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始紫伝10

帰宅した星理亜の部屋は、まるで彼女自身を映すかのように無機質で整然としていた。家具は必要最低限、無駄なものは一切なく、彼女の冷徹な性格をそのまま反映した空間だった。ベッド、机、椅子、大きな窓にかけられた薄いカーテン。それが全て。彼女には家族もいなければ、感情を揺さぶるような存在もない。ただ任務を果たすために生きる、それだけの人生だった。


黙って制服の上着を脱ぎ、椅子にかける。その動作には一片の迷いもなく、まるで機械的に行われたようだった。彼女は無表情のまま、大窓に向かって歩くと、ゆっくりとワイシャツのボタンを外し始めた。下に隠れていたのは、純白のシルクのブラジャー。形の整った小ぶりな胸をしっかりと支えるデザインで、レースや装飾の一切ないシンプルなものだったが、その素材からは微かな艶が感じられた。


次に彼女は、白い太腿の付け根まで隠れていたスカートのファスナーを下ろすと、それが自然と足元に落ち、同じくシンプルな純白のショーツが現れる。ショーツもブラジャーと同様、余計な飾り気はなく、薄く滑らかなシルク素材が肌にぴったりと密着している。柔らかい布地が彼女の引き締まったヒップを包み込んでいた。


大窓に向かってカーテンを引いた瞬間、彼女のスマホが鳴った。星理亜はため息一つつくことなく、自然にそれを手に取り、耳に当てる。


「もしもし」

と静かに応答した。片手でスカートを拾い上げながらも、目の前にある状況はすでに見慣れた光景だった。


「えぇ、ちょうど今、帰ってきたところです」

と、事務的な口調で報告する。


「対象は確認済みです。それに、レイブンさんが裏でいろいろと動いてくれているおかげで、大きな問題は発生していません」

と続け、冷静なまま手早く報告を終えた。


「気になることですか?」

と問い返しつつ、彼女は再びブラジャーのストラップに指をかけ、軽く整えた。


「そうですね。まず、この場所が不自然なくらい平和だという点です。紫銀が暴走し、主世界が終わるまでに1年もないはずなのに、ここは穏やかすぎる」


彼女の声にはわずかな疑念が混じり始めた。日常に潜む異常が見つからないこと、それが逆に不安を募らせていた。窓の外をちらりと見た。薄暗くなり始めた夕方の空、街並みは変わりなく静かで、異変の兆候はない。


「力を無理やり目覚めさせる存在も確認できていませんし、そちらでも何も捕捉していないはずです。検索検知に引っかかるものも、今のところありませんよね?」


星理亜の声はますます落ち着いている。だが、その冷静さの裏には、次の一手への警戒が張り巡らされていた。


「だからこそ、私は疑っているんです。本当にこんなに静かでいいのかと」


彼女は相手の返答に耳を傾けながら、大窓に再び近づき、カーテンを少しだけめくった。外の夕暮れはさらに暗く、室内は照明をつけていないため、外から見ても彼女の姿はほとんど分からないだろう。それでも星理亜は、無防備なまま窓の前に立ち続けた。


「あともう一つ、これは早急に確認をお願いします。対象、永木紫銀の——」


その時、外から車のクラクションが激しく響き、彼女の言葉は途中でかき消された。だが星理亜はまるで気にも留めない様子で、窓の外をじっと見つめ続けた。クラクションの音にも動じることなく、電話の向こう側に情報は確実に伝わっていると確信していた。

星理亜は無表情で電話の向こう側にいる相手に応じた。彼女の声には冷たさと、何事も淡々とこなすプロフェッショナルな響きがある。


「それよりも、要件は違いますよね?」


その一言には、焦りや感情は一切感じられない。まるで言葉そのものが機械的に吐き出されたかのようだ。彼女にとってこの会話も、日常の業務の一環であり、心を動かす要素はなかった。相手の返答を待ちながら、星理亜はスマホを耳から離し、トップ画面の時間を確認する。


「今ですか……」


彼女の冷静な声が静かな室内に響く。その声には感情の揺れはなく、まるで時計の針が進む音のように一定だ。星理亜は再びスマホを耳に当て、続ける。


「遅れますが、いいですか?」


短い沈黙が流れるが、星理亜にとってそれはただの形式に過ぎなかった。すぐに相手から了承の言葉が返ってくる。


「わかりました」


会話を終えると、彼女は何の感慨もなく電話を切り、スマホを無造作にテーブルに置いた。画面が一瞬だけ光を放ち、すぐに暗闇へと戻っていく。星理亜は無言のまま玄関に向かい、用心深く鍵をかけ、チェーンロックをかける。上下にあるサムターンを外し、ドアをしっかりと固定した。その一連の動作は極めて慎重でありながらも、無駄がなく流れるようだった。


