台南生え抜きの女子中学生達に出された俳句の宿題
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Ainova AI」を使用させて頂きました。
私こと曹林杏、在籍する台南市福松国民中学では日本語を第二外国語として履修しているの。
台湾華語と日本語とでは色々と違いはあるけれども、先生の丁寧な教え方と一緒に受講しているクラスメイトの助力に支えられる形で毎回楽しく受講しているよ。
だけど今回の授業で出された宿題には、少し手を焼いちゃっているんだよね。
「そろそろミニレポートの課題が出る頃だとは思っていたけど、まさか詩の創作とはね。『一人につき最低一首、春の季語を盛り込んだ俳句を詠むように。』だって。上手く出来るかな?」
夕日に染まる通学路を進みながら、私は軽く肩を竦めたの。
地元民や国内外の観光客によるエネルギッシュな喧騒も、路地の屋台や表通りの飲食店から漂ってくる八角の芳香も、今日に限ってはまるで気にならなかったね。
それだけ私は、今回の俳句の宿題に悩まされていたって事なんだろうな。
そんな私に頷いてくれたのは、一緒に下校していたクラスメイトの王珠竜ちゃんだったの。
「日本の俳句は五七五の十七文字だから、字数だけなら普段のミニレポートよりも遥かに短いけど…母国語以外の言語で詩を詠むって考えたら、確かにハードルが上がっちゃうよね。」
どうやら珠竜ちゃんも、今回の宿題に相応のプレッシャーを感じていたみたいだね。
それに同調する形で口を挟んできたのは、もう一人のクラスメイトである菊池須磨子さんだったんだ。
「然りだね、珠竜ちゃん。そういえば私のお父さんも、高校の漢文の授業で漢詩を作った時には随分と苦戦したらしいよ。二昔前の日本の高校生も今の私達も、その辺の苦労は同じなのかも知れないね。」
この一言からも分かるように、菊池さんは日本人のお父さんと漢族系本省人のお母さんを持つハーフなんだ。
如何にも日本人っぽい「菊池」という苗字も、お父さんから引き継いだ物なんだって。
だけど菊池さん本人は生まれも育ちも台南市だから、日系二世というよりは漢族系本省人としての意識の方が強いみたいだね。
だから日本語や日本文化も「異文化」として勉強しているんだけど、その根底には「父の故郷にして若き日の両親の思い出の地である日本への理解を一層に深めたい」という思いがあるんだって。
まあ、それは珠竜ちゃんも同じなんだけれどね。
会社の日本法人に駐在員として単身赴任した経験のあるお父さんと日本の大学への進学を決めたお姉さんの影響もあり、珠竜ちゃん自身も筋金入りの哈日族なの。
菊池さんのお母さんも若い頃は日本の大学に留学していたらしいから、その点でも珠竜ちゃんのお姉さんとは気が合うだろうね。
一家揃っての親日家の珠竜ちゃんと、日系二世の菊池さん。
そんな二人ですら苦戦している宿題なのに、至って普通の台南っ子に過ぎない私が及第点を貰えるのだろうか。
不安は募るばかりだよ。
だけど出さなきゃ成績に響いちゃう訳だし、こうして未知の分野に挑戦するのも勉強の一環だよ。
そうして二人のクラスメイトと別れた私は家路を辿りながら俳句のネタ探しに勤しんだんだけど、なかなか良い句が浮かばないんだよね。
こんな時は、御先祖様の事が羨ましく感じられるよ。
私の一族である曹氏は魏の創始者である曹操の末裔なんだけど、血筋としては曹操の五男坊である曹植の流れを汲んでいるみたいなんだ。
そんな曹植は「建安の三曹」に数えられた優秀な詩人で、七歩歩く間に詩を詠む事が出来たそうじゃないの。
今日でも「七歩吟」と呼ばれて語り継がれている当意即妙の発想力と表現力が私にも遺伝していれば、俳句の宿題なんて朝飯前だろうな。
或いは清朝末期の義和団みたいに、御先祖様である曹植の魂を私の身体に憑依させる事が出来たなら…
って…いけない、いけない。
こんな事を考えていたって、俳句が出来る訳が無いじゃないの。
仮に曹植の魂を私の身体に降ろせたとしても、三国志の時代を生きた人に日本の俳句を詠ませるだなんて無茶振りも甚だしいよ。
やっぱり、自分の力でやるしかないんだろうね。
しかし、こうしてアレコレ考えながら帰宅したのが仇になったのだろうね。
「おっと、いけない!」
帰宅したのも束の間、私は軒下で干していたニンニクの籠を蹴飛ばしてしまったんだ。
