始紫伝6
給食の時間が始まり、教室はにぎやかな雰囲気に包まれていた。竹西学園では、中等部と高等部それぞれに専用の食堂が設けられており、生徒たちは電子マネーで手軽に食事を購入することができる。しかし、食堂を利用せず、自宅で作った手作りのお弁当やコンビニで買った弁当を持参する生徒も多く、食のスタイルはさまざまだった。
「さー、今日のお弁当はなにかなー!」と世依奈はご機嫌に、まるで宝箱を開けるかのように「ぱかーん」と擬音までつけてお弁当箱を開けた。
しかし、その瞬間――
「え?…えええええええ!?」
大げさすぎるリアクションに、隣にいた紫銀と写世は思わず顔を見合わせた。そして何が起こったのか気になり、二人は同時に世依奈の弁当箱を覗き込む。
「あれ?ピーマンの肉詰め?」
紫銀が不思議そうに言う。
「そう、これ、ピーマンの肉詰め!しかもいっぱい!」
世依奈は信じられないという顔でピーマンをつまんだ。
「あれ?世依奈ってピーマン、嫌いなだっけ?」
紫銀が首を傾げる。
「いやいや、嫌いじゃないよ?ピーマン大好きだよ。でもね、違うの!」
世依奈は何かを訴えるように眉をひそめる。
「違うって?」
紫銀がさらに困惑した顔で聞き返すと、写世が横から割り込んできた。
「委員長、わかってへんなー」
写世がニヤリと笑いながら紫銀を見た。
「そーだよ、紫銀くん、全然わかってない!いい?足りてないのは――」
世依奈が一拍置いて、写世と声を合わせる。
「白いご飯!」
世依奈と写世が一斉に叫んだ。
「……は?」
紫銀はぽかんとした顔をする。
「さすが写世君、よくわかってるじゃん!」
「次元はんもな」
世依奈が満足げに頷き、写世も得意げに返した。
「いい、紫銀君、さっきまで私たちたーっくさん走ったでしょ」
世依奈は強調するように言う。
「まぁ、体育の授業だったからね」紫銀は納得したように頷く。
「そうなの!だから今、食べたいのはピーマンやお肉じゃないの!白いご飯なの!真っ白なご飯をがっつり食べたいの!」
世依奈は力強く主張する。
「ご飯、なの!ご、は、ん!」
世依奈がさらに強調すると、紫銀はなんとも言えない表情で彼女を見つめた。
「それなのにね、ピーマンの肉詰め、卵焼き、ポテトサラダ、ミニトマト、ブロッコリー……」
世依奈は弁当箱の中身を一つ一つ箸で指し示しながら確認する。
「ご飯がない!」
世依奈は大げさにため息をついた。
「……もしかして……紫銀くんの貸して!」と、突然世依奈が紫銀のお弁当を奪い取る。
「っちょっ!世依奈!」
紫銀が慌てて止めようとするが、もう手遅れ。世依奈はすでに紫銀のお弁当を手にしている。
「……ある」
世依奈は紫銀のお弁当を見て静かに言った。
「ある?」紫銀がさらに困惑する。
「える?」写世はわざと抜けた声でボケてみせる。
「ご飯がある!ずるい!紫銀くんだけずるい!」
写世のわざと抜けた声のボケを無視して、世依奈が叫ぶ。
「ずるいって言われても……」
紫銀は苦笑いしながら自分のお弁当を確認する。世依奈のお弁当の中身に加えて、大きめのおにぎりが二つ入った二段弁当だった。
「紫銀くん、そのおにぎり、もらうよ!」
世依奈が勢いよく宣言しながら、おにぎりに手を伸ばす。
「ちょっ、世依奈!」
紫銀は抗議の声を上げるが、世依奈はもう片手でおにぎりを掴んでいた。
「代わりにこれあげる!」
世依奈はピーマンの肉詰めを紫銀のお弁当に押し付ける。
「はぁー、そう言うと思ったよ。でもさ、今朝、界乃さんには同じ内容のお弁当になってるけどって言ってなかった?」
紫銀がふと尋ねる。
「言ってたよー。だって、作れるのはママだけだもん。私がやろうとすると、ママに阻止されるからね」
「じゃー、なんで、そっちのお弁当にはご飯がなくて、俺のにはあるんだ?」
「それはねーー」
「アレやな」と写世がニヤリ。
「アレ?」
世依奈と紫銀は同時に尋ねる。
「母の特権!娘と将来の旦那さんへの愛情がたっぷり籠もったイタズラやで」
写世が笑いながら説明する。
その言葉を聞いた瞬間、世依奈の心にひらめくものがあった。
