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蜂紫伝4

「それでは、私は職員室に寄っていきますので」


星理亜が穏やかな口調で言うと、その場にいた紫銀と世依奈が顔を見合わせるようにして、同時に口を開いた。


「職員室?」


登校時間を少し過ぎた昇降口は、すでに混雑が落ち着き、ひんやりとした空気が流れていた。

三人は並んで靴箱の前に立ち、それぞれに上履きへと履き替えていた。


「はい」


星理亜が短く返事をしながら、後ろに立つ小さな影へ自然と体をずらす。


「命さんは今日からなのですが、教室に行く前に先生にお渡しすることになってますので」


「へえ……」と、世依奈が口の端をゆるめながら、ちらりと命の方へ視線を送った。


紫銀は、上履きを履いたままふと星理亜の後ろに隠れるように立っている少女に目を向けた。

命の足元には、白地に青の校章が小さく印字された、来客用のスリッパが揃えて履かれていた。

つま先がほんの少し内側を向いている。

そんな彼女は、星理亜の後ろにぴたりと立ち、ちらりちらりと周囲の様子を伺うように目を動かしていた。

その視線は遠慮がちで、声をかけられないように距離を測っているようでもある。


かといって、怯えているわけでも、明確に緊張しているわけでもない。

ただ、場に馴染む方法がまだわからずにいるような、控えめな所在のなさがその小さな背中からにじんでいた。


そして、通り過ぎる数人の生徒たちが、好奇心を隠そうともせずに命を振り返る。

その視線に気づいているのかいないのか、命はうつむいたまま微動だにしなかったが、星理亜は一度振り返り、命に小さく何かを言うと、命はそれが合図であったかのように、そっと一歩前に出た。

ほんのわずかに緊張したように肩をすぼめながらも、その動きは静かで、優雅ですらあった。


「では、また後ほど」


星理亜が軽く頭を下げる。命もそれに倣って、ほんの少しだけお辞儀をした。

紫銀と世依奈が見送る中、二人は昇降口を抜けて職員室のある校舎内へと歩き出した。

世依奈はその背中が見えなくなるまでじっと見つめてから、ぽつりと呟いた。


「……命ちゃん、やっぱり可愛いよね」


星理亜と命の二人と別れ、先に教室に向かうことにした紫銀と世依奈の二人は、春と夏の境目を歩くような、微かに涼しい廊下を並んで進んだ。



「それにしても、命ちゃん。かわゆいかった~」


世依奈がぽん、と上履きのかかとを鳴らしながら言う。


「そ、そうか?」


紫銀は少し遅れて頷いた。確かに、ちんまりした姿と物静かな態度は、なんというか…守ってあげたくなるタイプかもしれない。


「でもさ、ちょっと不思議なんだよね」

「不思議?」


廊下の曲がり角を折れながら、世依奈がぽつりと続けた。


「だってね、星理亜さんの髪色って銀髪なんだけど、ちょっとだけ黄色っぽいっていうか、あったかい感じの色してるでしょ」

「あー、確かに」


言われてみれば、冷たい銀というよりも、やわらかい光を含んだ不思議な色だった。


「それで、命ちゃんは“純日本人です!”って感じの、すごく綺麗な黒髪じゃん? 姉妹なのに、あそこまで髪色が違うってことあるんだね」


紫銀は少しだけ返答に迷った。


別に不思議じゃない。あの二人の印象がだいぶ違うのは、あの二人が姉妹でないことを紫銀は、知っていた。だからこそ、何も知らない世依奈にどう誤魔化すべきか、思いながら、紫銀は言葉を選んだ