「もう、林杏ったら!困るじゃないの…」
「ゴメン、お母さん!つい、ウッカリ…」
慌てて頭を下げながら、私は散らばったニンニクの実を拾い集めたんだ。
私の家に限った事じゃないけど、春先の今時分になると何処の家でも軒下や道端でニンニクを乾燥させるもんだから、足元には気を付けないといけないね。
要するに、こうして干してあるニンニクは台湾の春の風物詩である訳で…
「そっか…良し、閃いた!」
古人曰く、「人間万事塞翁が馬」。
ニンニクの入った籠に躓いたのは災難だったけど、そのお陰で俳句の宿題の目途が立ったんだから御の字だの。
「ちょっと、林杏!いきなりどうしたっていうの?!そんな大声出しちゃって…」
そのせいでお母さんを驚かせちゃったんだから、世話は無いけど。
こうして無事に宿題を完成させた私は、至って穏やかな心持ちで日本語の選択授業に臨んだんだ。
珠竜ちゃんや菊池さんの二人も無事に提出出来たみたいで、本当に何よりだよ。
「成る程、『阿里山の 山麓染めし 八重桜』ですか。確かに桜は日本においても、春の季語として昔から親しまれておりますね。綺麗に纏まっていますよ、王珠竜さん。」
黒板に貼り出した短冊を笑顔で指し示す先生の解説を、当の珠竜ちゃんは実に誇らしそうに聞いていたの。
「ありがとう御座います、夏侯先生。テレビの紀行番組を見ていて、『これしかない!』と思ったんですよ。」
応じる声もいつになく饒舌だし、内心は凄く嬉しいんだろうな。
「続いて、『潤餅を 食べて臨むは 春墓参』と…これは菊池さんの俳句ですね。それでは菊池さん、作者解題をお願いしますよ。」
「はっ…はい!」
珠竜ちゃんとは対照的に、菊池さんったら随分と緊張しているなぁ。
まさか当てられるとは思っても見なかったんだろうね。
「ええと…今回の週末を利用する形で、母方の御先祖様のお墓参りに行ったんです。その時に御祖母ちゃんから潤餅の限定メニューを買って貰った事が特に印象的でして、その…」
先生に当てられた時の答えを用意してなかったのか、或いはプライベートな話題に触れる事になって照れ臭いのか。
理由は定かじゃないけど、菊池さんの目は完全に泳いでいたんだ。
きっと頭の中は「早く終わらないかな…」という考えで一杯なんだろうね。
「ありがとう御座います、菊池さん。もうすぐ清明節。菊池さんと同じように、御家族と一緒に御墓参りをされる方も多い事でしょうね。それでは最後に紹介する一句は、詠み人自ら朗読して頂きましょうか。曹林杏さん!」
「えっ…?あっ、はい!」
慌てて立ち上がったは良いものの、私も「まさか当てられはしないだろう」と完全に油断していたから驚いちゃったよ。
「それでは詠ませて頂きますね。え〜、『ニンニクが 干される春の 通学路』と…今の時期になりますと、何処の家もニンニクを干していると思うんです。私の家でも、前もって買い置きしたニンニクを籠に入れて軒下で干しているんですよ。それで籠に入ったニンニクを見かけると、『ああ、今年も春が来たなぁ…』ってシミジミ感じるんですね…」
もう聞かれる前に洗いざらい話して、それで持ち時間を使い切っちゃおう。
この時の私の頭の中には、それしかなかったんだ。
たとえ先生に何か質問されたとしても、上手く解説出来る自信なんて微塵もない訳だからね。
だからこそ、先生の一言には驚かされたんだ。
「そうした日常の一コマから季節の訪れを感じ取り、素直に表現する。それは正に俳句の醍醐味の一つと言えますね、曹林杏さん。」
「ええ…あっ!ありがとう御座います、先生!」
褒められるとは思ってもいなかった所に、これだからね。
嬉しいやら信じられないやらで、もう感情の処理が追いつかないよ。
「菊池さんが潤餅で林杏さんがニンニクかぁ…うちのお姉ちゃんが聞いたら、ニンニクの効いた肉鬆を巻いた潤餅で一杯やりたくなるだろうね。」
「それで八重桜を眺めながら飲んだら、私達三人の俳句を全部満たした事になるね、珠竜ちゃん。私達三人でやるなら、本物じゃなくてノンアルコールビールになっちゃうけど。」
改めて考えると、二人とも凄い会話をしてるなぁ。
せっかくだから、私もご一緒させて貰うけど。
いずれにせよ、あの時もしも軒下のニンニクを蹴飛ばさなかったなら、今頃こうはなっていなかったのかも知れないね。
そう考えると、ニンニクを干してくれていたお母さんには感謝だよ。