(ってことは……私のにはご飯がなくって、紫銀くんのにはあるってことは、絶対、ママのいたずらだよね。うん。)
世依奈は思わず顔をほころばせた。愛情あふれるイタズラに、なんだか嬉しくなったのだ。
「……でも、なんで紫銀くんだけ特別なの?」
世依奈は小声でつぶやく。心の中でちょっとだけ嫉妬が芽生えた。
その声を紫銀は聞いたが、何事もないようにピーマンの肉詰めに箸をつけた直後ーーーー
星理亜が少し遠慮がちに、「ご一緒してもいいかしら?」と尋ねた瞬間――
「んぐっ!? 白羽さん!?」
世依奈は驚きのあまり、口におにぎりをくわえたまま星理亜の方を見た。その顔は驚きと興奮が入り混じっており、思わず声を出してしまったのだ。
星理亜はその様子に少し笑って、「次元さん、ちゃんとおにぎりは飲み込んでから話した方がいいわよ」と優しく注意した。星理亜の柔らかな声に、周囲に少し和やかな空気が漂った。
「うん、そうだね、世依奈」と紫銀も苦笑しながら同意する。彼女の目線は世依奈のおにぎりに注がれており、どこか呆れた様子も伺えた。
世依奈は慌ててくわえていたおにぎりを飲み込み、軽くむせながらも元気よく返事をする。
「いいよー。この椅子、使いなよー」と世依奈は手元にあった空の椅子を軽く叩きながら星理亜に勧めた。
「……そこ、君の席じゃないよね?」紫銀が半ば呆れたように指摘したが、世依奈はまったく気にする様子もなく笑顔を向ける。
「いいの、いいの。食堂行ってる人の席だから問題ないって」
世依奈は自信満々に言い放った。
「そやで、委員長」
写世が笑いながら相槌を打つ。
「ん?」
「ラッキーやないか」
写世は口元を緩め、意味深に笑った。
「ラッキー?」
紫銀と世依奈は同時に首を傾げる。
「そやで、自分の席やのに、転校生はんが座ってくれりゃ喜び。ラッキーやん」
写世はいたずらっぽくウインクをしながら言った。
「んー、紫銀君でもラッキー?」
世依奈は首をかしげながら紫銀の顔を見つめた。
「んぐっ……」
紫銀はなんとなくその理由を知っているが、それを口にしたらやばいと感じ、誤魔化すように軽く咳払いをした。
場の空気が少し和やかになったところで、紫銀がふと写世の方に目を向ける。
「ってか、写世」
紫銀が問いかけると、写世は気楽に返事をする。
「んや?」
「お前はまた、サンドイッチだけか?」
紫銀は写世の手元にあるサンドイッチに視線を向けた。
「ちゃうで。サンドイッチだけやないで、この他に――」
写世が言いかけた瞬間、紫銀は何かを察して声を上げる。
「あっ!」
紫銀が驚いた表情を見せる。
「委員長のおにぎり、ゲットやで」と写世は勝ち誇った顔で言いながら、手にしたおにぎりをちらつかせた。その視線には少しした得意げな色が浮かんでいる。
写世は世依奈の母親である界乃が作る料理の味が素晴らしいことをよく知っていた。彼も何度か世依奈の家でご馳走になっており、そのたびに界乃の手料理の美味しさには舌を巻いていた。特におにぎりは具材のバランスと味付けが絶妙で、一度口にすると止まらなくなる。だからこそ、こうして手に入れることができると、写世にとってはちょっとした「勝利」のようなものだった。
「はぁー、またかよ……」
紫銀はため息をつきながらも、写世が界乃の料理を狙ってくる理由がよくわかるので、強くは責めなかった。
星理亜はそんな二人のやり取りを微笑ましげに見つめていた。紫銀は気を取り直し、星理亜に向き直る。
「あ、ごめんね、白羽さん。こんな賑やかなバカたちが一緒だけど、大丈夫?」
紫銀は少し申し訳なさそうに問いかけた。
「えぇ、構いませんよ。お友達と一緒に食べるなんて素晴らしいじゃないですか」
星理亜は穏やかな笑顔で応じた。その言葉に、世依奈は嬉しそうに頷いた。
「そうだよねー! みんなで食べるとおいしいもんね!」
世依奈は元気に声を上げた。
「まぁ、確かにね」と紫銀も同意し、星理亜の優しい態度に少し感心しているようだった。
写世は星理亜の方に向かって軽く手を振り、「ほんなら、転校生はんもここで楽しんでいこや」と言いながら、無邪気に笑った。
