蜂紫伝9
星理亜と命が去った後、次元維持管理局では一騒動が巻き起こっていた。
最初は、他の部署がただ単に騒ぎ立てているだけだかとタカをくくっていたリィナは、ただ自分の暇つぶしだけを目的として直属の上司であるレイヴンの執務室へと足を運ぶことにした。
そして、リィナは扉をノックもせずに開けながら、いつもの調子で声をかけた。
「なんか、騒々しいですけど、何をしたんですか? 部長さん」
リィナが扉の向こうからぬっと顔を覗かせる。その軽い声音は場の空気を一瞬にして変えた。
「まてまて。突然やってきて、それはないだろ」
レイヴンは眉をしかめながらも、どこか救われたような吐息を漏らした。彼女の無遠慮な言動が、この沈殿しそうな空気を掻きまわしてくれることは、意外なほどありがたかった。
「あー、そうでしたね。『何をした』じゃなくって、『どこを盗撮したんですか?』」
「……は?」
「ダメじゃないですか。盗撮するならバレないようにしないと。バレたらアウトですよ。バレなければ、“撮影”って言い張れるのに」
「待て。お前は私をなんだと思ってるんだ?」
「普通に、頭脳だけは最高クラスの、変態」
「それはないだろ」
「……あ、すみません。言い間違えました」
リィナは肩をすくめ、わざとらしく反省する素振りを見せながらも、すぐに口角を上げた。
「訂正します。“ただ単なる、次元維持管理局の中のザ・変態”でしたね」
「おまえな……私は一応、君の上司なんだぞ?」
「ええ、立派な引きこもり上司でしたね。部屋の隅に苔とか生えてないですか?」
「生えてねぇよ……!」
そんな他愛のないやりとりの最中にも、壁際のコンソールには複数のホログラムウィンドウが静かに浮かんでいた。表示されているのは、稼働状況の折れ線グラフや各部門からの更新データ、エネルギー消費量のログなど。いずれも整然と配置され、異常やエラーを示す赤い表示は一切なかった。
「はい、こちらが今回のものです」
そう言いながら、リィナは親指と人差し指で摘んだ小さなメモリデバイスを、まるで軽い玩具のように器用にくるくると回して見せた。それをひょいっとレイヴンへと放る。デバイスは宙を舞い、机の向こう側で見事に彼の手に収まる。
レイヴンは怪訝な表情でそれを見下ろし、眉をひそめた。
「……何も頼んでないと思うんだが」
「そうでしたっけ? でも、ほら、どうせ欲しかったでしょう?」
リィナはにやりと唇を吊り上げ、わざとらしくウィンクしてみせる。その仕草は、日頃から彼の“趣味”を熟知している者だからこそできる確信犯のものだった。
「中身は、今回のセッチャンの隠しローアングル画像と映像です」
その瞬間、レイヴンの顔がぴくりと引きつる。
だが、それは不快の色ではない。むしろ、心の奥底から込み上げてくる歓喜をどうにか押し殺そうとして、結果的に顔の筋肉が痙攣してしまった、そんな表情だった。
「……助かるっ!」
レイヴンの目が、数秒の沈黙のあとで歓喜に染まった。思わず漏れ出たその声は、理性と羞恥心がかろうじて堤防を保っているだけで、本音がダダ漏れのような危うさをはらんでいる。
「見えにくかったパンツは、ちゃんと“見えるように”、超高解像度でガッツリ補正済みだし、角度も明るさもバッチリ調整!」
「ぬかりないな……完璧だ……!」
レイヴンは深く息を吐きつつ、そのデバイスをすぐさま卓上の端末に差し込むと、手慣れた手付きでファイルを開き始めた。目を細め、まるで美術鑑賞でもしているかのように画面を覗き込むその様子は、学者というよりももはやコレクターに近い。
「で? それをわざわざ渡しに来ただけなのか?」
レイヴンがちらりと彼女を見る。彼の声には、ほんの少しだけ“期待の残滓”が滲んでいた。