「……まあ、母親と父親で違う髪の色を受け継いだってこともあるんじゃないかな。確か、隔世遺伝ってやつだったかな?」

「でもさもさ」


教室の引き戸に手をかけながら、世依奈はちらっと横を見た。


「姉妹でもあんなに顔というか、雰囲気が違うんだね」

「雰囲気?」

「うん。星理亜さんは、『星理亜さん』って感じで大人っぽくって美人さんな感じ。で、命ちゃんは命ちゃんって感じでちっちゃくってかわいい感じ」

「なんだ、それ……」


紫銀が苦笑しながら答え、二人は教室に入った瞬間、朝のざわめきが一気に広がった。

世依奈はそのまま、近くにいる友達グループのもとへ吸い込まれるように走っていく。

紫銀は窓際の列の後ろから二番目、自分の席へ向かった。


「お、はっよーさん。委員長」


写世集樹が振り返りながら声をかけてくる。


「おはよう」

「にしても、委員長はアレやな」

「なんだよ?」


写世はニヤリと笑い、手のひらで自分の頬を扇ぎながら言った。


「熱々ほやほやの玄人カップルでの登校やろ。羨ましいで!」

「アホか」


紫銀は呆れて、写世の後頭部を軽くぺしんと叩く。


「僕と世依奈はお隣同士だ」

「いたぁーな。わーとるって」


写世は叩かれた頭をさすりながら、いつもの調子で笑った。

だがその表情が、ふと真面目なものに変わる。


「……な、なんだよ」


紫銀が少し身を引きながら尋ねる。

写世はまっすぐに紫銀を見つめた。


「委員長が元気そうで、なによりや」

「……なんだよ、それ……」


少しだけ気恥ずかしくなって、紫銀は視線を逸らす。


「ま、そんなに深ぁ意味あらへんから、気にせんでえぇで」


写世は肩をすくめ、目元に笑みを浮かべた。

それはひどく軽い調子のはずなのに、なぜか、その笑みに触れた空気だけが、少しだけ肌に引っかかる。

まるで何かを知っている人間が、それをあえて言葉にしないときに見せるような、そんな笑みだった。


紫銀は、写世の前の自席に座った。

まだチャイムまで時間がある。通学リュックを机の横に立て掛けながら、中身をひとつひとつ、机の中へと移していく。

周囲ではそれぞれの会話がぽつぽつと交わされひるが、そこまで騒がしくなく、絶妙な静かな朝の教室。


「のー、委員長」


紫銀は手を止めず、後ろを振り向かずに返事をした。


「ん」

「わい……知らんかったわ」

「何が?」


筆箱の位置を整えつつ、1限目に使うノートと教科書を取り出していた紫銀に、写世の声が少し近づく。


「委員長と、転校生はんって……血ぃの繋がり、あったんや?」

「あー……」


紫銀は一拍置き、半ば諦めたような声色で返した。


「みたいらしい」

「らしい?? なんや、その反応」


ようやく顔だけ後ろに向けた紫銀は、少し困ったような苦笑を浮かべる。


「実際、僕もそのことを知ったのは数日前のことだったからね」

「――あー、やからか」

「ん?」

「転校生が来たときから、ちょい前まではそんなこと言うてなかったやん」

「そうだね」


写世は自分の机の上に肘をつきながら、じと目で紫銀を見つめた。


「ってか、委員長。これは、ホンマにアレやで」

「アレ?」

「羨ましいん。超えて、嫉妬するレベルやで」

「……なにがどうしてそうなるんだよ」

「えぇか。次元はんっていう、“美少女”でイチャイチャしてくれるん幼馴染がおってやな。しかもお隣さんやん?そんでや、次元はんとはちゃうタイプの美人――あの転校生はんと、血縁あって、しかも一緒に住んどるんやろ?どんな徳積んだら、そんな状態になるんや。もう神や、委員長は」

「いやいや、そんな大げさな話じゃないって……」


紫銀は苦笑しながらも、教科書を机の右奥にきっちり並べた。

その姿に対し、写世はあからさまに不満げな声を上げ、大げさにため息を吐く。


「かー、委員長はわかってへんなぁ」


そして、机にバタッと突っ伏した。


「えぇか、委員長。毎朝、あの美少女の次元はんから『おはよう、いっしょ行こう』って登校しとる男子が、どこにおる?しかも、そのテンションで寄ってくる幼馴染やで? 全国探しても、そんな奇跡みたいな存在、見つかるかいな」

「いや、そんな特別なことでも……」

「特別やっちゅうねん!」


バンッ!


教室に乾いた音が響いた。写世が思いっきり机を叩いたのだ。

数人のクラスメイトが驚いて振り返るが、当の本人はまるで気にしていない。


「しかもやで? あの次元はんにどつかれても怒らへんし、弁当奪われても笑っとるやん。わい、あれ見て悟ったわ。あれが真の“両想い幼馴染”っちゅうやつやって」

「両想い……じゃないからな?」


紫銀は少しだけ目を伏せ、返す言葉に迷ったような間が空く。


「はいはい。委員長特有のツン期やろ。知っとる知っとる。でやな、そこに転校生はんが加わるんや。クール系美人さんが“お世話になってます”って委員長の家で――家で!やで!?」

「……なんかもう、お前の中で勝手にドラマ仕立てになってるよな」

「ってことはや!“あ、ごめん”って入浴乱入イベントかましたんやろ!? 羨ましいわぁぁ!!」

「やるかっ!!」


紫銀は思わず手元の教科書で、写世の後頭部を思いきり叩いた。

鈍い音とともに、写世が顔を上げる。


「つぅ……。委員長。人生における勝ち組って、何かわかるか?」

「な、なんだよ……」

「可愛い幼馴染と暮らせて、親戚に美人が加わることや。わい、今世はあきらめるわ」

「なんでお前がそこまで達観してんだよ……」


紫銀は、思わず噴き出しそうになるのを必死でこらえながら、肩をすくめて首を振った。

その後ろで写世は、机に突っ伏したまま、なおも「うらやましい~……」と呻き続けていた。

クラス担任教師――袴田がやってきた。


「みんなー、席につけー!朝のホームルームを始めるぞー」


紫銀は声に反応して正面に体を向けた瞬間、教室の右手、廊下側の列にふと目を留めた。

そこには――二つ、並んだ空席があった。


(……あれ?)