「ありがとうございます、写世さん」と星理亜は丁寧に返事し、椅子に腰を下ろした。
すると、星理亜が持ってきたお弁当袋から出てきたのは、高そうでお嬢様のような美しいデザインのお弁当箱だった。艶やかな仕上げに、繊細な花模様が描かれており、その姿はまるで美術品のようだった。世依奈はそのお弁当箱を見つめながら、中身も見た目通り豪華で綺麗なものだと期待に胸を膨らませていた。
「え、えっと、次元さん」
星理亜が少し戸惑いながら声をかけた。彼女の目には緊張が宿り、世依奈の好奇心あふれる視線に少し怯えているようだった。
「なーに?」
世依奈が興味津々に答える。その目はまるで子供がクリスマスプレゼントを待ち望むような輝きを帯びていた。
「そんなに見られていても、何もないですよ?」
星理亜が冷静に言うが、世依奈は視線を離さない。むしろますます興味をそそられた。
「でもでも、すごーく気になるじゃん。もしかして、すごいお弁当なんじゃないの?」
世依奈は目を輝かせている。星理亜の戸惑いを感じながらも、彼女の反応に対する期待感が高まるばかりだった。
「次元はん、転校生はんに期待しすぎたらあかんで」
写世が苦笑しながら言った。その声には少しの心配とともに、友人の期待を和らげようとする優しさが感じられた。
「えー、でも見た目は期待できそうじゃん!」
それでも、世依奈は譲らない。彼女は星理亜のお弁当が特別であることを信じて疑わなかった。
「そうだよ、世依奈。白羽さん、ごめんね」と紫銀がフォローにはいった。彼は世依奈の期待を受け止めつつ、星理亜に対する配慮も忘れない。
「いえ、大丈夫ですよ。少し、驚いただけですから」
星理亜は微笑みながら、世依奈の熱心な反応に少し戸惑った様子を見せた。
「えーと、次元さん。これが私のお弁当になります」
星理亜が、お弁当箱の蓋をゆっくりと開けた。
「え……えーと」
それを見た世依奈は言葉を失った。目の前に広がったのは、思い描いていた華やかさとはまったく異なる光景だった。
「なに、これ?」
困惑した様子で尋ねた。彼女の心には、期待と驚きが交錯していた。
お弁当の中身は、プロテインバーが3本、それぞれチョコ味、ベリー味、ピーナッツ味で整然と並べられていた。その横には、区切られた部分に「ディストピア飯」が入っており、見た目からして栄養価重視の無機質な料理だった。灰色がかったパンや、薄い茶色のペーストが並んでいた。さらには、その隣には乾燥野菜チップや合成された味付けの乾燥肉が盛られており、全体として「必要な栄養を確保するためだけの食事」という印象を与えていた。
「っ!」
その内容を見た写世は思わずむせた。
「え?私のお弁当ですが……どこか変なところがございますか?」
星理亜はきょとんとした表情を浮かべる。彼女にとってはこれが普通なのかもしれないが、他の二人には理解しがたいものだった。
「え……えーと」
世依奈は目を丸くしながら、思わず星理亜を見つめる。彼女の表情には驚きと同時に少しの戸惑いも見えた。
「これって、すごく栄養ありそうだけど、見た目はちょっと……」
「そ、そうだね。ちょっと独特な感じだよね」
紫銀も頷く。彼は正直な意見を言うことで、友人を守る役割を果たそうとしていた。
「えーんと、ちゃう。それで物足りるなら問題あらへんって」
写世は落ち着きを取り戻して言った。彼女の声には、少しの優しさが感じられる。
「そうよ、私もそう思う!」
世依奈が明るい声を出す。彼女は星理亜に寄り添いながら、あくまで前向きな態度を崩さなかった。
「でも、星理亜さんの好みが気になるなぁ。いつもこういう感じなの?」
「ええ、基本的には栄養を重視していますから。美味しさよりも、効率的に栄養を摂ることが大事だと思っていて……」
星理亜は少し恥ずかしそうに答えた。彼女の言葉には、健康を気遣う思いが込められていた。
「なるほどね、確かにそれは大事だよね」
世依奈は感心したように頷く。彼女は少しの疑問を抱えながらも、星理亜の考えを理解しようと努力していた。
「それじゃ、いただきまーす」
世依奈は元気よく言い、ピーマンの肉詰めを口に運んだ。