利。

 逃げ場のない丘陵。

 それでも、リエラは──


「第五分隊、崖上の小路に誘導して。道が細ければ敵の騎兵は展開できない。空挺魔術師の着地範囲も制限される」


「だが、あそこは退路じゃない。ただの袋小路だ!」


「“袋小路”と思われているなら、なおさらよ。敵がそこを追ってくる頃には、別の道が開く」


「……何?」


 リエラが小さく頷いた。

「三時間後、後方の偵察隊が斜面の迂回道を開けるはず。そこから脱出して、川を越える。私たちがここで粘れば──“全軍壊滅”の報告は、“壊滅寸前での生還”に書き換えられるわ」


 その言葉を聞いた瞬間、

 レオンの脳裏に、あの盤面がよみがえった。


 あの“引き分け”戦──

 補給なしの撤退戦を、リエラは盤上で完璧に再現してみせた。

 いや、あれは「再現」ではなく「予行」だったのか……?


「……クソッ、こっちが使われてるのか、あの時から……」


 そう思ったはずなのに、口の端が、わずかに上がっていた。


 あの盤上の戦術を、ここで活かすなら──

 少なくとも、“全滅”は避けられる。


「全中隊に通達! 隊列を再編、撤退行動に移る! 指揮権は俺が握る、リエラは戦線維持と陽動を!」


 頬に髪を張り付けながら、リエラは微笑んだ。


「よろしくて。ようやく、あなたも“使われる”覚悟ができたようね」


「構わない、使われてやるよ。最優先は一人でも多く生還することだ」





 川を越えた頃には、兵たちの足取りも泥に沈みきっていた。

 誰もが生き延びたことに安堵し、ほとんど倒れ込むように座り込んでいた。


 だが、レオンはただ一人、リエラの姿を目で探していた。


 彼女は、すでに焚き火の傍で野戦地図を広げていた。


 まるで、「予定通り」とでも言わんばかりの落ち着きで。


「……なあ」


 レオンは、隣に腰を下ろして問う。


「このルート。なぜ知っていた。迂回道の存在、三時間後に偵察隊が開けるってことも。何もかも──事前に想定してたみたいだったな?」


 リエラは、手を止めずに地図を整えながら言った。


「あの迂回道? 確信はなかった。でも、こうなる確率が高いとは踏んでいたのよ」


「……あの盤上での撤退戦は、最初からこの実戦のために仕込んでいたのか?」


 ふむ……と、リエラは唇に人差し指を当てる。


「私が事前に情報を得ていたか、それとも、この状況自体が誰かの仕込みだったか……どちらが、あなたにとって都合がいい?」


 リエラは、かつては情報戦に特化した夜鴉部隊に所属していて、部隊長クラスですら知らない情報網を持っていると噂されていた。


「……どういう意味だ」


 リエラはふと手を止め、火に照らされたその瞳だけを、レオンへと向ける。


「この任務。上層部は失敗して当然だと考えていた。補給線も杜撰、地形選定も不自然。あまりに多くの“不自然”が重なりすぎてる」


「つまり、師団長は最初から俺たちを──」


「あら、”死地へようこそ“なんて言っていた割に、覚悟が足りなかったんじゃなくて?」


「意外だったわけじゃない。確認しただけだ」


「捨て駒として置いたか、予想外の成果を拾える駒として期待したか。いずれにせよ、これは“選別”の舞台よ。少なくとも私があの狸だったらこれくらいのことは普通にやるわね。むしろ甘いくらいよ」


 リエラは地図を畳むと、焚き火の炎のなかへ放った。

 紙は一瞬で赤く燃え、空に舞った。


「俺だけならまだわかる。だがリエラ、君を捨て駒にするのは師団全体の損失じゃないのか?」


「あら、私のために怒ってくださるの?」


 その屈折した口調に、レオンは言いようのない苛立ちを覚えた。自分の命を平気で差し出すようなリエラの言葉が、どうにも許せなかった。


「そんなんじゃない。俺にだって時には誰かを切り捨てなくてはならないこともわかっている。だが、有能な人材を持て余して使い捨てるのは、単に上が無能ってことだ。違うか?」


