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悪女を押し付けられました


 魔術師団という組織において、「人事異動」はたいていロクな意味を持たない。


 戦果を上げた者が出世するのではない。目障りな者が最前線に飛ばされるのだ。


 そして、今まさに俺──魔術師団の中で、灰中隊を率いるレオン・アークライトは、その目障りな者になったらしい。


「……は?」


 差し出された書状の文字を、もう一度読み返す。


 ──〈参謀リエラ・グランヴェールを貴隊に配属する。以後、共同して任務に当たれ〉


 たったそれだけの文面。だが、そこに書かれた一行は、魔術師団に身を置く者なら誰もが青ざめる情報だった。


 リエラ・グランヴェール。


 “黒の災厄”。


 その名を耳にするだけで、胃を押さえる幹部が何人いるだろう。


 才知、容姿、口舌、策略、忠誠──その全てが超一級。

 そうでありながら、彼女の周囲にはなぜか常に“敗者”が転がる。

 指揮系統を飲み込み、上司を転がし、部下を使い潰しながら、ただひとり、微笑んで勝利の中央に立っている悪女。


「……なにかの、間違いでは?」


 目の前で書状を差し出した男──魔術師団師団長、ヴァルター・グリムが、いかにも丁寧な笑みを浮かべて答えた。


「いや、これは君にとっても成長の機会だよ、レオン君。彼女の知恵と君の判断力……組み合わされば、極めて有用な戦力になる」


 そう言う彼の瞳は、笑っていなかった。


 成長の機会、ね。


 使い潰したいだけじゃないのか。俺も、あの女も。


「それに──彼女を扱えるかどうか、それも君の器量というものだ。……期待しているよ」


 その瞬間、俺は悟った。


 これは“昇進のための試練”なんかじゃない。


 これは“処分”だ。


 そしてその処分は、恐ろしく上品に、巧妙に、絶望的に仕組まれている。


 リエラ・グランヴェール──

 俺がこれまで避け続けてきた名が、今、俺の人生の中央に置かれようとしている。


 そもそもこちらに拒否権などない……悪女だろうがなんだろうが、そっちがそう来るなら、受けて立つしかない。


 逆に、こっちがこの女を使ってみせる。

 誰も手懐けられなかったというのなら、俺が“味方”にしてやる。


 俺は一礼して師団長室を辞した。


 俺が隊長を務める灰中隊(アッシュ・ユニット)は器用貧乏の集まり、と揶揄されることもある隊だった。

 俺とて純粋な火力でいったら師団内では中の上といったところだ。

 攻撃力の強さを誇る紅雷隊、要塞戦に強い防御特化の蒼壁隊にあぶれた、バランス型といえば聞こえがいいが、これといって特筆することもない魔術師の寄せ集め――そんな隊がここのところ成果を上げているのが気に食わない、そういう奴等がいたっておかしくない。


 そんなところに配属とは、あの女にとっても本意ではないかもしれないが、だが――

 