彼女はクローゼットに向かい、静かに扉を開ける。中には整然と次元管理局の制服がハンガーに掛けられている。星理亜はその制服を一瞥し、目を上に向けると、枕棚には手のひらに収まるほどの小さな正方形のキューブと黒い指輪ケースが置かれていた。どちらも任務に欠かせない重要なツールだ。星理亜はキューブを手に取り、軽く回転させた。


瞬時に、キューブから柔らかな光が漏れ出し、空中にホログラムの画面が展開される。その画面に映し出されていたのは、ジョギング中の永木紫銀と、着替え中の次元世依奈だった。二人の姿は、それぞれの生活の断片を映し出しているが、星理亜にとっては単なる監視対象でしかない。無表情で確認を終えると、彼女はキューブを元の場所に戻す。


次に、星理亜は黒い指輪ケースを手に取り、慎重に蓋を開けた。中には「心魂具しんこんぐ」が収められていた。今回の任務にとっても重要な役割を果たすはずだった。しかし、その力をまだ完全には使いこなせていないことが、星理亜自身にとっても不満だった。


彼女はその指輪を丁寧にケースから取り出し、右手の中指にはめた。冷たく硬い指輪が指に触れる感触は慣れ親しんだものだが、その重みはやはり特別だ。心を落ち着け、彼女は目を閉じて念を込める。数秒間、部屋の空気が張り詰めるが、何の反応もない。心魂具は沈黙したまま、星理亜の期待に応えることはなかった。


「やっぱり、私では無理なんだ……心魂具コレ


彼女の口からこぼれたその一言には、わずかながらも諦めの色が感じられた。冷淡な顔に浮かぶ微かな表情の変化は、彼女自身が抱える葛藤を表しているのかもしれない。それでも星理亜は、すぐに自分を取り戻し、無言で動作を再開する。


星理亜は再びクローゼットに目を向け、次元管理局の制服を取り出した。任務の準備はいつも通り無駄なく、効率的に進められていく。まず彼女は、膝上丈のプリーツスカートを手に取り、腰に巻きつけるようにしてから、ファスナーを滑らかに上げる。その動きは流れるようで、スカートは彼女の身体にぴたりと馴染んだ。


次に、黒シャツを取り出し、それを頭からスルリと通す。このシャツにはボタンが一切なく、シンプルに身体に密着するデザインだ。星理亜はシャツの生地が肌に触れる感覚を確かめるように、軽く動きながら整えた。シャツの素材は、機能性を重視したもので、彼女の動きを妨げることは一切なかった。


その後、ジャケットタイプの上着を手に取る。ジャケットは黒を基調としたシンプルかつフォーマルなデザインで、実用性と洗練さを兼ね備えている。星理亜は慎重に腕を通し、特徴的な襟を短めのネクタイで固定する。このネクタイは、襟元をしっかりと押さえながらも、彼女の動きを束縛することはなかった。これもまた、管理局の制服が機能性を最優先に設計されている証拠だ。


着替えを終えた星理亜は、スマホをジャケットの内ポケットに仕舞った。その動作には一瞬の迷いもなく、彼女の手は次の行動に自然と移っていた。星理亜は先ほどのキューブを再び手に取り、軽く半回転させる。すると、クローゼットに設置されている姿見の鏡が徐々に光を放ち始めた。鏡から発せられる光は徐々に強まり、まるで別次元への扉が開かれたかのように部屋全体を包み込む。


星理亜は、その光に向かって歩み寄る。キューブを元の状態に戻すと、静かにそれをジャケットの右ポケットに仕舞い、鏡の前に立った。鏡に映る自分の姿を一瞬だけ確認するが、それ以上の関心は示さない。彼女にとって、この鏡が次に進むべき場所へのゲートであることは疑いようがない。