「そうですね、本当は自分の暇つぶしの予定だったんですけど……ここに来るまで、他の部署がけっこうあたふたしてましたが、何があったんですか?」
リィナは椅子を勝手に引いて腰を下ろし、足を組みながら問いかけた。その様子はまるで、日課の雑談をこなしに来たかのように自然だった。
「ああ……」
レイヴンは一拍置いて、さきほどまでの浮かれた表情を少し引き締めた。
「今回の件に対して介入できるのは、星理亜と“心魂具”である彼女だけであり、我々は本来、彼女らのサポートに回るはずだったんだが……どうも、ヴェイドさんのところがそれを無視して、単独で動いたらしい」
「またですか、あの戦闘脳筋は」
リィナは額に手を当て、わざとらしく肩をすくめた。
「それにしても、本当にあの人は戦闘筋肉バカですよね。主世界に行くには“ゲート”をくぐって、ちゃんと起動させないといけないじゃないですか。そんでもって起動させたら通過ログと時間軸データが必ず残るようになってるますよね?それがわからないなんてありえなでしょ」
「いいや、それが残っていなかったんだ」
その一言に、リィナは思わずまばたきをした。
「残ってない??」
「あぁ。ログに残っていたのは、うちの星理亜のアクセスのみ。他の動きは一切記録にない。まるで誰も通ってないことになっていたそうだ」
「え……でも……じゃあ、どうやってバレたんです?」
「それがだな……」
レイヴンは眉を寄せ、低くため息をついた。
「強制送還された連中全員、なぜか“最高責任者会議の間”に出現したんだ。それも、魔法陣を伴って。まるで召喚でもされたかのように、床に展開された光陣の中央に、全員いきなり立っていたそうだ」
リィナの口元が引きつる。視線が宙をさまよい、数秒遅れて言葉が出た。
「なんですか、それ……」
呆れを隠そうともしない声音だった。さすがに常識外れすぎた。
「さぁーな。詳しいことは私にもわからんが、タイミングが悪いことに、その場にゼインさんが居合わせていたそうだ」
レイヴンの口調は淡々としていたが、その背後には状況の重さがにじんでいた。
次元維持管理局の最高責任者議長であるゼイン。名を知る者は多いが、姿を見る者は極めて少ない。存在そのものがひとつの権威であり、滅多に前線へと姿を現すことはない。
それが、よりによって今回に限って“居合わせていた”。それだけで、この件の異常さが際立つ。
「……なんというか、それは……最悪ですね」
リィナの言葉は、珍しく押し黙った間の後、ぽつりと落ちた。
普段なら茶化すような一言で流すところだが、今回ばかりは軽口を挟む気になれない。彼女自身、ゼインの“威圧”を一度でも感じたことがある者として、その場に居合わせた者たちがどれほどの圧を受けたか想像できた。
「おかげで、送還された者たちは即座に“ヴェイドさん直下の所属部隊”だと白状したらしい」
「……まあ、ゼインさんが目の前にいたら……そうなりますよね」
レイヴンは静かにうなずいた。
「嘘をついて逃げ切れる相手じゃない。目を合わせただけで、自分の中の嘘が崩れていく感覚になる。彼に『それは誰の命令か?』と問われたら、下手に黙ることすらできなくなる」
「……脳を直接、覗き込まれてるような感じ……ですよね」
言いながら、リィナは小さく肩をすくめた。思い出すだけで、背筋に冷たいものが走る。
ゼインという存在の何が怖いか──それは怒鳴りつけられるでも、威圧されるでもなく、ただ“静かに見つめられる”だけで、自分の中の後ろ暗いものすべてが浮かび上がってくるような、理不尽なほどの“透明な圧”だった。
「だな。それじゃ、私はそろそろ会議室に向かうよ」
