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始紫伝22

変わらない景色が広がる朝の通学路。清々しい空気とともに聞こえる鳥のさえずりや、風に揺れる葉の音。竹波山を背景に、変わらない日常が続いている。


隣を歩く世依奈もまた、いつも通りだ。元気な声で紫銀に話しかけ、軽快な足取りで前へ進んでいく。その姿に、紫銀は思わず小さく笑みを浮かべる。この変わらない日々こそが、何よりも心地よいと感じていたからだ。


しかし、変わらないものばかりではなかった。紫銀の視界の端に、不自然な“黒い人影”がふと映る。それは数日前から少しずつ増えているものだった。ただそこにいるだけで、何もしない。ただ、それだけの存在。しかし、今朝は少し違っていた。


その影の一つが紫銀の歩く進路上に立っていた。最初は気にも留めず通り抜けようとしたが――。


「っ……!」


通り抜けた瞬間、全身に凍えるような寒気が走った。以前までは何も感じなかったはずなのに、今日は違う。ただの幻だと思っていたものから、まるで命の危険を警告されるかのような寒気。そして、心臓が締め付けられるような嫌な予感。


思わず立ち止まり、振り返る。そこには黒い影が静かに佇んでいるだけだった。じっと動かず、ただそこにいる。

急に立ち止まった紫銀の隣で、世依奈が不思議そうに振り向く。


「どうしたの、紫銀君?」

「いや、なんでもないよ。行こう」


世依奈には見えていないのか、気づく様子はまったくない。紫銀は心の中で首をかしげながら、歩みを再開した。


それでも、視界の端で感じる黒い影の存在は気になって仕方がない。まれに、その影がこちらに向かって近づいてくることもある。だが、不思議と近寄られるだけで、それ以上は何もしてこない。

ただ、そこにいるだけーーーー


教室に着くと、いつものざわめきが耳に入ってくる。クラスメイトたちがそれぞれの朝を過ごし、楽しげに会話を交わしている中、紫銀も適当に挨拶を返しながら席へと向かった。


しかし――。

紫銀の席の近くにも、また黒い影が一つ。

今朝からずっと続く不安をかき消すように、紫銀は軽く息を吐いた。影は相変わらず何もせず、ただそこにいるだけ。


周囲に目をやるが、クラスメイトたちにその影が見えている様子はない。誰一人として気にすることなく、いつも通りの日常を送っている。


紫銀は何事もないふりを装いながら、静かに席についた。教室のざわめきと、心の中にわだかまる不安が交錯する――そんな朝だった。

はっきりとした理由は分からないが、写世は休み。

担任の袴田が朝のホームルームでそう言ったとき、特に深く考えなかったが、紫銀の心の片隅には小さな疑問が残っていた。


それでも、日常は淡々と進む。昼休みになり、いつも通り星理亜と世依奈たちと一緒にお弁当を広げて食べた。星理亜の独特なお弁当の話題で盛り上がり、世依奈の軽快なボケがその場を和ませる。紫銀も自然と笑顔を浮かべながら、楽しいひとときを過ごしていた。


しかし、昼休みが終わる少し前、紫銀はふと窓の外に目を向けた。

そこには黒い人の形をした「何か」が立っていた。


冷たい違和感が背筋を這い上がるような感覚を覚えるが、紫銀はできるだけその感覚を押し殺して、何事もないように教室を見回した。

教室内にも同じような黒い何かが複数いる。それらはただそこにいるだけで、特に何をする様子もなかった。


(やっぱり、誰も気づいてないみたいだな……)

クラスメイトたちは昼休みの終わりを惜しむように雑談を続けている。星理亜も世依奈も、その黒い何かに気づいた素振りはない。


「気にしすぎだよな……」


自分にそう言い聞かせ、紫銀は午後の授業の準備に取り掛かった。机の中から教科書とノートを取り出そうとした瞬間、空気が一変する。


キィン……


透明な膜のようなものが教室全体を覆い、外からの音が途絶えた。

紫銀は思わず顔を上げ、辺りを見渡す。クラスメイトたちは動きを止め、まるで時間が止まったかのように静止している。


「……な、何?」


教室を見渡すと、クラスメイトたちがまるで時間が止まったかのように動きを止めている。さらに、あの黒い何かが教室内の至るところに浮かび上がっているのが目に入った。紫銀の視界が歪むような感覚とともに、心の奥底に得体の知れない不安が広がる。


「これは……結界ですね。」


冷静な声が静けさを切り裂いた。振り向くと、星理亜が机から立ち上がり、鋭い目つきで教室の様子を見ている。


「結界?」


紫銀は混乱したまま星理亜を見た。


「どういうこと?」


星理亜は一瞬だけ紫銀を見たが、すぐに再び教室全体を観察し始めた。


「誰かが、この教室を結界で覆いました。外との繋がりを遮断し、ここだけを異空間に変えています。」


彼女の声には普段の冷静さ以上の緊張感が滲んでいる。


「え、なんでそんな……誰が?」


星理亜は答えず、黒い何かを鋭く睨んだ。

結界が発動した。空気が僅かに震え、視界が一瞬だけ揺らいだ気がしたが、すぐに静寂が訪れる。目の前に広がる景色は普段と何一つ変わらない。屋上から見える校庭も、遠くにそびえる竹波山もそのままだ。しかし、写世は理解していた。ここは現実ではなく、別空間――結界の内側だと。


