10話 冷酷執事が許してくれるわけがない
平穏な高校生活を望む元中二病・真城一真。
登校初日、彼は生徒会長であり、久遠家の執事でもある“久遠理鶴”から、理鶴の義妹であり彼のクラスメイトでもある中二病令嬢“久遠小雀”の更正を命じられる。
手段は――一真の過去の黒歴史動画。
脅される形で始まった小雀の更正係だったが、接触の中で一真は、小雀を傷つけてしまう。
無慈悲にも、タイムリミットの金曜日がやってきた。
一真は覚悟を決め、生徒会室へと足を運ぶ――。
生徒会室の前に立つのは、これで二度目だった。
前回はドアに手をかけようとした瞬間、音もなく扉が開いた。
まるでこちらの気配を読み取ったかのように――あのときは。
しかし、今回は違う。
目の前の扉はただ静かに、そこにあった。
(……あれ?)
少しの違和感を覚えながら、俺はゆっくりとドアノブを回す。
――きぃ、と金属がこすれる音とともに扉が開いた。
「失礼しま――」
声をかけかけて、言葉が途切れた。
生徒会長――久遠理鶴は、机に肘をつき、あごを支えるように座っていた。
普段の、隙のない所作はそこにはない。
まるで魂が抜けたかのように、ぐったりとしていた。
「……どうかしたんですか?」
俺の問いに、理鶴は顔を少しだけ上げた。
「いや。少しな……」
それだけをぽつりと言い、また沈黙。
普段の彼女からは考えられないほど、力が抜けている。
(今なら、問い詰められずに帰れるんじゃ――)
かすかに芽生える希望。
「じゃ、じゃあ俺、体調悪そうですし、今日はこれで――」
さっさと帰ろうと一歩踏み出したその瞬間、理鶴がピクリと動いた。
スッと顔を上げ、目の前にいつもの冷静さを取り戻した“いつもの久遠理鶴”が戻ってくる。
「……すまない。今の私は忘れてくれ」
声のトーンが変わった。次の言葉を予想し、俺は心の中で軽くうなだれる。
(……ああ、やっぱり無理だよな)
「さて、では本題に入ろう。お嬢様の更生――“進捗”を聞かせてもらおう、真城一真」
ずしりと、圧が落ちてくる。
(……やっぱり来たか)
覚悟していた問いだった。問題は、それにどう答えるかだ。
金曜までに成果を出せと言われていた。
にもかかわらず、目に見える成果は何も残せていない。
それどころか、昨日――小雀を泣かせたしまったのだ。
この状況で嘘をつくのは不可能だ。この人相手なら尚更。
だから俺は――正直に言った。
「……すみません。正直、全然うまくいってません」
素直に頭を下げた。
理鶴は少し黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……そうか。仕方ないな」
(……え?)
あっさりしすぎていて、逆に怖い。
厳しく追及されると思っていたのに、あまりにも拍子抜けだった。
しかし、その時一真は理鶴のとある一言が脳裏に過る。
(……久遠家は“感情”ではなく、“事実”で動く)
つまり、この“仕方ない”は、許されたわけではない。
――「処分」に進む前の、ただの確認作業にすぎない。
理鶴は、久遠家は、あの動画をためらいなく使ってくる。
俺は焦りのまま、反射的に声を上げていた。
「ま、待ってください! まだ手はあるんです! 月曜まで……月曜まで待ってもらえませんか!」
藁にもすがる思いだった。
でもその言葉に、理鶴の眉がわずかに動いた。
「……策があるのか?」
「……たぶん。いや、あります。ありますとも」
勢いだけで言ってしまったが、もはや止まれない。
理鶴はしばらく俺を見つめ――やがてふっと目を伏せた。
「……いいだろう。月曜日の“報告”、楽しみにしている」
(……あれ?)
その言い方が、引っかかった。
“仕方ない”でもなければ、“猶予を与える”でもない。
“楽しみにしている”――その声はどこか、優しさと諦めが混ざっているように聞こえた。
(……なんなんだ、この人)
俺は謎の違和感を覚えたまま、生徒会室を後にした。
そして、土曜日の夕暮れ。
あの“事件”の舞台となった広場の近く、久遠家の別邸の門前に――俺は立っていた。
手には、手作りの杖。
指には、銀の指輪。
そして当時とは異なるが黒のローブを羽織って。
(これだけは、あまりやりたくなかったんだけどな……)
でも、今はこれしかない。
(久遠小雀。彼女の中二病の“師”が、過去の俺だったのなら――)
(その“師”が、自分の中二病を真っ向から否定したら……彼女もきっと......)
でも、今からする行為――それは、たぶん、彼女自身を否定することになるかもしれない。
それに、きっとどこかで気づいていた。
でも今は――そんな葛藤を脇に押しやってでも、俺は俺の平穏を守らなきゃいけない。
結局俺は、この期に及んで自分の事しか考えない、クズだったってことだ。
そう思っても、もう立ち止まることはできなかった。
ローブが、夜風に揺れる。
俺は覚悟を決めた足取りで、久遠家別邸の門を、くぐった。
最後まで読んでいただき心の底からありがとうございます。
3幕構成で書いており、1幕までは毎日投稿予定です。
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