?そう言って、レイヴンは椅子からゆっくりと腰を上げた。
硬質な椅子の脚が床を擦る微かな音が、静まり返った室内に小さく響く。立ち上がるその動作には、わずかに重さが滲んでいた。まるで、これから向かう場所にある“何か”を既に予感しているかのように。
レイヴンは無言のまま、ドアの方へと歩を進める。その背中を、リィナはホログラム越しに目で追いながら、ふっと口元を緩めた。どこか気が抜けるような、けれど僅かに心配も滲むような――そんな笑みだった。
「あ、一応、セッチャンに連絡しときます?」
リィナの声は、努めて軽い調子を装っていたが、その声音の奥には、微かに滲む緊張があった。
レイヴンは歩みを止めずに応じる。
「ああ。注意喚起ぐらいはしておいたほうがいいかもしれん。彼女が何かに巻き込まれていないとは限らないしな」
そう言いながら、レイヴンは背を向けたまま一拍置く。
その一瞬の間を、リィナは逃さなかった。だからこそ、次の台詞を口にする時には、あえて言葉に軽さを乗せた。
「あと、超絶ローアングル撮影したことも謝っておきます?」
レイヴンの肩がピクリと動く。
「……それは、君がやった、ってことを主張しろよ」
やや低く押し殺した声で返されるが、そこには怒気はなく、むしろ呆れと疲労の色が濃かった。
「いやです。部長さんに命令されたってことにします」
ホログラム端末の表示に目を落としたまま、リィナは淡々と宣言する。その口調は冗談めいているのに、声色だけは妙に真面目だった。
レイヴンはため息交じりに肩をすくめ、ようやくドアの前で足を止める。
ほんのわずかだけ振り返り、彼は短く言った。
「……せめて“共犯”にしてくれ」
そして、そのまま扉の向こうへと歩を進める――その背に向かって、リィナが声を上げた。
「さて、それじゃセッチャンに――……あれ?」
端末に手をかけたまま、リィナの声が不意に途切れる。
扉の前で足を止めたレイヴンが、ゆっくりと振り返る。
「どうした?」
その声は、警戒と疑念を抑えた穏やかな響きだったが、その実、すでに緊張は走り始めていた。
リィナはホログラムウィンドウを食い入るように見つめたまま、首を傾げていた。
いつもの冗談めかした調子はどこにもなく、その目は真剣だった。
「主世界にいるはずのセッチャンとの回線が……繋がりません」
「繋がらない? ……お前のことだから、ヤリすぎて着信拒否されたんじゃないのか?」
「それですと、私よりも部長さんのほうが濃厚だと思いますよ? あれだけローアングルを欲しがってたし」
「余計なことを言うな。お前も同じだろ」
レイヴンが軽く睨みを利かせるように目を細めると、リィナは小さく肩をすくめてみせた。
「残念ながら私は、欲しがってませんよ」
返された言葉には、いつもの調子に似た皮肉混じりの軽さがあったが、その裏にはどこか淡々とした断絶が含まれていた。
「もう、あるので。それ以上は、今のところ、求めてませんので」
リィナは軽く笑ってそう返すと、すぐに視線を端末へ戻した。
からかうような口調とは裏腹に、その目にはどこか遠くを見つめるような静けさが漂っている。
指先はホログラム端末の上を滑るように動き続けていた。
その動きは無駄がなく、淡々としていて、まるで何かの感情を押し隠すかのように正確だった。
情報を呼び出し、選別し、そして消去する――その一連の動作は、リィナ自身の心の中に何らかの輪郭を引いているようでもあった。
レイヴンは、ふと口を開きかけて――だが、すぐに閉じた。
いつもの軽口で流すこともできた。
「じゃあ、俺が欲しがってることにしとけ」と冗談で返すこともできた。