 定刻のきっかり五分前、リエラ・グランヴェールは、俺の隊舎の扉を叩くことなく開けた。


 まるで、そこにいるのが当然だとでも言うように。


「ごきげんよう、アークライト隊長。これからしばらく、お世話になるわ」


 その声音は、いつもどおりの──“挑発を丁寧に包んだ飴菓子”のようなものだった。

 癖のない腰までの黒髪を後ろで一つに束ね、一分の隙もなく隊服をきっちりと着た彼女は俺の机の前で一礼する。


 机に肘をついたまま、俺は眉ひとつ動かさずに答えた。


「やあ、死地にようこそ──なんて言うと角が立つか。

でもまあ、俺も処分品扱いだ。立場は似たようなもんだろ?」


 リエラの唇が、わずかに弓のように反った。


 「処分だなんて、ひどい言い草ね。私たち、とても有望な戦力だと思われてるのよ? お互い、ちょっとばかり目立ちすぎた結果、だけれど」


「“ちょっとばかり”で済めばな」


 リエラはにっこりと笑った。


「で、俺に配属されたってことは、あんたの作戦も、今後は全部こっちの戦力で動かすってことか?」


「ええ、できる範囲でね。でも心配しないで。私、指揮権を乗っ取る趣味はないの。利用価値がある限りは」


 俺は立ち上がり、棚から戦術盤を取り出すと、彼女の前に置いた。


「じゃあ、改めて。お手並みを見せてもらいたい。模擬戦といこうじゃないか」


 あら、久しぶりね、とリエラは笑った。

 これまで何度も見た、その自信に満ちた、“負けたことのない女の”笑みだった。


「望むところよ。せいぜい、裏の裏の裏まで読んでちょうだい、アークライト隊長」


 それが、俺と“悪女”リエラの、戦いの幕開けだった。


 戦術盤──

 戦場を模した魔術制御型立体地図で、戦力配置・補給線・地形条件などを読み合い、軍略の腕を競うための訓練装置。

 俺とリエラは、その盤の上で過去に幾度も対戦してきたが、一度も勝ったことがなかった。

 いや、そもそもリエラに勝ったことがある者は魔術師団内にはいなかった。

 それでも、仮にもこちらの指揮下で動いてもらうのだ。そう情けない姿を見せるわけにもいかない。

 周りで固唾を飲んで見守っている隊員たちの手前も。


「こちらは次の実戦の敵陣を想定する。歩兵千二百、騎兵三百、空挺魔術師二十。しかも丘陵地帯の制圧からスタートだ。これにどう立ち向かう?」


「……うへぇ、これはまた。隊長、アレ本気でやる気ですよ?」


 と後方から副隊長の呟きが聞こえる。


「あなたの……いえ、私たちの隊を想定してってことね。いいわ。面白いじゃない」


「条件はあんたが設定していい」


 リエラは嬉しそうに頷いた。

 まるで「そうこなくっちゃ」と言わんばかりに。


「良いわ。戦争なんて、最初から平等じゃない方がリアルよ。さあ、始めましょうか」


 盤面が発光し、駒が自動的に配置されてゆく。リエラが設定した条件が、そのまま戦況に反映された。


「……何を、」


 あまりにも常識外れな配置に息をのんだ。

 リエラの戦力は、歩兵五百、騎兵なし、魔術支援一個小隊。補給は……なし


「補給も寄越さない上層部って、わりとよくある話でしょ?楽しそうな設定だと思わない?」


 



 戦闘が始まって十五分。


 順当にいけば、仮想灰中隊は二十手も持たない。補給線がない時点で戦線維持は不可能だ。

 だが──リエラはまるで、その“敗北”すら利用するように、軍を後退させ、陣を引き、陽動に陽動を重ねて、戦線を伸ばしてくる。


 「……これは」


 決してリエラを甘くみていたわけではない。手を抜いたわけでもない。

 しかし俺が動かす部隊が前進するほど、補給が伸び、地形の優位が消えていく。

 魔法か、と思うほど鮮やかに。


 そして二十手目。

 盤面に“引き分け”の表示が浮かび上がった。

 灰中隊は完全撤退に成功。損耗も甚大だったが、指揮官の“生還”が条件を満たしていた。


 「“撤退戦”……しかも最初からそれを計算に入れていたな」


 「そうよ。“勝てない戦”を引き分けに持ち込めるなら、それは戦術として成功なの。負けるよりずっといい」


 「だが、完全勝利じゃない」


 「ええ。だけど、これを“勝利”と見なす誰かの目線に慣れておいて。現実はそういう戦ばかりよ」


 その言葉が、どこかに刺さった。




 ──それから数日後、

 実戦の前線で、俺は見た。

 地形も補給も、すべて敵に握られた戦場。

 そして、リエラの“奇妙に整いすぎた撤退戦”の作法。


 「……どこかで、見た展開だ」


 あのときの戦術盤の手筋が、現実に転写されている。

 まるで最初から、ここに来ると知っていたような振る舞い。

 彼女は“負け筋の中での最善”を、あらかじめ用意していたのだ。


 

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