始紫伝4
授業が終わっても、白羽星理亜の周りは賑やかだった。クラスメイトたちはプライバシーに配慮しながら、彼女にいろいろと質問し、楽しげに話し込んでいる。星理亜は転校生としてのぎこちなさを見せることなく、柔らかな笑顔で応じていた。その笑顔に、どことなく謎めいた雰囲気を感じさせるのは、彼女の落ち着きすぎた振る舞いと、やや大人びた目のせいかもしれない。
一方、窓際後方の席では、写世はその様子を眺めていた。紫銀はクラス委員長の役目されている学級日誌を書いていた。彼らの静かな時間と、教室中央の賑やかな様子とのコントラストが、妙に教室の中を区切るような感覚を生んでいた。星理亜の席は教室の真ん中の後にあるため、自然と周りに人が集まっている。
「さすが、転校生やな」
写世が転校生である星理亜の周囲の様子を見ながら、ながしみじみと呟く。
「んー、そうだな」
紫銀は黙々と学級日誌を書いている。学級日誌は今日の出来事を簡潔にまとめるためのもので、それ以上に感情を込めることは必要ない。淡々とペンを走らせる彼の姿は、表情こそあまり変わらないが、クラス全体の状況を冷静に観察しているようにも見える。
「ん?委員長、何を書いてんや?もしかして、あの転校生へのラブレターか?さすが委員長、早いな」
写世はにやりと笑いながら紫銀に声をかけた。その言葉に、一瞬だけ紫銀の手が止まる。彼はシャーペンを握り直し、冷静に返答する。
「違う。学級日誌」
その言葉に、写世は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにまた笑い出す。
「そっか。委員長専用の特別任務やな」
写世が冗談めかして言うと、紫銀は軽く肩をすくめながら淡々と答える。
「まあ、そんなところかな」
二人の静かなやり取りが続く中、そこへ世依奈が元気よくやってきた。彼女はまるで教室全体を軽やかに跳ね回る小動物のように、元気いっぱいの足取りで紫銀の席にたどり着く。
「紫銀君、何を書いてるのー?」
世依奈が問いかけるが、紫銀は顔を上げないまま返事をする。
「学級日誌だよ」
「えー、ほんとに?あ、もしかして!」
世依奈が突然何かに気づいたように声を上げる。その声に、紫銀はやや警戒心を抱きながら彼女を見た。
「学級日誌って言ってるけど、実は秘密の日記じゃない?」
世依奈がニヤニヤしながら紫銀をからかうように言った。その言葉に、写世もまた興味を示し、にやりと笑っている。
「……なんでそうなるんだ」
紫銀が一瞬手を止め、呆れた顔を見せる。彼女の言葉にどこかあきれつつも、内心では彼女の無邪気さに和む部分もあった。
「だって、委員長って、そういうの持ってそうじゃん?秘密の作戦とか考えてそう!」
世依奈が冗談半分に言い放つ。彼女の軽口に、紫銀は思わず苦笑を浮かべる。
「だから、ただの学級日誌だって」
「じゃあ、白羽さんに渡すラブレターは明日だね!」
世依奈が得意げに言う。紫銀は再びため息をつき、やや疲れた表情を見せる。
「もう、なんでそうなるんだよ……。」
そんなやり取りの中、教室の他の生徒たちも少しずつ二人に注目し始めた。次第に集まりだしてきた周囲の視線を感じながら、紫銀は静かに世依奈に言った。
「世依奈」
「んー?」
「世依奈と後ろのバカがいると疲れるから、自分の席に戻れない?」
「んー、むーりー」
「いやいや、無理って……」
紫銀が困惑しながら言うと、世依奈は指で自分の席を指した。
「ん」と言って指さす先には、彼女の席があった。
紫銀はその様子を見て「あー」と理解したように小さく声を漏らす。
「そりゃー、あかんわ」