それでも、今の彼には、何かが引っかかった。言葉にならない違和感が、喉の奥に棘のように刺さっていた。
結局、レイヴンは黙ったままリィナを見つめていた。
彼女もそれ以上の追及はしなかった。ただ画面を操作しながら、小さく首を傾げた。
ホログラム上には、星理亜のIDコードが淡く点滅している。
その横に添えられた情報――位置情報は“主世界”、ステータスは“在籍中”。
電源も入っているし、ログアウトの形跡もない。
どう見ても正常。にもかかわらず――通信は、何度試しても繋がらない。
「……おかしいですね」
リィナがぽつりと呟いた。声は軽いが、その指先の動きにほんのわずか、迷いが混じりはじめる。
レイヴンが眉をひそめて覗き込む。
「こっちの回線に異常はないんだな?」
「はい。こちらはバリバリです。局内回線も、並行世界ラインも、全部正常。干渉もノイズもなし。むしろ……綺麗すぎるくらいです」
リィナの声は淡々としていたが、その奥に潜む違和感は隠しきれなかった。
まるで“異常がないこと”自体が、すでに異常であるかのように。
彼女は端末の角度を少し変え、ホログラムの操作ウィンドウをスワイプする。
表示されたのは、星理亜のID情報とステータス一覧。
“在籍中”
“現在地:主世界”
“電源:稼働中”
どれも問題ない。――形式上は、何ひとつ。
だがその直下に、違和感を抱かせる文字列が並んでいた。
“通信:接続不可”
「んー……どう考えても、物理的な遮断じゃなさそうですね」
リィナが小さく唸るように言った。
「システム的には、全部“生きてる”と判定されてるんです。ログアウトもないし、端末のステータスも正常。こちらの回線も、少なくとも現行仕様での通信試験は全通過。つまり、“見えてるのに、繋がらない”。通信としては、最も気味の悪いパターンです」
レイヴンは腕を組み、考え込むようにうなった。
「セキュリティが変わった……とか?」
「そうなら、局全体に通達あるはずですし、そんな個別ロックみたいな機能、今の運用じゃ存在しませんよ。誰かが勝手に弄れないよう、最高責任者会議の承認が必要な構造になってますし」
「……それは分かってるがな」
レイヴンの声には、焦燥よりも苛立ちが滲んでいた。
明確なトラブルがあるなら、それは対処すべき“問題”として扱える。だが、“問題がないことが問題”というのは、常に最悪の展開を孕んでいる。
リィナは画面をタップし、再度通信を試みる。
ホログラムに浮かぶ通信ウィンドウは、冷たく静かに瞬いているだけだ。
「こちらリィナ。セッチャン、聞こえていますか? 応答ちょうだーい」
軽やかな声色を装いながら、リィナは続ける。
「セッチャーン? おーい、今日のパンツ画像、印刷してばら撒いちゃうよー。管理局の全フロアに“超絶ローアングル美脚モード”を公開しちゃうからねー。うっかり裏紙にプリントアウトして、食堂の回覧板に回しちゃうかもよー」
……反応は、ない。
数秒の静寂が流れる。
通信ラインは、あくまで“正常”を装って接続状態を保っているように見える。それなのに、音も、応答も、一切返ってこない。
ホログラムの表示には、“接続試行中”の文字が淡く瞬いていた。まるで、永遠に繋がることのない橋を架けようとしているかのように。
そして数度目のリトライの末、表示が変わる。
“接続失敗:対象端末にアクセスできません”
「……部長さん、まさかパスワード変えました? こっちが蹴られてる可能性、なくはないですし」
リィナが冗談めかして言うが、その笑いはどこか乾いていた。
「パスワードを変更する必要がどこにある。それに、そもそもそういう仕様は――」
「導入されてませんよね。はい、知ってます」