星理亜は躊躇することなく、光の中へと足を踏み入れる。その姿は徐々に鏡の中へと吸い込まれ、最後には完全に消え去った。残されたのは静寂と、冷たい空気だけだった。


 光の先に広がるのは、廃棄された工場だった。内装はボロボロで、床には錆びついた金属片や壊れた機械が散らばっている。しかし、不思議なことに、そんな場所でも人々が行き来していた。次元維持管理局の一部として、廃棄された施設でもこうした活動拠点が設置されることは珍しくない。何かが隠されていることを感じさせる雰囲気が漂っていた。


「お、すまないな。こんな時間に呼んでしまって」


工場の一角でディスプレイを覗き込んでいた中年の男性が、星理亜に気づいて声をかけた。彼女は静かに歩み寄り、彼の隣に立ってディスプレイを覗き込む。


「いいえ。こちらも要件の確認をしたいと思っていましたから」


男性はディスプレイに映る情報を確認しながら、星理亜の質問に答える。


「それで?どうでした?」

「ああ、君が言っていた『次元世依奈』ってやつだが……主世界の存在生命体、つまりは普通の人間ってことだな」


その言葉に、星理亜は少し考え込みながら頷く。


「そうですか……」

「何か気になることがあるのか?」


男性が星理亜の様子を伺うと、彼女は小さく息を吐いた。


「いえ。ただ、任務に就く前に確認していたリストには、彼女のことが載っていませんでした。イレヴンさんから渡された情報では、対象者とその家族しか記載されていなくて」

「ああ、あの人ならそういうこともあり得るな」

「そうですね」


星理亜は納得したように頷くが、少し疑問を抱いている様子だ。彼女は続けて、慎重に問いかけた。


「私、レイブンさんのところからの指示は初めてなんですが、こういうことがよくあるんですか?」

「そうだな、あの人は、最高責任者の中でも一番情報を出し惜しみするやつで有名だ。俺たちの間でも話題になってるよ」


その言葉に、星理亜は少し驚いた表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。


「そうなんですか……私は知りませんでした」

「まぁ、君はまだ新人だからな。気にするな」


軽く笑いながら彼は言い、次の画面に手を伸ばして表示を変える。


「それで、あんたが言っていた奴を調べてたら、もう一つ見つけたんだが……これに心当たりはあるか?」


ディスプレイに映し出されたのは、別の人物だった。星理亜はその映像をじっと見つめる。


「写世さんですね。同じクラスで、紫対象と非常に仲が良い人です」

「写世か……」


男性は少し考え込むようにその名前を口にする。


「彼がどうしたんですか?」


星理亜が尋ねると、男性は一度ため息をつき、率直に答えた。


「単刀直入に言うと、あいつは人間ではあるが、主世界の存在生命体ではない」

「え……?」


星理亜は驚きの表情を隠せなかった。だが、男性は淡々と説明を続ける。


「別世界か別次元の存在だ。もしかしたら、俺たちと同じ管理局の奴かと思ったが、リストには名前がない」

「それって……」

「そうだ、次元干渉者だ」

「じげんかんしょうしゃ?」


星理亜は、初めて聞く言葉に首をかしげた。


「ああ、君は新人だからわからないか。次元干渉者とは、意図的に次元間の秩序を乱し、危機や不安定を引き起こす者のことだ。管理局では、そういった存在を監視し、常に警戒しているんだよ」


男性は慣れた調子で説明した。


「……そういうことですか。分かりました。今後、彼の動向には注意しておきます。それで、上層部に報告するんですか?」


星理亜の問いに、男性は少しため息をついて首を振る。


「いや、現時点では報告しない」

「……どうしてですか?」

「今回見つけた写世という干渉者は、現状無害と判断されているからだ。だから、動向の監視だけで十分だ。しかし、これを報告すれば、ヴェルトの一声で確実に武力介入が始まる。次元干渉者は、捕獲か排除の対象になるからな。それは避けたい」


星理亜はその言葉を重く受け止め、静かに頷いた。彼女の表情にはまだ不安が漂っていたが、任務の継続が求められていることは理解している。


「分かりました。監視対象の永木さんに写世さんを加え、引き続き監視を続けます。何か変化があれば、すぐに連絡します」

「そうしてくれ。こっちでも、何か怪しい動きがあったら伝える」


男性はディスプレイを指で軽く叩きながら言った。星理亜も一礼し、再び視線をディスプレイに戻す。写世――次元干渉者としての彼が今後どう動くのか。

星理亜の任務は、ますます複雑になっていく予感がした。そして、その複雑さが、いつか自分を巻き込んでくるのではないか――そんな一抹の不安が、彼女の胸の奥にひっそりと芽生え始めていた。 


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