机の上には何もない。椅子もきちんと引かれている。けれど、その整然とした空白に、紫銀は小さく眉をひそめた。


「どった? 委員長?」


背後から軽い調子の声がかかる。写世だ。

紫銀は首をかしげたまま、小さくつぶやいた。


「いや……このクラス、満席だった気がするんだけどな……」

「ん? 委員長、なに言ってんねん。席、二つ空いとるやん。ずっとそんなんやったやろ? 満席ちゃう。空席ありやで」


写世がくいっと顎でその席を示す。たしかに空いている。しかし、どうにも胸騒ぎが止まらない。

そこに誰かがいた気がする――それが、紫銀の中にぼんやりとした形で引っかかっていた。


「アレや、委員長。ゴールデンウィークで疲れたんちゃう?脳ミソが祝日から帰ってきとらんのとちゃうか?」

「そうかなぁ……」


納得したようで、どこか納得できなく、紫銀の頭の奥に、モヤのような違和感だけが残った。

袴田はというと、教卓の前で大きく腕を振りながら出席簿を開いた。


「んじゃ、出席を取るが……ま、全員いるな。いないやつは先生に“青い鳥”でメッセージ飛ばせー。ただし内容がつまらんかったら、公開処刑にすっぞー。朝礼台に立って『言い訳三分間スピーチ』な。覚悟しとけー」


「えぇー……」「やだなー」と、教室に笑い混じりの小声が広がる。


「はいはい、んじゃ前置きはこれぐらいにしといて……ゴールデンウィークも終わって、憎い夏が来る前にー! いい知らせだ!」


教室内に期待を含んだざわめきが走る。


「なんと――転校生が二人きたぞ! お前ら、嬉しいだろ!!」

「おおっ!」

「マジで!?」


男子生徒たちが一斉に騒ぎ出す。

「ハカマイカ先生、それって男?女どっち!?」と誰かが叫ぶ。

ハカマイカとは、生徒たち親しみとツッコミを込めて担任教室である袴田を呼ぶときのニックネームだ。

英語教師なのに発音が絶望的で、やたらとアバウトな性格から、ある日だれかが言い、それがこのクラスに定着した。


「静まれー!」


袴田が両手を振って制した後、おどけた顔で言う。


「俺が言うってことは、もう分かってるだろ。二人とも――」


一拍おいて、


「女子だ!!」


その瞬間、男子たちが一斉に沸き上がる。


「よっしゃあああああ!!」

「勝ち確ー!これは勝ち確ー!」

「誰や、二人組!?アイドルか!?」


一方で女子たちは、冷ややかな視線と深いため息を送りつつ、それでも興味を隠しきれないといった面持ちで前を見つめている。


「だーかーら!静まれっつっとるやろが!」


袴田の大声で、教室が一瞬で静まり返る。


「……よし。じゃあ、入ってこい」


扉の向こうから、制服の衣擦れと、やや緊張したような靴音が聞こえてきた。

生徒たちの視線が一斉に扉へ注がれる中――

ガラリ、と音を立てて扉が開いき、制服に身を包んだ二人の少女が、静かに教室に足を踏み入れた。


一人は、命。

もう一人は、紫銀にとって初めて見る顔――のはずだった。だがその瞬間、心の奥底で、どこかで出会ったような、妙な既視感が胸を刺す。

(命と初めて会ったときと……同じ感覚だ)


騒いでいた男子たちも、二人の姿を見るや否や言葉を失い、今度は女子たちがざわつく番だった。

「うわ……ちっちゃ……可愛い……」と、命の小柄な可愛らしさに、女子たちからため息が漏れる。

一方、隣の少女――整った顔立ちと圧倒的な存在感に、「え、もう一人、めっちゃモデル体型じゃない?」「なにあのオーラ……」と思わず見惚れる者も多かった。彼女は星理亜に並ぶ美貌を備えていた。


「自己紹介をしてもらっていいかな?」と袴田が声をかける。


「はーい!」


命が、手を挙げて一歩前へ出た。

緊張した面持ちでホワイトボードの前に立つと、手にした黒色のマーカーを掲げ、背伸びする。

ぐっと爪先を立て、両手をめいっぱい伸ばす。その姿は、まるで小さな子どもが棚の上に手を伸ばしているかのようだった。

ふるふると震えながら、それでも丁寧に書かれた文字――


『白羽 命』


教室の空気がふわりと和らぐ。

背中を丸めていた女子たちの何人かから、小さな「かわいい……」という囁きが漏れ、男子の中には目を見合わせて苦笑する者もいた。


(そこまで……姉妹設定を盛ったのか)

紫銀は内心、少し呆れながらも、命らしい選択に妙に納得した。


白羽しらはね みことです。よろしくお願いしますっ!」


ぺこりと、綺麗にお辞儀する命に、軽い拍手が湧いた。

そして――

もう一人の転校生が、静かにホワイトボードの前に立った。

高い背、スッと伸びた背筋。迷いのない足取り。

チョークを手に取ったその指先も、筆のようにしなやかで美しい。


『界渡真 錐』


その名が書かれた瞬間――

星理亜が息を飲み、目を見開いた。

(まさか……この名前……)

写世も、その目を鋭く細めて、じっと彼女を見据えている。


界渡真かいどま きりです。宜しくお願い致します」


低く、落ち着いた声が教室の空気を震わせた。


静寂の中に、微かな緊張が走った。

教室の誰もが――存在感を、ただ見つめていた。


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