リィナはすぐに言葉を継いで、再び画面へと集中する。
そのとき、不意に表情が変わった。
「……って、あれ?」
小さな疑問の声が、空気を変えた。軽さが消え、代わりに真剣な色が滲み出す。
リィナの指先が速くなる。
画面を拡大し、別のシステムログウィンドウを表示。そこに並ぶリストに、彼女の視線が走る。
「これ、なんかおかしくないですか……? これ……ゲートの……」
リィナの声が、いつになく低くなる。
「何だ?」
レイヴンが彼女の肩越しに身を寄せ、ホログラムウィンドウを覗き込む。
ウィンドウの中央には、次元間移動ゲート群の稼働ステータスが一覧表示されていた。
だが、そこに並ぶのは、赤く染まった警告表示――“停止状態”という無数の文字列だった。
「……ゲートの反応が、全部……消えてる……?」
レイヴンの呟きには、信じがたいものを見る者特有の硬直が混じる。
「……はい。どう見ても、“全停止”です。冗談でも、メンテ中でもない。“明確な封鎖”ですよ、これ」
リィナの声には、いつもの軽さが微塵も残っていなかった。
すぐさま彼女の指が動き、申請履歴のタブを呼び出す。
次元間ゲートの封鎖には、いかなる理由があろうとも、責任者による正式な命令とログの記録が必要だ。その履歴は必ずこのシステムに残る。
「えーと、申請リスト……っと……」
リィナの声が細くなる。指の動きが止まり、空気が凍ったように静まり返る。
「……ありません……ね」
しばらくして、彼女は淡々と、だが確実に恐怖を孕んだ声で言った。
「申請どころか――“命令そのものが存在してません”」
その言葉の意味を、レイヴンは即座に理解した。
だがすぐには何も返さなかった。いや、返せなく、ただ、沈黙だけが、空間を支配していった。
※
重厚な扉が、低い音を立てて閉まる。直後、その無機質な音が会議室の静寂に吸い込まれていった。
次元維持管理局・最高責任者会議の“間”──選ばれた者だけが足を踏み入れる、閉ざされた空間。発せられる言葉一つが、数多の次元に影響を及ぼす場所である。
その空気を切り裂くように、レイヴンが静かに足を踏み入れた。
「すみませんでした。遅れました」
「遅刻ね。レイヴン、あなたにしては珍しいんじゃない?」
唯一の女性最高責任者であるセリーナが、皮肉めいた微笑を浮かべて言う。
「そうでしょうか? 私的にはしょっちゅうある気がしますが……その度に自省はしています。ええ、一応」
軽口を叩くように見えつつも、その瞳にはいつもと違う硬質な光があった。彼の言葉の奥に、明らかに“何か”が潜んでいることを、場の全員が察する。
「揃ったな。では、再開としよう」
重々しい声とともに、会議の議長であり局の最高長──ゼインが言葉を発した。無駄な言葉を削ぎ落としたその発声には、言葉以上の威圧感が宿っている。
「今回の件について、介入を許可したのはレイヴンだけであったはずだが――」
言葉の途中で、ゼインの視線が鋭くレイヴンに向けられる。そのまなざしは、鋼のように冷たく重い。だがレイヴンは動じる様子もなく、視線を真正面から受け止めていた。
「さて、ヴェイトよ。なぜ、そなたの直下部隊が主世界に先回りをした?」
ゼインの問いは、明確に標的を変える。その名を呼ばれたヴェイトは、円卓の中で唯一、ゼインの正面に座っていた。背筋を真っ直ぐに伸ばし、両手を膝に添えた姿勢はまるで儀礼のように整っているが──口を開こうとはしない。
沈黙。
それは時に、言葉以上に多くを物語る。レイヴンは状況を察していた。彼が入室する前から、この場にヴェイトはいた。そしてこの空気──おそらく、彼は最初から一言も発していないのだろう。
「ちょっと、いいかしら?