写世も状況を理解し、苦笑いを浮かべる。世依奈の席は、星理亜の左隣だった。クラスメイトたちが転校生を囲んで話し込んでいるため、彼女の席に戻るのは確かに困難だった。
しかも、戻れたとしても落ち着けないだろう。
「ね。戻れないの」
世依奈が再び紫銀に向かって言うと、紫銀は少しため息をついてから言った。
「なら、あれだ。君もあの中に入って白羽さんと仲良くなるしかないだろ」
「えー。やーだー」
「やだって……クラスメイトなんだから、少しくらい話しかけてもいいだろ?」
「人、多い。むーりー」
そのやり取りを横で聞いていた写世が笑いながら口を挟む。
「やけどさ、次元はん?転校生はんの名前、ちょっと似てへん?」
「ん?世依奈と……」
紫銀が世依奈を指差しながら、
「星理亜……あー、言われてみれば、確かにそんな感じがするな」と考え込む。
写世の観察眼に感心した様子で、しばし彼はそのことについて考えを巡らせる。
「まさか、私が知らないだけで、実は遠い親戚説?」
世依奈が冗談交じりに笑う。その冗談に紫銀は軽く笑いながら答えた。
「ないない。そもそも、もしそうなら界乃さんが絶対に教えてくれるだろ」
「だよねー。でもさー、立ってると疲れちゃうんだよねぇ……」
世依奈はそう言いながら、近くの椅子をちらっと見る。その行動に気づいた紫銀は、やや警戒しながら彼女の動きを観察する。
「いや、まさか……」
紫銀が言いかけたその瞬間、世依奈は勢いよく紫銀の膝にドカッと座った。教室の騒音が一瞬止まったように感じた。
「ちょ、ちょっと!教室だぞ!」
紫銀は慌てて声を上げるが、世依奈は全く気にしない様子でにこにこと笑顔を浮かべている。
「だって、疲れたもん」
世依奈は軽く笑いながら言う。紫銀は困った顔をするが、彼女を押しのけることもできず、そのまま座らせておくことにした。彼の内心では、「この状況をどうしたものか……」という焦りが広がっていた。
「お、重い!」
紫銀が少し冗談混じりに言うと、世依奈は口を尖らせて、紫銀の顔をじっと見つめる。
「あー、重いって言ったー」
世依奈は拗ねたように声を上げると、紫銀の肩に頭をぐりぐりと押し付けた。
「ちょっ、やめろって、そんなことしたら余計に注目されるから!」
紫銀は焦りながら言うが、世依奈は全く動じずににやにやと笑っている。
「別にいいじゃん、紫銀君だってちょっとは嬉しいでしょ?」
「いや、全然嬉しくないし!」
紫銀は顔を赤くしながら否定するが、その顔を見てさらに世依奈は嬉しそうに笑う。
「本当かな~?顔が真っ赤だよ?」
世依奈は楽しそうに言いながら、紫銀のほっぺを指でつつく。紫銀はますます顔を赤くして、世依奈の手を軽く払った。
「ほ、ほんとにやめろって!」
そんな二人のやり取りを見て、写世がニヤリと笑いながら口を開く。
「おいおい、まじで付き合ってへんか?そんなイチャイチャしてるの見せられたら、誰だってそう思うで」
「はぁ?付き合ってるわけないでしょ!」
紫銀は顔を真っ赤にして写世に返すが、写世は楽しそうに肩をすくめる。
「まあ、ほんまにそうやったとしても、俺は驚かんけどなあ~。二人とも仲ええし、見てて微笑ましいで?」
「そ、そんなことない!」
紫銀は困惑しながらも、写世の言葉に対して強く否定するが、世依奈は気にせずに紫銀の膝の上でゆらゆらと揺れ続けている。
「ね、紫銀君。ほんとは私のこと好きでしょ?」
「な、なんでそうなるんだよ!」
紫銀はさらに焦りながら言い返すが、世依奈は「ふふっ」と笑って、紫銀の肩に頭を預けた。
「紫銀君が照れてるの、可愛いね」
「……もう、ほんとに勘弁してくれ」
