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始紫伝1

関東の広がる大地の一角、竹波山を遠くに望む「竹西(たけにし)市」は、田園風景と都市機能が緩やかに交わる場所だ。静かな住宅地と広がる田畑、発展しつつある商業エリアが共存し、自然と人々の暮らしが調和している。この風景は、どこか時間がゆっくりと流れているような錯覚を与えてくれる。 竹西駅を中心に広がる街は、毎朝通勤・通学で賑わい、放課後には制服姿の学生たちが自転車で駆け抜けていく。駅前には新しいショッピングビルが立ち並び、少し離れると昔ながらの商店も健在だ。コンビニと地元の八百屋が隣り合わせに立つ光景は、街の過去と現在が交差している象徴のようでもある。 日常の中で聞こえるのは、車のエンジン音や鳥のさえずり、時折遠くから聞こえる踏切の音。広い空と竹波山のシルエットが描かれる夕暮れのオレンジ色の空は、懐かしさと安心感を与えてくれる。


少年ーーーー永木紫銀(ながき しかね)は、この4月に中学1年生になり、ようやくクラスの雰囲気に慣れ始めたばかりの少年だ。彼の母親は約3年前に交通事故で他界し、それ以降は父親と二人三脚で生活を支え合ってきた。しかし昨年、父親が仕事の異動で海外に単身赴任することになり、紫銀にとって大きな試練となった。 父親から海外赴任の話を聞かれたとき、紫銀は悩み抜いた末にこの竹西市に残る決断をした。彼の決意の背景には、母親との思い出が詰まったこの街を離れたくないという気持ちがあった。竹西市の穏やかな風景、特に竹波山(たけなみやま)のシルエットを眺めることで、紫銀は亡き母がどこかで見守ってくれているように感じている。だからこそ、ここで自分の人生を歩み続けることを決めたのだ。

朝、紫銀はまだ薄暗い部屋の中で目を覚ますと、静かに起き上がり、母親の遺影と位牌がある仏壇の前に向かう。お供え物を丁寧に入れ替えながら、彼は母親に対する感謝と切なさが入り混じった複雑な心情に包まれていた。お供え物を置き直すたびに、母親がいつもそばにいてくれるような気がして、心の中で彼女に語りかけるように「おはよう」と呟く。

その後、紫銀はスマートフォンを取り出し、父親に「おはよう」とメッセージを送る。

これは一人暮らしを許してもらうための条件の一つであり、彼にとっては父親との大切な連絡手段でもある。

メッセージを送信しながら、紫銀は父親が海外にいる間も自分がしっかりとやっていることを証明することが、自分の成長に繋がると感じていた。


「おっはよー!」


紫銀が家のドアを閉めた瞬間、隣から元気いっぱいの声が響いた。挨拶をしてきたのは、隣に住む次元(つぎもと)家の一人娘、世依奈(せいな)だ。彼女は紫銀にとって、ただの隣人ではなく、幼いころからの幼馴染。二人は長い付き合いがあり、幼稚園は別々だったが、小学校に上がってからは同じ学区に住んでいたため、登校班で一緒に行動するようになり、それ以来、毎朝顔を合わせるのが当たり前になった。世依奈はその頃からずっと変わらず元気いっぱいで、いつも紫銀を引っ張り回していた。


今は5月。春の暖かさが心地よく、しかし制服のブレザーを着ると少し暑く感じる季節だ。紫銀は軽くシャツの襟元を緩めながら、世依奈の声に応えた。


「おはよう、世依奈。今日も元気だな。」


微笑みながら言ったものの、内心では少し呆れていた。朝からこんなに元気なのは、やっぱり彼女らしいと感じつつも、彼自身はまだ新しい制服に慣れていないせいか、少し落ち着かない気持ちを抱えていた。


「もちろん!今日は紫銀君が遅刻しないように、早めに来たんだから!」


世依奈は得意げに胸を張り、紫銀の袖を軽く引っ張った。彼女の制服も少し大きめに見えるせいか、袖口を気にしながら、なんだか少し照れくさそうだ。


「いや、そんなに急がなくても……まだ時間には余裕があるよ。」


紫銀はスマートフォンを取り出し、時間を確認しながら少し苦笑した。まだ登校までには十分な時間が残っている。


「ちっちっち。紫銀君はクラス委員長なんだよ!」


世依奈は得意げに笑って、まるで当然のことのように言い放った。その言葉に、紫銀は少し戸惑いながら苦笑する。


「あー……そうだね。君と写世に推薦されて、なんだか流れで決まったって感じだけどさ。」


自分がクラス委員長になるなんて、当初は全く想像していなかった。あのとき、名前が挙がった瞬間、紫銀は周りの雰囲気に押されて「自分しかいないのか」と感じながら、断るタイミングを逃してしまった。思えば、彼の心の奥底には「自分にそんな役割が務まるのか」という不安が渦巻いていた。