セリーナが手を軽く挙げた。
「ゼイン、あなたに確認したいことがあるのだけれど」
ゼインは、その目を彼女に向ける。ただそれだけで、場の空気がほんの少し引き締まる。
「はぁー……そんなに、キツい視線を向けないで。あなたの威圧、私たち一般人には強すぎるわ」
セリーナの声色には、諧謔と冷静の両方が入り混じっていた。だが、その眼差しは冗談の裏に隠れた意志の強さを示している。
「あなたが問題視しているのは、そこの戦闘バカが勝手に介入していたこと? それとも、あなたが決めた方針に違反していたという“事実”の方?」
ゼインは沈黙する。セリーナは続けた。
「……ま、確かにこの件、最初はレイヴンたちに任せるのが妥当だったと思うわ。
「でも、あなたのところにも情報は届いているはずよね? 界渡真──あの要注意対象が生み出した“異形の存在たち”。あれを見て、予定通りの戦力で対処できると判断する方が無理があるんじゃない?
「それに実際、レイヴンたちが撃退できたのは、ヴェイトの直下部隊が先に動いていたからかもしれないでしょ? なら、結果として助けになっていたってことよ」
「まぁ……確かに、星理亜さんが無事だったのは、そうかもしれませんね」
レイヴンも淡々と同意する。
「だから、彼を責めるのは少し違う気がするのよ。ねぇ、ゼイン?」
ゼインはしばしの沈黙の後、ようやく静かに頷いた。
「…………わかった」
そして、言葉を次へと紡ぐ。
「今回の件は不問とする。だが、ヴェイト──そなたに新たな勅令を下す」
その場の空気が微かに緊張する。
「戻されてきたそなたの部隊を、再び主世界へと潜伏させよ。目標は界渡真。──捕らえよ。生死は問わぬ」
重く、確定的な命令。その瞬間──
「わかりまーーー……」
軽く受け流すようなヴェイトの返答に、レイヴンの声が被さった。
「あー、すみません。それは無理です」
一瞬、時間が止まったかのような沈黙が訪れる。
「何っ!!」
ヴェイトの怒声が響いた。
ゼインの視線が、まっすぐにレイヴンに突き刺さる。その瞳の奥には、明確な警戒が灯っていた。
「無理って、どういう意味よ?」と、セリーナ。
「ゼインさん。……確認されていないんですね?」
レイヴンは、わずかに首を傾けて言った。
「確認、とは?」
「えぇ。私が遅れた理由は、これです」
レイヴンが手をかざすと、虚空にホログラムウィンドウが立ち上がる。表示されたデータを見たゼインとヴェイトの表情が、同時にわずかに動いた。
「これは……」
セリーナもその中身に目を凝らす。
「理由は不明ですが、現在、全ゲートが使用不能状態に陥っています」
「……どういうことだ?」
ゼインの声は低く、抑えられた怒気すら含んでいた。
「詳しいことは分かりません。なので、確認します。ここにいる方々の中で、ゲートの停止申請を出した覚えがある人は?」
誰も返事をしない。静寂が場を包み込む。
「……いない、わね」と、セリーナが眉をひそめた。
「では、なぜ……」ゼインの疑念が、さらに濃く深く場に落ちる。
「おそらくですが──これは界渡真の仕業かと」レイヴンが静かに言った。
「彼は、ヴェイトさんの部隊を一人残らず無傷で強制送還させるほどの力を持っています。ならば、局の根幹システムに干渉するくらい、容易いことなのかもしれません」
「レイヴン、状況は?」
ゼインの問いが短く重い。
「ゲートは完全に封鎖、そして……主世界との通信もすべて途絶しています」
「……それって……」
セリーナの声がかすかに震えた。
「ええ。つまり我々は、もはや何も手出しができない。干渉不能領域の外にいる傍観者となった──それだけの話です」
レイヴンの言葉が、冷たい鋼のように空気を貫いた。
会議の“間”に再び沈黙が訪れる。
──傍観者。
その言葉が意味する無力さと現実を、全員が痛烈に思い知らされながら、ただ、黙して座り続けていた。