 リエラは長く濃い睫毛を瞬かせた。吸い込まれそうな濃い紫の瞳がこちらを見上げてくる。


「ずいぶんと高く評価してくれるじゃない?……そうね、不本意だけど……たぶん同族嫌悪なんじゃない?」


 リエラが小さく肩をすくめる。


「好き嫌いで追い出していい組織じゃない。いい歳して、子どもか」


「……そう簡単に追い出されてあげる気はないわね。今度は、こちらが盤面を作る番」


「盤面を作る……?」


「そう。今までは、敵にも味方にも置かれる駒だった。でも、あなたが私を使う覚悟があるなら今度はこっちが状況を作るのよ」


 その言葉に、レオンは少しだけ苦笑した。


「本当に俺が使ってる側なのか、怪しくなってきたけどな」


「ふふ。いいじゃない。使われるふりをして、実は司令官を使いこなすのが参謀の仕事よ。これも適材適所。そうじゃなくて?」


 どちらが使う側なのか、そんなことはどうでもいいように思えた。年甲斐もなく浮き立つ心。

 リエラとなら、負ける気がしない。

 共に死線を潜り抜けたせいか、この短期間でリエラへの印象はだいぶ変わった気がする。

 もちろんそれは「味方であるうちは」という限定的なものだったが。

 