「そう!だから、委員長は誰よりも早く教室にいないとダメなの!」


世依奈は楽しそうに言ったが、紫銀はその言葉にプレッシャーを感じた。


「いや……そこまで厳しくないと思うけど。」


確かに生徒議会で他のクラス委員と顔合わせをしたとき、5組のクラス委員は毎回登校時間ギリギリで駆け込んでいたのを思い出す。紫銀はため息をつきながら、少し首をかしげた。


「それにしてもさ、世依奈」


紫銀は思わず世依奈の顔を見つめた。彼女の明るい笑顔に、少しだけ勇気をもらった気がした。自分がクラスのために頑張るべきだという気持ちが湧いてくる。


以下のように追加してみました。紫銀の心情を強調しつつ、世依奈とのやり取りを自然に展開させました。


「なんであのとき、僕を推薦したの?」


世依奈の返事を待ちながら、紫銀は内心の期待と不安を抱えていた。自分にその役割が本当にふさわしいのか、まだ半信半疑だったからだ。


「んー。そんなの、決まってるじゃん」


世依奈は少し考え込みながら答えた。その明るい表情に、紫銀は少し安堵した。


「決まってるんだ……」

「そっ。これと言った素晴らしい理由はないよ。」


世依奈の言葉に、紫銀は思わず笑みをこぼした。彼女の無邪気さは、自分の不安を少し和らげてくれる。けれども、世依奈の言葉がどこか重く響く。「素晴らしい理由はない」というのがとても彼女らしい答えで、どこか安心感を覚えた。


「でも、紫銀君なら大丈夫だと思ったの。ずっと一緒にいたわたしだかえら、わかるの。みんなもそう思ってるはずだよ。」


彼女の言葉には、どこか自分を信じてくれている温かさがあった。それが心に染み渡り、紫銀の背中を少し押してくれる。彼女が自分を信じているのなら、何とかやってみようという気持ちが芽生えた。


「そっか」

「そうそう!だから――――イタッ!」

「わ・す・れ・も・の!!」


紫銀と世依奈の背後から響いた怒りを含んだ声に、二人は驚いて振り返った。そこには、彼女の母親である次元界乃(つぎもと かいの)が腕を組み、じっと睨みつけるような目で二人を見つめていた。彼女の顔には明らかな苛立ちが浮かんでいて、わずかに眉を寄せ、唇は軽く噛んでいる。その手には、しっかりと用意された二つのお弁当が握られている。


「うー……お弁当……。」


世依奈は気まずそうに後頭部を掻きながら、小さな声で呟いた。すると界乃は、口元にわずかな笑みを浮かべながらも、お弁当箱で軽く世依奈の頭をトンと小突いた。その動きには、どこか母親特有の愛情と厳しさが滲んでいる。


「忘れたらダメでしょ!せっかく作ったのに、何やってんのよ!」


界乃の声には苛立ちがこもっていたが、同時にどこか温かさも感じられる。世依奈が顔をしかめ、痛がる様子を見て、彼女はわずかに微笑んだが、すぐにもう一度、お弁当箱で軽く世依奈の頭を突いた。


「痛いっ!お弁当で小突くのはやめてよー!」


世依奈が抗議するように言うと、界乃は目を細め、少し笑みを深めながら言った。


「お弁当でしつけるのが母親の役目よ。それと、こっちが紫銀君の分。」


そう言って、界乃は紫銀にお弁当を差し出した。受け取った紫銀は少し恐縮しながらも、界乃のいつもの気遣いに感謝した。


「ありがとうございます。いつもすみません……。」


紫銀は丁寧にお礼を言い、界乃からお弁当を受け取った。毎日こうして手作りのお弁当を届けてくれることに、感謝しつつも少し申し訳ない気持ちが募る。


「まあ、いいのよ。お弁当の二つくらい、手間は変わらないからね。ただ、中身が世依奈と同じだから、他の人に見られたら誤解されちゃうかも?でも、紫銀君なら大丈夫よね?」


界乃は紫銀に軽くウインクしながら言い、今度は彼の肩を優しく叩いた。

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