紫銀は深いため息をつきながら、諦めたように世依奈を見下ろした。その様子を見て、写世はさらに楽しそうに笑い声を上げる。
「まあまあ、仲がいいのはええことや。これからもそのままでおってや」
「だから、違うってば!」
すると、世依奈がにこにこと笑顔を浮かべて写世に向かって言った。
「付き合ってないよー。ただ、すごーく仲良しなお隣さん幼馴染だけだもんねー」
そう言いながら、世依奈は紫銀のほっぺをまたつつき始めた。
「そ、そうだよ。ただの幼馴染だって……」
紫銀はあたふたしながら答えるが、その言葉に少し寂しげなニュアンスを含んでいるのを感じ取った世依奈は、さらににやりと笑った。
「ふーん、本当に? それなら、もっと仲良くしちゃおっかなー?」
そう言うと、世依奈は紫銀の頬に近づき、軽く唇を寄せる真似をしてみせた。
「ちょっ! やめろってば!」
紫銀はさらに真っ赤になり、周囲の視線を気にして必死に世依奈を止めようとする。その様子に写世は笑いをこらえきれずに一言。
「ほんまに付き合ってへんのが不思議なくらいやな、これ」
「だから、違うんだってば!!」
紫銀の叫びに教室中が再び笑いに包まれ、世依奈は勝ち誇ったような表情を浮かべたまま、紫銀の膝の上で満足そうに座っていた。
そんな二人のやり取りに星理亜と彼女を囲んでいたクラスメイトたちもその様子に気づいた。
「なんか、あの二人またやってるね」
星理亜の近くにいたクラスメイトが、半ば呆れたように言う。その視線は、紫銀と世依奈の方向に向けられていた。
「いつも仲が良すぎて、こっちが恥ずかしくなるよね」
別のクラスメイトも、笑いながらそう言った。星理亜はそれを聞いて興味深そうに紫銀と世依奈を観察し、やり取りの一部始終を見守っていた。
星理亜は、二人の距離感や会話の中に、単なる幼馴染み以上の親密さを感じ取っていた。彼女は隣にいたクラスメイトに、小さな声で尋ねた。
「ねえ、あの二人って、どんな関係なの?」
聞かれたクラスメイトは、少し驚いたように星理亜を見た後、再び紫銀たちに目を向けた。
「あの二人?幼馴染みらしいけど、ちょっと怪しいのよ。あんなにくっついてるし、普通じゃないよね」
「そうなの…」
星理亜は少し考え込むように言った。幼馴染みであることは確かでも、それだけでは説明できないほどの親密さ。特に世依奈の大胆な行動と、それに対する紫銀の反応には、星理亜の中で違和感があった。
(次元世依奈…彼女には、何かあるのかもしれない)
星理亜は、二人の関係についての情報を集める必要があると感じた。彼女がここにきた目的には直接関係ないかもしれないが、それでも何かが引っかかる。その直感を無視することはできなかった。
一方で、教室の他のクラスメイトたちも二人のやり取りに注目し、笑いながらもどこか羨ましそうに見ている者もいれば、困惑した表情を浮かべている者もいた。
「紫銀君と世依奈ちゃん、本当に仲良いよねぇ。なんだかドラマみたい」
「ほんとだよねー。あれで付き合ってないって言うんだから、どうかしてるわ」
そんな声があちこちから聞こえ、教室は再び和やかな雰囲気に包まれていく。紫銀はその声を聞きながら、ますます顔を赤くしてうつむいた。
「…もう、どうしてこんなことに…」
「いいじゃん、紫銀君。楽しかったでしょ?」
世依奈は無邪気な笑顔を浮かべながら言い、紫銀はそれを見て、ため息をつくしかなかった。
(本当に、このままでいいのか…)
紫銀の心の中には、幼馴染みとしての関係に対する戸惑いと、次元世依奈という存在への複雑な思いが渦巻いていた。そして、それを見つめる星理亜の視線には、まだ誰も気づいていなかった。




