継章2
主世界から伸びる太く眩しい光の筋が、虚空に聳える巨大な大樹へと繋がっていた。その幹を貫くように上昇するその光は、途中で幾つもの枝を生み出し、そこから細い光の筋が無数に分岐していく。それは枝世界と呼ばれる存在たちの痕跡——運命と選択が生み出す無限の可能性だった。
静まり返った黒曜の大地の上。漆黒の床には淡く反射する光の名残が浮かび、まるでこの空間そのものが「外」から切り離された何かのような、時の流れすら希薄な場所だった。
そんな場所に、二つの気配が並ぶ。
「お疲れ様です。写世君」
穏やかに声をかけたのは、白い装束をまとった女性、シラホ。無感情に近い整った声音でありながら、その瞳は確かに相手を気遣っていた。
「ほま、疲れやんしたよ、シラホはん」
写世は肩を竦め、気怠げに首を回した。彼の口調は相変わらずの関西弁。けれどその言葉の端々に、どこか張りつめた空気が残っていた。
「ほんで、あぁなってもうたけど、ホンマにええんか?」
「えぇ。写世君にお願いしていた方向と、かなり近い結果ですから。問題はありません。……誤差、みたいなものですね」
シラホは微笑むでもなく、ただ淡々と告げる。
「ですが、私としても、まさかこっちの可能性を選ばれるとは思っていませんでしたね」
そう言うと、彼女は静かに膝をつき、黒い床に右手の指先を触れさせた。
その瞬間、主世界から延びていた太い光の筋から、細く繊細な光の糸が彼女の指先へと伸びていく。まるでこの空間そのものが、彼女の意志によって動いているかのようだった。
「可能性……って、何のことや?」
写世は目を細めた。何かを測るような、探るような目。
「えぇ。ちょっとした運命の選択があったんですが―――」
「委員長、暴走すんのかいな? せぇへんのかいな?」
彼が言う“委員長”とは、永木紫銀のことだ。
シラホは首を横に振る。
「いいえ。そこではありませんね。永木紫銀さんの中に眠る“紫のモノ”の力が、今の状況下で覚醒した場合——いかなる条件下であっても、彼の意思は確実に“紫の意思”に呑まれ、暴走状態になります」
「……いかなる条件下やって……いや、委員長にはそうならへんように、心魂具を使えるようにしたんや。無駄なんか?」
写世の声には、僅かに悔しさのような色が滲んでいた。
「いいえ。無駄ではありません。ただし——」
シラホは静かに顔を上げた。
「使用できるようになっている心魂具が一つでは不十分なんですよ。だから“今の状況下”なんです」
「……あーなる」
写世は肩を落とし、何かを理解したように頷いた。
「えぇ。二つであれば、抑制は可能ですし、今の彼の状態であれば制御も期待できます」
「ほーん。んで、シラホはん的に、何が“予想外”やったん?」
「予想外ではありませんよ。予想はしていましたからね。ただ、私個人の見込みとしては、あのまま命さんは心魂具の指輪の中に戻ると思っていたのですが……」
「ほう?」
「ですが……永木紫銀さんが選んだのは、命さんの“転生”でしたね。“紫の意思”としての、あの方が」
静寂が一瞬だけ場を支配した。
「もしかして……アレも、その“紫のモノ”の力の一種なん?」
「えぇ。“紫のモノ”には、『在るモノを破壊する力』と『在ったモノを再生させる力』の、両方が備わっていますからね」
「ふーん。気になったんやけどな。もし、委員長があの子を“転生”させたってことなら、あの子、元は心魂具やったんやろ? 戻れへんのちゃうんか?」
「たぶんですが、問題はないと思いますよ。たとえ転生させたとしても、心魂具としての役割までは解除されていませんから」
「まー、シラホはんがそう言うなら、そうなんやろな」
写世はそう言って、黒い空間の天井を見上げる。
そこに、不意に魔法陣が浮かび上がった。
「……あ」
シラホの目が細くなる。
やがて魔法陣から現れたのは、一人の男とその背に隠れるように立つ少女だった。
「戻りましたよ、シラホさん。それに写世君」
現れたのは、界渡真だった。整った顔立ちに、冷静な眼差し。長身のその背には、震えるように身を寄せる小柄な少女がぴたりと付いている。
「おっかえりー。んでもって、安心しーな。ちゃんと、界渡真はんがやったことにしてきたさかい」
写世が軽く手を上げて言う。
「えぇ。多少のズレはありますが、誤差範囲内ですよ。それで——その子が?」
「はい。シラホさんが言っていた“子”です」
少女はシラホの視線を感じてか、界渡真の背後にそっと隠れた。
「ありがとうございます。それでは界渡真さん、次の段階へ。永木紫銀が“紫の意思”を抑え込むための“調整”をお願いします」
「了解です」
界渡真は無言で手を振るい、本を具現化させた。その表紙は白く、何の題字もない。ページを開くと、一枚一枚が淡く光を放つ。
「そこに、そのために必要な駒——“蜂”を挿しましたので、活用してください」
「わかりました。ですが、よろしいのですか?」
界渡真の目が細められた。
「永木紫銀は、まだ自分の力を上手く扱えないだろう。下手をすれば……これを使って“殺す”可能性もあるとおもいますが……」
「大丈夫です。あ、使う順番はお任せしますが、最後は界渡真さん自身で確認してくださいね。“それ”が彼のもとに移っていることが条件になりますが」
「……了解致しました」
界渡真は本を消し、深く息を吐いた。
「ほんで、わいは?」
写世が軽く手を挙げる。
「写世君には、今まで通り、永木紫銀さんの近くにいてください。……特別な役割はありませんから、言うなれば“観察者”ですね」
「りょーかい」
「……あ、その前に。写世君には、別件でやっていただきたいことがあります」
シラホは淡く笑みを浮かべた。
「永木紫銀さんと命さんの“写真撮影”をお願いします。タイミングはお任せしますが、界渡真さんによる調整が終わる前までには」
「うーい。お手のもんや」
「それでは、界渡真さん。これより永木紫銀さんがいる時代の主世界に入っていただきます。到着次第、こちらへの“強襲”もお願いします」
「ここは?」
「次元維持管理局、ヴェイドさんの直下部隊の次なる“潜伏拠点”です」
「……あー、わいが大暴れしたせいで移ったんかいな」
「その通りですね。そのときに“蜂”の能力確認もしていただいて構いません。それでは——お二人とも、よろしくお願いします」
次の瞬間、写世と界渡真の足元に魔法陣が浮かび、二人の姿は淡い光とともに消えた。
シラホは立ち上がり、虚空を見上げた。主世界の光の筋は僅かに揺らぎ、しかし確かに“ある方向”へと流れを変えていた。
「……これで。“紫のモノ”の力は、主世界の破壊に、ほんの僅かでも向かわなくなりましたからね」
呟きは、誰に聞かせるでもなく、ただ静かに宙へと溶けていった。