 再編成された部隊が新たな命令を受けたのは、前回の作戦からわずか二週間後だった。

 前線よりもさらに敵地深くへの浸透任務。しかも、情報の下調べも曖昧なまま、異様に“急かされた”命令だった。


「明らかに急ぎすぎてる。ヴァルターの“成果の欲しがり方”が露骨だな」


 レオンはその報告書を卓上に叩きつけるように置いた。


 リエラは表情一つ変えず、資料を流し読みしていたが、やがて一つ溜息をついた。


「分かりやすいわ。焦ってるのは間違いない」


「……あの狸が?」


「ええ。私たちが“生きて戻った”ことが、きっと誤算だったのでしょう」


 そのとき、リエラの手が書類の一枚を抜き出す。


「この地形。河を挟んだ峡谷で、両岸に崖。戦術的には最悪よ。逃げ道もなく、制空権を取られたら詰み」


 レオンは苦く笑った。


「また俺たちを捨てる気か……」


 リエラは、ふっと口元を綻ばせた。


「こんなにあからさまなんてご親切にねぇ。これはやるしかないじゃない?」


「やるしかない、って何をだ?」


 リエラは戦術盤を取り出した。

 盤面に、峡谷と河、敵の仮想布陣が浮かび上がる。


「仕掛けましょう。敵だけじゃない。味方にも、仕掛けるのよ」


「味方……ってことは、ヴァルターにも?」


「ええ。“期待される成果”を、私たちの都合のいい形にして差し上げるの。ついでに、“失敗”の責任は向こうに被せる形でね」


 リエラの指先が、駒を一つずつ配置していく。

 戦力の偽装、報告の遅延、敵誘導用の撹乱部隊。


「こっちは敵に負けたふりをして、ヴァルターに“勝利”を見せる。でも、その勝利の裏には──彼の不正が隠しきれなくなる種が埋まっている」


 レオンは唖然としながら、それでも笑った。


「不正、ね……お前、何をつかんでいる?」


 リエラは盤面を見つめながら、静かに答えた。


「現在進行形で行われている不正を可視化すればいいだけのことよ。まだ種でいい。でももしあの狸が変わるつもりがないなら、それが芽を出すようにすればいい」


「何年かけるつもりだ?」


「何年でも……でもあちらの焦りを考えるなら、そんなに長くはかからないかもね」




 その峡谷は、確かに“絶好の捨て場所”だった。


 両岸にそびえる断崖、逃げ道は河の両端のみ。

 しかも、事前の補給地点は壊され、敵の空挺部隊が展開しているのも分かっていた。


「状況は最悪……だが、それも予測通り」


 レオンは崖上を見上げながら、耳に仕込まれた通信水晶に囁いた。


 《リエラ、始めるぞ》


 《ええ。舞台は整っている。さあ、演じてちょうだい》


 その合図とともに、レオンは前衛に伝令を走らせる。


「第一、第二分隊は崖下で足止め! 第三、第四は西岸へ撤退誘導! 全軍“退却準備”!」


 兵たちが一瞬ざわめく。退却の判断があまりに早すぎるのだ。だが、それが狙いだった。


 “早すぎる撤退”は、敵の自信を膨らませる。追撃を促し、余計な詰めを甘くさせる。リエラの意図が手に取るようにわかった。


 実際、敵は勝ちを確信して追ってきた。


 そして――その追撃の最中、峡谷の東側の崖が一部、音を立てて崩れた。


 時限魔術を仕込んだ地点。リエラが「偶然」を装って手配した地形工作だ。


 土砂に巻き込まれた騎兵部隊は一部壊滅。後続は迂回を余儀なくされ、隊列が乱れる。


 そこへ、待機させていた伏兵が一斉に強化を乗せた距離攻撃を降らせた。

 このあたりは灰中隊の十八番だ。個々の火力は特別強くある必要はない。場面によっては強すぎる火力が邪魔になることだってある。


 「撃てッ!! まとめて潰せッ!!」


 レオンの号令が響く。

 崖下で崩された敵は混乱し、撤退を開始──しかしそれもまた“演出”だ。


 《被害状況を誇張して報告。勝利報告が届く前に、ヴァルターに“決定的に遅い支援要請”を送って》


 《了解。あいつの言い訳を先につぶしておく……》


 全てが、順調に“失敗したように見える”段取りで進んでいた。


 崖の崩落に見せかけた待ち伏せ。

 味方が“追い詰められた末の辛勝”に見えるよう、負傷者の数も帳簿上だけ多く。

 さらに、支援要請が届く頃には、既に“任務は終了”している。





 ヴァルター・グリムは報告書の束を、冷えたコーヒーと共に机へ叩きつけた。


「……なぜ、生きて戻ってくる」


 彼の前に積まれた書類には、戦果報告、部隊の帰還報告、そして救援要請の記録が揃っていた。

 どれも辻褄は合っている。だが――完璧すぎた。


「敵空挺部隊の奇襲、地形崩落による戦線崩壊、それを押し返しての帰還……? あれほど補給線を潰しておいたにも関わらず?」


 彼は報告書の一枚をめくった。

 そこには、手書きで添えられた戦術図。伏兵、崩落、誘導、そして制圧。妙に均一な戦果のタイムスタンプ。

 “まるでシナリオ通り”だ。むしろ、シナリオ通りすぎる。


「……あの女、黒の災厄。何を仕掛けた……?」


 そもそも、レオンとリエラを組ませたのは、どちらが先に潰れるかを見るためだった。

 異質な二人、共鳴すればよし、共倒れすれば処理しやすい。

 いずれにしても“魔術師団内の序列と秩序を揺るがす要素”として、片づけるつもりだった。


 だが現実は──


「……成果を挙げすぎている」


 報告の中には、敵将の討伐、補給拠点の発見、敵情報網の一部破壊といった“余計な成果”も含まれていた。

 あくまで撤退戦のはずが、結果だけ見れば局地戦での完勝に等しい。


 そして、なぜか救援要請は届いていない。

 いや、届いてはいたが、時刻が“戦闘終了後”になっていた。こちらが動く余地を潰された形だ。


「──まさか、わざとか?」


 ヴァルターは、わずかに冷や汗を感じていた。


 黒の災厄。

 あの女ならやりかねない。こちらの意図から、全て読まれていた可能性すらある。


 そしてレオン・アークライト。

 そこそこ優秀な、だがごくありふれた中庸の魔術師だと思っていたが、今や“現場を動かす指揮官”として名が上がり始めている。

 寄せ集めどもめ……奥歯がぎしりと鳴った。


「やつら、まさか……」


 ヴァルターは立ち上がった。

 資料をしまう手が、僅かに震えていた。




 

 

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