この空間の特性は単純でありながら厄介だ。ここで何が起ころうとも、現実には一切影響しない。それは、次元維持管理局が結界を多用する理由の一つだった。


写世は屋上の中心で佇んでいた。風が吹き抜け、制服の裾が揺れる。手すり越しに広がる風景を眺めつつも、その目はどこか遠くを見つめている。


「前回のことで、少しはわかったけどな……」写世は呟いた。

次元維持管理局――彼らは写世の存在を既に把握している。ただ、その姿までは知られていないようだった。しかし、それも確信が持てるわけではない。管理局のやり口はいつだって不明瞭だ。


「ほんまに、バレてへんのか?」


 疑念が消えることはない。だからこそ、写世は用意していた策を再び実行する。前回と同様、界渡真の姿に化け、その行動を装うことで、写世自身の関与を隠す。


「かんにんな……委員長」


写世は小さく呟いた。まるで誰かに許しを乞うような声だった。

ポケットから写真ファイルを取り出す。中には3枚の写真が収められている。これらは、ここに来る前にハクホから渡されたものだ。写世はその中から2枚目の写真を引き抜いた。


「もう、時間があらへんねん」


写世は静かに写真を見つめていた。その写真には、空間の彷徨者メモリー・ワンダラーと呼ばれる、不気味な存在が映し出されている。無数の触手が絡み合い、円形に収束した異形の集合体。その姿は、不安と恐怖を喚起する圧倒的な異質さを持っていた。


写世は深く息を吐き出すと、写真を手に取り、躊躇いを振り払うように、写真を力強く破り捨てる。次の瞬間、破かれた写真の断片が強烈な光を放ち、その場で蒸発するかのように消え去った。


光の中心に、黒い塊がゆっくりと浮かび上がってきた。それはまるで異次元から這い出てきたかのような存在だった。球体のように見えるその表面は、滑らかな部分など一切なく、無数の触手が絡み合い、波打つように動いている。


触手は生物的でありながら、どこか人工物のような冷たさを感じさせる金属的な質感を持っていた。さらに、それらの先端には小さな目のようなものがついており、それが不規則に瞬きしながらあたりを見回している。


触手同士が擦れ合う音が微かに聞こえる。それは湿った布を引き裂くような、生々しく不快な音だった。さらに、その塊から漂ってくる奇妙な臭い――鉄のような金属臭と、腐った海藻のような臭気が入り混じり、思わず顔を背けたくなるほどだった。


その球体全体が、じわり、じわりと鼓動するように膨らんだり縮んだりしている。まるで生きている心臓そのものだ。しかし、それが放つ不気味な光は、ただの生命体ではないことを否応なく感じさせる。


写世は目を細め、静かにその球体を見つめた。


「頼んだで……」


その一言に応じるように、空間の彷徨者メモリー・ワンダラーは鈍い光を放ち始めた。触手がうねりを加速し、周囲の空気を震わせるかのような異様な雰囲気を放つ。


「さぁ、いったれや」


写世が短く指示を出すと、彷徨者は一瞬でその場から消えた。まるで存在そのものが空間に飲み込まれたかのように、音もなく姿を消す。


写世は短く息をつきながら、屋上の鉄柵に寄りかかった。

紫銀は自分の目を疑った。

先ほどまで止まっていたクラスメイトたちの姿が、砂粒が風に吹き飛ばされるように次々と消えていく。


「世依っ―――――!」


紫銀は絶叫しながら世依奈のもとに駆け寄った。

その瞬間、世依奈の姿が輪郭からじわじわと崩れ始めた。まるで何かに浸食されるように、彼女の形が消え去り、虚空へと溶け込んでいく。紫銀の手が触れようとした刹那、世依奈の残像すらも完全に消え去った。


「永木さん!」


星理亜が鋭い声を上げ、紫銀の肩を掴んだ。


「安心してください。次元さんは、無事です。」

「無事?」



紫銀が力なく言葉を繰り返す。

「はい。今はここでもなければ、現実でもない別の空間に転移されています。そこなら、ここでどんなことが起きても、私たち以外は安全です。」


紫銀は混乱した表情で星理亜を見つめた。


「……白羽さん……君は……」


星理亜は一瞬目を伏せ、申し訳なさそうに言葉を続ける。


「ごめんなさい。本来なら、ちゃんと説明するべき状況なんですが、そうもいかないみたいです――――」


紫銀の声が震えた。


「……なんだよ……アレ」


星理亜が不審そうに振り向くと、教室の中心に浮かぶ異形の球体が目に入った。


「……なんですか、アレ……」


その表面は粘液に覆われ、内部の何かが蠢いているように波打っていた。膨らんでは縮む動きがまるで心臓の鼓動のようで、その度に湿った音が辺りに響く。表面を這う触手が絡み合い、時折滑り落ちるように垂れ下がり、床に粘液を滴らせている。その異様な存在感に星理亜は息を飲んだ。

突然、球体の表面がピタリと動きを止めた。その静寂がかえって恐怖を掻き立てた。そして、球体から一本の触手が這い出てきた。その触手は、紫銀を正確に狙うようにゆっくりと伸びていく。触手の先端は鋭い鉤爪のように裂け、紫銀に向かって加速した。

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